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第一章 ロードライトの令嬢

27 お昼寝とお茶会

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 慎重に、慎重に。頂上が見えても浮かれない。
 ゴールを目視したところで、実際歩くとそれなりの距離があるのだから。
 
 一歩一歩ゆっくりと、ただ確実に、これまでの実績を積み重ねる。時には手すりも使いながら、着実に歩き――
 
「よぅっし、四階まで、到っ着!」
 
 四階までの階段を踏破したわたしは、やったぁ! と拳を握り締めた。
 
 わたしの部屋は二階にある。だから四階まで行くには、そこから廊下を歩いて、たった二階分の階段を上るだけ。
 多分ほとんどの人にとっては、何でもないただの段差だ。運動とすら思わない人だって多いだろう。
 
 それでも、呪われた身体を持つこのわたし、リッカ・ロードライトにとっては、ただこの階段を上ることでさえ、普通の人にとっての登山並みの運動に匹敵する。
 
 たかが階段、されど階段。
 やらない運動よりやる運動だ。
 
 ……まぁ、この身体はほんのちょっとでも許容範囲を超えてしまうと、すぐに熱を出してぶっ壊れてしまう、弱くて脆いものなんだけど……。
 
 それでも、前よりずっと楽に上ることができた。
 前回は、下りの階段を降りることはできなかったのものの(雪の女王にだっこして送ってもらったのだ)、今日は帰りの余裕だってある。二階分の下り階段とは、さぞ挑戦しがいのある難関だろう。
 
 ……ピンピンしていた前世を思うと、あまりの歯痒さについついため息ばっかり零してしまう。たった二階の下り階段のために気合いを入れるわたしって、一体……。
 
 ううう、と唸りながら、人気のない廊下を歩いた。
 確かもう少し歩いた先には、大きなガラス張りの廊下と、さんさんと降り注いだ日光でほんのり気持ちよく暖められたソファがあるはずだ。休憩にはちょうどいい。
 
 ――そう、思っていたのだが。
 
 辿り着いたソファには、何故か一人の女性が寝転がって、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
 
 二十歳くらいの、大人っぽいけれど、どこか無邪気な面持ち。長くて艶々とした銀の髪は、日の光を浴びてキラキラと輝いている。ぱっちりとした綺麗な瞳は、今は閉じられていて。
 そして、いくらここがお城だからと言えどもそんなドレスは普段着じゃないよ! と強く訴えたくなる、青の豪奢なドレス。

 
「……はれ?」
 

 ――雪の女王が、ソファの上で猫のように丸まってお昼寝をしていた。
 
 
 ◇◆◇
 
 
 ――起こすべきか、起こさぬべきか。

 
「ま、いっか」とあっけらかんと思ったわたしは、雪の女王が眠っているソファと対になっている側のソファに腰を下ろした。
 靴を脱ぎ、いそいそと膝を抱えて、雪の女王をじぃっと見つめる。
 
(――相変わらず、とんでもない美人だなぁ……)
 
 兄だけに留まらず、ロードライト家の人はすべからく皆見目がいい。
 父も精悍なお顔をしているし、シギルも見た目だけなら(見た目だけなら)有能そうな優男だ。
 セラはクラシックなエプロンドレスが感動するほど似合う正統派な美人さんだし、ロードライトの地下書庫で司書をしていたナナリーは、これぞ! と思う眼鏡美少女だった。

 周囲を美人さんたちに囲まれて、これぞ眼福、というものだ。割と面食いの自覚はある。
 

 ――それでも、雪の女王には敵わない。

 
 神々しさすら抱いてしまう。視線を向けられただけで、思わず息が止まってしまうほど。
 寒気すら憶える美貌は、すうすうと眠っている今もなお、存分にその力を発揮していた。

「ん……ぅうん……」
 
 と、ふと雪の女王は身じろぎをした。長い銀の睫毛が震え、澄んだ青の瞳が姿を表す。
 
 しばらくぼんやりと虚空を見つめていた雪の女王は、やがてうんと伸びをしながら起き上がった。
 その綺麗な顔に見合わない、大きなあくびを三度ほど零す。

 そこで初めて、対面のソファに腰を下ろしているわたしに気が付いたようだ。
 はっと口元に手を当てて「……えへへ……」とキュートな照れ笑いを浮かべてみせる。
 
「驚いたぁ、リッカじゃない。お元気?」
 
「前のときよりは、ちょっと元気です」
 
「ちょっとかぁ」
 
 雪の女王は身を乗り出しては「またお部屋を抜け出してぇ」とわたしの頭を軽く小突いた。
 そのまま両手でわたしの頬を包み込むと、コツンと額に額を当てる。
 
「確かに、前より顔色はいいかも。でも、少し熱いかなぁ?」
 
「運動したからかと思いますよ」
 
 階段の上りだって、わたしにとっては立派な運動なのだ。
 普段はお部屋の、それもベッドの上で大半の時間を過ごしてるんだからね。万歩計で歩いた歩数を記録したら、きっと悲惨な値を叩き出していることだろう。
 
 むぅ、と雪の女王は頬を膨らませては、わたしからおでこを離した。その後、わたしの胸に掛かっているネックレスを見て表情をほころばす。
 
「私があげたもの、付けてくれてるのね」
 
「だって、雪の女王は『お守り』って言ってたから」
 
 そう言って、わたしも笑顔を浮かべた。
 
 前に雪の女王に出会ったときにもらった、雪の結晶のネックレス。パジャマから着替えているときは、だいたいいつも身につけるようにしていた。
 
 なんだろう、このネックレスをもらってから、父にも会えたし協力してくれる人も増えたしで、なんだか運気が上がった気がする。

 わたしはそう信心深い方でもないけれど(RPGの装備アイテムでは、運勢ラックよりも攻撃力アタック速度スピードを重視するタイプだった。先にぶん殴った方が強いという信念は変わらない)、今世では、命が助かるのなら神にも仏にも祈ってやるって気分なのだ。
 
 それに、このネックレスは普通に可愛くて気に入ってる。お気に入りというのは大事だ。

 その時、古時計の鐘が鳴る。ふと顔を上げた古時計の針は、お昼の三時を告げていた。
 この『ゼロナイ』世界でも、時間は前の世界と変わらない。
 そこは、あれかな? JジャパニーズRPGのご都合なところだな?
 
 その鐘の音を聞いた途端、雪の女王はすぐさまニコニコと笑みを浮かべた。細くて綺麗な指を合わせ、弾む声音で口を開く。
 

「あら、お茶の時間だわ!」
 
 
 ◇◆◇
 
 
 はて? とわたしは、何度目かも付かぬ疑問符を脳裏に浮かべた。
 
 わたしと雪の女王の間に横たわるテーブル、その間には何故か、アフタヌーンティー一式がセットされていた。雪の女王が指を鳴らした瞬間の出来事だった。魔法すげぇ。
 
 わたしも紅茶とお菓子を勧められたものの、お菓子の方は断った。
 甘いお菓子は美味しそうだったけれど、それでもこの身体は、ちょっとでも食べ過ぎると具合が悪くなってしまう。悲しいところだ。

 紅茶にざぶざぶお砂糖を入れたものを、ちまりちまりと啜っていく。
 
「そう。なら、お父様と仲直りできたのね」
 
 クッキーを摘みながらそう言った雪の女王は、まるで我が事のように嬉しそうだ。
 
「仲直り……なのかな? ちょっと、よく分かんないけど」
 
 わたしは思わず苦笑いをする。
 
 確かに、先日は『当主の間』でもてなしと謝罪を受けたものの――世間によくある家族のようなやり取りは、これまで一度もしたことがない。
 
 まぁ、今更父親ぶられてもってところはあるけれど。事務的なやり取りがスムーズにできるようになっただけでも、十分喜ぶべきだろう。
 
 ふむぅ、と雪の女王は子供のように口を尖らせた。
 
「家族の問題というのは、難しいわねぇ」
 
「そうですねぇ」
 
 そう相槌を打って、わたしは紅茶を傾ける。

 ……そういえば、わたしの本当の父親って、一体誰なんだろう?
 そこまで興味があるわけじゃないんだけど、シギルなら知っているだろうか。後で聞いてみようかな。
 
 さすがに、父に直接訊くほど無神経じゃない。
 リッカちゃんは空気が読める子なので。
 
 アフタヌーンティーの皿が空になった頃(ほとんど雪の女王が食べた。あまりに美味しそうに食べるものだから、わたしも一口だけ頂いてしまった。美味しかったです……前世の身体であればもっと食べられたのに……)、雪の女王は腕を組んでは首を傾げた。
 
「でもね、リッカ。それでもやっぱり、お父様とお話することは大事だと思うの」
 
 どこか言い聞かせるような口調だった。
 
「六年間も冷遇されて、それでも尚、あなたはお父様を許した。その心は立派だわ。でもめだ、お父様はリッカに対して、どう振る舞って良いものか決めかねている。……償っても良いものか、恐れていると言ってもいいかもね」
 
「……恐れてる……」
 
「何もなしに許されてしまうと、逆に不安になるものよ」
 
 ……なるほど、分からなくもない。
 
 と、そこで雪の女王は、勢いよく手を打ち鳴らした。わたしの顔を覗き込むと、悪戯を思いついた子供のような表情でにっこり笑う。

「ねぇリッカ、いいこと教えてあげよっか」
 
 わたしは思わず目を瞬かせた。
 そんなわたしに構うことなく、雪の女王はわたしの手を引っ張って椅子から立ち上がらせると、そのまま壁ぎわへと連れて行く。
 
「わっ、何?」
 
「うっふっふ。リッカ、さっきのネックレスなんだけど、ちょっと外してみてくれない?」
 
 何がなんだか分からないものの、とりあえず雪の女王の言う通りにネックレスを首から外した。
 雪の女王は、壁に掛かった一枚の絵画を指し示す。
 
 一面、真っ白の銀世界が描かれた絵だった。あまり大きくはない、むしろ小さい部類に入るだろう。
 
 名門貴族らしくというか何というか、このお城もやっぱりこうして、絵画だとか壺だとか彫刻だとかがいろんなところに飾られている。
 美術には全く興味のないわたしは、ふぅんと素通りするばかりだ。どれも『なんか高そうー』くらいの感情しか湧いてこない。
 
 ……感性が貧相? うるさいな!
 
「この絵に、そのネックレスを押し当ててみて?」
 
 雪の女王はニコニコしながらそんな言葉を口にした。
 
「……そうしたら、どうなるの?」
 
「んー?」
 
 雪の女王はただニコニコしているだけだ。
 くそ、可愛いなこのやろう。
 
 ……雪の女王は悪戯っ子のような部分はあるものの、基本的にはいい人だ。
 変なことは起きないだろう。……多分。
 
 手をそっと掲げると、わたしはそのネックレスをゆっくりと絵画に近付け、押し当てた。


 ――瞬間、絵画の掛かった壁がと反転する。
 思わずつんのめったわたしは、そのまま壁の奥へとダイブした。

 
「ひぇぇっ!?」
 
 すんでのところで両手をついて、転倒は免れる。
 ……良かった、毛の長い絨毯が敷いてある場所で……。
 
 はて、ここはどこだろう?
 壁の奥なのに、辺りは思っていたより明るい。どうやらここはお部屋のようで、何やら見たことのある家具が並んでいて――
 


「リッカ!?」


 
 素っ頓狂な声に、目を向けた。
 
 父だ。兄によく似た整った顔に、驚愕の色を滲ませている。
 父の隣にはシギルがいて、父ほどではないものの、それでもわたしの来訪に目を見開いていた。
 

 
「……え?」
 
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