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106話 人生最初のプレゼント

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「一緒にケバブを食べませんか?」

 薄暗い路地裏で、賢者ボルグは笑顔でケバブを差し出した。
 彼の前には、ぼろ布を纏った、やせ細った少年が居る。五歳くらいだろうか、カビの生えたパンを大事に抱え、ボルグを殺しかねない目で睨みつけていた。
 彼の後ろには、倒れ伏した王国兵が三人。それも、近衛兵だ。全員レベル80に達する達人なのに、五歳そこそこの子供に叩きのめされていた。

「ボルグ様! その子供は危険です、離れてください!」
「おやリリーさん。炊き出しは終わったのですか?」
「そんな事言ってる場合ですか! そいつの事、ご存じでしょう!」

 リリーはボルグの前に立ち、少年に剣を突き出した。

「スラムの悪童「ドブネズミ」……! 幾人もの人々を傷つけては金品を奪う、極悪非道の子供! 王国兵を百人以上も病院送りにしている重罪人です!」
「ふむ、金品を奪うですか。それにしては、ごみを大事そうに抱えていますね」

 ボルグはやんわりとリリーを下げ、少年に微笑んだ。

「私は、彼がパン屋のゴミを漁っている姿を見ていましたよ。金品を盗んでいるのなら、そんな物に手を出す理由はないのでは? どうも話に食い違いがありますね」
「それは……でもあいつが人を傷つけたのは確かで」
「剣を振り下ろされれば抵抗の一つもするでしょう。正当防衛です。大方、彼を虐めようとした兵士が返り討ちにでもあったのでしょう。その腹いせにありもしない罪を擦り付けた、そんな筋書きですよ」
「でも……」

 リリーが言いよどんだ時、少年の腹の音が鳴った。
 ボルグはまた微笑んで、少年に歩み寄る。警戒心をむき出しにした彼の前で、ボルグはケバブを半分に千切った。

「さ、一緒に食べましょう。世界で一番おいしい物ですよ。そんな悲しい物を食べるより心がずっと満たされます」
「だからボルグ様!」
「リリーさん、私達は今日何をしに来たのでしたっけ?」
「……スラム街での、炊き出しです」
「ならば彼もスラムの住民、ケバブを食べる資格があります。人に罪はあれども、食べ物に罪はありません」

 だからどうぞ、と、ボルグは少年にケバブを握らせた。
 少年は匂いを嗅いでから、恐る恐る口にする。すると目を大きくし、あっという間に食べきってしまった。
 指についたソースも必死になめとり、物欲しそうにボルグを見上げる。ボルグは微笑み、自分の分も渡した。

「どうですか、ちょっとだけ心が豊かになったでしょう?」
「……?」
「もしよければ、私と一緒に来ませんか? ここに居るよりもずっと安全な場所をご紹介しますよ」
「そんな奴を孤児院に連れて行くつもりですか? 何をしでかすか分からないのに!」
「リリーさん。今は私に任せてください」

 ボルグにたしなめられ、リリーは口をつぐんだ。

「君の名前を教えてください。私はボルグ・ロック、このアザレア王国の光臨教会で、賢者をさせていただいています」
「……ない」
「ん?」
「……なまえ、ない……しらない……」
「ふむ、では後で考えておきましょう」

 ボルグは少年を抱き上げた。
 リリーから抗議の視線を受けても何のその、ボルグは朗らかな笑顔で少年を連れて行った。

  ◇◇◇

 ハワードを保護してから二週間後、ボルグとリリーは彼の様子を見に行った。
 王都から遠く離れたファレンス村にある、光臨教会運営の孤児院である。ここならば王国軍の手も届きにくい。指名手配されている少年も安全だ。小高い山の麓に位置しているから、環境も最高である。
 馬車に揺られながら、ボルグは少年に会うのを楽しみにしている。対してリリーは落ち着かなかった。

「ボルグ様、孤児院は大丈夫でしょうか……あんな奴を野放しにしていたら、大変な事になっているんじゃ……」
「大丈夫、案外心配は些細な事で終わるものですよ。さぁ、降りる支度をしましょうか」

 ボルグの言う通り、孤児院は何事も起こっていなかった。
 シスターはボルグを見かけるなり、小走りに出迎えてくれた。

「賢者様、お久しぶりです」
「こんにちはシスター・ロゼ、壮健そうで何よりです。再会ついでに一つお願いをしてもよろしいですか?」
「何でしょう」
「おっぱい揉んでもよろしいでしょうか?」



  ※少々お待ちください※



「失礼しましたロゼ様、このアホンダラは後で責任もって川に流しておきますので」
「HAHAHA、手厳しーい☆」

 十一歳にしてハンマーで賢者を叩きのめす弟子。それがリリー・ダージである。
 ボルグは復活すると、少年の近況を聞き始めた。

「あの子はとてもおとなしいですよ。王都での非道は聞いていましたけど、噂のような暴れん坊ではありませんね」
「どうせ今は猫をかぶっているだけですよ」
「うーん、ロゼさんに水を被せて濡れ濡れスケスケ修道着を拝みたいですねぇ」

 リリー、脛へ追撃のローキック。ボルグは悶絶した。

「ただ、大人しいというより心を閉ざしているというべきでしょうか。食事の時間になっても食堂に来てくれなくて、いつもどこかに隠れて過ごしているんです」
「人を怖がっているのでしょう、酷く虐められていたようですからね。では彼がどこに居るのかは、わからないのですね」
「【探知】のスキルを使っても、なんです。あんなに小さい子がどうして【探知】をかいくぐれるのでしょうか」
「彼の加護が関係しているのかもしれませんね」
「分かるんですか?」
「リリーさんは、違和感を受けませんか? 五歳の子供が近衛兵を倒すほど強いなんて、普通はありえませんよね」
「はい。となると加護の力だとしか思えないですけど……そこまでの力を持った加護なんて知りません」
「私は一つだけ、知っているんです。もし合っていれば彼は「神の落とし子」と呼ぶべき少年でしょうね」
「「神の落とし子」? そんな事ありえませんよ」
「いやいや、意外と現実離れした事って稀によくありますから」
「それどっちなんですか」
「では、彼を探しましょうか」
「場所分かるんですか?」
「かくれんぼは得意なんです」

 なんてドヤ顔で決めたくせに、結局少年は見つからなかった。

「いやー、彼の方が上手みたいですねー」
「あほなんですか? 馬鹿なんですか? どっちなんですかお師匠様」
「ものすごーく皮肉を感じる「お師匠様」ありがとうございます。うーん困りましたねぇ、こうなれば賢者の切り札を使うしかありません」
「賢者の切り札……! やっと賢者らしい事を」
「おーいここにケバブがあるぞー!」
「してくれたと思った私の気持ちを返せカス野郎」

 んなもんで出てくるわけねーだろ。なんて思っていたら、部屋の隅からこそっと出てくる少年が。件の彼である。

「本当に出てきた!?」
「これが賢者の策略ですよ(ドヤッ)」
「こんな間抜けな策略あってたまるか」

 まるで子供の悪ふざけである。

「……ケバブ?」
「賢者様がついたでたらめよ、そんなの用意してるわけないじゃない」
「ありますよ、はいどうぞ」
「っていつの間に」
「私手品得意なものでして」

 ボルグはあちこちから花やハトを出し始め、いつの間にかマジックショーを始めた。
 子供たちを集めての余興を終えてから、ボルグは改めて少年に向き直った。

「さて、ロゼさん。彼に【鑑定】は?」
「まだなんです。使おうとすると逃げてしまって」
「では、私が使ってみましょう。大人しくしててくださいね」

 少年は頷き、大人しくボルグのスキルを受ける。表示されたステータスを見て、リリーは仰天した。

「レベル167!? スキルも八十以上……どれも熟練度、最大!? な、なんで? なんでこんな破格のステータスを!?」
「彼の加護を見てください。私の予想が当たりましたよ」

 ボルグが示した項目には、少年の所持する加護が書かれている。
 「神の加護」。それは伝説でしか聞いた事のない、史上最強の加護だ。

「この加護の所有者は、過去二千年の記録で二人しかいません。二千年に塔の魔人を封印した初代ソムニウム家当主、千年前に絶望の魔女アリスを討伐した勇者アーサー・ペンドラゴン。どちらも歴史に名を遺す偉大な人物です。「神の加護」はこの世界全ての加護の力を操り、神に等しき能力を与える大いなる加護。彼は千年の祝福に選ばれた、神の落とし子と呼ぶべき少年なのですよ」
「こんな浮浪児が……伝説の存在と同格……!?」
「ね、言ったでしょう。現実離れしたことはまれによくあると」
「…………?」

 自分の事を言われているせいか、少年は委縮している。ボルグは優しく頭を撫で、

「今日はここに泊まる予定なんです。朗読会をするので、ぜひ来てくださいね」
「……ん」

 少年は小さく頷いた。人に懐かぬ野良犬が、賢者だけには心を許している。リリーは驚きを隠せなかった。

  ◇◇◇

 物心ついた頃から、彼は独りぼっちだった。
 自分の名前すら覚えておらず、スラムの片隅に埋もれていたのが最初の記憶。冷たい雨が降りしきる真夜中を、膝を抱えて過ごしていた。
 いつも飢えていて、ドブの残飯を拾い、酒場やパン屋のゴミを漁って凌ぐ日々。そんな姿を見た人々は、皆彼に暴力を振るった。

「小汚いガキが近づくんじゃない!」
「臭いんだよスラムのネズミが!」

 罵声を浴びせられ、石を投げられ、何度も殺されかけた。
 中でも危なかったのは、王国兵に絡まれた時だった。酔っ払った兵士に目を付けられ、彼は剣を突き付けられた。

「新調した剣の試し切りをしたくてな」

 物を見るような目を向け、兵士に顔を斬りつけられた。命の危機を感じ、彼は命がけで兵士に体当たりした。
 そしたら、兵士は一撃で壁にめり込んだ。あまりの光景に彼は慄き、逃げ出してしまった。
 それが悪かったのだろう。その兵士は貴族だったらしく、殴られた腹いせに親に頼み、彼を指名手配した。
 四六時中、あらゆる人間から命を狙われる毎日。夜もろくに眠れず、ごみを漁るのもままならず、汚水をすすらねば生きられない。毎日が地獄のようだった。

「…………!」

 彼は飛び起きた。荒い息を鎮め、まだ暗い辺りを見渡す。スラムではなく、孤児院の裏庭に居る。誰が襲ってくるか分からないから、室内で眠る事は出来ない。
 いつも見る、これまでの夢だ。誰からも愛されず、憎悪を向けられてばかりの日々だった。

「おや? ちょっと早いお目覚めですね」
「!」
 横から声がした。身構えると、ボルグが座り込んでいる。ちょっと酒臭かった。
「いやぁ~バーボンを飲みすぎましてね、なんか気付いたら外を徘徊してました。ラッパ飲みなんかするもんじゃないですねぇ~HAHAHA☆ けど酔っ払ってよかった。こんなに綺麗な星空を見れるのですから」
「?」
「見上げてごらん、素敵ですよ」
「……? ……!」

 視界に飛び込んできたのは、満天の星空だった。宝石をばらまいたような星空に魅入り、彼は声を失っていた。
 空を見上げるなんて、した事がなかった。だって、食べ物も水もないから。こんな美しい世界は、初めて見た。

「こちらへ来ませんか? 今夜は少し冷える、そんな所で眠ったら風邪ひいちゃいますよ」

 ボルグは優しく手を差し伸べてきた。
 不思議な男だった。誰からも忌み嫌われた自分に、憎悪以外の感情を向けてくる。
 手を取ると、ボルグは膝にのせてきた。人のぬくもりを感じるのも初めてだ。

「君は暖かいですね。寒さが吹き飛びます」
「……なんで? なんで……なん、で?」
「なんで君を助けたのかと言いたいんでしょう? 理由は、君が助けてと言ったからですよ。声はなくとも、君は助けを求めていた。賢者が動くのにそれ以上の理由はいりません」
「かね、ない……なにもない……」
「要りませんよ。君が無事で居てくれるのが何よりの報酬です」

 この時の彼には、無償の愛が理解できなかった。
 なぜ自分に優しくするのかがわからなくて、それが恐くてたまらなかった。
 するとボルグは、彼をそっと抱きしめた。

「一つ提案をしてもいいですか。―――私の子供になりませんか?」
「?」
「私がただ、そうしたいのです。世界で最も助けを求めている人を助けたい、ただそう思っただけです。いかがでしょうか」

 曇り一つない目で、顔を覗き込まれた。
 ボルグの鼓動が、背中越しに伝わってくる。早鐘のような音に誘われ、彼は頷いた。

「決まりですね。今日が新しい君の誕生日だ。私から最初のプレゼントを差し上げましょう」

 ボルグは魔法で文字を描き出す。読めない字を、彼は指でなぞった。

「Howard・Rock。これが君の名前です。どうか大事にしてください、そして……新しい君を愛してあげてください。親として、最初のお願いですよ。ハワード・ロック」
「……うん」

 ハワード・ロックは頷き、初めて貰った名前をかみしめた。
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