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第二章 ローウェルの常連さん

03 本家と分家

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「それでは、私はこれで失礼します。ルートヴィヒ様がリッカ様方にご迷惑をお掛けした件につきましては、我が主人にきっちりとお伝えしておきますので、その旨ご承知おきくださいませ」
「うぁい……」

 シギルの言葉に、ルートヴィヒ先生は死にそうな声を漏らした。わたしは苦笑しては「シギル、いつもありがとうね」と労う。

「何てことはございませんよ、リッカ様。またいつでも気軽にお申し付けくださいませ」

 そう微笑んで一礼したシギルは、そのまま仕事へと戻って行った。決して暇ではないだろうに、いつもながらありがたい。

「それでは、改めまして……はじめまして、リッカ様」
「はじめまして、ルートヴィヒ先生。これからよろしくお願いします」

 場所をわたしの部屋に移すと、わたしとルートヴィヒ先生は改めて挨拶し合った。セラは少し離れた位置で、わたしたちのことを見守っている。
 ルートヴィヒ先生が軽く頭を押さえていたのを見て、わたしは思わず口を開いた。
 
「先生、あの、さっき床にぶつけたところは大丈夫ですか……?」
「多少痛みはしますが、リッカ様が気にされる必要はありませんよ……シギルも手加減はしてくれていますし」
「そ、そうですか……」
 
 あれ、一応手加減してあったのね。わたしには分からなかったや。
 わたしの表情を読み取ったのか、ルートヴィヒ先生は表情を緩めて肩を竦めた。

「彼奴とは、学校でも同期だったんです。知らない仲ではありませんので、悪しからず」
「あ、そうだったんですね」

 確かに、歳は近そうだと思ったんだ。同期であってもおかしくはない。
 ……シギルの学生時代か……あんまり想像できないな……。

「……あの。ルートヴィヒ先生って、ご職業は何なのですか?」

 まずは、わたしもルートヴィヒ先生のことを知りたい。これから先関わっていく人なのだし。
 そんなわたしの問いかけに、ルートヴィヒ先生は「そうですね」と一旦ゆるく目を伏せ、口を開いた。

「自称無職です。確固たる自由意志の元、無職を名乗っています」

 ……おおぅ……。

「じ、自称、なんですね」
「実際に無職だと、第一分家の恥と言われて姉上に絞め殺されかねないので、一応は私塾を週三で開いてはいますよ。後は、このように依頼されて家庭教師をしたり、物を書いて雑誌に投稿したり、第一分家に手を貸したり……普段やってることはそんなところです」
「全然無職感がないですね」
「リッカ様の家庭教師のお仕事も行うことになってしまったので、よく考えると普通に忙しかったですね」
「お休みの日がなくなっちゃったじゃないですか」

「困りましたね」とルートヴィヒ先生は言うも、あんまり困っているように感じないのはわたしだけだろうか?

「それでは、今日は私が担当する範囲について、簡単にお話させていただきたく思います。リッカ様のことに関しても、色々とお話くださいませ」
「あ、その前に一つ、いいですかっ?」

 ビシッと手を挙げた。ルートヴィヒ先生は軽く目を瞠ると「どうぞ」と頷く。

「わたしへの『様』付けなんですけど、これ、止めませんか? 正直、教えていただく先生から『リッカ様』と言われていると、なんだかお尻がムズムズするんです」

 セラやシギルから「お嬢様」「リッカ様」と呼ばれるのにはもう慣れた。でも、「先生」というのは、一応は「生徒」よりも立場が上なはずだ。

「先生のお姉さんであるダリアも、姪であるミラも、わたしのことは『リッカ』と呼んでくれていましたし。正直、初対面の人からの様付けには未だに慣れません。……わたし、そんな大層な人間じゃないです」

 ルートヴィヒ先生は「はぁ」と、何を考えているのかよく分からない相槌を打った。

「……でしたら、これからはリッカさんとお呼びしましょうか」
「それで、お願いします」

「リッカさん、リッカさん、リッカさん」と、ルートヴィヒ先生は確かめるように口ずさむ。うん、『様』付けよりはずっと落ち着く響きだ。
 こくりこくりと頷いていると、ルートヴィヒ先生は藍の瞳を少しばかり面白そうに揺らした。
 
「リッカさんは病弱でしたからね。基本的には、この城の者としか関わりがなかったのでしょう。本家分家についても疎いと見えます」
「う……その通りです」
 
 正確には、この城の中でもわたしと関わったのは更にほんのひと握りって感じだけど。

「それでは、少しばかり私の側から解説しましょうか。ロードライト内部の序列に関しては、早めに頭に叩き込んでおいた方が良いでしょう」
「よろしくお願いします!」
 
 願ってもない申し出に、わたしは勢いごんで頭を下げた。「あ」と、ルートヴィヒ先生は、今のわたしの行為に咎めるような目を向ける。
 
「……まずはここから、ですかね。リッカさん、この先の話にも繋がりますが、貴女は本家直系の令嬢です。頭を下げる行為は従属の証でもある。本家ではよく見る行為であることに違いはありませんが……ですから貴女も真似をしてしまうのでしょうが、元来貴女は頭を下げる立場の者ではありません。次回からはお気をつけください」
「……気をつけます……」
 
 六花わたしだって、海外では日本と違って頭を下げる文化がないことくらいは知っていた。でも、リッカとして生まれ変わった後も、本当に良く見る行動だったから……つい、釣られちゃうんだよね。さっきもシギルが一礼して戻って行ったし。馴染み深いよぉ。

 小さく息を吐いて、ルートヴィヒ先生は荷物から黒い板のようなものを取り出した。その板の表面に手のひらを押し当てれば、魔法陣が浮かび上がって、バックライトを灯したように片面だけが白く浮かび上がる。
 この板は電子ノートのような代物のようだ。ルートヴィヒ先生は胸ポケットからペンを取り出すと、キャップを外して板にさらさらと書き込み始めた。
 ……え、何それ。格好いい。わたしも欲しい。

「……フェアな説明をしようとは思っていますが、あくまでも、私の視点……ルートヴィヒ・ロードライトの視点から見たものであることは、ご承知おきください。実態はリッカさんの目で確かめてくださればと思います。他人の言葉を鵜呑みにするのは良くないことなので」

 そんな長い前置きの後、ルートヴィヒ先生は口を開く。

「ロードライトは本家の他に、五つの分家を持っていることはご存知ですよね。金融や錬金術に強い第一分家オーア。軍事と魔獣学に特化していた第二分家ギュールズ。魔法工学の第三分家アジュール。治癒術と魔法薬学に長けた第四分家ヴァート。そして星見と占いが持ち味の第五分家パーピュア。ロードライトは一つの本家と五つの分家で構成されており、我々はその所属をピアスの色で見分けています」

「第二分家が壊滅したので今は四つの分家ですが」と言いながら、ルートヴィヒ先生は『第二分家』と書いた上から大きくバツ印を付けた。

「……ご存知かもしれませんが、第六分家セイブルに関しては、今は少し傍に置いておくとしますね」

 ふと扉の方を見つめたルートヴィヒ先生は、思い出したようにそう呟いた。第六分家は秘匿された分家だと、そうシギルは言っていた。異論はないのでただ頷く。

「ラグナルに貴族制度はありませんし、原則として、人々の身分は皆平等だと定められています。ですが、ことロードライトにおいては、民は平等ではございません。リッカさんも、本家がトップで分家はその下だという認識はお有りですよね。加えて各分家の中でも、分家当主を頂点としたヒエラルキーが存在しています。分家当主が最上位で、次期当主が次、そして当主の直系、更に傍系が続きます」

 それはわたしも、周囲の雰囲気から感じ取っていたものだ。

「分家間の序列は、基本的には横並びとされています。本家から見れば分家衆は皆が格下なため、リッカさんには大差ないかもしれません。ですが、暗黙的に第一分家がロードライトの中でずっと分家を取りまとめてきていましたし……第一分家は金持ってるしでやっぱプライド高いんですよね……ただ最近は第三分家が力持ってきてて、保守派の第一分家と革新派の第三分家で喧々轟々……ハァ、いくら第一分家直系だからって、私まで巻き込まないで欲しい……勝手にやってろっつんだ……」
「……おおぅ……」

 いきなりどんよりとし始めたルートヴィヒ先生に、何と声を掛けたら良いか分からず躊躇する。
 わたしを呪った相手であるヨハン・ワイルダーを探すため、分家の方々からはたくさんの手助けをしてもらった。その時は一丸に見えたけど、実際は分家同士の派閥というか、そういう厄介ごともあるらしい。

「……それではリッカさん。ここで一つ、貴女に問題を出します」

 うおっ、いきなり来た。唐突な口頭試問の雰囲気に、思わず姿勢をぴぴっと正す。
 指をぴっと立てたルートヴィヒ先生は「そう緊張せずとも、良いですよ」と軽く微笑んだ。わたしは意識して身体の力を抜く。

「簡単に考えてください。ロードライトで本家が敬われ、尊重されているのは何故でしょう?」
「……えぇ?」

 本家が敬われている理由って、何だ?
 そんなこと、これまで考えたことが無かったため、思わず面食らってしまう。それでも、訊かれたからには何かしら答えを返さなければならない。
 ……個人的には、そんなものただ『本家だから』って感覚なんだよねぇ……。

「……本家が樹木の幹だとすれば、分家というのは本家から分かれた枝であるから、でしょうか? 分家というのは、本家無しじゃ存在できないでしょう?」

 わたしの自信無さげな答えに、ルートヴィヒ先生は軽く目を瞠ると「ある意味、本質は捉えていますね」と頷いた。

「リッカさんの答えで概ね正解です。ロードライトの分家は、あくまでも本家のサポートと守護を担う役目であり、本家を立てることが最重要。第二分家のように反旗を翻すことなど、本来あってはならないことなんですよ。
 少し言葉を付け加えれば、『本家には『建国の英雄』の血が流れているから』と言うのが正しいですね。魔力は血に宿るものですから、血筋は非常に重要視されます。親から子へ、子から孫へと引き継がれて行く力ですから」
「……あれ? ということは、分家には『建国の英雄』の血は流れていないんですか?」

 雪の女王を思い浮かべた。
 ロードライト家は、彼女を祖先として繁栄した一族だと思っていたのだが、どうやらわたしの考えは、実際とは少し違っていたらしい。

「えぇ。ロードライト本家は、『建国の英雄』として知られるスノウ・ロードライトの直系……彼女の子供が形作ったものに違いはありません。ですが他の分家は、スノウ・ロードライトのが、彼女の血筋の者を補佐し守護する意図により創設したものだと、そう伝えられているのですよ」
「……彼女に兄がいたというのは、初耳でした」

 でも……なるほど。
 そもそも分家がそういう意図で作られていたというのなら、『本家に仇なす分家は必要ない』という思考は、賛同できるかはともかくとして、理解は出来た。

「ですのでリッカさんには、『建国の英雄の血筋』として、分家衆の上に君臨する者としての威厳と教養を身につけて頂きたいと思います」
「う……威厳と教養、ですか……」
「そう難しく考えずともよろしい。『舐められないように振る舞う』と言い換えた方が、リッカさん的には呑み込みやすいですか?」
「あぁ、途端に馴染み深くなりました」

 舐められないよう、バカにされたり侮られたりするような振る舞いは避けろって話だよね。分かる分かる。
 ……雪の女王は、多少舐められても「もーっ!」と怒るだけで、後はケロッとしてそうなところがあるけど。

「お分かり頂けたようで何よりです」と、ルートヴィヒ先生は頷いている。ふと、その瞳が昏く陰った。

「……リッカさんはまだ幼い。策謀とは遠いところで純粋に育って欲しいものですが、しかし時代が時代ですからね」
「え?」
「貴女のお父上である本家当主様も、貴女の兄君であるオブシディアン様も、難しい立ち位置だということですよ。その中で生きるリッカさんも、立ち振る舞いには気を付けて頂きたいと思います」

 元々、わたしの父は第四分家の出身で、本家においては入婿の立場だ。本家の血、すなわち『建国の英雄』の血は引いていない。
 先代当主であった母の血を引く兄が成人するまでの間、仮の当主としてその座に着いているだけなのだと、ルートヴィヒ先生は語った。

「本家当主の座に、『建国の英雄』の血を引いていない者が着いていること自体、ロードライトの歴史を遡っても無かったことです。ですので、オブシディアン様を早く本家当主にという動きは、ずっと昔からありました。……オブシディアン様が成人するまでという期間すら待てない老害が何をほざくかとは思いますが、最近の本家当主様は、少々派手に動き過ぎた。本家分家の老人どもから睨まれているのが現状です」

 最近派手に動き過ぎた……って、絶対わたし絡みの話だよね……。
 ヨハンを捕らえたり、国外と交流したり、そういった動きが目に付いちゃったのだとしたら、全面的にわたしのせいだ。

 ……それに。

(この情勢だと、つまりはお兄様が望めば、本家当主の座はすぐに手に入ることになる)

『ゼロナイ』で、オブシディアンは一学生とは思えない多数の私兵を操っていた。ロードライトは明確なトップダウンの組織だ。オブシディアンがいくら理不尽な命を下したところで、下の者が逆らったり意見したりは許されない。

 今はわたしが生きているし、兄と父の関係も良好だ。それでも、他の要因で兄が闇堕ちしないとは限らない。

「リッカさんの呪い……ご病気が治った今、オブシディアン様を真の当主と仰ぐ老人どもが、リッカさんを取り込もうとするかもしれません。リッカさんがオブシディアン様を今すぐ当主に据えたいとお思いであれば、賛同しても構いはしませんが」
「……父と兄が相争うのを見るのは、嫌です。当主継承とかその辺りは、なるべく穏便に済ませてほしいと思っています」

 兄が闇堕ちに至るきっかけは、出来る限り排除してしまいたい。
 兄がシリウス様に倒されたのは、七年生の冬の頃だった。今の兄はまだ一年生。たとえ『建国の英雄』の血を引いていると言ったって、そんな子供を本家当主に仕立てようとする人たちにも、なんだかなぁと思う。

「そうですね」とルートヴィヒ先生は頷いた。

「心底面倒な流れではありますが、どれもリッカさんのご家族に関わることに違いはありません。自身の安全と安寧のため、リッカさんもご自衛くださればと思います」
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