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第一章 ロードライトの令嬢

幕間 リッカの誕生日 後編

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「……じゃあ、用も済んだし帰るか。ミーア、今日は悪かったよ。俺のゲーム機あげるから、壊したのはそれでチャラにしといて。俺のゲーム機の方は、まだ俺が触っただけだから大丈夫だと思うしさ」
「えっ……帰っちゃうの?」

 ミーアが驚いたように目を瞠った。でも用事は果たせなかったのだから、いつまでもここにいても仕方ない。

「帰るよ。もう用は済んだしな」
「次は、いつ来るの?」
「……うーーん……」

 ミーアの問いに、明確な答えが返せず押し黙った。
 本当は、もう来ちゃいけないと思っている。俺は魔法使いで、ラグナルの人間で、……ミーアとは、違うのだから。
 でも、ミーアの揺れる深緑の瞳を見ていたら、なんだか何も言えなくなってしまった。

 視界の片隅で、オブシディアンがシギルに視線を向ける。二人は何一つ言葉を交わしていないのに、それでも何かを伝え合ったらしい。
 オブシディアンは軽く頷くと、ミーアと目線を合わせるように膝をついた。

「ミーア。君のお兄さんは、もうラグナルの人間だ。元来、こちらの世界にいる君とは、二度と関わることは出来ない」
「……うん……ママが言ってたわ」

 ミーアが殊勝な顔で頷く。

「だから、次にいつ来られるかは、君のお兄さんには分からない。君のお兄さんがこの家に来るためには、大人の監視が必要だ。僕やシギルの都合が合わなければ、ここに来ることは出来ない」
「……うん……」

 ミーアの顔がくしゃりと歪んだ。目に大粒の涙が溜まるも、なんとか頑張って堪えている。
 小さな手は、スカートの裾をぎゅっと強くにじり締めていて――それでも俺には、妹を抱き締めてやる資格がない。

 ミーアを寂しがらせてるのも、ミーアをこうして泣かせているのも、全部全部、俺なのだから。

(こんな奴が兄貴で、ごめん)

「……だから」

 そこで、オブシディアンは一度言葉を切った。どんな厳しいことを言われるのだろうと、ミーアの肩がぎゅっと強張る。
 小さく息を吐き、オブシディアンは続けた。

「だから、君が会いにくればいい」
「……、……え?」

 ミーアの目が、素直な驚きに見開かれる。驚いたのは俺だって同じだ。しかしシギルは分かっていたと言うかのように、軽く目頭を押さえるだけだった。
 オブシディアンは楽しげに告げる。

「ローウェル総合病院は、君の親族も多数働いていると聞いている。そこまで来る分には、問題はないだろう? その際、売店や喫茶店で、たまたま見知った奴と出会うかもしれないね。その時、僕やリッカに付き添ってくれていたシリウスが、たまたま売店や喫茶店に行くことだってあるかもしれない。そうだろう、シギル?」
「……えぇ、そうですね。次期当主様の仰る通りです。売店や喫茶店は、リッカ様の病室とは違う階にありますし……その際、そうですね、顔見知りに会うところまでは、我々の関知すべき部分ではないかと存じますよ」

 シギルが眉間を指で叩きつつ答える。シギルとしても、ここまでが最大限の譲歩なのだろう。だいぶ『オブシディアンに言わされた』感は強いが、それでも。

「……リッカの退院って、いつだっけ」
「早くて春だと、君のお父上からは聞いている。その後も、リッカが十歳になるまでは、月に一度は必ず通院して様子を見る必要があるらしいぞ」
「なーるほど。それは、まだまだ国外との交渉は多いということだよな?」
「あぁ。だが、ロードライトは生粋の魔法使いだから、国外の常識には疎くてな。どちらにも理解のある奴が仲介してくれると、非常に助かる」

 オブシディアンがちらりとシリウスを見た。『ここまでお膳立てしてやったぞ』という目だ。そのドヤ顔は気に入らないが、それでも恩はありがたく受け取っておく。
 ミーアの肩をそっと叩いた。顔を見るのは照れ臭くって、思わずそっぽを向いてしまう。

「病院まではバスで行って、帰りは一人じゃ危ないから、父さんと一緒に帰るんだぞ。春までは、毎週土曜に行くつもりだから……宿題は、ちゃんと済ませてから来るように」

 怒らせるだろうなと思いながら、それでもついつい余計な一言を付け加えてしまう。そんなシリウスの予想通り、ミーアは「もー! そんなの分かってるもの!」と頬を膨らませた。

「お、お兄ちゃんこそ、ちゃんと宿題やってからこっち来ないとダメなんだからね! お兄ちゃんがちゃんとしてないと、パパもママも心配するんだから……。あたしも、心配しちゃうんだからね!」
「……ふふっ。うん、分かった。ちゃんとするから、心配するなよ」

 ミーアが大人ぶった口調で言うので、俺も思わず笑ってしまう。
 ……本当に、良かったよ。
 オブシディアンやリッカは、揃って俺のことを『恩人』だとか呼ぶけどさ。
 俺の方も同じくらい、二人に恩義を感じてるんだよ。

「……ところで、リッカの誕生日プレゼント……どうしよう?」


 ◇ ◆ ◇


「ゲームというより、コレはパズルの一種だと思いますけど」
「……だよなぁ」

 リッカの手の中にあるのは、先程俺が渡したルービックキューブだ。それぞれの面がバラバラの色に崩されたそれを、リッカの小さな手がぎゅっぎゅっと動かしていく。
 少し硬いのか、それともリッカの力がキューブを回すには足りないのか、リッカの肩は力が入って強張っていた。俺の視線に気付いたリッカが、苦笑を零す。

「でも、握力を付けるのには良さそう。ちょうど暇つぶしのおもちゃが欲しかったんですよ。ほら、入院中ってヒマじゃないですか。でもセラったら、お勉強以外の本は持ってきてくれないし、ゲームなんてもってのほかだし。だからシリウス様、ありがとうございます」
「はは……どういたしまして」

 ……ゲーム機が壊れた後。俺はリッカへのプレゼントを探すため、家中を駆けずり回った。セラさんに「期待してて」と言った手前、手ぶらで帰ることなんて出来ない。
「もうめんどくさいから雑貨屋でぬいぐるみでも買って包んでもらおうかな」という思いに何度も苛まれたものの……とにかく、喜んでもらえて何よりだった。

「こういうのは、あんまり触ったことないんですよねー」

 リッカはそう言いながら、淀みなく手を動かしている。その手つきは、闇雲に動かしているというよりは、既に道筋が見えているようだった。初めて触ったとは思えないほどの手慣れた手つきだ。

 ≪魔法使いだけの国≫で生まれ育ったはずのリッカは、時折どうしてか、魔法使いが知らないようなことを知っていたりする。
 例えば、病院についても。オブシディアンやセラさんはきょとんとするような話を、リッカだけは納得した顔で聞いていたりする。いや、それどころか、もしかしたら俺よりも『国外』について詳しいんじゃないかと思ったりすることだって――。

(って、流石に考えすぎだよ)

 リッカは勘がいいし、考え方も柔軟だ。だからきっと、何にでもすぐに馴染んでしまえるのだろう。

「ほら、いっちょあがり、です!」

 と、ぼんやりしている間に、リッカはあっという間に全面を揃えてしまっていた。え、と思わず目を瞠る。
 ……流石、ゲームが得意と言うだけある。いや、これはゲームじゃなくてパズルだけども。

「へぇ、そうやって遊ぶのか」
「お兄様もやってみます? わたしとタイムを競いましょう」
「受けて立とう」

 オブシディアンの目がきらりと輝いた。リッカも楽しげに、揃えたルービックキューブの色を念入りに崩している。
 あんなのを見ていると、俺じゃ一面を揃えるのが御の字だとか言えなくなっちゃうな。パズルの腕に頭の良し悪しは関係ないかもだけど、それでもこの兄妹、スペックかなり高いから。

「はい、お兄様」

 リッカがオブシディアンにルービックキューブを手渡した。オブシディアンは、まずは手を出す前に、真剣な顔で立方体をぐるりと回して確認している。

「ルービックキューブ、嬉しかったです。また、シリウス様が昔遊んでいたようなものがあれば、持ってきてくださいよ。きっとまだ、おうちにいっぱいあるんでしょ?」
「……あるけど、俺のお古ばっかをリッカに贈るのは気が引けるから、ちゃんと新品を買って贈るよ」
「えぇー? 別に、いいのに。わたしは気にしませんよ」
「俺が気にするの。ロードライトのお嬢様の周囲が、お古ばっかになるのはダメだろ」
「わたしは気にしないのに……」

 リッカがうううと嘆いているが、ダメなものはダメなのだ。子供の頃に遊んでいたおもちゃなんて、投げたりぶつけたりして色んなところがボロボロだったりするのだから。ルービックキューブは、俺もミーアも不得手だったから、あまり触らなかった分まだ見られる見た目なだけだ。

「会えました?」
「え?」
「妹さんと、ですよ」

 突然リッカからそんな言葉を投げかけられて、思わず胸がどきりとした。
 リッカはただ黙っては、にこりと微笑んだまま、じっと俺を見上げている。
 ……敵わないな。

「会えたよ。そして、また会う約束もした」
「……ふふ。それは、良かったです」

 おうちに帰れないのは、寂しいですからね。

 そう言って、リッカはまたふふっと笑い声を零した。

 ……あぁ、なんか、色々見透かされてる気分だ。
 でも、それもいいかなと思う。

「なぁ、リッカ。お誕生日おめでとう。……また来年も、祝わせてくれよ」
「ありがとうございます。えぇ、来年も。次は何を贈ってくれるのか、楽しみにしてますからね」
「うわ、難題」
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