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第一章 ロードライトの令嬢

42 反撃開始

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 シギルからの報告に、ロードライト本家当主メイナード・ロードライトは息を呑んだ。

「……シギル、建国歴488年の、国外者を迎える船が出港した日を調べて……」

「既に調査済みです。こちらをご覧ください」

 さすが、長年仕えてくれているこの従者は仕事が早い。
 記録簿を取り出したシギルは、該当の箇所を指で示す。その部分に素早く視線を走らせた。

「……確かに、リッカの『お披露目の儀』の日と、船が出港する日は一致している」

 ――第六分家セイブルがいくら追いかけても、まるで霞と消えてしまったように姿を消してしまった、かつてリッカに呪いをかけた犯人。
 もう二度と、相まみえることはできないと思っていた。

「どうなさいますか、我が主人あるじ

 シギルの声も、どこか焦りを含んでいた。
 シギルの問いかけに、メイナードは顔を上げる。

「……全分家へ通達。リッカを呪った男を、全力を以って探し出せ。……リッカは、私の娘だ!」

 メイナードの決断に、シギルは深々と頭を下げた。

「御意」


 ◇ ◆ ◇


本家アージェントからのご命令、ですか」

 ロードライト第一分家オーア当主、ダリア・ロードライトは、紅茶を片手に従者が運んできた手紙を読みながら、静かに息を吐いた。

ロードライト本家直系のお嬢様を呪った男……とあらば、ロードライトに刃を向けたも同然の大罪。えぇ、えぇ。その御身、例え地の下で骨と朽ちていましても、必ずや本家当主様とリッカお嬢様の元へと引きずり出して差し上げましょう……ミカ、行きますわよ」

「へっ? どこへです?」

 ダリアの言葉に、ダリアの隣でびしっと直立不動の姿勢を貫いていたミカは思わず姿勢を崩した。ついでに口調も崩れたのを見て、ダリアは聞こえよがしにため息をつく。

「……ミカ? 貴方はロードライト第一分家の当主に仕える従者なのですよ? その誉れある立場に居ること、しっかり弁えなさいませ」

「う……すみません……」

 ミカがしょんぼりと項垂れる。すかさず「背筋を伸ばしなさい!」と指摘すれば、ヒィッとミカは、再び直立不動の姿勢に戻った。その様子を見て、ダリアは仕切り直すように口を開く。

「我らが第一分家たるもの、他の分家に遅れを取ることなど許されません。そうですわね……まずは、捜索範囲を狭めるところから参りましょう。ロードライトの人脈は、我ら第一分家が最も大事に育ててきましたわ。
 ミカ、すぐに、東方魔術協会へ連絡を。東側はあちらにて手分けしてもらいましょう。そして西こちら側の国外ですが、縁は途絶えておりません。まずは近場、そして徐々に捜索範囲を広げて行く方針で。本家にも分家にも、恩を売って差し上げますわ」

「は、はいっ。……でも人間相手に、そんな協力してもらえますかね……?」

 ダリアが紅茶のカップを置いたのを見て、ミカは慌ててダリアの椅子を引いた。

「何を恐れていらっしゃいますの、ミカ」

 立ち上がったダリアは、ミカが手に持つ外套に袖を通す。

「ロードライトに栄光あれ。――結局のところ、この世はどこまで行ってもお金が一番なんですのよ。ロードライトの金庫番である第一分家が、他家に先んじなくて如何しましょう?」

 大輪の花が咲くコサージュハットを被ったダリアは、そう言って艶やかに微笑んだ。


 ◇ ◆ ◇


「――ハッ! 本家のお嬢様のために力を貸せと来た! さすが本家様は、他人ヒトを顎で使うのが得意だな!」

 第三分家アジュール当主、カドック・ロードライトは、本家からの手紙を翳しながら鼻で笑った。
 小柄な身体を乗せた椅子をぐらぐらと傾けながら、カドックは足をデスクに載せる。
 薄暗い室内の中、壁に投影された多数のホログラムだけが光源だった。そのままカドックは手をグラスへと伸ばしたものの、グラスの中はとうの昔に空になっている。

「そんなこと言うもんじゃないっすよ、坊ちゃん」

 そこで、カドックの背後から声がした。空のグラスを取り替えながら、カドックの従者であるブラッドは、軽く肩を竦めてみせる。

「ロードライト本家に逆らって、良いことなんてないんですから。第二分家ギュールズが潰されたことをお忘れで?」

「分かってるよ、ちょっと言ってみただけさ」

 お行儀悪いとブラッドは、半ズボンの裾から覗いたカドックの膝を軽く叩いた。はいはい、とカドックは大人しく両足を下ろす。

「褒められた言葉遣いじゃないアンタに、行儀云々言われたくは無いけどな」

「俺のコレはもう直んません。でも坊ちゃんには、輝かしい未来がありますんで」

「ロードライトって箱庭に閉ざされた未来が、輝かしいと来た。だがまぁしかし、此処は此処で居心地は悪くない。飽きるまでは、しばらく第三分家当主を名乗らせてもらうさ」

「そりゃ、分家きっての天才様は言うことが違う」

 ふふんと笑ったカドックは、片手にグラスを持つとホログラムに向き直った。机に刻まれた細長い魔法陣を数度叩くと、ホログラムに映し出された映像が素早く変わる。

「リッカ・ロードライト。本家次期当主、オブシディアンの妹御……見れば見るほど、ただの子供にしか見えん」

 リッカ・ロードライトの像を眺め、カドックは呟いた。カドックが一度画面をタップすると、隣に詳細情報が浮かび上がる。

「建国歴487年1月23日生まれの7歳……7歳? てっきり、もっと下かと思ってた。おれと二つしか違わないんだな」

「『呪い』のせいで虚弱なようで。でも中身は割と年不相応にってぇ、ウチのが言ってやしたよ」

「ほう? シギルにそう言わしめるとは、なかなかどうして……」

 少し興味を持った眼差しで、カドックは再度リッカを見つめる。その様子に、ついついブラッドは苦笑した。

「気になりやすかい、坊ちゃん」

 大人用の白衣は、子供の小さな身体にはぶかぶかだ。カドックがひらひらと手を振るのに合わせ、白衣の袖元も大きく揺れる。

「ま、耄碌した爺のために働けと言われるよりは、薄幸の少女のために力を尽くす方がやる気が出るがね。……仕方ないな。第一分家オーアも先走ったことだし、第三分家うちも準備を始めよう」

 指を画面に走らせながら、カドックは口元に不敵な笑みを浮かべた。

「――世界の半分から一人の男を探し出せ? そんなの、第三分家に掛かれば屁でもない。おいブラッド、今回はバグを使うぞ」

「え? でもありゃ、まだ開発中じゃあ……」

「最後、おれが手ずから調整すればいい。そうだろう?」

 なんてことない口調でそう言い放つ主人に、ブラッドは思わずため息をつく。

 ――しかしこの年若き主人は、成し遂げられないことは決して口にしないのだ。

「馬鹿馬鹿しいが、それでも――ロードライトに栄光あれ。恩を着せてやったと笑う女狐にも、幼い無垢な小娘にも、目にモノ見せてやるさ」

 幼い天才は、ホログラムの反射光を瞳に宿しながらにんまりと笑った。

「手柄は全て、我が第三分家が攫ってく。本家の姫さんの命を助けるのは、他の誰でもない、おれたちだ」


 ◇ ◆ ◇


 第四分家ヴァート当主、ロゼッタ・ロードライトは、地下に新設された研究所へと足を踏み入れた。

 リッカの呪いを解析するために新設された研究所には、次から次へと必要な備品が運び込まれている。稼働するまでは、あともう少しだけ時間が掛かりそうだ。

「兄上からの、リッカ様を呪った男を探し出せというご命令。従いたいのは山々だが、それ以上にやらなければならないことがある――セシル、研究員の手筈は?」

 隣に侍る従者へ問い掛ければ、いつも通りの穏やかな声が返ってきた。

「ひとまず第四分家から、優秀な者を十人ばかり選出しております。あとは、自ら希望される者も結構おりますね。リッカ様の侍女の中にも、是非ともやらせてください! と言う方がおりましたよ。セラ様とか」

「あぁ、それは助かるな」

 リッカの一番近くに控える侍女、セラ・ロードライト。彼女の優秀さは聞きしに勝る。リッカのことを間近で見ている分、忠誠心もひとしおだ。個人的にはとても期待しているうちの一人でもある。

「加えて、トリテミウス学院の薬学教授もご興味を示されていましたので、契約を結ぶ準備を進めております。なんでも、本家の次期当主様から話を聞いていたのだとか。教授のツテで、他にも何人か紹介して頂きました。ひとまず全員迎え入れるようにしておりますが、如何しますか?」

「構わないよ。セシルに任せる」

「畏まりました」

 本家当主、メイナード・ロードライトの妹であるロゼッタにとって、オブシディアン・ロードライトは甥に当たる。一般的な家庭のように気軽な関係性ではないものの、それでもロゼッタにとっては可愛い甥っ子なのは間違いない。

 ちなみに、リッカはメイナードと血が繋がっていないため、ロゼッタとも血縁関係ではないのだが、ロゼッタはまだそのことを知らない。
 変わらず、可愛い姪っ子だと思っている。

 ふと気がつけば、ロゼッタの周囲には人だかりができていた。ロゼッタが研究所に訪れたと知った第四分家の者たちが集まってきたのだ。
 皆がロゼッタの言葉を待つように佇んでいるので、ロゼッタはコホンと咳払いすると辺りを見回した。

「皆、手を貸してくれて本当にありがとう。これだけの者がリッカ様を救うために協力してくれて、私はとても嬉しい」

 だが、と前置きする。

「……依然として状況の見通しは良くはない。我々の研究に成果が出るまで、リッカ様のお身体が持つかは分からない。
 リッカ様を呪った犯人に聞き出すことが出来れば、状況は一気に変わることだろう。しかし我々としては、常に最悪の状況を想定しておく必要がある。
 ……君たちには期待している。どうか、どうか、リッカ様を……私の姪御を、助けてはくれないか」

 そっと頭を下げた。
 少しの間黙り込んだ第四分家の皆は、顔を見合わせると、微笑んで口を開く。

「当然ですよ、ロゼッタ様!」

「私達でリッカ様をお救いしましょう!」

「未来ある少女が、幼くして死んでいいはずがありませんっ! 私達も、全力で尽くします!」



「「「「ロードライトに栄光あれ!」」」」


 ◇ ◆ ◇


 第五分家パーピュア当主、モーリス・ロードライトは、帰宅するなり聞こえてきた娘たちの悲鳴に、思わず肩を跳ねさせた。
 声は地下、『夢見の間』から聞こえてくる。従者のヴィンセントと目を合わせたモーリスは、慌てて階段を駆け降りては、ノックもそこそこに扉を開けた。

「どうしたお前たちっ、大丈夫……か……」

 思わず声が止まる。

 第五分家で代々受け継がれてきた『夢見の間』は、占いや星見で繋いできた第五分家の中核に当たる。
 そのため、管理は厳重に施されており、入室も最低限に留められる。部屋にある家具や小物にも意味があり、そこに置かれるべくして置かれているものばかりなのだ。

 ――であるのに何故か、そんな厳粛なはずの部屋の壁には、でかでかとリッカ・ロードライトのポスターが飾られていた。

「あっお姉! お父様来ちゃったってば!」

 娘の一人、リナリー・ロードライトが慌てて叫ぶ。

「お、お前たち、一体何を……ここにあったサマリアの首飾りは何処へ……?」

「ちょっと邪魔だったので退かしちゃった!」

 娘のもう一人、ナナリー・ロードライトはあっけらかんとそう言った。頭痛を覚え、モーリスは思わず頭を押さえる。

「ちょうどよかった! ヴィンス、ちょっと手を貸して!」

「このポスター、もうちょっと上に貼りたいんだけど、私達じゃ背が届かないの!」

 如何しましょうとばかりに、ヴィンセントがモーリスを振り返る。額を抑えながら「手を貸してやってくれ」と呟いた。

「ヴィンス、早く!」

「はいはい、今参りますからね」

 ヴィンセントの両脇に陣取った娘たちは、キャッキャと楽しそうだ。あまりの気安さに、モーリスは何度目ともつかぬため息をこぼす。

「……ナナリー、一応聞くが、コレは何だ?」

 ポスターにでかでかと載る、本家のお嬢様の写真を指し示した。ナナリーは当然とばかりに言う。

「思念が篭れば籠るほど、その人について視えやすくなるのは道理でしょう? リッカ様を呪った犯人の居場所は、第五分家が占って見つけ出そうと思って」

「それは、その、とても良い心がけだけれども……そうじゃなくって。どこからこんな写真を?」

 ポスターのリッカは、一応はちゃんとカメラ目線だ。控えめに首を傾げては、ちょっと照れたように笑っている。
 以前、リッカが第五分家を訪れた時とは服装が違っていた。そのことを指摘すると、ナナリーは嬉しそうに声を弾ませる。

「えぇ! セラ様から特別に分けてもらったお写真なの! どうっ、すっっごく可愛いでしょうっ!?」

「……、……そうだな」

 リッカ本人や、本家の方々には決して見せられない光景だなと思うものの、娘の笑顔のために、口には出さず堪えるモーリスだった。

 ナナリーが本以外に熱中するものができてよかったなぁと、明後日の方向に思考を逃避させる。

 そんなモーリスの内心を知ってか知らずか、ナナリーは楽しそうに微笑んだ。

「ロードライトに栄光あれ。不肖の身ではありますが、第五分家次期当主であるこのナナリー・ロードライト、リッカ様のために誠心誠意尽くす所存です!」


 ◇ ◆ ◇


「全く、お前が暴走しなけりゃ、こんな罰掃除なんて受ける必要なかったのにさ。今頃はリッカに会って、元気だったか心配したぞって話せていたかもしれないのに」

 シリウス・ローウェルはそう言いながら、埃の積もったキャビネットを動かした。途端、わんさか埃を浴びて、シリウスは思わずケホケホと咳き込む。

 夜間外出の罰としてシリウスとオブシディアンに言い渡されたのは、空き教室の掃除一週間だった。週末だろうがお構いないため、今週はオブシディアンでさえも実家に帰ることは許されない。
 全く、俺はとばっちりだとシリウスは思うものの、口には出さない優しさくらいは兼ね備えている。

「……悪かったよ……」

 対するオブシディアンは、水に浸した雑巾を恐る恐る絞っていた。今回の罰は『魔法を使ってはならない』という縛りがあるため、掃除は完全に手作業だ。名門の次期当主様は掃除なんてやったことないんだろうなぁと、オブシディアンのへっぴり腰を見ながら考える。

「早くしろよー。そんなんじゃ、いつまで経っても掃除終わんないぞ」

「うるさいな、水が冷たいんだ……」

 眉をぎゅっと顰めたオブシディアンは、人差し指でその場に陣を描いた。瞬間、水から湯気が立ち上り始める。

「あーあー。魔法使っちゃいけないのに」

「『掃除』には使ってないから、いいんだ」

「屁理屈だぞ、それ」

「うるさい」と再び口にして、オブシディアンは立ち上がる。その後ろ姿に、シリウスは声を投げかけた。

「でも、ワイルダー先生の弟……リッカを呪った奴の行方、ロードライトで探してもらえるようになったんだろ? 良かったじゃん」

 何にせよ、周囲はリッカを助ける方向へと進んでいる。
 世界の中からたった一人を見つけるなんて、そんな苦労はどれ程だろうとは思うものの――それでも、無策よりかはまだマシかと思う。

 オブシディアンは答えない。不審に思ってもう一度声を掛けると、軽く肩を震わせオブシディアンは振り返った。

「……どうした? なんだか気が乗らない顔だけど」

 リッカのためになることならば、この男は手放しで喜ぶものだと思っていたのに。それとも、今週リッカに会えない悲しみが尾を引いているのだろうか?

 じぃっとオブシディアンを見つめていれば、オブシディアンはふっと顔を背けた。

「別に……皆がリッカのために手を貸してくれてるのは、嬉しいんだ。……すごく」

 その横顔は、言葉に似合わず暗かった。

 オブシディアンは雑巾を手に、窓枠を拭こうと近付いていく。その時ふと気付いたように、オブシディアンはぽつりと呟いた。

「あぁ……雪が降ってきたな」
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