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第二章 ローウェルの常連さん

04 魔法が使えない!?

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「……前置きが長くなってしまいましたね。そろそろ本題、リッカさんの家庭教師の話に入りましょうか」

 ルートヴィヒ先生にそう言われて、わたしは慌てて姿勢を正した。

「そうでした。脱線させちゃってすみません」
「構いません。リッカさんの性格や思考のクセを知る、良い機会でした。
 ……さて。私がリッカさんに教えるのは、一通りの教養と最低限の運動技能です。オブシディアン様の頃は、運動に関しては外部に委託しておりましたが、リッカさんは病み上がりで体力も皆無とのことですので、ひとまずは私やセラと城内を散歩する辺りから始めましょう。第一分家オーアの庭園でぶっ倒れたと聞いた時は驚きました」
「……はひ……」

 わたしも、自分の体力の無さには驚いたよ。

「座学の実力は、事前に解答頂いた分である程度把握させて頂きました。ですので、次は実技の実力を見せてください」

 ルートヴィヒ先生は淡々と言うものの……。

「……あの、実技って、何でしょう?」
「もちろん、魔法の実技ですが?」
「……ですよねー」

 だってここ、≪魔法使いだけの国≫ですもんねー。

「さぁ」とルートヴィヒ先生は机の上を示しているが、何だよその仕草は、魔法陣をそこに描けと言うのかな? 無理だよ?

「……あの、ルートヴィヒ先生。すみません」

 とそこで、しばらく離れたところでわたしたちの様子を見守っていたセラが、見かねたように助け舟を出してくれた。

「魔法に関しては、リッカお嬢様はこれまで殆ど触れたことが無いのです。魔法の行使には、どうしても生命力を必要としますよね? その生命力の流出に、お嬢様の身体は耐えられないという判断をした次第でございます」
「生命力の流出って……そんなの、微々たるものですよ?」
「その微々たるものだとしても、リッカお嬢様にとってすれば甚大だったのですよ」
「マジですか……」

 そんなこともあるんですねと、ルートヴィヒ先生は大きなため息をついていた。
 でも確かに、手術前の身体は歩くことすらしんどかったもんな……。呼吸もキツくて、手足はずっと冷たいままで、身体に全然酸素が巡ってない心地がしていたものだ。実際その通りだったわけだけど。

「でしたら、精霊の絵本も魔法陣の入門書も読んだことがないってことですよね? ならば、あのペーパーテストの悲惨な成績も納得が行きます。今日び、三歳の子供ですら親の魔導書を読み、何となくで魔法を発動させるというのに……」

 わたし、この国においては三歳の子供以下だったらしい。ちょっと、いや、だいぶ凹む事実だ。
 内心凹んでいるわたしを尻目に、ルートヴィヒ先生はわたしの部屋をぐるりと見渡しながら、何やら得心顔で頷いている。

「本棚も、見様見真似で子供が実践できるような類の書物は大抵排除されてるんですね。さすがセラ、管理は万全です」
「リッカお嬢様の健康をお守りすることを史上の命と考えていますから。数ヶ月ほど前にお嬢様が『魔法を学んでみたい』と仰り始めたときは、心底肝が冷えましたけど」
「なるほど。では、リッカさんはこれまで一度も魔法を使ったことがないんですね」
「一回はあります! 一回!」

 慌てて口を挟んだ。
 ローウェル病院で、わたしの手術用具に許可を出す魔法を使ったのも、一応は『魔法を使った』と言っていいはずだ。もっとも、魔法陣はセラが描いた滅茶苦茶複雑なものだったから、一から自分でとは言い難いけれど。

 わたしの言葉に、ルートヴィヒ先生は怪訝な顔をした。

「ハァ? 魔法を使ったら命が危険に晒される状況で、一体いつ、どうやって使ったんですか?」
「それは、その、少々深く混み入った事情がありまして……」

 魔法使いが手術を受ける上でのあれそれをルートヴィヒ先生に説明すると、ルートヴィヒ先生は顔を顰めて「……よくもまぁ、本家直系のお嬢様に対し、そんな大それたことを」と横目でセラを見る。
 セラは澄ました顔で一歩下がると、ロングスカートの裾を摘んで優雅に礼を執った。
 ……やっぱり、セラのアレは一般的には『暴挙』と呼ばれるものだったんだね。緊急だったとは言え、父もシギルもいない時の唯一の大人としての独断だったわけだし。

「……ハァ。なるほど、ひとまず状況は理解しました。……あの、確認なのですが。今はもう、魔法を使ったら死にかける、なんてほどではないのですよね?」
「大丈夫ですよ! もうわたし、すっかり元気になったので! 以前は四日に一日は寝込んでいましたが、今は一週間も寝込まずに過ごせるようになったんですよ!」

 わたしは「すごいですね、リッカさん」と言ってもらえることを期待していたのだが、実際のルートヴィヒ先生は「うわぁ」と引き気味の顔をした。不本意である。
 ……兄やシリウス様は「すごいな」と言ってくれたのに!

「セラ、本当に、本当に、リッカさんに魔法を教えても大丈夫ですか? 私嫌ですよ、本家直系のお嬢様が私の指導のせいで死んだなんてことになったら。今度こそ姉上に殺されますし、きっと晒し首にされます」
「その場合は私も同罪として処刑されるかと思いますが、リッカお嬢様のために死ぬ覚悟はとうの昔に出来ております。ルートヴィヒ先生も、どうか覚悟はお早めに」
「ぜ、善処します」
「しなくていいよ!? そんな覚悟一生要らないから!!」

 元気だって言ってるでしょうが! 信用ないなわたし!

 むぅっとするわたしを尻目に、ルートヴィヒ先生は真剣な顔で「魔法より先に体力を付ける訓練をした方が良いでしょうか……半年ほど……」と検討し始めた。

 リッカ・ロードライトが九条六花の記憶を取り戻したのが去年の秋だ。この世界には『魔法』と呼ばれる不思議な力があり、そして自分もその不思議な力が扱えると知って、既に半年が経っている。
 お分かりだろうか。これだけの期間、わたしはずっとお預けを食らっていたようなものなのだ。これから更に半年の追加は要らない。

 半年前に比べると、わたしの体調は格段に良好になったのだ。
 そりゃ、これまで八年間、ずっとベッドの上でじっとする生活をしていたものだから、体力は人並み外れて全然無い。でも、少しずつご飯は食べられるようになって来たし、突然胸が痛くなることも無くなったし、いくら暖めても冷たいままだった手足も、最近では普通の温もりを帯びるようになってきた。もうHP赤ゲージのまま、そろそろと慎重に生きないといけない縛りプレイの時間は終わったのだ。

「……分かりました。リッカさんの言葉を信じましょう」

 深々とため息をついた後、ルートヴィヒ先生は、今度は一枚の紙を取り出した。A4より少し大きいくらいの、正方形の白い紙だ。ルートヴィヒ先生はそこに、二重の円と逆三角形、そしていくつかの文字を書き記していく。
 ……おぉ、魔法陣だ。

 わたしにもう一枚の紙を渡したルートヴィヒ先生は、自分の魔法陣を手本にわたしに描いてみるように言う。
 見様見真似で初めて描いた魔法陣は、円がなんだかガタガタしていてぎこちない。ルートヴィヒ先生が描いたものと見比べると、粗がいっぱいだ。
 ……よくもあんなに正確な円を描けるよね。改めて尊敬しちゃうよ。
 ルートヴィヒ先生はわたしが描いた魔法陣を点検しては「初めて描いたにしては、上出来です」と褒めてくれた。

「魔法を行使したことがあるとお聞きしたので、既にご存知のことかもしれませんが。今一度念のため、魔法の発現方法についてご説明しますね。
 この世界では、目には見えない『エーテル』というものが存在します。魔力を持つ者が、空気中に漂う第五元素『エーテル』に意志を伝えて『対価』を渡す。意志を伝えられた『エーテル』は、受け取った『対価』に応じて超常的な現象、すなわち『魔法』をこの世に発現させる。このようなサイクルとなっています」

 この辺りは、兄が以前説明してくれた通りだ。こくりと頷いたわたしを見て、ルートヴィヒ先生は更に続ける。

「エーテルは空気中に漂っており、時として『第五元素』と呼ばれることもあります。『第五』ということで、他の四種は? と思われるかもしれませんね。それらは『四大元素』、万物を形作る地・水・火・風、四つの元素のことを指します。
 四大元素は、それぞれ四大の精霊が司っています。第五元素エーテルは、我々魔法使いと四大元素の仲介をする役目です。本家城にも礼拝堂がありますよね? あの礼拝堂は、四大の精霊を祀っているのですよ」

 ルートヴィヒ先生の説明で、やっとこの国の宗教がおぼろげに理解できた。つまりこの国は、精霊を万物の創造主と定めているのか。日本人的価値観が抜け切れないわたしとしては、一神教より馴染みやすくて助かる。
 ついでに、地水火風の精霊は四大精霊として敬われているのに、エーテルだけは人間と四大精霊の間を仲介するパシリ役で、一番頑張ってるのに敬われてないのは可哀想だなぁと何となく思った。

「魔法陣とは、エーテルに意志を伝えるための『ことば』です。図形一つ、文字の一つに意味があるため、きちんと覚えて使いこなせるようになって頂きます」

 そう言いながら、ルートヴィヒ先生は、わたしが描いた魔法陣の真ん中に空のコップをコトリと置いた。

「今描いて頂いた魔法陣は、水を出現させる魔法陣となります。リッカさん、この魔法陣に手を触れて、魔力を流して頂けますか?」
「……はい」

 緊張しながらも、そうっと手を伸ばした。魔法陣に、慎重に指を触れさせる。
 魔法陣への魔力の流し方は憶えている。意志を届けるようなイメージで、身体の中心にある魔力を指先から送り出せば良かったはずだ。するすると魔力が引き出されていった感覚は記憶に新しい。

 むしろ魔力の流し方よりも気がかりなのは、生命力の流出の方だ。さっきはルートヴィヒ先生にあぁ言ったけど、本当に大丈夫なのかはわたしにだって分からない。
 確かに、以前より断然元気になったと思うんだけど……どのくらい元気であれば十分なのだろう? ルートヴィヒ先生は、魔法を行使する上での生命力を「微々たるもの」と表現したものの、その微々たるものでも以前のわたしにとっては致命的だったわけで……うーん……。

 まぁいい。悩んでいても始まらないし、ヤバそうだったら途中で止めればいい話だ。わたしは途中で思考を切り上げ、目の前の魔法陣に意識を集中させる。
 一分が経ち、二分が経った。そして――

「…………、あれぇ?」

 しかし、なにも起こらない。
 眉を下げたままルートヴィヒ先生を見上げ、助けを乞う。ルートヴィヒ先生は首を傾げながらも、もう一度魔法陣を点検しては「何も問題はなさそうですけどね」と呟いた。

「あの、以前魔法を使ったときは、身体の内側にある何かが指先を伝って吸い取られていくような、そんな心地がしたんです。でも今は、そんな感じが全然しないというか……内側で堰き止められているような感じがします」

 そんなわたしの言葉に、ルートヴィヒ先生は口元を手で覆いながら視線を彷徨わせた。

「……リッカさんが以前魔法を使ったときって、国外で手術を受ける前、ですよね。その前後で状況が変わったのだとしたら。……魔法使いの魔力は血に宿ります。心臓は血液を循環させる重要な臓器ですし、その部分に人の手が加えられたことで、何か思いもよらぬことが引き起こされたのかもしれません」

 あ……! そうか、手術……。
 手術の過程で、わたしは一度心臓も止めているし、輸血だって受けている。魔力が血に宿るというのなら、その部分に思いっきり干渉を受けている形になるのだ。手術の前後で、何かが変わってしまっていてもおかしくはない。

 セラは血の気が引いた顔のまま、ルートヴィヒ先生に問いかける。

「……と、言うことは? もしかしたらお嬢様は、魔法が使えなくなってしまっているということでしょうか?」

 セラの言葉に、ハッとした。
 そうだ、この国は≪魔法使いだけの国≫。魔法使いであることが、国民であるための条件のはずだ。
 わたしを呪った相手、ヨハン・ワイルダーのことを思い出す。確か彼は、この国で生まれたにも関わらず魔力がない人間で、『お披露目の儀』の時も精霊に認められなかった。我が子を手放したくなかった彼の両親が、精霊を騙して無理矢理この国の者だと認めさせたのだ。反対に、国外で普通の人として生まれたシリウス様も、魔力があるということで、家族と離され一人この国に連れてこられた。魔力の有無は、ラグナルの国民として生きる上で第一条件なのだ。

 どうしようと、それだけが頭の中をぐるぐると回る。心臓がドキドキと早鐘を打って、何だか少し痛むような心地がした。
 今、国外に放り出されたら、兄と離れ離れになってしまう。兄だけじゃなく、シリウス様とも、セラとも、父やシギルや皆とも。
 わたしはもう、この世界に愛着を持ってしまった。
 ……離れたく、ないな。

 ルートヴィヒ先生はしばらく黙っていたが、やがて机の上に手を翳した。紙とコップが一瞬で消え、ついでに筆記具も元あった場所まで戻っていく。思わず目を瞬かせていると、空になった机の上に、今度は六角形の黒い箱のようなものを出現させた。
 ……ルートヴィヒ先生、今、魔法陣を描くことなく魔法を使ったの?
 そんなことができる人を雪の女王以外で初めて見たので、少し驚いてしまう。魔法陣なしで魔法が使えるのは、相当の熟練者だけだと聞いていたものだから、余計に。

「リッカさん、少し血をくださいね」

 そんなおざなりな言葉と共にわたしの手首を取ったルートヴィヒ先生は、そのまま針のようなものでわたしの指をチクリと突いた。ひぅっと息を呑むわたしを尻目に、ルートヴィヒ先生はわたしの血を六角形の真ん中へと押し付ける。
 瞬間、黒かった箱がパァッと明るく輝いた。

「わ!?」

 見る見る間に、六角形の各頂点に向かって、赤、青、緑、黄、白、紫の色がそれぞれ伸びていく。なんだか模試で見たレーダーチャートみたいだなと思っていると、ルートヴィヒ先生は満足げに微笑んだ。

「安心してください、リッカさん、セラ。リッカさんの魔力は無くなったわけではないようです。……ただ何処かで魔力が阻害されているようなので、その原因と対処を考えないといけませんが」

 六角形の箱を見下ろしながら、ルートヴィヒ先生はそう告げる。その言葉に、わたしもセラもひとまずホッと胸を撫で下ろした。
 いや本当に、魔力がなくなっちゃってたらどうしようかと思ってたよ。今度からは本気で精霊にお祈りしようかな。

 ……しかし。ルートヴィヒ先生の笑った顔を初めて見たけど、笑うと気弱そうな部分が消えて、華やかかつ底の知れない魔王っぽい面になる。いつも胡散臭い笑顔を貼り付けているシギルとは真逆のタイプだなぁと、頬を引き攣らせながら考えていた。
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