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第3章 出会い イナリ編 (60〜97話)

潜入

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早朝。


まだ朝日が出たばかりのこの時間帯は森全体にうっすらと霧がかかっており、姿を隠した虫や小動物達が小さな鳴き声を上げている。
普段ならこんな時間に外に出る者は居ないのだが、そんな中、内陸に向けて静かに走る影が三つ。
言わずもがな俺とクロ、そしてイナリである。

気配を極限まで消し、すり抜けるように森を駆けるその様子はまさに疾風。
その気配の小ささは人に敏感に反応する小動物ですら、目の前に近づくまで気が付かないほどだ。


う~む、イナリがここまでできる子だったなんて…………。
隠密が得意なクロはもちろん、長年ここで暮らしてきた経験故に森での行動はイナリにとってお手の物らしい。
気配の消し方が上手いし、なんなら動きは俺達よりスムーズなんじゃないか?

鬱蒼うっそうと茂る木々をまるで無いものかのように無視してどんどん突き進んで行ってる。
これは見る人によっては、木々をすり抜けてるようにさえ感じるのかもしれない。
気を抜いたらこっちが置いてかれそうだ。


「…………それにしても、びっくりしましたよぉ。部屋に入ったらまさか上半身裸で寝てるなんて………」
「いや、それに関しては本当にごめん…………昨日、色々あってさ……………」


イナリが小声で言ってるのは今日の朝の事だ。

さかのぼること数時間前、わざわざ起こしに来てくれたイナリがドアを開けると、なんとベットの上で上半身裸で寝る俺を目撃してしまった。
おまけに、両サイドに幸せそうな寝顔のノエルとアイリスを侍らせて、お腹の上にはクロが丸まってるときた。


イナリが思わず奇声を上げてしまったのは言うまでもない。


それによって起こされた俺は、朝っぱらから何やってんだ………と思いつつ体を起こし。
「はわわ………!」と顔を真っ赤にしながらチラチラ俺を見ているイナリを視界にとらえ、全てを察した。

同じような展開をこの前やったばっかなんだから、いい加減に学習しろよ俺…………。
いや、言い訳をさせて欲しい。
昨日は満足したアイリスから解放された後、服を着る気力すらなくてそのままバタンキュー、って寝ちゃったんだよね…………。
かろうじでパンツは履いたけど。
気力も体力も全部アイリスに持っていかれてしまった。

が、それをイナリに素直に言うのは恥ずかしいので、なんかそれっぽい言い訳をして乗り切った。
イナリは憮然ぶぜんとして納得してなさそうだったけど。


「ふへへ………別に謝らなくたって良いんですよぉ。と言うかむしろ、もっと見せて欲しいくらいですっ!先程は驚いてたせいであまりちゃんと見れてませんでしたからね。今度こそきっちり私の脳裏に焼き付けちゃいたいです!」
「…………笑い方キモイ」
「んまっ、なんてこと言うんですかクロさん!ご主人様、責任を取って今度下半身も見せてください!」
「いや、なんで?」


飛び火すぎる。
それただイナリが俺の下半身見たいだけだろ……………。


「てかなんでイナリはそんなに俺の裸見たがるのさ」
「え~、好きな人の裸を見たいって思うの、普通じゃありませんか?……………そ、それに、つがいになったら必然的に"愛し合う"訳ですし…………今のうちに予習しときたいんです!」
「あれ、もしかして番になる事確定してる?」


いつの間に確定事項になったんだそれは…………。
前から言ってるけど、イナリを嫁に迎えるつもりは俺にはないからね?

さらっと当たり前の事のように言っていたが、完全なる捏造ねつぞうだ。
きっぱり断られるという絶望的なリアクションに、イナリが走りながら「そんなぁ!」、と涙目になる。
しかし、そんなイナリに意外な所から援護の声が上がった。


「仮に愛し合うとしても、クロより後にすべき」
「……………」
「…………あ、あの、クロさん?その言い方だと、私とご主人様が愛し合っても、番になっても良いと言ってるように聞こえるんですが…………」
「………………………………………………………ん」


無表情ながら明らかに嫌そうな顔で長い間を開け、しかし心底不本意そうに頷いた。
これには俺だけでなく、この話題の元凶イナリですら思わず唖然としてしまった。
あれだけ嫉妬してたクロがどういう訳かイナリの味方(?)をしている。

……………はっ!もしかしてお肉という名の賄賂わいろを…………!?


「いやそんな物渡してませんからね!?どれだけ私って信用ないんですか!?」
「ごめんごめん、さすがに冗談だって。でもクロ、どうして急にイナリの味方を?」
「昨日の夜、主が寝たあと皆で話した。イナリを主の番にするかどうか」



全く知らんかった。



「それで、イナリなら考えてもいいかなってなった。だからまだあくまで考え中なだけ。期待しない方がいい…………………聞いてる?」
「………………………」



クロがジト目で見つめるが、俯いたイナリからは返事がない。
テンションを上げた後にガクンと落としたせいで落ち込んでしまったのだろうか。

そう思ったのも束の間。
イナリが大きく息を吸い込むのを見て、俺は慌てて【サイレンス】をイナリに付与する。


次の瞬間。


「──────────────っっ!!!」


案の定と言うか、ガバッ!と顔を上げたイナリがとても、それはもうとっっても嬉しそうな表情で大空向けて口をパクパクさせる。

あ、危ない…………もう少しでわざわざこんな早朝から走ってる意味が無くなる所だった…………。
仮に【サイレンス】をかけ忘れでもしていれば、今頃幸せに満ちたイナリの叫び声が森中に響き渡り、それを耳にした鬼人族達が何事だと警戒してしま事だろう。
そうしたら作戦は初期段階でまさかの大失敗だ。
一応、自分の一族が結構ピンチだと言うことを分かってるのだろうか、この残念キツネは。



はしゃぎすぎてさりげなく木の上で滑ったイナリを浮遊魔法で回収。
俺とクロがジト目で見つめるが、ついに番の公認まで王手がかかった事を知った、幸せいっぱいのイナリには全く見えていないようだ。

無音でふわふわ浮かびながら頬を染めていやんいやんしたり、うっとりした瞳で手を合わせて明後日の方を見つめたり。
また口をパクパクさせて何か喋っているが、こちらには何も聞こえてこない。

非常にシュールである。


「……………なんか、無音のはずなのに今度は目にうるさいな」
「……………ん」


「──────────っ!?」


あ、そうか、こっちからの声は聞こえるんだもんな。
ぼそっと呟いた俺の言葉を敏感に聞き取り、頬を膨らませたイナリがキャンキャン吠えている………………ように見えた。
「ひどいです!」とでも言っているのだろうか。

しかし、そんな怒っている素振りを見せながらも、ふと俺と目が合うと途端に「えへへ………」と頬をだらしなく緩ませてニヨニヨする。
どうやらそれほどまでに心底嬉しかったらしい。
………むぅ……………可愛らしい反応をしてくれるじゃないか、イナリさんや。


「………………主は、イナリのこと嫌い?」


俺を見つめていたクロが不意にそんな事を聞いてきた。
「!」とイナリが先に反応して、興味深々なのを隠そうともせず、ずいっ!と顔を寄せてくる。
顔面の圧がすごい。

……………女の子がこんなに近くに居るのに、全くドキドキしないのって不思議だよね。
まぁ本性を知ってるからだろうけど。
俺は主張の強いイナリの顔をぎゅむっ、と押し返しながらクロの問に答えた。


「いや、別に嫌いじゃないよ。騒がしいけど、それは良い所でもあるから」


村に居た時、疲弊ひへいしていた家族や仲間達の励みになっていたのは間違いなくイナリの笑顔だ。
いつでも笑顔を絶やさず、元気づけてくれたイナリは皆にとって太陽みたいなものなのだろう。
そして、俺にとっても…………。


「じゃあ、イナリの容姿が嫌い?」
「そんな事ない。イナリは超絶美少女さんだし、ケモ耳はむしろ大好きです」
「……………嫌う理由がない」
「……………たしかに」


今話してて、逆になんでこんなにも扱いが雑なのか分からなくなってきた。
突然「あぅ………」としおらしくなったイナリをじっと見つめる。
それはもうじっくりと。

最初は顔を真っ赤にするだけだったイナリも、ついにいたたまれなくなったのか、ふいっと視線を逸らした。
すると、次の瞬間ふと何かに気がついて目を丸くし、続いて自分の足元に視線をやってから、若干慌てたように足をバタバタさせ始めた。

俺の肩をバシバシ叩いて何かを伝えようとしている。
が、【サイレンス】のせいで何も聞こえない。
……………なんか、割と本気で焦ってるっぽいぞ?
どうしたんだろ…………。

さすがにもう落ち着いて叫ぶことも無いだろうと思って、ずっとかけ続けていた【サイレンス】を解く。


「───────ご、ご主人様……………なんかふわふわしますぅ………」
「今更だな………」


え、もしかして驚いてた理由ってそれ?
なんならだいぶ前からふわふわしてたし、そんなに怖がるような事じゃなくないか……………?
イナリのジャンプの飛距離なら短距離を飛んでるのと変わりないだろうに。

しかし、イナリいわく、自分の足で地面を蹴って飛ぶ(ジャンプする)のと、他人に全てを任せて浮かぶのではだいぶ違うらしい。
なんと言うか、感覚的な問題で気持ち悪いのだそうだ。
言いたい事は分かった。
誰にだって苦手な事はあるし、言ってる事も分からなくは無い。

だが、それを今このタイミングで言ったのは────────。



「「残念すぎる」」
「うぅ……面目ないですぅ………」


自覚はあるのか、ケモ耳としっぽまで連動するようにしょんぼり垂れ下がる。
う~む、浮遊魔法自体はすぐに解除できるんだけど、イナリが今少しだけ気持ち悪いらしいし……………仕方ない。


「よいしょっと。これで我慢してくれ」
「………は、はひ……………」


こっちに引き寄せて、仰向けに寝かせたイナリを両腕で抱き上げる。
いわゆるお姫様抱っこってやつだ。
こっちの方がおんぶするより走りやすい。
………………それに、イナリも喜んでくれるだろうと思ったからね。

予想通り頬を上気させたイナリは、あのうるささが嘘のように静かになり、ただじっと熱のこもった瞳で俺の横顔を見つめている。


「………………ずるい」
「クロも今度、好きなだけお姫様抱っこしてあげるよ」
「ん。そのままベットインも可」
「それは大人になってからね…………」
「むぅ」







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