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第三章 東井マナカ
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曲の終わりと同じくして秋風が強く吹き、零一はゆっくり顔を上げる。
すこし伸びた髪が乱れる。
両耳のイヤホンを外すと、周囲の木々がゆれる音と、そして絶え間なく流れる川の音が世界に満ちた。
たった数秒前まで聞いていた曲も耳からかき消されるほど、水の量は多く流れが激しい。
台風が過ぎ去ってから二日経つが、まだまだ山は貯水しているようだ。
「······今日は、晴れてよかった」
十一月二十日。それは零一にとって一番大切な日だった。
家の庭でつんできた友禅菊の花束を、川岸から川面へ真横に伸びた太い一本の樹の幹に置く。この樹はこんな生え方でも、ちゃんと生きているようだ。
そっと皮をなで、一部はげている部分を指でなぞる。
丁度零一の目の高さだが、『君』にとってはなんとか手が届くほどだったのだろう。
ここへ来れるようになったのは、近年になってからだ。
「······まだ、どうすればいいのかわからない。なにも見つからないよ······」
風で花束が落ちる。零一が拾い上げると、そこに足音が近づいてきた。
軽快にこちらへ来るそれはひとり分のもの。およそ想像がつき、零一はそっとため息を吐いた。
「───あ、いた」
零一の顔を見るなりパッと笑顔になる彼、東井マナカとは、久しぶりに会った。彼の髪も伸び、さわやかにゆれている。
「ごめん、高山教授に聞いたんだ。ここにいるんじゃないかって」
まず謝罪したのにはちゃんと自覚があるようだ、無関係のやつが無闇に立ち入っていい場所ではないと。
「まだ川の水、多いだろうから。心配になってね」
「·········」
「何日······何週間ぶりか。生きててよかった」
冗談のつもりか本気なのか、まっすぐに零一を見てそんなことを言った。
彼の調子は以前と変わらないようだが、すこしほほがこけている。
「······痩せたみたいだな」
「ああ、ちょっと気ぃ抜いてた。人の心配する前に自分のこともちゃんとしないといけないのにな。───ずっと探してたんだよ、零一······」
眼鏡越しの彼の目が細くなる。東井がいま、自分にどんな感情を向けているのかわかってしまう気がして、零一は目を逸らす。
「教授は······なんて言ってた? ここのこと」
濁った川を、一本の流木が流れていく。川上の方で土砂崩れがあったのかもしれない。
「零一にとっての、大切な人······───東常真心くんが、ここで亡くなった、と。それから、これも。零一の好物だってきいて」
差し出されたビニール袋を受け取る。中にはピザまんがひとつ鎮座していた。とてもいい香りがする。
「······それだけ?」
「うん。俺と、同じ名前だったんだな。だから俺のこと避けてたの?」
「······名前だけじゃない。見た目も似てるんだ。そのまま大きくなったみたいで」
「眼鏡掛けてたんだ」
「······そう。小柄で······かっこいいというよりは、中性的でかわいい感じだ」
かわいいという要素も、成長したらかっこいいになっていたかもしれない。ここにいる東井のように───。
「俺の子供のときも、そんな感じだったな」
東井は隣県の実家から大学に通っているという。こちらの方へは滅多に来ず、東常家のことはもちろん知る由もない。『君』とは赤の他人なのだ。
「······勝手に、大切な人と東井を重ねて見ていた。それで東井と距離を置いていた。自分のことばかりで、ごめん」
花束を幹の窪みに置き直し、零一は川辺を歩き出す。
「零一、いまから紅葉見にドライブ行こうよ!」
努めて明るく誘ってくれているのだろうが、零一は肩越しに振り返り言った。
「もう限界なんだ。ひとりにさせてほしい」
「······限界って、なにが───」
零一の姿が林に消える。東井はすぐに追いかけたが、もう彼女の姿はなかった。
すこし伸びた髪が乱れる。
両耳のイヤホンを外すと、周囲の木々がゆれる音と、そして絶え間なく流れる川の音が世界に満ちた。
たった数秒前まで聞いていた曲も耳からかき消されるほど、水の量は多く流れが激しい。
台風が過ぎ去ってから二日経つが、まだまだ山は貯水しているようだ。
「······今日は、晴れてよかった」
十一月二十日。それは零一にとって一番大切な日だった。
家の庭でつんできた友禅菊の花束を、川岸から川面へ真横に伸びた太い一本の樹の幹に置く。この樹はこんな生え方でも、ちゃんと生きているようだ。
そっと皮をなで、一部はげている部分を指でなぞる。
丁度零一の目の高さだが、『君』にとってはなんとか手が届くほどだったのだろう。
ここへ来れるようになったのは、近年になってからだ。
「······まだ、どうすればいいのかわからない。なにも見つからないよ······」
風で花束が落ちる。零一が拾い上げると、そこに足音が近づいてきた。
軽快にこちらへ来るそれはひとり分のもの。およそ想像がつき、零一はそっとため息を吐いた。
「───あ、いた」
零一の顔を見るなりパッと笑顔になる彼、東井マナカとは、久しぶりに会った。彼の髪も伸び、さわやかにゆれている。
「ごめん、高山教授に聞いたんだ。ここにいるんじゃないかって」
まず謝罪したのにはちゃんと自覚があるようだ、無関係のやつが無闇に立ち入っていい場所ではないと。
「まだ川の水、多いだろうから。心配になってね」
「·········」
「何日······何週間ぶりか。生きててよかった」
冗談のつもりか本気なのか、まっすぐに零一を見てそんなことを言った。
彼の調子は以前と変わらないようだが、すこしほほがこけている。
「······痩せたみたいだな」
「ああ、ちょっと気ぃ抜いてた。人の心配する前に自分のこともちゃんとしないといけないのにな。───ずっと探してたんだよ、零一······」
眼鏡越しの彼の目が細くなる。東井がいま、自分にどんな感情を向けているのかわかってしまう気がして、零一は目を逸らす。
「教授は······なんて言ってた? ここのこと」
濁った川を、一本の流木が流れていく。川上の方で土砂崩れがあったのかもしれない。
「零一にとっての、大切な人······───東常真心くんが、ここで亡くなった、と。それから、これも。零一の好物だってきいて」
差し出されたビニール袋を受け取る。中にはピザまんがひとつ鎮座していた。とてもいい香りがする。
「······それだけ?」
「うん。俺と、同じ名前だったんだな。だから俺のこと避けてたの?」
「······名前だけじゃない。見た目も似てるんだ。そのまま大きくなったみたいで」
「眼鏡掛けてたんだ」
「······そう。小柄で······かっこいいというよりは、中性的でかわいい感じだ」
かわいいという要素も、成長したらかっこいいになっていたかもしれない。ここにいる東井のように───。
「俺の子供のときも、そんな感じだったな」
東井は隣県の実家から大学に通っているという。こちらの方へは滅多に来ず、東常家のことはもちろん知る由もない。『君』とは赤の他人なのだ。
「······勝手に、大切な人と東井を重ねて見ていた。それで東井と距離を置いていた。自分のことばかりで、ごめん」
花束を幹の窪みに置き直し、零一は川辺を歩き出す。
「零一、いまから紅葉見にドライブ行こうよ!」
努めて明るく誘ってくれているのだろうが、零一は肩越しに振り返り言った。
「もう限界なんだ。ひとりにさせてほしい」
「······限界って、なにが───」
零一の姿が林に消える。東井はすぐに追いかけたが、もう彼女の姿はなかった。
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