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第12章
転機②
しおりを挟む男が腕を引く度、砕けない楔がガシャリと音を立てる。
そちらに一瞬でも気を取られなければガードだけは出来ただろう。
しかし、他の妖怪を遥かに凌駕する大妖怪たる神野悪五郎。
その自分が妖術によって束縛されている。
しかもたかが酒呑童子程度の妖怪にだ。
到底受け入れ難い事実が、彼の肥大化した自尊心に傷をつけた。
ビキッと手の甲や顔に血管が浮かぶ。
怒りのままシュカを睨むが、返されるのは呆れと冷静さが半分半分のような表情。
先程とはまるで真反対の感情の現れようだ。
─────そんな事してる暇があったら、防御するなりしなよ。
あたかもそんな風な言葉が聞こえてくるようであった。
次の瞬間、男の腹部に鋭く重い衝撃が走った。
「………っ!!」
「グフッ………!?」
歯を食いしばり無言の気合いに合わせて、四肢に炎を纏ったイナリの蹴りが叩き込まれる。
本気も本気。
ネックレスによるブーストをフルに活用した攻撃力抜群の一撃だ。
確かな手応え。
メキィッ!と骨の軋む音が聞こえた。
さらに動きは止まることなく懐に潜り込み、これまた渾身のアッパー。
拳が腹にめり込み、烈火の炎が弾けるインパクトで男を上空に打ち上げる。
あまりの衝撃に耐えきれず、地面に放射状に亀裂が入り砕けた。
イナリが踏ん張った場所だけもっと被害が酷い。
追い討ちのジャンプでさらに足場を粉々に砕き、空に飛び上がったイナリは男を追い越して上空で刀を振り上げる。
「はあああああ!!」
ゴオォォ!と大気を焼き燃え盛るのは、先程までとは比べ物にならないほど巨大な炎の塊。
紅蓮に揺らめくそれは刀の形を取り、通常の三倍ほどの大きさの大太刀を作り上げた。
「ふざっ………けるなああああ!!」
男が歯をギリッと食いしばり、残った妖気を解放。
血の剣山と楔が消し飛び霧散する。
地上では魔法陣が数回点滅したかと思うと、バチッと拒絶反応を示すように一度スパークしてから消滅した。
弾かれたシュカが思わず尻もちをつく。
しかし、慌ててはいない。
その紅の瞳はしっかりとイナリを捉えており、声は届かないものの、「早く決めちゃえ」とでも言いたげである。
シュカの気だるげな声で脳内再生された。
こんな時でも変わらず、実にシュカらしいと言うべきか。
妖気がスパークする赤黒い刀を作り出し迫る男を前に、軽く笑顔がこぼれた。
シュカは己の役目を十分に終え、後を託してくれた。
今度はイナリの番だ。
「"炎衝天落"っ!!」
二色の刀が衝突。
燃え盛る炎とスパークした妖気がせめぎ合う。
……………だが案外、決着はすぐに着いた。
「バカな………!?」
儚い音を立てて、砕けたのは男の刀だ。
そのまま思いっきり振り下ろされた紅蓮の大太刀が男の肉体を斬り裂き、生々しい感触を残して斜めに切断。
傷口から発火して男を飲み込む。
「なぜ……我が、この程度の下等な妖怪共に…………!!」
もはや抵抗する妖気すら残っていないのだろう。
そんな恨みつらみを呟きながら、炎に飲まれて灰燼と帰した。
案外、退場はあっさりとしていた。
あれだけ苦戦させられた大妖怪ともなると最後も面倒なのかと思ったが、どうやら違ったらしい。
呆気ないものだ。
「ふぅ……………。シュカさーん!やっと終わりましたよぉー!」
落下しながら、地上でこちらを見上げるシュカにぶんぶんと手を振るう。
〈転幻〉は解除し、いつもの状態に戻ったしっぽと耳が風になびく。
一事は死ぬかと思ったが、しっかりと収めた勝利。
自然と二人とも笑顔になる。
─────────けれど。
"復活した神野悪五郎を倒してハッピーエンド"。
その程度で終わるほど、今回の事件は簡単ではなかった。
イナリは目撃した。
眼下のシュカの表情が、喜びから一転。
一瞬呆気に取られ、続いて切羽詰まったように険しくなる。
何か叫んでいるがうるさい風のせいで何も聞こえない。
まさか倒しきれていなかった?
そんな馬鹿な。
そんなベタな展開があるか?
消滅した反応はきちんとあったし、あそこまで徹底的に消滅させられたら復活する術はないだろう。
現に彼の妖気は微塵も感じられない。
じゃあなんで…………。
その正体を、イナリは嫌でも思い知ることになる。
ズバッ!
「っ…………!?」
寸前、殺気を感じて大きく背を仰け反らせた。
すると。
ぱっくりと巫女装束が切り裂かれ、太ももや頬にも薄らと切り傷ができた。
まるで刃物で切り裂かれたような傷が何ヶ所もある。
何も見えなかった。
と言うか、何かあったのか?
動体視力が化け物のイナリでも、自分の身に一体何があったのか。
犯人は誰なのか捉えることが出来なかった。
遠距離攻撃?
いや、確実に今、この場で刃物に斬られた。
転がるように地面に着地してから受身を取り、すぐさまシュカの横で体勢を立て直す。
「シュカさん!気をつけて─────」
「げっ」
言った傍からだ。
何かが飛んでくる。
何となく、直感でそうは分かったものの。
何がどう飛んでくるのか、それは今どこまで来たのか。
一切分からない。
だから、シュカの短い悲鳴を理解したのは一拍置いてから。
ザシュザシュ、ザシュッ!!
突然、シュカの体にいくつもの深い切り傷や刺傷が刻まれ、吹き出した血の雨が降る。
反応できなかった。
横目に捉えたその光景に絶句し、しかし反射的によろける手を掴もうとする。
だがその手が届くことなくそのままシュカは吹っ飛ばされ、近くの岩壁を粉々に砕いて打ち付けられた。
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