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第一章 ロードライトの令嬢

60 初めての魔法

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「そう言えば、お兄様とシリウス様は、学校は大丈夫なのですか?」

 わたしはふと、そうシリウス様に問いかけた。シリウス様はわたしを振り返ると、何とも言えない目つきをする。……え、何。わたし、何か変なこと言った?

「リッカ、お前に認識はないかもしれないけど、今はクリスマス休暇で学校は休みなの。……本当に気付いてなかったの?」

 シリウス様に呆れた目を向けられ、わたしは思わず小さくなる。……だって、今までそんなもの、一切関係ない世界で生きてきたんだもの!

「し、シリウス様は、せっかく国外に戻ってきたって言うのに、ずっとここにいていいんですか? 会いたい人とかいるんじゃないですか?」

 脳裏に、先日見たシリウス様の妹さんを思い浮かべた。他にも親戚とか友達とか、会いたい人はたくさんいるんじゃないだろうか。
 しかし、シリウス様はひらひらと手を振った。

「いいのいいの。会ったら会ったで、いろいろとややこしいことになる。もう二度とこの国に帰ってくる気はなかったしさ。俺のことはもう死んだと、そう思ってもらった方が、正直楽なんだよね」

 シリウス様の笑顔は、いつも通りに見えるのになんだか物悲しい。わたしは今の自分の発言を軽率だったと反省しながら「……そうですね」と俯いた。

「暗い顔しないでくれよ、リッカ。家族の顔を、一目見ることが出来たんだからさ。俺はもう、十分満足。父さんとはリッカの主治医だから話せるし、母さんとも会えた。……妹には避けられてるけど、ま、仕方ねぇよな。最後、怒らせて出ちゃったから」

 ぽんぽん、と、シリウス様に優しく頭を撫でられる。
 ……多分、今シリウス様が本当に撫でたいのは、実の妹の頭だろう。黙って撫でられながらも、そう思った。

「それよりも、あれ、すごいことになってるな」

 シリウス様が振り返った方向をわたしも見る。

 わたしの病室は、機密保持の意味も込めて一人部屋だ。入院患者用のベッドの他にも、手洗い場があり、台所やクローゼット、数人が座れるソファもあって、結構広々としている。
 その空いたスペースを利用するように、床に敷かれた紙には大きな魔法陣が描かれていた。ロードライト本家城のわたしの部屋のベッド下にある魔法陣よりも、緻密さと複雑さは増している気がする。

 この魔法陣を書き記した張本人であるセラは、ペンを持ったまま立ち上がっては、うろうろしながら魔法陣の最終調整を行っていた。その隣には、兄が真剣な顔で魔法陣を睨んでいる。
 知識がある人には、魔法陣の一つ一つの図形の組み合わせから、魔法の内容を読み解くことができるらしい。わたしにはもうさっぱりだ。

「手術道具に許可を与える魔法陣に加え、わたしに生命力を流す魔法陣も、一緒に重ねて描いているらしいですからね。うちのセラはすごいんです」

 よく分からないものの、それでもセラがすごいってことだけは分かる。えっへんと胸を張ったわたしを見て、シリウス様は苦笑した。

「それだけ元気なら、手術に挑むのは申し分ないな」

 ……そう。今日は水曜日、わたしの心臓の手術の日。
 わたしが魔法で手術道具に許可を与えた後、兄から手術に耐えられるだけの生命力を分け与えてもらって、そのまま手術室に運ばれ手術開始となる。超ハードスケジュールだけど、これらを一気にやってしまわないと、わたしの命は繋ぎ止められない。何がなんでもやり切るしかないのだ。

「ところで、リッカは何やってんの?」

 シリウス様がわたしの手元を覗き込む。わたしは「お手紙ですよ」と返事をしながら、便箋を綺麗に二つ折りにして封筒に仕舞った。

「わたしに万が一のことが起こったとき用のお手紙です。お兄様にお父様、セラにナナリーにシギルでしょ。あと侍女のアリスとリーン、そしてヨハン……もちろん、シリウス様にも、アルファルドさんにも、ちゃんとお手紙書きましたから」

 保険は、いくらあっても困ることはない。
 ほらほらとわたしが手紙の束を見せると、シリウス様は小さく声を零した後「……リッカは、本当にしっかりしてるな」と眉を寄せて笑った。

「ふふん、偉いでしょ」

「偉い、偉い。……俺も、先のこと考えないとなぁ」

「先のこと、ですか?」

「うん。ラグナルの医療をどうにかしたいって、そう思うようになった。何だかんだで、ラグナルでは俺が一番詳しい状況になっちゃってるし。……でもなぁ、国外からラグナルに人呼んで教育するのも難しいし、魔法使いが国外に出て行くのも困りもんじゃん? だからと言って、このままじゃダメだろ」

「そうですね。わたしの場合、本当に幸運に恵まれただけですので」

 ロードライトという、ラグナルの中でも権力を持った家に生まれたこと。国外から来たシリウス様と兄が知り合いだったこと。そして、シリウス様のご家族が医者だったこと。これらが一つでも欠けていたら、わたしはもうダメだっただろう。
 ……改めて思うと、本当にシリウス様々だなぁ。わたし、シリウス様の元に嫁にでも行った方がいいんじゃないの?

「ま、しばらくは、今まで通りラグナルで魔法の勉強かなぁ」

「ふふっ。兄が、シリウス様は頭が良いと褒めてました。それに努力家だって。……わたしも、いつか、シリウス様の夢に協力させてくださいね」

「リッカの手助けも期待してるよ。……でもその前に、リッカは自分の身体が先だからなー?」

「わ、分かってますよ!」

 ツンとわたしの額を突いて、シリウス様は笑顔を見せた。ついでに、わたしの手の中の手紙をかっさらっていく。

「あっ、ちょっと、何するんですか!?」

「俺が預かっとく。リッカの手術が無事に終われば、その時は必要ないだろ? そのまま処分しておいてやるよ」

 ……シリウス様、気遣いの鬼。これで十歳とかあり得ないわ。前世のわたしが恥ずかしさのあまり泣いちゃいそう。

 その時病室の扉が開いて、アルファルドさんが台車に載せた荷物を運び込んできた。アルファルドさんは、床に敷かれた魔法陣を見て目を白黒させている。シリウス様は、わたしの手紙の束を素早くカバンに突っ込むと、アルファルドさんの元に駆け寄って行った。

「父さん、手伝うよ。セラさん、もう並べてもいいよね?」

「あぁっ、はい……あっ、やっぱり、もう少しここをこう……」

 再び魔法陣を描き足すセラを避けるように、魔法陣の上に手術道具を運び込む。こうして見ると、やっぱりそれなりの量の荷物がある。実際は使わないかもしれない予備分も、念のために持ち込んでいるからか。

 わたしはベッドから降りると、スリッパを突っ掛けた。目を閉じ、指を組み合わせて祈っている兄の元へ歩み寄る。

「お兄様。これを、お預けします」

 首から雪の女王のネックレスを外すと、兄に差し出した。兄は静かに目を開けると、微笑みを浮かべて恭しく受け取る。

「無事に返すよ。次、お前が目を覚ましたときに」

「えぇ。大事なものですので、よろしくお願いしますね」

 兄がそっと両手を広げたので、素直にその腕の中に飛び込んだ。すっぽりと腕の中に包み込まれる慣れた感覚に、思わずため息を零す。
 わたしの耳元で、兄は囁いた。

「お前が元気になったら、まずは外行きの服が欲しいな。もうパジャマは見飽きたぞ。……退院は早くても春だって、先生は言っていた。お前は見たことないだろうが、春の第一分家オーアの庭園は絶景だぞ。……セラにお弁当を作ってもらって、みんなで一緒に食べよう。シリウスと、父上と、ナナリーも呼んで……お前が望むなら、シギルもさ」

「……はい、お兄様。すごく、すごく楽しみです」

 心の底からそう返事をする。
 やがてわたしを離した兄は、「お前に精霊様の祝福がありますように」と言ってわたしの額に軽く口づけた。
 ……精霊様の祝福より、お兄様からの祝福で、もうお腹いっぱいです。ふふふん。

 アルファルドさんは再度、手術道具の扱いについてセラと確認している。

「儀式の後、手術道具は再洗浄しても問題ありませんよね? 使う側には、特に心構えは?」

「あっ、はい! 大丈夫ですよ、普通にお使いいただけるかと思います。ただ他と混ざらないようにして頂ければ、それで良いかと」

「それについては、こちらも慎重に取り扱わせて頂きます……。いやはや、こんなファンタジーな光景は、これまで生きてきて見たことがなかったものでして……」

 兄に介添えという名のエスコートをされながら、わたしは魔法陣へと近付いた。

「……それじゃあ、行ってきます」

 ぐるりと皆も見渡し微笑むと、皆も笑顔で「いってらっしゃい」と言ってくれた。ホッと息を吐く。

 魔法陣に近付くと、余計にこの陣がどれだけ精密に作られているかがよく分かる。
 ……セラ、すごすぎる。わたしじゃ何年掛かっても、こんな魔法陣描けそうにないよ。

 その場に跪いて、わたしはふと気が付いた。
 ……そういえば、どうやって魔法を使うんだろ!?

「お、お兄様、わたし、今から何をすれば……どどど、どうすれば魔法が使えるのでしょう……」

 かつて、兄に教えてもらった魔法の基本は憶えている。
 魔力を持つ者が、空気中に漂う第五元素『エーテル』に意志を伝えて『魔力』を渡す。意志を伝えられた『エーテル』は、受け取った『魔力』に応じて超常的な現象、すなわち『魔法』をこの世に発現させる――確か、そのように言っていたはずだ。

 ……これが基本のキだとしたら、わたしは基本のキの一画目から躓いてるよ。具体的に何をすればいいのか、さっぱり分からないんだもの。

「そうか、リッカは初めてなのか。……そうだな、じゃあ……」

 何か、またややこしいことを言われるんじゃないだろうか? と身構えたわたしと反対に、兄は非常にあっさりとした顔で言い放った。

「願え。願いを叶えてくれるものが、魔法なんだ。叶えたい望み、欲しいもの、抱えてるもの全て、この魔法陣にぶつけてしまえ。……そうしたら」


 全てはお前の望みのままだ。


「手加減はいらない、全力でかかれ。魔法の全ては、魔法陣に記してある。お前はただ全身全霊で、自分の望みに向かって手を伸ばせばいい。……世界の全てを、従えろ」

 兄はそう言って、にぃっと悪戯っ子のような微笑みを浮かべた。心底楽しそうに、蒼の瞳が煌めいている。超レアな悪どい笑顔だ。
 兄の言葉に、セラとシリウス様は揃ってギョッとしたように声を上げた。でも、構ってはいられない。

「……はい」

 魔法陣に両手をついた。意識を、心の奥底にある『願い』に集中させる。

「分かりました、お兄様」

 わたしの、願い。
 みんなといたい。大事な人たちと、これから先もずっと一緒にいたい。
 兄と共に、未来を歩みたい。
 そのためにも――わたしは、生きたい。


「わたしの願いを、叶えなさい」


 魔法陣が蒼銀に光り輝いた。それと同時に、身体の中心部から魔法陣に向かって、するすると何かが引きずり出されていく感覚がする。
 これが魔力かな、と思った瞬間、床の魔法陣を押さえていた腕の力がガクンと抜けた。

「…………っ」

 一瞬は堪えたものの、指先にも力が入らず、結局肩から倒れ込む。上半身をしたたかに打ちつけたはずなのに、全然痛みを感じない。
 ――これが、わたしが魔法を使うなと言われ続けていた理由か。さすがセラ、わたしの体調のことをわたし以上に把握してるよ。

 多分、大して生命力を持っていかれたわけではない。それでも、わたしの虚弱な身体には、それすら致命的だったようだ。脈がどんどん遅く、弱くなっていくのが分かる。息を吸わなきゃと思うのに、肺を動かす筋肉が全然言うことを聞いてくれない。

 ……息って、何分くらい止めておけるんだっけ。
 そんなことを思い出そうとしている間にも、意識はどんどん黒に塗り潰されていく。

「道具はもう運んで頂いて結構です! オブシディアン坊っちゃま!」

「分かっている! リッカ、おい、僕の声が聞こえるか!? 意識を保て、リッカ!」

 セラと兄の怒号を最後に、わたしの意識はふつんと途切れた。
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