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110話 挫折と敗北

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 ボルグが倒れた。このニュースは瞬く間に王都に広がった。
 教会内は混乱に陥り、医務室にはボルグの身を案じて多くの人が駆けつけた。医者が来るまでの間、ハワードは賢明に回復魔法をかけていた。
 しかし、ボルグの容態は変わらない。ボルグは胸を握りしめ、苦痛にうめいている。
 ようやく医者が来て診てもらうが、医者は小さく首を振った。

「心臓病……!? 薬は! 薬は無いのか!?」
「残念ながら……この病に効く薬は、この世に存在しません……それに、もう手遅れです……明日の朝が、峠でしょう……」
「……なんで……なんで黙ってたんだ……! なぁ、なんでだよボルグ!」
「やめなさいハワード!」

 ボルグを激しく揺らすハワードを、リリーが止めた。
 嘘だと言って欲しかった、夢であってくれと、本気で願った。だけど、頬をつねっても痛いだけ。残酷な現実を告げるだけだ。

「……すいませんね、ちょっと、眠くなってしまって……」
「ボルグ、気が付いたのか……」
「黙っていて、すみません。けど、言ったら君たちは心配するでしょう? 余計な心配をかけたくなかったんです」
「ボルグ様、いつですか。いつから、貴方は病に?」
「八年前、リリーさんを弟子にした頃ですね。その頃から、ちょくちょく胸が痛くて。けど、私の演技力も大したものでしょう? 嘘を見抜く貴方の力を、ずっと欺いてきたんですから。クラフ座の劇団員にでも転職すべきでしたかね」
「ふざけた事言ってる場合じゃないだろう!」

 ハワードの怒鳴り声に、誰もが黙った。

「賢者なら、治せたんじゃないのか? ボルグは薬作るの、上手いじゃないか。心臓病くらい、すぐに治せたんじゃないのか?」
「その心臓病を治すため努力したから、薬づくりが上手になったんです。けど、結果は見てのとおり。不幸中の幸いは、この病が伝染する物じゃないってところでしょうかね」

 ボルグはまた笑って、胸を握りしめた。
 発作が始まったのだ。声も出せないほどの苦痛に悶絶し、全身が痙攣している。
 ボルグが苦しむ姿なんて見たくない。ハワードはすぐに回復魔法をかけた。けど、

「効かない……なんで効かないんだよ……「神の加護」を持ってるなら! このくらいの病気! 治せるんじゃないのか!」
「いかに……強い加護を持っていても……持ち主の力が伴わなければ意味がないでしょう……? 今の君では、私の病を治す魔法を使えない。ただ、それだけです……」
「ふざけるな! 認めない、そんなの認めない! 俺はハワード・ロックだ、世界最強の男だ! 絶対助けてやる……ボルグの病気なんか、すぐに治してやる!」

 ハワードは医務室から飛び出し、図書館へ走った。
 今自分の持っている魔法では、ボルグを救えない。ならば、ボルグを救う魔法とスキル、アイテムを作り出すしかない。
 絶対やってやる、だって俺は、「神の加護」を持った、世界最強の男なんだ。

「今度は俺が助ける番なんだ……死んだら、絶対許さないからなボルグ!」

  ◇◇◇

「世界最強の男か、いつの間にか、大きな事を言うようになりましたね」

 胸の痛みに苦しみながらも、ボルグはハワードの成長を喜び、微笑んでいた。
 リリーは涙をぬぐい、ボルグの汗を拭き上げる。彼女に礼を言いつつ、ボルグは頭を撫でた。

「リリーさんも、素晴らしい美女に育ってくれた。君たちと出会えたのは、私の人生で一番の財産になりましたよ」
「そんな、遺言を残さないでください……絶対ハワードが貴方を助けてくれます、だから、希望を捨てないで……生きて、ください……」

 リリーの訴えに、ボルグは困り果てた。
 言われなくても、生きていたい。けど、もうどうやったって、自分は助からないのだ。
 だからこそ、今、笑うんだ。

「どうして、笑っていられるんですか。死を前にして、なんで、弱音も泣き言も言わないんですか? もっと、私達を頼ってください……そんなに、私達は信じられないんですか?」

「……楽しい時や、大切な人を前にして、どうして悲しい顔をしなければならないんですか? 嬉しいんですよ、私は。リリーさんやハワード君と一緒に居ると、嬉しくて、楽しくて、つい笑顔が出てしまうんです。病の恐怖なんて吹き飛ぶくらいに、君たちと一緒に居る時間が……楽しかったんです。
 だから頼っていたんですよ? 君たちと一緒に悪ふざけをしたり、人助けをしたり……そうした活動の一つ一つが、私にとって何よりの特効薬だったのですから。君達のおかげで私は、今日までの人生を心の底から楽しんで、生きてこれたのです」

「ボルグ様……っ!」
「私より、ハワード君の傍に居てあげてください。彼はまた無茶をしでかすようだ、倒れてしまっては元も子もない。彼を、支えてあげては、もらえませんか?」
「わかり、ました」

 リリーは気丈に振る舞い、ハワードを追いかける。ボルグは微笑み、目を閉じた。

「やはり私は、幸せだ。親孝行な息子と娘を、一度に持ったのだから」

  ◇◇◇

「回復魔法……ダメだ、既存の物で使えそうなものはない……新しい魔法を作る時間もない……ならスキルは? くそったれ、これもダメか……有用な奴が一個もない! じゃあアイテムなら……アイテムなら何かないか? ……これもかよ……くそっ、くそっくそっ! くそぉぉぉぉぉぉっ!!!」

 山積みにされた本を全部読破し、ハワードは机を殴りつけた。
 ボルグに残された時間の中で治療法を見つける。それはいかに「神の加護」を持ったハワードでも、困難な問題だった。
 いかに彼が強く賢くても、まだ十三歳の子供だ。経験や知識はまだ、大きく不足している。
 特に医学や薬学は、まったく手を付けた事がない。浅い知識しか持っていない彼が、病を治す方法を探すのは、不可能だった。

「無知のせいで、何も出来ないなんて……俺がガキだから……何にも知らないから……!」

 悔しくて、血が出るほどに唇をかみしめる。本に血が滴った。

「ここに居たのね。ボルグ様を治す方法は?」
「リリー……見つからないんだ……ボルグの病気がどんなのかも知らないし、知らないから薬の作り方も分からないし……ボルグを助ける方法が、思いつかないんだ」
「無理も、ないわ……私だって、医学に明るいわけじゃないもの……どうすればいいのか、糸口すら思いつかないわ……」
「このまま、黙ってみているしか出来ないのか? ボルグが死ぬのを、黙って見ているしか、出来ないのか……?」
「ハワード……」

「何が「神の加護」だ、何が神の落とし子だ。大事な人一人救えないくせに……何が最強だ! おい、「神の加護」。世界のバランスを崩す加護なら、俺に教えろよ……ボルグを助ける方法を教えろよ! 勇者が持ってた加護なんだろ! なぁ! どうして何も言わないんだよ!」

 加護は所詮、道具と同じだ。
 強大な力を秘めていようとも、使う者が未熟では、その力を十全に発揮できない。実にシンプルで、わかりやすい結果だった。
 ハワードは座り込み、何度も床を殴った。拳が折れても構わずに。

「そうだ……まだ、あるかもしれない。ボルグ様を助ける方法」
「本当か?」
「ボルグ様の部屋に何冊か、個別に管理してる書物があるはずよ。騎士修道会が回収した、人が扱うには手に負えない禁書が。その中にもしかしたら……」
「ボルグを救う方法が、載ってるかも!」

 「神の加護」を持つハワードならば、禁書を扱えるはず。二人は頷いた。
 急いでボルグの部屋を探すと、十冊の禁書を見つけた。最後の望みをかけ、ハワードは手あたり次第に本を漁った。
 禁術と呼ばれるだけあって、危険な魔法やスキルが記されている。だが代償が大きい分、効果も絶大だ。
 本を読み続ける事数十分、ようやくハワードは発見した。

「……あった、あったぞ……ボルグを助ける方法が!」
「本当に!?」

 本に記されているのは、人を不死にする魔石の製造法だった。
 そう、発想を変えればよかったのだ。病気を治せないのならば、病気で死なない体にすればいい。
 その魔石の名は、「賢者の石」。ボルグを救うのに、これ以上ない名前だ。

「私に手伝えることはある?」
「いや、ない。多分、俺にしか出来ないと思う。リリーはボルグが死なないか、見張っていてくれ。絶対に、賢者の石を持っていくから!」
「分かった……お願い、ハワード!」

 ハワードは頷き、走り出した。
 待ってろボルグ、今すぐ作ってやる。俺を救ってくれた貴方を、これで助けられる……!
 禁書を握り、ハワードは最後の希望に縋り付いた。

  ◇◇◇

 ハワードの集中力はすさまじかった。
 禁書を一瞬で読み解き、賢者の石の理論を一気に作り上げて、製作もたった一晩で、独力で成し遂げようとしている。
 ボルグを救うため、彼は全身全霊を込めて戦っていた。
 不眠不休で自室にこもり、研究に没頭する。やがて夜明けを迎えた頃。

「できた……賢者の石……しゃあああっ!」

 ルビーのような、鮮やかな赤い石だ。非常に柔らかく、握るだけでスライムのように変形してしまう不思議な物質。これこそ賢者の石だ。
 急がなければならない。どうもこの石は空気に溶けてしまうらしく、少しずつ小さくなっている。
 まだ、リリーから連絡は来ていない。今なら間に合うはずだ。
 医務室へ駆け込むと、リリーがぱっと顔を輝かせた。ボルグは今にも死にそうになっているが、まだ息がある。
 賢者の石を掲げ、ハワードはボルグに飛びついた。

「ボルグ! 起きろ、ボルグ!」
「……ハワード君? その石は……?」
「賢者の石だ、ボルグの禁書にあったんだよ、ボルグを助ける方法を見つけたんだよ! この石を水に溶かして飲めば、ボルグが病気で死なない体になる! これなら……これならボルグを助けられるんだ!」
「……なんと……!」

 ボルグは目を見開いた。ハワードは魔法で水を出し、賢者の石を入れた。
 すると水が飴色になり、光の粒子を出し始めた。
 あとはこれを飲めば、ボルグが……。

「……素晴らしい成果ですよ、ハワード君……ですが……結果に目がくらんで、賢者の石の本質に気付かなかったようですね……」
「え……?」
「……あらゆる病を退け、人に不死の力を与える魔石。それだけ聞くと、賢者の石は夢のような物質です。ならばなぜ、禁術になってしまったと思いますか? レシピがある以上、時間をかければ私にだって作れるのに、どうして、作らなかったと思いますか……?」
「……! た、しかに……」
「賢者の石で不死になった者は、人ならざる存在に、なってしまいます。試しに、花に一滴、与えてみてください……」

 床頭台の花に、水を与えてみた。
 するとどうだろう、花は瑞々しくなり生気を取り戻した。が……直後に触手が生え、襲い掛かってきた。
 ハワードは驚き、すぐに花を氷結魔法で凍らせた。それでも花は止まらず、抵抗して暴れ続けている。

「御覧の通り、賢者の石は飲んだ者を魔物に変え、ただただ人を襲う怪物にしてしまうのです。しかも不死故に、止める事も出来ない……制御不能のモンスターを生み出すだけの、危険な魔石なんですよ……」
「そんな……じゃあ、俺はなんのために……!」

 打ちひしがれ、ハワードはへたり込んだ。
 ボルグはハワードを抱き寄せ、微笑んだ。

「嬉しかったですよ……君が私のために、頑張ってくれた……涙が出るくらい、感動しましたよ……ありがとう、ハワード……私のために、賢者の石を作ってくれて……」
「けど! ボルグを助けられなきゃ意味がないじゃないか! 死んだら、もう会えないんだぞ!? お願いだボルグ、死なないでくれ! 頼むから生きてくれよ! なぁ! 死んじゃ嫌だよ! ボルグっ! 頼む、生きてくれ! 俺を置いて、死なないでよぉっ!」

 ハワードはボルグに縋り付いた。
 ボルグは目を細めて、ハワードの頬を撫でた。

「私は、充分生きましたよ……それにね、本当なら私は、三年前に死んでいたはずなんですよ? 私は本来、五年間しか生きられなかったんです。だけど、三年も長く生きられた。どうしてだかわかりますか?」
「…………」
「君が……居たからですよ」
「!」

「君が傍に居て、笑って、はしゃいでくれたから、私は生きる力を貰えたんです。私にとって君こそが、賢者の石だったんですよ。だから私は、後悔なんてない。私は自分の人生を精一杯、心から楽しめました。君のおかげで、私は自分らしく生きる事が出来たんです。
 君と会えて、本当に良かった……君と居た人生最後の八年間は、毎日が宝石のように輝いていて……全てが、私の大事な宝物だ……その息子が、最後に私を超えた姿を見せてくれた……これ以上ない、贈り物だ」

 ハワードは自力で、驚異的な速度で賢者の石を作り出した。ボルグに出来ない偉業を成し遂げたのだ。
 ハワードは完全にボルグの手を離れ、独り立ちを果たしたのである。

「リリーさん、ハワード君。最後の我儘を聞いてください……笑って、もらえませんか?」
「……分かった……こうか?」

 泣きはらしていた二人は、精一杯笑顔を見せた。
 ボルグもまた笑顔で返し、二人の手を握りしめる。
 やはり、私は幸せ者だ。
 最後まで人間らしく、美しく……生きる事が出来たから。

「……ボルグ?」

 賢者の手を握りしめ、ハワードは尋ねた。
 けど、返事は来ない。とても優しい笑顔のままなのに、ボルグは何も言ってくれない。

「……ボルグ……!」

 ハワードの手から、ボルグの手がこぼれた。
 力なく、ぱさりと落ちる。少しずつ、ボルグの体から熱が、消えていた。

「……ボルグぅぅぅぅぅっ!」

 ハワードは、声を上げて、泣いた。
 喉が張り裂けそうなくらい大声を出し、雨のような涙を流して、泣き続けた。
 生まれて初めて、心の底から、泣き続けていた。
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