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101話 最強の重み

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「『へぇ、カインが来てるのか。いいね、呼ぶ手間が省けたよ』」

 『ハワード・ロック』は街を見下ろし、小さく笑った。
 もとより、ハワードを倒したら彼を呼ぶつもりだった。勇者カインに、自分が賢者ハワードだと思わせるために。
 全て、計画通りに進んでいる。あとはハワードを倒せばいい。倒せば、全てが上手く収まる。

「いきった事ぬかしてねぇで立てよ。ハワード・ロックにゃ、這いつくばる姿なんて似合わねぇんだからな」

 そう、倒せれば、の話である。
 『ハワード』は大の字に倒れていた。一方のハワードは悠然と立ち、あくびまでする余裕を見せている。
 よろめきながら立ち上がり、魔法スキルで猛攻を仕掛ける。「疑似・神の加護」により威力が大幅に上がっているのだが、全て【吸魂】により無力化された。
 ハワードは義手を突き出した。魔導砲が来るなら、こっちも【吸魂】で防げばいい。
 と思っていたら、種子の弾丸がわき腹を貫く。【シードライフル】だ。

「そのスキルは物理にゃ効果がなくてな。ま、ハワードならその程度くらい防いでくれよ」
「『ははは……弘法も筆の誤り、って奴さ!』」

 『ハワード』は殴りかかり、ハワードも迎え撃つ。両者に左フックが突き刺さったが、『ハワード』は大きく吹っ飛ばされた。

「おーい、どこへ行くんだ? もっと遊ぼうぜ」

 ハワードは【触手】で足を絡め取り、引き寄せてきた。今度は右ストレートの打ち合い、だけどまたしても負けたのは『ハワード』だった。
 どれだけぶつかっても、ハワードは悉く跳ね返してくる。殴っても、蹴っても、魔法を使っても。彼はびくともしなかった。

「なぜだ、力量は同じはずなのに、どうして勝てない? なんて思ってんじゃねぇか?」
「『……はっ、モーニングを忘れて力が出ないだけさ』」
「奇遇だな、俺様も食い損ねたんだよ。お陰で力が入らねぇや。……同じじゃねぇのさ。いくら俺様を繕おうと、所詮はりぼてだ。決定的に足りないんだよ、心と魂がな」

 ハワードは指を鳴らした。すると『ハワード』の周囲に影が浮かび上がった。
 ミトラスのスキル、【心鏡の幻影】。対象に虚像を作り出すスキルを使ったのだ。

『俺、貴方の強さに憧れているんです!』

 幼い声が聞こえた。見下ろせば、赤毛の少年が居る。
『あんなに強くてかっこいい人なんて、初めてみたんです! 俺も貴方みたいに強く、格好良くなりたいんです! だから賢者様の弟子になりたいんです!』

 少年は憧れと羨望の眼差しで『ハワード』を見上げてくる。そしたら、隣に金髪のシスターが現れる。

『巣立つまで……ではなく。できればずっと、守ってください。約束ですよ』

 彼女は、絶対の信頼を寄せて約束を迫ってくる。優しくも厳しいまなざしに、『ハワード』はたじろいだ。

『ありがとう、ハワードさん。僕の魅力に、期待してくれて』

 今度は緑髪の少年だ。彼からの感謝と信用を受け、『ハワード』は双肩に重圧を感じた。さらには、蒼髪の少女まで現れる。

『もし困った事があったら、また頼っても、いいよね?』

 少女から縋り付くように見つめられ、『ハワード』は追い詰められた。「この人ならば大丈夫」「この人ならばなんとかしてくれる」。四人からの期待が、あまりにも重すぎる。
 いや、四人だけではない。気が付けば、『ハワード』の周りは多くの人々で囲まれている。誰も彼もが『ハワード』に絶対の信頼と期待を込めて……。

『あんたが背中を押してくれたから、やりたい事に踏み出せたよ、エロ賢者』『貴方のおかげで、私は医療の道に進めました。これからも守ってください、ハワード様』『おじさんが自信をくれたから、私の声が、私の物になれたんだ。ありがと、おじさん』『姉様を救っていただき感謝いたします! これからの活躍、期待してますハワード氏!』『また苦しい時には、寄りかからせてくれ……ハワード』『汝が支えてくれたから、わらわは救われたのじゃ。助かったぞ、賢者ハワード』『俺の愛する女性から絶望を振り払ってくれたんだ、感謝しきれないよ、賢者』『賢者様、貴方のおかげで私は、確かな希望を手にできました』『おじちゃんがくれた涙、大事にするから。ありがと、おじちゃん』『助かったよハワード』『何かあったら助けてください賢者様』『賢者』『ハワードさん!』『ハワード!』『ハワード!』『ハワード!』『ハワード!』『ハワード!』『ハワード!』『ハワード!』『ハワード!』『ハワード!』『ハワード!』『ハワード!』『ハワード!』

「『や……や……やめてくれぇっ!』」

 『ハワード』は頭を抱え、逃げ出した。だけども幻影は許さない。無数の期待と羨望、信頼と信用がのしかかり、『ハワード』を圧し潰そうとした。

 なんて重圧なのだろう。ハワード・ロック。たった八文字の名前に、筆舌に尽くしがたい枷がまとわりついてくる。心が押しつぶされ、『ハワード』は嘔吐した。

「強大な力に伴う責任を、味わった事はあるか?」

 悶絶する『ハワード』に、ハワードは語り掛けてくる。同じ賢者のはずなのに、彼の姿はあまりにも、大きく見えた。

「ハワード・ロックになるってのは、こういう事なのさ。俺様には多くの人間が期待してくれている。感謝し、信用してくれている。一度でも、たった一人でも。信用に背いたらどれだけの人間が俺様に失望するだろうかな? ははっ、考えるだけでもわくわくしちゃうなぁ。ほら、笑えよ『ハワード・ロック』。これがお前の望んでいた、全てを手にした男が持つ物だぞ? その一端に触れたんだ、嬉しいだろ?」

 笑えない。全く嬉しくない。どうしてこの男は、これだけの期待と信用を受けて笑えるんだ。一人一人の期待と羨望が、命を握りつぶしてくるようではないか。

「俺様は俺様を諦められないんだよ。何があろうと、「絶対無敵の最強賢者」であり続けなきゃならねぇんだよ。俺様が俺様を諦めた瞬間、多くの人間が失望し、絶望しちまうからだ。己を諦めず、上を向いて歩くからこそ、「ハワード・ロック」の存在に価値が生まれるのさ。
 多くの期待を背負い、希望となり続ける度胸がお前にあるのか? 己を諦めず、己の生き様を貫き通す覚悟がお前にあるのか! できるもんならやってみな。一度でも自分を……「ビリー・エルトライト」を諦めちまったお前ごときに出来るもんなら、やってみろよ!」
「『あ……ぁぁ……あああああああああああああああああ!!!』」

 『ハワード』は発狂し、狂ったように襲い掛かる。ハワードは逃げもせず、『ハワード』を真正面から受け止めた。
 殴られ、血が出ても、ハワード・ロックは揺るがない。多くの人に支えられ、何度叩いてもブレやしない。
 それに比べて『ハワード・ロック』の弱い事。一発殴られるだけで腰が落ち、膝が笑い、倒れてしまう。
 人間としての厚みが、あまりにも違いすぎた。

「おおおおおおおおおおおおおらあああああああっ!」

 ハワードの渾身の一撃が、『ハワード』を撃ち砕いた。
 つぎはぎの仮面が壊れ、『ハワード』でも『エルマー』でも『ビリー』でもない、空っぽの男が倒れ伏す。じんと重い痛みが、体の奥底に響いていた。

「これ……が……本物のハワード・ロック……!」

 絶対無敵の最強賢者。誰もが口にする肩書は。
 『ハワード・ロック』になろうとするだけの男には、あまりにも重すぎた。
 何もかもを失った男に賢者が歩み寄る。そのまま殺されるのか。と思ったら。

「俺様が背負うモンは、俺様にしか背負えない。だがな、お前が背負っているモンを俺様が背負う事もできない。なぜか分かるか?」
「…………?」
「お前だけに向けられた期待と希望だからだ。いくら俺様でも、それだけは背負えない」
「……そんなもの……もう、ない……」
「あるよ。たった一人、姿も名前も存在も、何もかもを捨てようとしている男を一途に想い続ける色女が居るだろう?」

 ハワードのスキルが、女性の姿を作り出す。『ビリー・エルトライト』だった頃愛していたケットシーが。

『エル、愛してる』

 ただ一言、とても短い一言が、男の心に響いた。
 こんな姿になってもなお、男を想い続けるたった一人の女性の心が、男を確かに励ましていた。

「外野にお前の全てを否定され、愛する者と引き離された苦しみは、想像を絶するもんだったんだろう。自分を捨て、外野に認められるために、俺様になろうとした気持ちはわからんでもない。だが、そいつはお前自身を諦めることに他ならない。それで愛する者をより傷つけちまったら、元も子もないだろう」
「……確かに、そう、かもしれない……!」

 もし、あの時諦めずに彼女を求めていたら、別の未来が待っていたのかもしれない。
 後悔してももう遅い。自分はすでに、戻れない所へ来てしまったから。
 黒の福音書を手にしてしまった時から、自分は人ならざる存在になってしまったのだから。

「やり直したいか?」
「?」
「もう一度、やり直したいか? 自分のしでかしたことを、取り戻したいか?」
「……できる事ならば……だが……」
「なら俺に頼みな、助けてくれと」

 男は目を見開いた。
 ハワードは自分を、助けようと言うのか?

「ビオラと約束したんだよ、彼女の心を救うとな。それにはお前をぶちのめすのではなく、助けなくちゃならねぇんだ。だから、俺にすがれ。どれだけみっともなくても、情けなくても……今一度自分をやり直す意志を見せてみろ。そしたら俺がお前を、『ビリー・エルトライト』に戻してやる」
「……賢者、ハワード……!」

 男は頷いた。ハワードは小さく笑うと、男の懐から福音書を引っ張り出した。

「さぁて、俺様とデートしてもらおうか!」

 空高く放り捨て、魔導砲を放出する。すると福音書は、ハワードの魔力をかき消した。

『うふふ、うふふふふ! ああ最高、最高だわ! なんて素敵な物語なのかしら!』

 本から声がした。男の義手にはめ込んでいた宝珠が外れ、本へ吸い込まれていく。

『ご苦労様。「疑似・神の加護」を作るために、色々協力してくれてありがとう。その間貴方が見せてくれた、沢山の物語。とっても面白かったわ。おかけで最高の暇つぶしが出来たんだもの、こんなに素敵な事ってないわよね! だから、ご褒美をあげるわぁ』

 本から黒い槍が飛んでくる。ハワードは軽々とキャッチし、肩をすくめた。

「ケツに突っ込むにはちょっと太すぎるな、過激なご褒美だ。初心者みたいだからもう少し優しくしてやった方がいいんじゃねぇか?」
『今まで頑張ってきてくれたんだもの、ちょっと奮発してあげただけ』
「過剰サービスだな。それよりも、そろそろ美しい顔を見せてくれないかな? こんなイケメンが目の前に居るんだ、君ほどの美女が出てくれれば画になると思わないかい?」
『口が上手な人。いいわぁ、出てきてあげる』

 「疑似・神の加護」を使ったのだろう、本の中から、肉体を持った女性が現れた。
 漆黒の長髪が目を引く、絶世の美女だ。切れ長の目は冷徹にハワードを見下ろし、紫のルージュを付けた唇は冷酷な笑みを浮かべていた。
 彼女が出現した途端、火山に住む生物が一斉に逃げ出し、鳥が飛び立った。彼女の存在に恐怖し、本能のまま走り出したのだ。
 男は脂汗を出し、畏怖の目で彼女を見上げた。ずっと傍にいたはずなのに、この世ならざる存在を前に、心が恐怖で満たされていく。

「ああ……久しぶりのお外だわ! ずっとぬいぐるみを通して動いていたから空気が美味しい! どうかしら賢者ハワード、私はとっても美しいでしょう?」
「ああ最高だ、男を誑かすのも納得の美魔女だぜ。俺様も是非とも誑かしてほしいねぇ♡」

 ハワードは両手を広げ、彼女を迎え入れる。相手がどれほど危険なのか、探ろうともせず。

「賢者ハワード……気を付けて……彼女は……」
「ああ知っているよ。最高の美女だってよーく聞いている。是非とも会いたかったぜ、絶望の魔女アリス!」

 ハワード・ロックのガーベラ聖国での冒険が、終わりを迎えようとしていた。
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