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第二章 東常真心
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零一の反応が、いじめる側としては面白くなかったようで、2年生になったタイミングで標的は真心になった。
零一のときは遠回しに行われていたが、真心に対しては直接的なものばかりだった。
面と向かってクラスの男の子たちに脅されたり、真心が仲良くしている零一の悪口まで言ってくる。
「女なのに“レイイチ”ってさ、親が性別間違えちゃったのかって!」
「バカじゃんそんな親。ぶふふっ」
「───でも母ちゃんが言ってたけど、あいつの親って説明会に来てた人だけみたいだぜ」
「え? あのゴキブリみたいなやつ? うわあ、俺んちのババアがカッコイイって言ってたやつだ」
「もしかして連れ子ってやつ? 森ヲ噛の親ってほんとはいないんじゃね?」
「かわいそぉーぅ! わはははは!」
真心を壁に追いやり、そんなやりとりが目の前で行われていた。
真心は多勢に無勢で、内心で反論することしかできず、ずっと無言を続けている。
「実際あいつって目の色変だよな。なんつーか、ガイジン? 黒くないもんな」
真心は零一にはじめて話しかけられたとき、その目の色に驚いて、釘付けになった。晴れた夜のような、キレイな紺色だったのだ。
「名前もそうだし、変なやつー」
「───変って言うな」
真心は小声で反撃する。零一のことを言われたら、もう黙っていられなくなったのだ。
「ん? なんだよ、黙ってろよ」
リーダーのやつの拳が腹にぶつかってくる。
「うぁっ」
真心は殴られた痛みでうめき、うずくまってしまう。
そこに、担任が来た。
「なにしてる、授業はじまるぞ」
と、真心を囲んでいた男の子たちは声色を変えた。
「せんせー、とーじょーくんがお腹痛いってー」
「俺たち心配でー」
「わかったから、みんなは教室に戻りなさい」
「はーい」
男の子たちは真心を残し、振り返ることなく、くすくすと笑いながら廊下の先に消えていった。
「とりあえず保健室で休ませてもらいなさい。回復したら教室に戻ってくること。いいな」
担任はそれだけ言って立ち去った。
「·········」
真心は痛みと涙をこらえながら立ち上がり、何事もなかったように教室へ戻った。
* * *
2年生になって1ヶ月。零一は放課後、真心を探していた。真心はここのところずっと元気がなく、「どうしたの?」と訊いても「なんでもないよ」とつらそうに笑うだけで、原因を話してくれない。
なんでもないならそれでいいけど、なにもないのにどうして元気がないんだろう。そう零一は思っていた。
今日、彼はお昼休みから保健室で休み、午後の授業には一度も顔を出さなかった。
それから真心の姿を見たのは帰りの会のときで、一通りのことが終わったらいなくなっていたのだ。
零一は日直で、帰りの会が終わったら黒板をきれいにし、日直表を記入して先生に渡さなければいけない。
ペアの子と分担してひとつひとつこなしていたら、真心を探す時間がなくなっていた。
「おそくなっちゃった」
もう下校しなければいけない。ペアの女の子にさようならを言い、零一は帰路につく。
真心の家には何度か遊びに行き、彼の母親と弟とも仲良しになっているのだが、父親がいない家庭だというので母親は忙しくしている。
真心も弟がまだ幼いので、帰ったら世話をしながら、自分の勉強と母親の手伝いをしている。
「こんな時間に行ったら、迷惑になっちゃうかな······」
真心を探そうとしていたのは、帰りの会で見た彼の表情があまりに暗く、抜け殻のようになっていたからだ。零一は心配になり、しかし声をかけるタイミングを失っていた。
日が傾いていく。東常家へ続く曲がり角で、立ちつくす零一の影も、ゆっくりと伸びていく。
「······明日、学校で会ったら話してみよう······」
零一は、今日は帰ることにした。
帰ってかぁさんに相談しよう、と───。
* * *
翌日。
真心が登校しないまま授業は進み、お昼休みが終わって、5時間目がはじまる直前に、先生がいつもより早く教壇にあがった。
「みんな、これからの授業は中止にする」
なんでー? やったー、との声が、先生の注意で止む。
「······みんなに、伝えなければいけないことがある」
零一は先生の顔色が悪いことに気づいた。変に汗をかいていて、みんなを見ているようで、どこも見ていない目つきだ。
「今日、東常が登校していないが······東常のお母さんからさっき、学校に電話があったんだ」
先生は考えながら話しているのか、言葉が途切れ途切れになる。
「じつは、東常は昨晩、家を出てから······行方不明になっていたんだ」
───え。
零一は一瞬心臓が止まるのを感じた。
みんなもわけが分からず、黙って先生が続けるのを待っている。
「それが、昼に······さっき、見つかった。川で······───亡くなっていたそうだ」
先生は最後のほうはうつむいて、声もくぐもっていた。
クラスの誰もが言葉を失うなか、先生の嗚咽だけが零一の耳に届いていた。
* * *
森とちがって、町には雨が降っていた。
蛇の目傘の下、黒い服を着た零一は、かぁさんの手をつないだまま式場の前で立ちつくす。
〈故 東常真心 葬儀〉
白地に、黒の文字。
次々に会場へ入っていく黒服の人たち。学校のクラスメイトもいる。
中の受付に、真心の母親がいた。うつむいていたがふいに顔を上げ、泣き腫らした目でじっとこちらを見てきた。隣でかぁさんが会釈したが、零一はすこしも動けない。
“葬儀”というものに、言い知れぬ恐怖を感じていたのだ。
この会場に真心はいるのだろう。だが、それは自分の知っている東常真心なのか。
ここに来る前に、かぁさんに訊いていた。「死ぬ」とはなにか。どうなるのか。
───もう会えないと知っても、別れの言葉は何一つ思い浮かばない。
雨が降り続けるなか、かぁさんが言った。
「最後に、会わなくていいのかい?」
零一は静かに聞き返す。
「······最後って、どうして? 真心、生きてないけど、あそこで眠ってるんでしょ?」
「うん······会わないのかい?」
零一はそれに答えず、何も言わないで踵を返した。
目まぐるしく季節が変わっていく間にも、零一は彼が死んでから一度も家や墓に行くことをしなかった。
零一のときは遠回しに行われていたが、真心に対しては直接的なものばかりだった。
面と向かってクラスの男の子たちに脅されたり、真心が仲良くしている零一の悪口まで言ってくる。
「女なのに“レイイチ”ってさ、親が性別間違えちゃったのかって!」
「バカじゃんそんな親。ぶふふっ」
「───でも母ちゃんが言ってたけど、あいつの親って説明会に来てた人だけみたいだぜ」
「え? あのゴキブリみたいなやつ? うわあ、俺んちのババアがカッコイイって言ってたやつだ」
「もしかして連れ子ってやつ? 森ヲ噛の親ってほんとはいないんじゃね?」
「かわいそぉーぅ! わはははは!」
真心を壁に追いやり、そんなやりとりが目の前で行われていた。
真心は多勢に無勢で、内心で反論することしかできず、ずっと無言を続けている。
「実際あいつって目の色変だよな。なんつーか、ガイジン? 黒くないもんな」
真心は零一にはじめて話しかけられたとき、その目の色に驚いて、釘付けになった。晴れた夜のような、キレイな紺色だったのだ。
「名前もそうだし、変なやつー」
「───変って言うな」
真心は小声で反撃する。零一のことを言われたら、もう黙っていられなくなったのだ。
「ん? なんだよ、黙ってろよ」
リーダーのやつの拳が腹にぶつかってくる。
「うぁっ」
真心は殴られた痛みでうめき、うずくまってしまう。
そこに、担任が来た。
「なにしてる、授業はじまるぞ」
と、真心を囲んでいた男の子たちは声色を変えた。
「せんせー、とーじょーくんがお腹痛いってー」
「俺たち心配でー」
「わかったから、みんなは教室に戻りなさい」
「はーい」
男の子たちは真心を残し、振り返ることなく、くすくすと笑いながら廊下の先に消えていった。
「とりあえず保健室で休ませてもらいなさい。回復したら教室に戻ってくること。いいな」
担任はそれだけ言って立ち去った。
「·········」
真心は痛みと涙をこらえながら立ち上がり、何事もなかったように教室へ戻った。
* * *
2年生になって1ヶ月。零一は放課後、真心を探していた。真心はここのところずっと元気がなく、「どうしたの?」と訊いても「なんでもないよ」とつらそうに笑うだけで、原因を話してくれない。
なんでもないならそれでいいけど、なにもないのにどうして元気がないんだろう。そう零一は思っていた。
今日、彼はお昼休みから保健室で休み、午後の授業には一度も顔を出さなかった。
それから真心の姿を見たのは帰りの会のときで、一通りのことが終わったらいなくなっていたのだ。
零一は日直で、帰りの会が終わったら黒板をきれいにし、日直表を記入して先生に渡さなければいけない。
ペアの子と分担してひとつひとつこなしていたら、真心を探す時間がなくなっていた。
「おそくなっちゃった」
もう下校しなければいけない。ペアの女の子にさようならを言い、零一は帰路につく。
真心の家には何度か遊びに行き、彼の母親と弟とも仲良しになっているのだが、父親がいない家庭だというので母親は忙しくしている。
真心も弟がまだ幼いので、帰ったら世話をしながら、自分の勉強と母親の手伝いをしている。
「こんな時間に行ったら、迷惑になっちゃうかな······」
真心を探そうとしていたのは、帰りの会で見た彼の表情があまりに暗く、抜け殻のようになっていたからだ。零一は心配になり、しかし声をかけるタイミングを失っていた。
日が傾いていく。東常家へ続く曲がり角で、立ちつくす零一の影も、ゆっくりと伸びていく。
「······明日、学校で会ったら話してみよう······」
零一は、今日は帰ることにした。
帰ってかぁさんに相談しよう、と───。
* * *
翌日。
真心が登校しないまま授業は進み、お昼休みが終わって、5時間目がはじまる直前に、先生がいつもより早く教壇にあがった。
「みんな、これからの授業は中止にする」
なんでー? やったー、との声が、先生の注意で止む。
「······みんなに、伝えなければいけないことがある」
零一は先生の顔色が悪いことに気づいた。変に汗をかいていて、みんなを見ているようで、どこも見ていない目つきだ。
「今日、東常が登校していないが······東常のお母さんからさっき、学校に電話があったんだ」
先生は考えながら話しているのか、言葉が途切れ途切れになる。
「じつは、東常は昨晩、家を出てから······行方不明になっていたんだ」
───え。
零一は一瞬心臓が止まるのを感じた。
みんなもわけが分からず、黙って先生が続けるのを待っている。
「それが、昼に······さっき、見つかった。川で······───亡くなっていたそうだ」
先生は最後のほうはうつむいて、声もくぐもっていた。
クラスの誰もが言葉を失うなか、先生の嗚咽だけが零一の耳に届いていた。
* * *
森とちがって、町には雨が降っていた。
蛇の目傘の下、黒い服を着た零一は、かぁさんの手をつないだまま式場の前で立ちつくす。
〈故 東常真心 葬儀〉
白地に、黒の文字。
次々に会場へ入っていく黒服の人たち。学校のクラスメイトもいる。
中の受付に、真心の母親がいた。うつむいていたがふいに顔を上げ、泣き腫らした目でじっとこちらを見てきた。隣でかぁさんが会釈したが、零一はすこしも動けない。
“葬儀”というものに、言い知れぬ恐怖を感じていたのだ。
この会場に真心はいるのだろう。だが、それは自分の知っている東常真心なのか。
ここに来る前に、かぁさんに訊いていた。「死ぬ」とはなにか。どうなるのか。
───もう会えないと知っても、別れの言葉は何一つ思い浮かばない。
雨が降り続けるなか、かぁさんが言った。
「最後に、会わなくていいのかい?」
零一は静かに聞き返す。
「······最後って、どうして? 真心、生きてないけど、あそこで眠ってるんでしょ?」
「うん······会わないのかい?」
零一はそれに答えず、何も言わないで踵を返した。
目まぐるしく季節が変わっていく間にも、零一は彼が死んでから一度も家や墓に行くことをしなかった。
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