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惨劇のお留守番
1.お菓子の誘惑とヌーッティ
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八月も終わりの頃、アキは祖母と一緒にオペラを観に行くことになっていた。
演目はワーグナーのワルキューレ。祖母の知り合いがそのオペラに出演するとのことで、チケットを二枚もらっていたのだ。
そこで、祖母はアキを伴って観に行くことにしたのである。
だが、そこで問題は起こった。
「ヌーも一緒に行くヌー!」
ヌーッティの存在であった。
オペラ鑑賞のことを言うやいなや、ヌーッティは駄々をこね始めた。
「オペラにはお菓子もいっぱいあるってアレクシが言ってたヌー!」
どうやら、ヌーッティは、小休憩に食べられるケーキなどのお菓子がオペラを観れば食べ放題になると勘違いしているようであった。
アキはため息をひとつ。
「あのなぁ、オペラはお菓子の食べ放題じゃないんだぞ?」
至極当たり前のことであるが、食い意地の張ったヌーッティにそんな説得は通用しない。
「でも、アキはきっとケーキを食べてくるヌー! ケーキの食べられないヌーはかわいそうな小熊の妖精さんだヌー」
ヌーッティは大きなおなかを撫でながら嘆願するように、アキを説得しようとした。
そこへ、事態を見かねたトゥーリが歩み寄ってきた。
「今なら天龍稲妻落としを仕掛けられるよ? どうする?」
なぜ、トゥーリが日本のプロレス技を熟知しているのか疑問に思ったアキであるが、
「物理攻撃はだめ。とにかく、ヌーッティはトゥーリとお留守番!」
「やだヌー! ヌーもオペラにお菓子を食べに行くヌー!」
オペラを何だと思っているのかとアキとトゥーリは思ったが、これ以上の説得は平行線でしかないと、アキは判断した。そこで、妙案をひとつ思いついた。
「それじゃあ、ハンナの家に泊まりに行くのは?」
「お泊りヌー?」
寝転んで駄々をこねていたヌーッティは上体を起こす。
「そう。お菓子を持ってハンナの家にお泊り。友だちの家に泊まるのは面白いよ」
「お菓子を持って? どのくらい?」
ヌーッティにとってはお菓子の量は死活問題である。確認しなければならない必須事項。
「ビスケット十箱に、ラクリッツのグミ十袋。あとは、ハンナと一緒に食べるレットゥを五パックに、お手製のいちごジャム一瓶。どう?」
お菓子の羅列にヌーッティの目がさんらんと輝いたのをアキは見逃さなかった。
とりわけ、最近のヌーッティはレットゥブームが来ているのをアキは知っていた。
レットゥとはクレープのような薄い生地のフィンランド風パンケーキである。ジャムやクリームを添えたり、あるいは砂糖をまぶしたりして食べる子どもから大人まで人気のおやつである。
ヌーッティの口からよだれが垂れた。
アキはにやりとうっすらと笑みを浮かべた。
「そ、そういうことならしかたないヌー。ハンナのおうちに泊まってレットゥ・パーティをするヌー」
ものの見事にヌーッティは釣られた。
それを見たトゥーリは目を細めて呆れていた。
アキは急いでハンナに電話をかけ、事情を説明した。
『いいよ、一泊くらいなら。わたしもヌーッティとトゥーリと一緒に過ごしてみたかったんだー』
電話口のハンナは楽しそうな口調で、アキの提案を受諾した。
こうして、ヌーッティとトゥーリは初めてお泊まり会をすることになった。
数分後、身支度を整えたアキは一足先に家を出た。ヌーッティとトゥーリをハンナの家に届ける必要が生じたのゆえである。
ハンナの家のあるアパートの前に着いたアキは、両手に持った荷物を一旦地面に置き、アパートの入り口の壁面にあるインターフォンの「Anttonen」を押す。
しばらくしてから、「どなたですか?」と女性の声が聞こえてきた。
「アキです。ハンナ、いますか?」
『あら、アキくん! 今、鍵を開けるから入って入って!』
インターフォン越しに聞こえてきた女性、ハンナの母親がオートロックを解錠した。
アキはドアを引き開けて中に入ると、ホールの左手側にクラシックなエレベーターがひとつ。エレベーターの柵状になっている外側の扉を引いて、中の格子状の扉を横にスライドさせ、アキは中へ乗り込んだ。
鍵を内側からかけて、回数を押すとエレベーターが動き出した。
外側が丸見えのエレベーターに乗って五階まで上がると、エレベーターは動きを止めた。
エレベーターを降り、短い通路を進むと「Anttonen」と書かれた標識のドアがあった。
すると、内側から鍵を開ける音が聞こえ、ドアが開いた。
「アキくん! ひさしぶりね! 少し大人びた?」
亜麻色のショートヘアの女性が顔を出した。ハンナの母アンニッキである。
アンニッキの後ろからぱたぱたと駆けてくる足音が聞こえた。
すると、アンニッキの背後から小柄な背丈のハンナがひょこっと現れた。
「待ってたよ! もう、お母さん、ちょっとどいてよ!」
ハンナは母を押しのけるように前へ出た。
「アキは荷物を渡しに来ただけなんだよ」
アンニッキはくすくすと笑った。
「はいはい。お邪魔な私は中に入ってますよ」
ぽんぽんとハンナの頭を撫でるように軽く叩いて、アンニッキは部屋の中へと戻っていった。
「それで、トゥーリとヌーッティは?」
母親が居間へと入っていったのを確認してからハンナはアキに本題を振った。
「ここにいるヌー!」
ヌーッティとトゥーリはアキの来ているジップアップのフードの中からひょこひょこと出てくる。
ハンナは手を前へ出してふたりを受け取る。
「悪いけど、今夜だけふたりの面倒を看てくれる?」
アキは両手に持った荷物をハンナの家の玄関に置いた。
「お安い御用だ。一晩くらいどうってことないよ。ところで、この荷物は?」
「三人で食べられるようにお菓子を持ってきた。こっちの袋には焼き立てのレットゥが入っているから。けど、本当に平気?」
アキは心配そうな面持ちを浮かべながら、ハンナを見た。
「大丈夫だって。そんなに心配しないでよ」
「なら、いいんだけど……」
こうして、トゥーリとヌーッティとお菓子がたくさん詰まった袋を置いて、アキはその場をあとにした。
ハンナと、ハンナに抱き抱えられているトゥーリとヌーッティは手を振って見送った。
だが、一体誰がこのあと起こる事態を予測できたであろうか?
アキも、ハンナも、トゥーリも予見できなかった。ヌーッティの身に惨劇が降りかかることを。
「ハンナのおうちにお泊りで、おやつもいっぱい食べられるなんて幸せだヌー♡」
このていたらくでいられるのも数時間を切っていたのであった。
演目はワーグナーのワルキューレ。祖母の知り合いがそのオペラに出演するとのことで、チケットを二枚もらっていたのだ。
そこで、祖母はアキを伴って観に行くことにしたのである。
だが、そこで問題は起こった。
「ヌーも一緒に行くヌー!」
ヌーッティの存在であった。
オペラ鑑賞のことを言うやいなや、ヌーッティは駄々をこね始めた。
「オペラにはお菓子もいっぱいあるってアレクシが言ってたヌー!」
どうやら、ヌーッティは、小休憩に食べられるケーキなどのお菓子がオペラを観れば食べ放題になると勘違いしているようであった。
アキはため息をひとつ。
「あのなぁ、オペラはお菓子の食べ放題じゃないんだぞ?」
至極当たり前のことであるが、食い意地の張ったヌーッティにそんな説得は通用しない。
「でも、アキはきっとケーキを食べてくるヌー! ケーキの食べられないヌーはかわいそうな小熊の妖精さんだヌー」
ヌーッティは大きなおなかを撫でながら嘆願するように、アキを説得しようとした。
そこへ、事態を見かねたトゥーリが歩み寄ってきた。
「今なら天龍稲妻落としを仕掛けられるよ? どうする?」
なぜ、トゥーリが日本のプロレス技を熟知しているのか疑問に思ったアキであるが、
「物理攻撃はだめ。とにかく、ヌーッティはトゥーリとお留守番!」
「やだヌー! ヌーもオペラにお菓子を食べに行くヌー!」
オペラを何だと思っているのかとアキとトゥーリは思ったが、これ以上の説得は平行線でしかないと、アキは判断した。そこで、妙案をひとつ思いついた。
「それじゃあ、ハンナの家に泊まりに行くのは?」
「お泊りヌー?」
寝転んで駄々をこねていたヌーッティは上体を起こす。
「そう。お菓子を持ってハンナの家にお泊り。友だちの家に泊まるのは面白いよ」
「お菓子を持って? どのくらい?」
ヌーッティにとってはお菓子の量は死活問題である。確認しなければならない必須事項。
「ビスケット十箱に、ラクリッツのグミ十袋。あとは、ハンナと一緒に食べるレットゥを五パックに、お手製のいちごジャム一瓶。どう?」
お菓子の羅列にヌーッティの目がさんらんと輝いたのをアキは見逃さなかった。
とりわけ、最近のヌーッティはレットゥブームが来ているのをアキは知っていた。
レットゥとはクレープのような薄い生地のフィンランド風パンケーキである。ジャムやクリームを添えたり、あるいは砂糖をまぶしたりして食べる子どもから大人まで人気のおやつである。
ヌーッティの口からよだれが垂れた。
アキはにやりとうっすらと笑みを浮かべた。
「そ、そういうことならしかたないヌー。ハンナのおうちに泊まってレットゥ・パーティをするヌー」
ものの見事にヌーッティは釣られた。
それを見たトゥーリは目を細めて呆れていた。
アキは急いでハンナに電話をかけ、事情を説明した。
『いいよ、一泊くらいなら。わたしもヌーッティとトゥーリと一緒に過ごしてみたかったんだー』
電話口のハンナは楽しそうな口調で、アキの提案を受諾した。
こうして、ヌーッティとトゥーリは初めてお泊まり会をすることになった。
数分後、身支度を整えたアキは一足先に家を出た。ヌーッティとトゥーリをハンナの家に届ける必要が生じたのゆえである。
ハンナの家のあるアパートの前に着いたアキは、両手に持った荷物を一旦地面に置き、アパートの入り口の壁面にあるインターフォンの「Anttonen」を押す。
しばらくしてから、「どなたですか?」と女性の声が聞こえてきた。
「アキです。ハンナ、いますか?」
『あら、アキくん! 今、鍵を開けるから入って入って!』
インターフォン越しに聞こえてきた女性、ハンナの母親がオートロックを解錠した。
アキはドアを引き開けて中に入ると、ホールの左手側にクラシックなエレベーターがひとつ。エレベーターの柵状になっている外側の扉を引いて、中の格子状の扉を横にスライドさせ、アキは中へ乗り込んだ。
鍵を内側からかけて、回数を押すとエレベーターが動き出した。
外側が丸見えのエレベーターに乗って五階まで上がると、エレベーターは動きを止めた。
エレベーターを降り、短い通路を進むと「Anttonen」と書かれた標識のドアがあった。
すると、内側から鍵を開ける音が聞こえ、ドアが開いた。
「アキくん! ひさしぶりね! 少し大人びた?」
亜麻色のショートヘアの女性が顔を出した。ハンナの母アンニッキである。
アンニッキの後ろからぱたぱたと駆けてくる足音が聞こえた。
すると、アンニッキの背後から小柄な背丈のハンナがひょこっと現れた。
「待ってたよ! もう、お母さん、ちょっとどいてよ!」
ハンナは母を押しのけるように前へ出た。
「アキは荷物を渡しに来ただけなんだよ」
アンニッキはくすくすと笑った。
「はいはい。お邪魔な私は中に入ってますよ」
ぽんぽんとハンナの頭を撫でるように軽く叩いて、アンニッキは部屋の中へと戻っていった。
「それで、トゥーリとヌーッティは?」
母親が居間へと入っていったのを確認してからハンナはアキに本題を振った。
「ここにいるヌー!」
ヌーッティとトゥーリはアキの来ているジップアップのフードの中からひょこひょこと出てくる。
ハンナは手を前へ出してふたりを受け取る。
「悪いけど、今夜だけふたりの面倒を看てくれる?」
アキは両手に持った荷物をハンナの家の玄関に置いた。
「お安い御用だ。一晩くらいどうってことないよ。ところで、この荷物は?」
「三人で食べられるようにお菓子を持ってきた。こっちの袋には焼き立てのレットゥが入っているから。けど、本当に平気?」
アキは心配そうな面持ちを浮かべながら、ハンナを見た。
「大丈夫だって。そんなに心配しないでよ」
「なら、いいんだけど……」
こうして、トゥーリとヌーッティとお菓子がたくさん詰まった袋を置いて、アキはその場をあとにした。
ハンナと、ハンナに抱き抱えられているトゥーリとヌーッティは手を振って見送った。
だが、一体誰がこのあと起こる事態を予測できたであろうか?
アキも、ハンナも、トゥーリも予見できなかった。ヌーッティの身に惨劇が降りかかることを。
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