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 暗い……。
 それに、寒いな……。
 ここは一体……?
 一彦は身体を起こし周りを見渡すが、辺り一帯は闇が広がるばかりで何も見えない。
「どうなってるんだ? 俺は確か……」
 混乱する頭でどうにか状況を把握しようと記憶を遡り、慌てて胸の負傷箇所を触ってみた。
 しかし、そこには傷どころか、その痕跡すらなかった。
「つまり……俺は死んだのか……」
 身体を貫くような酷い負傷。それが瞬時に塞がるなんて事はあり得ない。
 その傷が原因で絶命したと考えるのが妥当だ。
「無茶をするつもりはなかったんだけどな……」
 よりによって、実の母と娘の目の前で自分の死に様を見せる羽目になるとは。
「いや、二人だけじゃないか」
 意識を失う直前に聞いた、俺を呼ぶ声。
 あれは間違いなく親父の声だ。
 つまり、家族三人の前で自分が絶命する光景をまざまざと見せつける事になった訳だ。
「生きて帰れ、と約束した当人の前で死ぬとか。……最悪だ」
 そんな事を一人で愚痴っていると、途端に三人の事が気になり始めた。
 愛理とリリィちゃんは無事、ベリアルから逃げおおせただろうか。
 親父が到着した後、事態はどうなったのだろう。
 意識を失う直前、緑のベールが見えた。あれは多分、リリィちゃんの魔法だろう。
 それから……?
 最早、その先を知る手段は無い。
 何ともどかしい事だろう。
 これが所謂、心残り、というものだろうか?
 先人達は皆、これを味わって世を去ったのか?
 死んでしまった今、もう、諦めるしか――
「諦めるのですか?」
「ッ!?」
 女の声!? どこから!?
 周りを見回そうにも全てが暗闇。何も見えよう筈もない。
「誰だ! 姿を見せろ!」
 口にしてしまった直後、すぐに後悔した。
 得体のしれない相手がこちらの要求通り姿を見せる訳がない。
 だが、声から判断すると、すぐ近くにいる感じがする。
 一彦が油断なく四方を見回していると、その得体のしれない相手からの返答がきた。
「ここはあなたの意識世界。生きようとする身体が見せている夢の世界、といった所でしょうか」
「……俺はまだ死んでいないのか?」
 俺は名乗りもしない胡散臭い相手に何を聞いてる?
 一彦の冷めた意識が自分にそう問いかける一方、まだ死んでいないというなら、それに一縷の望みをかけたいという、生きる事を渇望する意識もあった。
「ここに留まれば、あなたはやがて消滅する夢に飲み込まれ、死ぬ事となります。ですが――」
 一彦の目の前に光り輝く『穴』が現れた。
「その『門』をくぐれば、あなたの身体は意識を取り戻すでしょう」
 一彦はその門に向かって歩きだそうとした時、自分の死に様を思い出した。
 槍に貫かれた身体。それに伴う激痛。
 意識を取り戻しても、またすぐに死んでしまうんじゃないか?
 恐怖が一彦の身体を縛る。
「~~っ! どっちにしろ、ここにいても死ぬだけだ! だったら、このチャンスにかける!」
 一彦は門に向かって駆け出した。
 光が一彦を包み込むと耳に聞き覚えのある声が届いた。
「……お父さんっ!」
 愛理っ!
 その瞬間、一彦は現実世界に引き戻された。

「うぅ……」
 自分の呻き声が耳に届く。その感覚が、まだぼうっとしている頭に現実味を感じさせた。
 身体を起こして辺りを見渡すと山中の茂みの中のようだ。南の麓に先程の廃ビルが見える。
「よく分からないが、俺はまだ生きてる、のか……?」
 さっきの夢の中で聞いた声の通り、目覚める事ができた。
 それにしても、夢の中での声は一体……?
 そこまで考えて、一彦ははっとしてボロボロの服の前をはだけた。
「傷がない……。というより、この肌は……」
 明らかに白い。自分の手も指も爪も全て別人の物だ。
 普段から目にしてる自分の身体、違いは一目で分かる。
「お父さん、なんだよね……?」
 声の方に振り向くと、いつの間にか愛理が傍に来ていた。
 無事だったのか。……よかった。
 一彦は愛理の無事を喜ぶと同時に、愛理が少し自分と距離を置いているように感じた。
 ああ、そうか。
 手でさえ別人なら、身体は言わずもがな。
 愛理は目の前の男が本当に自分の父親かどうか判断しかねているのだ。
 一彦は安心させようと精一杯の笑顔を作って話しかけた。
「そうだよ、愛理。何でこんな格好なのか分からないけど、俺は間違いなく愛理のお父さんだ」
 それを聞くと、愛理は一彦の手を取って引っ張った。
「こっちに来て」
 状況を飲み込めない一彦は愛理に引かれるまま付いていった。
「……どうやら、気が付いたみたいだな……」
 若い男の声。
 愛理に連れて来られた場所は目覚めた場所からそう離れてなく、そこの太い樹木の幹にもたれかかる様にして座る青年の姿があった。
 刈り込んだ短い金髪。細身で細面。
 今は力無く開く目にはどこか面影がーー
「親父……?」
 妙だ。かなり消耗しているように見える。
「お父さん……」
 傍にいる愛理も心配げな表情で視線を向けてくる。
 その落ち着かない視線が気になり、もう一度、輝明の様子をよく見てみた。
「……! おい、親父! 怪我してるのか!? どこだ!? 早く治療を!」
「一彦……」
 呟く輝明の足元に、もたれかかった木の幹を伝って血溜まりが出来つつあった。
「とりあえず止血だ! ……っ!?」
 包帯が無い!?
 輝明の様子を見てパニックになった一彦は左腕の包帯を取ろうとして、そこには何も巻かれてなく、怪我もしていない事に驚いた。
「怪我がない? いや、それより……」
 応急処置に必要な物がない。
 どうする……?
 不安げな愛理の視線を受けながら必死に考えるとある事に気付いた。
「親父、魔法! 魔法を使って治せないのか!?」
 俺達をここに連れて来たのは親父のはず。
 あの場から一人で俺と愛理を運ぶのは魔法無しには不可能だ。
 ならば、その魔法で治療できるんじゃないか?
 そう考えた一彦だったが――
「……できないの。おじいちゃん、お父さんと私をここに運んできてからずっとお父さんの体にマホーをかけてたから。もう力が残ってないって……」
 輝明に代わって答えたのは愛理だ。
 一彦はそれを聞いて自分の身体を顧みる。
 確かに俺の身体をここまで変えてしまう魔法をかけ続けたなら、魔法を使う為に必要な精神力は残っていないだろう。
 だが、それは輝明を治せないという事を認めなければならないという事だ。
「くそっ!」
「……一彦…そこにいるのか……?」
 ぐったりとした輝明の口から再び漏れた言葉に我に返り、一彦と愛理は駆け寄った。
「親父!」
「おじいちゃん!」
 駆け寄ってきた二人を見て輝明は尋ねた。
「違和感は無いようだな……」
「ん……? あ、ああ。違和感も痛みもない――」
 むしろ調子がいいくらいだ。
 感覚が研ぎ澄まされ、身体の中に何かが満ちている様な――?
「何だ? この身体の中にある感覚は……?」
「魔素だ……」
 輝明が一彦の疑問に弱々しく答えた。
 輝明は続けて話す。
「体内の魔素、大気中の魔素、魔界から引き寄せた魔素……それを精神力で練り上げ魔法とする。今のお前なら分かるだろう……?」
 分かる。親父が何を言っているのか。
 体内の魔素を引き出し、術式で魔法となる器を作り、そこに魔素を流し込んで魔法を発動させる。
 その一連の流れにおいて魔素を操る力が、体内に蓄積された精神力であり、一度に操れる魔素の量は本人の魔力の強さによって変わる。
 人が意識せずに呼吸するように、当たり前の事として理解できる。
 ――! あぁ。だから、さっき、愛理の説明を受けても理解できたのか。だったら――
「俺が今できる事も分かる!」
 一彦が輝明に向かって魔法を使おうとした時、
「…よせっ!」
 輝明は上体を起こして一彦のかざした手を掴むと声を絞り出した。
 突然、手を掴まれて驚く一彦。
「何で止める? 俺が魔法を使わなければ、親父は死ぬんだぞ?」
 徐々に広がる血溜まりの量から放置すれば死に至るのは容易に想像できる。
 一彦は輝明に不可解な行動の理由を尋ねた。
 輝明は重そうに口を開く。
「…魔族に成り立てのお前の能力ギフトはまだ決まっていない…。…ここで魔法を使えば、それに引っ張られて能力ギフトが決まってしまう…。…本来、生まれた時に決まり、自ら選ぶ事は出来ない能力ギフト、こんな事で決めず、よく考えるんだ…」
 一彦は息も絶え絶えに言う輝明の言葉を鼻で笑うと再びその手を輝明にかざした。
「じゃあ尚更だ。親が死にかけてて自分にそれを食い止める力がある、だったら俺は迷いなくその力を使う」
 もうキヨさんみたいな人を出しちゃいけない。
 もし、あの事故が起こる前に戻せるなら――
 そんな事を思いながら一彦は輝明に力を使った。
 すると傷が塞がったのか、苦しげだった輝明の表情が幾分和らいだ。
「……お前は短絡的だな」
 輝明がため息混じりに呆れた顔で一彦にそう言った。
 しかし、一彦はそんな皮肉を意にも介さず魔法を使い続ける。
「何とでも言え。親父にはしっかり生きてもらう。どうせなら愛理が結婚して、子供が生まれ、その子の成人式で一緒に写真を撮るくらいにはな」
「随分と長生きさせるつもりみたいだが……」
 苦笑いを浮かべてそれを否定しようとした輝明の左手を小さな手が包んだ。愛理だ。
「おじいちゃん、長生きして」
 愛理の純粋無垢な願いと瞳に晒され、輝明は二の句を告げなくなった。
「長生き、楽しみになっただろ?」
「……そうだな」
 輝明は一彦の言葉に頷き、左手を握る小さな手を握り返した。

 それから暫くすると、輝明の傷が塞がり輝明は立ち上がれるようになった。
「儂の怪我は治ったようだ。というより『元に戻った』というべきか。怪我だけじゃなく流れた血までな。お前の能力ギフトは時間に関わる物のようだな」
「そうらしい」
 俺は医者じゃない。
 だから、どの臓器を治せばいいかなんて判断出来なかった。
 徐々に広がる血溜まり。何をすればいいか分からない自分。
 そんな時に頭に浮かんだのが、キヨさんの最期。
 あんな事が起こる前に戻せるなら。
 そう思った瞬間、自分の中にある魔素をどう扱えばいいのか分かった。
 《時間操作クロノシフト
 それが俺の能力ギフトだ。
「う……」
「おじいちゃん!」
 立ち上がった輝明だったが、ふらついた様子でしゃがみ込んだ。
 すぐに愛理が駆け寄る。
「おじいちゃん、大丈夫!? 無理しちゃダメだよ!」
 これまでの事が余程怖かったのだろう。
 そう言って輝明に寄り添う愛理の肩は震えていた。
「もう無理はせん。安心しなさい」
 輝明は震える愛理の肩に手を置いてそう言うと、一彦に向き直った。
「……見ての通り、怪我は治っても体力までは戻ってないらしい。そこでこれをお前に託したい」
 差し出した輝明の掌には見覚えのある透明な玉があった。
「……! こ、これ、デモンを喚び出す……!」
「儂のデモン召喚球だ。召喚後、契約をすればお前のデモンになる。本来なら儂がリリスを助けに行きたい所だが、儂はこんなザマだ。デモンを動かす事など出来はせん。……頼む! リリスを助けてくれ!」
「親父……」
 輝明は泣いていた。
 声を押し殺して泣くその姿は一彦が初めて見るものだった。
「本当ならこんな事、お前に頼めたものじゃないのは分かってる。儂の生まれのせいでお前達を巻き込んでしまった。それだけじゃない。人としての人生を送らせてやりたかったお前の身体を魔族の物に変えてしまった。ただ、死なせたくなかったばかりに……。長年、お前達を本当の人間にする研究を続けてきたにも関わらず、結局、魔族にしてしまった愚かな父の頼みだが、聞いてはくれんか……?」
「いいよ」
 一彦は輝明の掌から召喚球を受け取ると驚くほどあっさりと承諾した。
 頼んだ当人の輝明もその軽さに拍子抜けする程だ。
「い、いいのか? 儂はお前の意向も聞かずにお前を魔族に――」
「いいんだよ。俺を生かす為だったんだろ? 生きてるならそれでいいんだ」
 一彦はそう言い切って強引に輝明を黙らせた。
 実際、生きてるって事が大事なんだと思う。
 ここ数日は特にそうだ。
 いい事も悪い事も生きていてこそ感じる事ができる。
 確かに最初は何でこんな事にと悲嘆に暮れる事もあった。訳が分からない内に命を狙われた挙句、自分が人間じゃない事まで思い知らされたんだから。今まで生きてきて最大の不幸を背負い込んだ気分だった。
 しかし、今回の事があったからこそ、薫が離婚を切り出した本当の理由や愛理が心の中で思ってる事を知る事ができた。
 それは同時に自分が夫として、父親として、どれだけ二人の事を理解していなかったのかを痛感する事にもなった。
 それを知る事ができたのは俺にとって幸運といっていい。
 幸運な事、不幸な事で一喜一憂できる。
 それこそまさに『生きていてこそ感じられる事』なのだ。
 そう思っている一彦だからこそ、生きているならそれでいい、の一言を出させたのかもしれない。
 一彦は召喚球を胸の前に構えると、ちらりと輝明を見て言った。
「親父、今度は俺の番だ。愛理の事、頼むよ。それと……今まで色々とありがとう」
 一彦は輝明の返答を待たずに召喚球を発動させた。召喚球の結界フィールドが広がり一彦を包む。
 一彦はその間、今までの輝明の事を思い出していた。
 俺の人生を慮って、今まで全てを一人で背負い込んでいた事。俺と愛理の為に研究に打ち込んでいた事をおくびにも出さず自然に振舞っていてくれた事。それ以外にも俺が気付いてない所でもずっと気遣っていてくれたと思う。
 感謝を伝えるには言葉にするのが一番だと思ったが、どうにも照れくさい。
 それはコクピット内のスクリーンに映る輝明も同じだったらしく、どうにも落ち着かなさげに眼鏡を上げ続けていた。
「あ、愛理の事は儂に任せろ。お前はリリスの事を頼む」
「了解」
 一彦はそう言って頷くと両手の操縦桿を握った。
 直後、廃ビル付近で大きな土煙が上がった。
 あそこか。
 どうやら既にデモン同士の格闘戦に発展しているようだ。
「急がなきゃな」
 デモンの基本的な操縦法は以前、デモン・リリィに乗せられた際に偶然知った。
 操縦桿を握る事によってデモンと直接繋がる事ができ、動きをイメージする事でそれがそのままデモンの動きとなるのだ。
 その時の要領で今まさに戦いが繰り広げられている廃ビル前に向かおうとした瞬間――

『おマチくダさイ!』

「っ!? 何だ!?」
 一彦は頭の中に響く電子音とでもいった奇妙な声に驚き周りを見渡すが、誰一人姿はない。
『言語FIX。コミュニケート言語を日本語に設定します。――初めまして、一彦さん。私はこのデモンの支援AIでエルと申します』
「呑気に丁寧な自己紹介をどうも。見ての通り、こっちは急いでるんだ。待ってはいられない」
 一彦の皮肉めいた物言いにも動じず、エルは返答を返した。
『大丈夫です。周りをよく見てください』
 訝し気に周りを見渡した一彦は言葉を失った。
 廃ビル付近で上がった土煙はその吹き上がった状態のままの形を保ち、スクリーンの端に映る輝明は指を眼鏡に当てたまま微動だにしない。
「何だ? みんな、止まってる……?」
『いいえ』
 エルは一彦の言葉を即座に否定した。
『逆です。私が貴方様の能力ギフトの力を拝借して、貴方様と私の認知・思考速度を極限まで高速化しています。それ故、相対的に周りの世界が止まって見える程、遅く感じるのです。――少しだけ、私の話に時間を割いていただけますか?』
 下手に出てはいるが、このエルとやらの話を聞くまで解放してもらえそうにない。
「……わかった。話というのは?」
 エルは一彦に促されて話し始めた。

 エルが言うには、このまま目の前の戦場に飛び込むのは自殺行為同然だという。なぜなら、あそこで戦闘しているのはいずれもデモン操縦に関して達人の域に達している猛者達。そんな所に素人が飛び込んだ所で、一瞬の内になます斬りの上、蜂の巣にされて終わりだ、だそうだ。
 ふざけるな! それでも盾替わり位にはなる! リリィちゃんを見捨てられるか!
 と、怒鳴りたい気持ちをぐっと抑えて、自分を宥める。
 ……落ち着け。慌てるな。何か対抗策があるからこそ、エルはこんな話をしているんだ。
 一彦は大きく深呼吸をした。冷たい空気が鼻腔を通り、頭を冷やす。
 少し冷静になった一彦はエルに尋ねた。
「じゃ、どうすればいいんだ?」
 エルはその言葉を待ってましたと言わんばかりに答えた。
『このデモンに蓄積された戦闘記録、操縦技術、及び備わっている機能の知識を貴方様の脳に植え付けます。そうする事でこのデモンを自分の手足の様に扱えるはずです。また、それと同時にデモンと一体化する契約が成立し、貴方様は晴れて召喚主・マスターとなられるのです』
「わかった。やってくれ」
 一彦はエルの提案に即答した。
 これを自由自在に扱えるようになるなら願ったり叶ったりだ。
『ず、随分と思い切りがいいですね……では、少しお待ちを』
 エルは躊躇せずに提案を受け入れる一彦に些か驚いている様子だった。
 一度、死にかけた事で何か吹っ切れたのかもしれないな。
 そんな事を思っていた一彦だったが、今度は一彦が驚かされる番だった。
「んんっ!」
 その可愛らしい小さな声と同時に一彦の目の前には小さな妖精?が姿を現したからだ。
 綿毛のようにふわふわした金色の髪。
 好奇心旺盛そうなくりくりとした碧眼をした可愛らしい少女。
 大きさは三十センチ前後、身体の線が出るようなぴったりとしたスーツを纏って目の前に浮いていた。
「あ、私、エルです。急に実体化してびっくりしちゃいました?」
 声もなく驚いている様子の一彦を前にあっけらかんと答えるエル。
 では契約を、とエルは小さな両手を一彦の額にかざしたが、何かを思い出して取りやめた。
「契約にはこのデモンに名を付ける必要があるんです」
 エルがそう口にした途端、一彦は嫌な事を思い出して早口でまくし立てた。
「そ、そんなの、別にいいだろ? 急いでるんだから、さっさと契約を終わらせてくれ!」
 エルは協力的だった一彦からの突然の反発に面食らった。慌てて宥めて理由を尋ねる。
「と、突然、どうしたんですか? 契約を成立させるためにも命名は絶対に必要なんです。命名者が搭乗する事でデモンに搭載されている魔素ジェネレーターが最大稼働する事が可能になるので……」
 搭乗者自身をキーとした安全装置のような物か?
 何にせよ、エルの口ぶりからすると命名しなければデモンは最大限のパフォーマンスを発揮できないという事になる。
 はぁ……。
 一彦は観念して本音を明かした。
「……駄目なんだ、俺は。ネーミングセンスという物が全然無いんだよ」
 愛理の名前を決めたのも薫さんだ。名前が決まる前に一度、別の名前を薫さんに提案してみたら眉をひそめめられた。
 その時に自分のネーミングセンスの無さを自覚して以来、そういう事からは逃げてきた。
 そんな事を思い出していると、エルが口を開いた。
「でしたら、私が幾つか候補を提案させて頂きます」
 言うが早いか、その幾つかの名前が目の前のスクリーンに映し出された。
 が、その内の一つに視線が引き寄せられた。
F.L.A.M.E.フレイム? 何かの略語なのか?」
「はい。一彦様の本来の名前である一火呼、人に知恵をもたらした象徴である炎を表す名と父なるマスターの愛、それにこのデモンを組み合わせた造語です。意味合いとしては、Father's Love, Augoeides of Magic Exoskeleton、父の愛、魔術式外骨格の光体、となりますでしょうか」
 何というか……俺が命名したような酷さというか……。
 そもそも、俺の名前、元々は一火呼なんて名前だったんだな。
 俺のネーミングセンスの無さはひょっとすると親父譲りなのか?
 一彦は気を取り直してエルに尋ねた。
「ず、随分と強引に英語表記にしたみたいだけど?」
 こちらとのコミュニケーション言語を日本語したにも関わらず、わざわざ英語を候補にするのもちょっと意味が分からない。
 一彦の何気ない問いかけに対するエルの反応は一彦の予想を裏切るものだった。
「そ、そんなのっ! 日本語だとすぐに父様にバレて恥ずかしいじゃないですかっ!」
 恥ずかしい? AIがそんな感情を持つものなのか?
 一彦の考えに反し、当のエルは目の前で赤面してもじもじしていた。
 まるで小さな人間の女の子のように。
 そんなエルのAIらしからぬ反応に一彦は思わず吹き出した。
「わ、笑うなんてひどいですっ!」
「いや、ごめんごめん。君の反応がまるで人間みたいで驚いただけさ。命名はそのF.L.A.M.E.フレイムでお願いするよ」
 頬を膨らませて抗議してくるエル。そのエルが父と輝明を慕う感情と自分の本当の名前を基に考えられた名前だ。何の不満もなかった。
「――契約完了しました。これより一彦様の事はマスターとお呼びします」
 そう言うとエルは両手を一彦の額にかざした。先程、取り止めた作業を再開するのだろう。
 情報を脳に植え付ける。
 前もって聞いていても、つい身構えてしまう。
「では、いきます」
「おうっ!」
 エルの言葉に対して、気合を入れて返事をする。
 その直後、額から脳の中心に向かって何か熱い物がすごい勢いで流れ込んでくるように感じた。
「う、うう……っ!」
 熱い。熱さが頭の中心に溜まり続けているようだ。
 耳の奥に自分の心音がドクンドクンと大きく響く。
「マスター、もっとリラックスして受け入れてください。その方が楽ですよ」
「わ、わかった……」
 そうは言っても中々難しい。云わば、腹を力一杯押すけど力を抜け、という感覚なのだから。
 ……無心になればいける、か?
 そういえば、サッカーの試合前には心を落ち着かせる為に座禅を組んでたっけ。
 その時の感覚を――!
 一彦は深呼吸をして心を落ち着かせた。
 その瞬間、頭の真ん中で溜まっていた流れが後頭部まで突き抜け、後頭部から背筋せすじ、背筋から両手両足へと勢いよく水が流れ込んでいく様に身体中がその流れに満たされていった。
「終わりました」
 エルの言葉と共に流れの感覚は止み、頭から爪先まで何かに満たされた感覚だけは残っていた。
 手元の操作パネルや前方スクリーンに映し出された映像の表記など、ぐるりと見回してみると成る程、確かに意味も理解できるし、どう操作すればどう動くのかも手に取る様に分かる。
 エルと目が合うと、少し不安そうに聞いてきた。
「どう、ですか?」
 上目遣いで聞いてくるその人間臭い仕草は、本当にAIか?と疑いたくなる。
「多分、大丈夫。とりあえずはリリィちゃんの足手纏いにならずに済みそうだ」
 ブエルでさえあの強さだったのだ。その上に立つベリアルならば更に強い事は想像に難くない。
 そんな連中を相手にするなら、デモンを自分の手足の様に動かせなければ話にもならないだろう。
 ……尤も、だから勝てる、という訳でもないだろうが。
 そんな事を思う一彦の心境を知る由もないエルは、返答を言葉通りに受け取るとぱぁっと表情を綻ばせた。
 そのまま一彦の左肩に腰掛けると少しわくわくしている様な表情を一彦に向けた。
「現状、このままの姿で支援を続けますね。今から超高速思考モードを解除します」
 そう言った直後、自分の周りの時間が流れる様に感じた。
 と、またも目の前の廃ビルで大きな土煙が上がった。
「っ! のんびりしていられないなっ!」
 一彦が両手の操縦桿を握って目標地点に意識を向けると、デモン・フレイムは背面のスラスターに火を灯し、暴力的な推力を伴ってリリィの元へと向かった。
 スラスターを吹かした余波がその場に強烈な風となって吹き荒れる。
 輝明はその風から愛理を守るように抱きかかえた。
「やれやれ、急ぐのはいいが力加減くらいは覚えてほしいもんだ。悪けりゃスラスターの風圧で儂も愛理も飛ばされてるところだぞ」
 輝明はそんな愚痴を漏らしながら、風圧から守った愛理を下に降ろし、
「――そうは思わんか?」
 と、輝明が背後の茂みを見て問いかけた。
「そう…ですね…」
 その人物は観念したかのように茂みの中から歩み出てきた。

                  *

 その頃、一彦が向かうその先では――

「〔氷嵐ブリザード〕!」
 一彦達が消えた方向に向かおうとするデモン・ブエルを牽制するようにデモン・リリィが魔法を放った。
「またかっ!」
 デモン・ブエルが悪態を吐きながらも辛うじてそれを回避すると、その陰からデモン・リリィの隙を突くようにデモン・ベリアルが肉迫してきた。
「そちらばかり相手にしていていいのか?」
 獅子の頭を持つ、黒く重厚なフォルムのデモン。その上、両肩付近にデモン・ブエルより少し小振りとはいえ、盾を構えていながらもそれを感じさせない程にその動きは軽やかだ。
 そのデモン・ベリアルが両手各々に構えた斧、双斧の連撃を以てデモン・リリィに迫る。
「くっ――〔風盾エアシールド〕っ!」
 リリィが《高速詠唱ファストチャント》を併用し、何とか風の盾でその斧を受け流すと、前に出ながら剣による突きを繰り出す。それを受けようとしたベリアルだったが――
「むっ?」
 必殺の一撃でもない。しかし、妙に自信を持って繰り出している……。
 何らかの意図を感じたベリアルはデモン・ベリアルの身体を反らせてその一撃を躱した。
 しかし、リリィはその迷いの一瞬を見逃さなかった。
 デモン・リリィをそのまま突進させてデモン・ベリアルの胸を蹴り、その反動で方向転換、デモン・ブエルを強襲した。
「はああっ!」
 シュゴォッ!
 空を切り、デモン・ブエルに迫るその刃は正に必殺の斬撃。
 先程の突きとは段違いの速度だ。
「その手は二度も食わぬっ!」
 デモン・ブエルは両肩の盾を構えて自分からデモン・リリィに突進した。
 ゴガァン!
 デモン・ブエルは刃が届く前にデモン・リリィの懐に入り、盾を振ってデモン・リリィを弾き飛ばした。
「ぐっ!」
 宙を舞ったデモン・リリィだったが、空中で態勢を立て直すと身を翻して無事に着地した。
 その一連の動きを見て、ベリアルが口を開いた。
「まだ痺れの残る身体でその動きとは。機転も利く。ここまで腕の立つ戦士はそうはおるまい。それだけにここで失うには惜しい。……どうだ? もう一度、私の下に来ぬか?」
「一彦さんにあんな真似をしておいてよくもぬけぬけと…!」
 低く感情を抑えたリリィの声だが、その裏に激しい怒りを感じさせる声色だった。
 しかし、ベリアルはそれに動じた様子も見せない。
「あれは不可抗力というものだろう? 何せ突然、奴が目の前に現れたのだからな」
 確かにあの時、槍の穂先が愛理に届くと思った次の瞬間、愛理は自分の胸元に放り投げられ、愛理がいた場所には一彦がいた。
 何が起こったのかは分からない。
 ただ確かなのは、一彦が愛理の身代わりになるような形で負傷した事だけだ。
 しかし――!
「どの様な形であろうと、私の家族に危害を加えようとした事に変わりはありません!」
「ならば、手練れのデモン二機相手に死ぬか?」
「家族を守る為ならば、この命、惜しくはないっ!」
 ベリアルはリリィのその決意を聞くと満足げに笑うとデモン・ベリアルを突進させた。
 ドシュゥッ!
 一見、鈍重そうに見えるデモン・ベリアルは地を滑るように移動し、素早くデモン・リリィとの距離を詰める。
「しまっ――!」
 すれ違いざまにデモン・ベリアルの双斧が一閃。
 ズガガガガガガァン!
「きゃぁあああぁっ!」
 一瞬遅れて、デモン・リリィは凄まじい数の斬撃に見舞われた。
 左膝を損傷したデモン・リリィが片膝を付くと、デモン・ベリアルがその眼前に斧の切っ先を突き付けて問いかけた。
「手加減はしておいた。故に答えよ。消滅の危険性を冒してまで肉体の再構築を行い、別人に成りすましたのは何故だ。一体、何がお前をそうさせた?」
 心底、理解できないといった声色のベリアルをリリィは憐れむ様に見た。
「……かわいそうな人。それが理解できない人にこれ以上話す舌は持ちません」
 リリィのその言葉がベリアルの瞳に冷徹さを宿らせる。
「ならば今、死ぬがいい」
 デモン・ベリアルが斧を振り上げたその瞬間――
「させるかぁーーっ!」
 ドガァッ!
 一体のデモンがデモン・ベリアルに対し、強烈な体当たりをかけてきた。
 不意の攻撃にデモン・ベリアルも大きくよろめき、片膝を付いた。
「な、何だ!?」
 ベリアルは態勢を立て直し、自分を吹き飛ばした物を目にした瞬間、その目が大きく見開かれた。
「デモン・ルシフェル!」
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