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74話 生きたい願い
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ガンダルフに乗せられたマーリンは、風になったような気分を味わっていた。
瞬きをする度に景色が変わっていく。見慣れたはずの街が別世界になったようで、とても気持ちがいい。それにふかふかした毛皮がなんとも言えず気持ちよい。
「落ちないよう気を付けなよ」
ハワードはそっとマーリンを支えてくれる。逞しい肉体に守られて、胸の高鳴りが抑えられない。
初めて彼氏になってくれた男はスケベだが、とても強くて優しくて、マーリンに深い愛情を注いでくれる。心地よすぎて、恐いくらいに。
「んおっ! ケバブ屋があんじゃねぇか、がるるstop! ご当地ケバブを味わんねぇと」
「けばぶ?」
「おや、食べた事がないのか。ケバブの味を知らないとは、人生の九割を損してるぜ」
「そんなに美味しいんですか?」
「美味しいんですよ。待ってな」
ということで買ってもらったのだが、かなり大きい。口を限界まで開かないと齧れない。
どうすればいいのかハワードを見上げると、彼は思い切りケバブにかぶりついていた。とても美味しそうに食べるものだから、真似してケバブに挑みかかった。
「美味しい……」
「だろ? おっと、口元汚れてるぜ」
ハワードの指が頬をなぞってくる。こそばゆさに頬が熱くなっていく。背筋に不思議な感触がぞくりと走った。
優しくされるなんて初めてで、マーリンは戸惑っていた。ハワードと一緒に居るだけで安心してしまう。
何よりも目を引くのが、ハワードの表情だ。見ているこっちもつられるくらい、満面の笑顔のまま。この瞬間を心から楽しんでいるようで、不思議と胸がぽかぽかしてくる。
腕を無くして、辛い思いをしたはずなのに、悲しい気持ちを全く感じない。
「凄く、楽しそうですね。私なんかと居て、楽しいですか?」
「美女と居るのに楽しくないわけないって。それとも、暗い顔して歩いてた方がいいかい?」
「そんな事ないです。賢者様の笑顔、私好きですから」
「俺様も君の笑顔は大好きだ。今度鏡で見てごらん、とびきりの美人が映ってるぜ」
自然に飛んでくる口説き文句も、重ねられると恥ずかしい物である。
がるるに乗せられ連れまわされ、時々降りては一緒に歩いて、夢のようなひと時が過ぎていく。もっと大事に味わいたいのに、あっというまに時間が溶けてしまった。
「さてと、そろそろメインイベントでも行こうか。がるる」
―わふっ!
がるるが勢いよく湖へジャンプした。すると足元が凍りつき、氷の浮島が出来上がった。
次々に氷の足場を作っては、がるるが湖を走り回る。船とも違う湖上の散歩だ。
ボートに乗る人々がこちらを見ている。恥ずかしさに顔を伏せるも、ハワードが見せびらかすように笑顔を振りまくものだから、いやおうなしに注目が集まった。
「がるる、聖剣の所まで走ってくれ」
「えっ」
「儀式はあの島でやるんだろ? 下見がてら行ってみよう」
「ですが……」
「大丈夫、俺様が居るから」
ハワードにそう言われると反射的に頷いてしまった。連れられるがまま聖剣に近づくと、ひりつくような魔力を感じ取った。
今もなお、聖剣には勇者の魔力が残っている。古の勇者と水の聖獣を讃えるために、レイクシティは十年に一度、エルフの巫女を生贄に捧げるのだと言う。
「全く馬鹿げた儀式だよなぁ。なんでそんな事せにゃならねぇんだか」
「でも、それが決まりなんです。この街がずっと続けてきた風習ですから、誰かがやらなくちゃならないから。私が死ななきゃならないなら、私がやらなきゃならないんです」
「君もいい加減止めな、そんな弱音を吐くのは」
ハワードはマーリンを抱きしめた。
「本当はどうなんだい? 君は贄に選ばれたのを納得しているのかい? 今ここには俺様と君しか居ないんだ、心に抱えてるものを全部出し切ってしまいな」
「……私は」
ハワードに囁かれた事で、胸に閉じ込めていた感情があふれたのだろう。マーリンはぽろぽろ泣き始めた。
「私っ……死にたくありません……だけど、ずっと我慢してきたんです……皆に迷惑を掛けないように……ずっとこの気持ちを仕舞っていたんです……どうせ私は捨て子で、誰にも愛して貰えないから……だから生きるのを諦めるようにしていたのに、なのに……どうして私に優しくするんですか、こんな事をされたら私、死ねないです……死にたくなんか、ありません!」
「そう言ってほしかっただけさ」
マーリンを撫で、ハワードは額にキスした。
「自分を嘘で誤魔化して、本音を隠してばかりの君があまりにも悲しすぎてな。生きるのはとても楽しい事なんだってのを思い出してほしかったんだ」
「酷い人……これじゃ、生きるのがもっと辛くなるだけです。だって私はもうすぐ……」
「俺様が死なせると思うかい? 君の目の前に居るのが誰なのか、まぁだ思い知っていないようだね」
ハワードはにっとするなり、マーリンを抱えて湖に飛び込んだ。
いきなり湖に落とされ、マーリンは咄嗟に息を止めた。けど、苦しくない。恐る恐る目を開けると、二人は大きな泡の中に入っていた。
ハワードが魔法で泡を作ったのだ。水の中に居ても呼吸が出来ている。
「ほら見てみなよ、湖の中を。綺麗なもんだぜ」
「……本当だ……」
水面から降り注ぐ光に照らされ、濁っていても魚やエビ、昆虫が泳いでいるのが見える。水棲植物が光合成で酸素の泡を沢山作り、幻想的な光景を生み出していた。
「サロメの姿は見えないな、まぁこんだけ広くちゃ見つからねぇか」
「私も、実はサロメ様の姿は見た事がないんです。おっきいんでしょうか」
「文献じゃ随分な巨体だと書かれているな。けど分からねぇぞ? もしかしたらすぐ近くに居たりするかも。例えば君の真後ろとか」
「そんな訳ないじゃないですか」
「とか言ってたらほんとにでたぁ!」
「ええっ!?」
「うっそー♪」
「えええっ? からかったんですか?」
「君があまりにも可愛いからついね。けどこれで思い知っただろ? 俺様が居る限り君は死なない。それどころか、夢のように楽しい時間を過ごせるんだ」
「ええ、本当に……心から思います。賢者様と居ると安心できます」
「美女を安心させるのがイケメンの条件だからな。もっと惚れていいんだぜ」
「……本気にしてしまいますよ?」
「ははっ! 大分元気出てきたみたいだな」
「無理やり引き出されたんです。貴方のせいで、死にたくなくなってしまいました」
「そいつが狙いだからな」
ハワードは目を細めた。
「生きるのは確かに苦しいさ。酷い目に遭わそうとする奴も居るし、勝手に敵意を抱いてくる馬鹿も居る。嫌なことをやらなきゃならない時だってあるし、正直死にたいって思う事も何度だってあるさ。けどな、死ぬなら死ぬで、幸せに死にたいだろう? 人生振り返った時に満足して逝けるような思い出がなきゃ悲しいだけだろ?」
「言わんとする事は分かります。でも、実際は難しいです。私のように、すでに将来が決まっている者にとっては、特に……」
「選択肢はあるさ。教えてあげようか? 逃げるんだよ」
「逃げるって、悪い事ですよ」
「なんでだ? だってこのまま大人しくしてたら君は贄にされるんだぜ? それは嫌なんだろ? だったら逃げればいいじゃないか。素直に従うばかりが正解じゃない、自分を守れるなら、逃げて楽な方に流れるのもまた正解なんだ。んでほとぼりが冷めて、気持ちが元に戻ったら、また立ち向かえばいいのさ」
「……ですが」
「逃げ道が無いって? あるじゃないの、目の前に」
ハワードが自身を指さすと、マーリンは目を見開いた。
「俺様が君を救う。この賢者ハワードに不可能なんかないんだ、伝統だかなんだか知らねぇが、俺様にゃあ関係ない話だ。遠慮なくぶっ潰させてもらうぜ」
「けどそんな事をしたら皆に迷惑が」
「たかだか十年に一度の祭りが潰れた程度でかかる迷惑なんざ知った事か、人の命と歴史ある伝統、天秤にかけるまでもねぇ。命を捨てて成り立つ歴史なんざ消えちまえばいい。レイクシティ全員の恨みを買ってでも、俺様はマーリン一人を救うために戦ってやる」
「……いいの、ですか?」
「君に不満が無ければね」
一瞬、マーリンは躊躇した。自分に関わって、ハワードがひどい目に合わないか怖くなったから。
けどまた、声が聞こえた。生きろと、賢者の手を借り、破滅の運命を超えろと背を押す声が。
「お願いします、私を、助けてください……私、死にたくありません……もっと生きて、幸せになりたいんです……だから、お願いします……! この街の伝統と歴史を、壊してください……!」
「All right! 儚く美しいエルフの依頼、確かに聞き入れたぜ」
マーリンを助けても、名誉も富も何も手に入らない。伝統を歴史から消した悪人の烙印を押されるだけ。
なのにハワードは、そんなのを意にも介さず、笑顔でマーリンを救うと答えてくれた。汚名を被ろうとも、ただ一人の女を救うためだけに、伝統に喧嘩を売ったのだ。
「こんなの……惚れてしまいますよ……」
「女を惚れさせるのは得意中の得意なんでね」
手の甲にハワードが口付けを落とした。マーリンを勇気づける賢者のまじないに再び頬が熱くなる。
この人ならば、必ず私を救ってくれる。確信せざるを得ない。
なぜなら、彼がハワード・ロックだから。
◇◇◇
「素晴らしい。絶望の淵に沈んでいた女性をいともたやすく救い出すとは、素晴らしいですハワード・ロック。私には到底できません」
光の届かない湖の底で、エルマーはハワードの活躍を讃えていた。
手にした本が与えるスキルにより、エルマーは超常のスキルを操れる。フウリに使った【封印】も、テンペストに使った【複製】も、この本の力である。
漆黒の福音書は、エルマーを人ならざる存在に昇華していた。無論、賢者と勇者にはかなわないが。
「絶望に沈んだ人ほど救い出すのは困難を極める、だと言うのにあの方は、誰にも出来ない事を易々と行ってしまう。私は勿論の事、勇者カインすら恋心を抱いてしまうのも納得です」
男女を問わず人を惹きつけるカリスマ性、堕ちた心を救い出す揺るぎのない強さ、どれだけ大きな障壁を前にしてもブレぬ信念。憧れないわけがない。……どうしようもないスケベ親父である事を除けばだが。
「全力で生きる事を楽しみ、自身も周りの人も輝かせる。素晴らしいからこそ分からない、どうして貴方がそこまで美しく、太陽のように人びとを照らせるのか。だから私は貴方の事が知りたいのです。もっと貴方を理解し、解析し、骨の髄まで知り尽くしたい。なので教えてください、ハワード・ロックの事を。儀式を通してより貴方の欠片を集め、私の中のハワード・ロックを確固たる存在にするために。それこそが私達の望みを叶える力になるのだから」
エルマーが振り返る先には、巨影が息をひそめている。
水の聖獣サロメが、解き放たれる時を刻一刻と待っていた。
瞬きをする度に景色が変わっていく。見慣れたはずの街が別世界になったようで、とても気持ちがいい。それにふかふかした毛皮がなんとも言えず気持ちよい。
「落ちないよう気を付けなよ」
ハワードはそっとマーリンを支えてくれる。逞しい肉体に守られて、胸の高鳴りが抑えられない。
初めて彼氏になってくれた男はスケベだが、とても強くて優しくて、マーリンに深い愛情を注いでくれる。心地よすぎて、恐いくらいに。
「んおっ! ケバブ屋があんじゃねぇか、がるるstop! ご当地ケバブを味わんねぇと」
「けばぶ?」
「おや、食べた事がないのか。ケバブの味を知らないとは、人生の九割を損してるぜ」
「そんなに美味しいんですか?」
「美味しいんですよ。待ってな」
ということで買ってもらったのだが、かなり大きい。口を限界まで開かないと齧れない。
どうすればいいのかハワードを見上げると、彼は思い切りケバブにかぶりついていた。とても美味しそうに食べるものだから、真似してケバブに挑みかかった。
「美味しい……」
「だろ? おっと、口元汚れてるぜ」
ハワードの指が頬をなぞってくる。こそばゆさに頬が熱くなっていく。背筋に不思議な感触がぞくりと走った。
優しくされるなんて初めてで、マーリンは戸惑っていた。ハワードと一緒に居るだけで安心してしまう。
何よりも目を引くのが、ハワードの表情だ。見ているこっちもつられるくらい、満面の笑顔のまま。この瞬間を心から楽しんでいるようで、不思議と胸がぽかぽかしてくる。
腕を無くして、辛い思いをしたはずなのに、悲しい気持ちを全く感じない。
「凄く、楽しそうですね。私なんかと居て、楽しいですか?」
「美女と居るのに楽しくないわけないって。それとも、暗い顔して歩いてた方がいいかい?」
「そんな事ないです。賢者様の笑顔、私好きですから」
「俺様も君の笑顔は大好きだ。今度鏡で見てごらん、とびきりの美人が映ってるぜ」
自然に飛んでくる口説き文句も、重ねられると恥ずかしい物である。
がるるに乗せられ連れまわされ、時々降りては一緒に歩いて、夢のようなひと時が過ぎていく。もっと大事に味わいたいのに、あっというまに時間が溶けてしまった。
「さてと、そろそろメインイベントでも行こうか。がるる」
―わふっ!
がるるが勢いよく湖へジャンプした。すると足元が凍りつき、氷の浮島が出来上がった。
次々に氷の足場を作っては、がるるが湖を走り回る。船とも違う湖上の散歩だ。
ボートに乗る人々がこちらを見ている。恥ずかしさに顔を伏せるも、ハワードが見せびらかすように笑顔を振りまくものだから、いやおうなしに注目が集まった。
「がるる、聖剣の所まで走ってくれ」
「えっ」
「儀式はあの島でやるんだろ? 下見がてら行ってみよう」
「ですが……」
「大丈夫、俺様が居るから」
ハワードにそう言われると反射的に頷いてしまった。連れられるがまま聖剣に近づくと、ひりつくような魔力を感じ取った。
今もなお、聖剣には勇者の魔力が残っている。古の勇者と水の聖獣を讃えるために、レイクシティは十年に一度、エルフの巫女を生贄に捧げるのだと言う。
「全く馬鹿げた儀式だよなぁ。なんでそんな事せにゃならねぇんだか」
「でも、それが決まりなんです。この街がずっと続けてきた風習ですから、誰かがやらなくちゃならないから。私が死ななきゃならないなら、私がやらなきゃならないんです」
「君もいい加減止めな、そんな弱音を吐くのは」
ハワードはマーリンを抱きしめた。
「本当はどうなんだい? 君は贄に選ばれたのを納得しているのかい? 今ここには俺様と君しか居ないんだ、心に抱えてるものを全部出し切ってしまいな」
「……私は」
ハワードに囁かれた事で、胸に閉じ込めていた感情があふれたのだろう。マーリンはぽろぽろ泣き始めた。
「私っ……死にたくありません……だけど、ずっと我慢してきたんです……皆に迷惑を掛けないように……ずっとこの気持ちを仕舞っていたんです……どうせ私は捨て子で、誰にも愛して貰えないから……だから生きるのを諦めるようにしていたのに、なのに……どうして私に優しくするんですか、こんな事をされたら私、死ねないです……死にたくなんか、ありません!」
「そう言ってほしかっただけさ」
マーリンを撫で、ハワードは額にキスした。
「自分を嘘で誤魔化して、本音を隠してばかりの君があまりにも悲しすぎてな。生きるのはとても楽しい事なんだってのを思い出してほしかったんだ」
「酷い人……これじゃ、生きるのがもっと辛くなるだけです。だって私はもうすぐ……」
「俺様が死なせると思うかい? 君の目の前に居るのが誰なのか、まぁだ思い知っていないようだね」
ハワードはにっとするなり、マーリンを抱えて湖に飛び込んだ。
いきなり湖に落とされ、マーリンは咄嗟に息を止めた。けど、苦しくない。恐る恐る目を開けると、二人は大きな泡の中に入っていた。
ハワードが魔法で泡を作ったのだ。水の中に居ても呼吸が出来ている。
「ほら見てみなよ、湖の中を。綺麗なもんだぜ」
「……本当だ……」
水面から降り注ぐ光に照らされ、濁っていても魚やエビ、昆虫が泳いでいるのが見える。水棲植物が光合成で酸素の泡を沢山作り、幻想的な光景を生み出していた。
「サロメの姿は見えないな、まぁこんだけ広くちゃ見つからねぇか」
「私も、実はサロメ様の姿は見た事がないんです。おっきいんでしょうか」
「文献じゃ随分な巨体だと書かれているな。けど分からねぇぞ? もしかしたらすぐ近くに居たりするかも。例えば君の真後ろとか」
「そんな訳ないじゃないですか」
「とか言ってたらほんとにでたぁ!」
「ええっ!?」
「うっそー♪」
「えええっ? からかったんですか?」
「君があまりにも可愛いからついね。けどこれで思い知っただろ? 俺様が居る限り君は死なない。それどころか、夢のように楽しい時間を過ごせるんだ」
「ええ、本当に……心から思います。賢者様と居ると安心できます」
「美女を安心させるのがイケメンの条件だからな。もっと惚れていいんだぜ」
「……本気にしてしまいますよ?」
「ははっ! 大分元気出てきたみたいだな」
「無理やり引き出されたんです。貴方のせいで、死にたくなくなってしまいました」
「そいつが狙いだからな」
ハワードは目を細めた。
「生きるのは確かに苦しいさ。酷い目に遭わそうとする奴も居るし、勝手に敵意を抱いてくる馬鹿も居る。嫌なことをやらなきゃならない時だってあるし、正直死にたいって思う事も何度だってあるさ。けどな、死ぬなら死ぬで、幸せに死にたいだろう? 人生振り返った時に満足して逝けるような思い出がなきゃ悲しいだけだろ?」
「言わんとする事は分かります。でも、実際は難しいです。私のように、すでに将来が決まっている者にとっては、特に……」
「選択肢はあるさ。教えてあげようか? 逃げるんだよ」
「逃げるって、悪い事ですよ」
「なんでだ? だってこのまま大人しくしてたら君は贄にされるんだぜ? それは嫌なんだろ? だったら逃げればいいじゃないか。素直に従うばかりが正解じゃない、自分を守れるなら、逃げて楽な方に流れるのもまた正解なんだ。んでほとぼりが冷めて、気持ちが元に戻ったら、また立ち向かえばいいのさ」
「……ですが」
「逃げ道が無いって? あるじゃないの、目の前に」
ハワードが自身を指さすと、マーリンは目を見開いた。
「俺様が君を救う。この賢者ハワードに不可能なんかないんだ、伝統だかなんだか知らねぇが、俺様にゃあ関係ない話だ。遠慮なくぶっ潰させてもらうぜ」
「けどそんな事をしたら皆に迷惑が」
「たかだか十年に一度の祭りが潰れた程度でかかる迷惑なんざ知った事か、人の命と歴史ある伝統、天秤にかけるまでもねぇ。命を捨てて成り立つ歴史なんざ消えちまえばいい。レイクシティ全員の恨みを買ってでも、俺様はマーリン一人を救うために戦ってやる」
「……いいの、ですか?」
「君に不満が無ければね」
一瞬、マーリンは躊躇した。自分に関わって、ハワードがひどい目に合わないか怖くなったから。
けどまた、声が聞こえた。生きろと、賢者の手を借り、破滅の運命を超えろと背を押す声が。
「お願いします、私を、助けてください……私、死にたくありません……もっと生きて、幸せになりたいんです……だから、お願いします……! この街の伝統と歴史を、壊してください……!」
「All right! 儚く美しいエルフの依頼、確かに聞き入れたぜ」
マーリンを助けても、名誉も富も何も手に入らない。伝統を歴史から消した悪人の烙印を押されるだけ。
なのにハワードは、そんなのを意にも介さず、笑顔でマーリンを救うと答えてくれた。汚名を被ろうとも、ただ一人の女を救うためだけに、伝統に喧嘩を売ったのだ。
「こんなの……惚れてしまいますよ……」
「女を惚れさせるのは得意中の得意なんでね」
手の甲にハワードが口付けを落とした。マーリンを勇気づける賢者のまじないに再び頬が熱くなる。
この人ならば、必ず私を救ってくれる。確信せざるを得ない。
なぜなら、彼がハワード・ロックだから。
◇◇◇
「素晴らしい。絶望の淵に沈んでいた女性をいともたやすく救い出すとは、素晴らしいですハワード・ロック。私には到底できません」
光の届かない湖の底で、エルマーはハワードの活躍を讃えていた。
手にした本が与えるスキルにより、エルマーは超常のスキルを操れる。フウリに使った【封印】も、テンペストに使った【複製】も、この本の力である。
漆黒の福音書は、エルマーを人ならざる存在に昇華していた。無論、賢者と勇者にはかなわないが。
「絶望に沈んだ人ほど救い出すのは困難を極める、だと言うのにあの方は、誰にも出来ない事を易々と行ってしまう。私は勿論の事、勇者カインすら恋心を抱いてしまうのも納得です」
男女を問わず人を惹きつけるカリスマ性、堕ちた心を救い出す揺るぎのない強さ、どれだけ大きな障壁を前にしてもブレぬ信念。憧れないわけがない。……どうしようもないスケベ親父である事を除けばだが。
「全力で生きる事を楽しみ、自身も周りの人も輝かせる。素晴らしいからこそ分からない、どうして貴方がそこまで美しく、太陽のように人びとを照らせるのか。だから私は貴方の事が知りたいのです。もっと貴方を理解し、解析し、骨の髄まで知り尽くしたい。なので教えてください、ハワード・ロックの事を。儀式を通してより貴方の欠片を集め、私の中のハワード・ロックを確固たる存在にするために。それこそが私達の望みを叶える力になるのだから」
エルマーが振り返る先には、巨影が息をひそめている。
水の聖獣サロメが、解き放たれる時を刻一刻と待っていた。
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