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第一章 ロードライトの令嬢
18 言うに事欠いて、それ!?
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結局、シギルの要望通り、わたしは彼の頬をぶった。
……えぇ、ぶったよ。ぶちましたともさ。
もちろんわたしの非力な腕じゃ、ぺちんとも鳴らなかったけど。全然痛くなかっただろうけど。
あぁ、毎日真面目に朝練してた、六花の頃が懐かしい。
当時であれば、そこそこの威力でフルスイングビンタができただろうに……。
「いいかリッカ、今のは忘れろ。変態に出会ったことなんて、お前の記憶に残しておく価値はないんだからな」
わたしの右手をハンカチでめちゃくちゃ拭きながら、兄はわたしに言い聞かせてくる。
シリウス様は極寒の眼差しを、隠すことなくシギルに向けていた。
シギルはわたしにぶたれた時の姿勢のまま「幼女のおててでぶたれてしまった……しかもあんな侮蔑的な眼差しで……」などと呟きながら、恍惚の笑みを浮かべている。
うっわぁ……。
「……変態」
シギルを見下ろすシリウス様の目つきは、すでに毛虫を見るようなものになっていた。
わたしはシギルに問いただす。
「はい、あなたの言う通りにしたでしょ。これで、お父様の元へ連れて行ってくれる?」
「えぇ、もちろん。私、嘘はつきませんから」
キラキラ笑顔で答えるシギル。
正直、さっきまで彼に抱いていた畏れのようなものは、悪いけどもうどこか彼方へと消し飛んでいるよね……。
別の意味での恐怖を覚えてるよ。
「それでは、御三方。どうぞ奥へお進みください」
立ち上がったシギルは、わたしたちを先導するように奥の階段を上って行った。
思わず顔を見合わせ、わたしたちも慌てて後を(わたしは兄に背負い直されて、だけど)追う。
「父上は今、『当主の間』にいるのか?」
兄が尋ねた。
シギルは「はい」と頷いてみせる。
「只今は絶賛仕事中の頃合いかと思われますので、多少嫌そうな顔をされることくらいは覚悟しておいてくださいね。まぁいきなり訪ねて来たのは其方ですので、そのくらいは承知の上でしょうが」
「……いるのなら、それでいい」
そう短く呟いて、兄はそれきり黙り込んだ。
シリウス様も黙ったまま、きょろきょろと興味深そうに辺りを見回しながらついてくる。
――なんだか、不思議な気配がする。
どこか遠くで、鈴が鳴っているような音が聴こえてくるのだ。
いろんな音が合わさりあって、何処か奇妙に反響している。
螺旋階段の石壁に掛かった蝋燭の、ゆらゆらとしたその光には、何枚もの肖像画が照らされていた。
それらが一斉にわたしたちを見つめているように思えて、わたしは思わず兄の背中にしがみつく。
シギルが扉を開けたことで、螺旋階段の終わりを知った。
一体、何階分上ったのだろうか。ぐるぐる回っていると、上った高さがよく分からなくなってしまう。
それでも、兄やシリウス様は息一つ乱していない。
兄なんて、わたしというお荷物を背負っての上りだったというのに、すごいや。
中――『当主の間』は、なんだか不思議な空間だった。
わたしが知っている中でも一番近いのは、学校の校長室だろうか。
壁に備え付けられた大きな戸棚には、様々な魔法の品が詰まっていた。
逆さに浮かび上がる砂時計、自立しゆっくり動いている月面球、立てかけられた曇り鏡。
部屋の最奥には大きな執務机があって、そこに、誰かが腰掛けている。
「オブシディアン」
鋭い声に、兄の足が縫い留められた。
執務机の奥に佇む、この部屋の主――父の声。
「何をしに来た。お前の来訪を許可した覚えはない」
「――父上」
奥歯を音が鳴るほど噛み締めた兄は、それでもわたしを背負ったまま、その場で膝をつくと頭を下げた。
「ご無礼、申し訳ありません」
わたしは慌てて、兄の背中から降りる。
そこでわたしは、初めて自分の父の姿を目にした。
最初に思ったのは――『兄に似ている』。
本当は、兄が父に似たのだろうけど。
わたしはつい、そう思ってしまった。
兄と同じ黒の髪に、蒼の瞳。無表情だと怜悧で冷たい印象を与えるところも、兄とよく似ている。
アンダーリムの眼鏡の奥は、ただただ冷たい光を兄に注いでいた。
わたしを通り越し、父の視線はシギルへと向かう。
「シギル。なんで通した」
「次期当主様とリッカお嬢様のご命令には逆らえませんので」
飄々とそんな言葉を口にしながら、シギルは父の横に立った。
そうしていると、途端に従者っぽく見えるから不思議なものだ。
さっきまで幼女にビンタされて恍惚としていた人と、同一人物とは思えない。
「それに、我が主様は『リッカ様が死んだ以外の報は通すな』と仰っただけで、『リッカ様を通すな』とは、一言も仰っていませんでしたよね?」
そう言いながら、シギルはわたしにウィンクを飛ばした。
わたしがドン引くよりも早く、兄が露骨に舌打ちをする。わぁ。
その時、シリウス様が兄の一歩後ろで足を止めた。
「あー……一応、初めましてって言った方がいいんですかね?」
赤い髪を一度掻き、シリウス様は父を見据える。
「無視されてんのもちょっと気まずいんで、名乗らせてくださいね。一年前の、建国歴493年にこの国に越してきました、シリウス・ローウェルと申します。オブシディアンの友人で、彼に誘ってもらって、週末はよく此方にお邪魔していました。挨拶が遅れてすみません」
シリウス様は、未だ跪いたままの兄を見た。
「こちらの作法が分からないんですが、俺も膝をついた方がいいんですかね?」と口元を歪め、薄く笑ってみせる。
父はそこで、初めてシリウス様に視線を向けた。
「……あぁ、去年の国外の子か。君の話は聞いている。……礼を執る必要はない。この国へようこそ、シリウス」
思いもかけず、柔らかな声音だった。
身構えていたシリウス様も、驚いたように目を瞠っている。
「……はい。ありがとうございます」
「話は以上か。なら、もう出て行くがいい」
父は、わたしと目も合わせずにそう言った。
その声に、兄ははっと顔を上げると立ち上がる。
「父上! 僕は、リッカについて話をしに来たんです! どうして、リッカの話を聞いてくれないんですか!」
「その娘について、話すべきことなど何もない」
父はわたしを見もしない。
視線はただ、わたしの隣にいる兄にのみ向けられていた。
こうもあからさまに無視されていると、悲しみを通り越して、なんだか少し呆れてしまう。
「あの……お兄様」
「下がってろ、リッカ。僕が話す」
声を掛けるも、兄は素早くわたしを制した。
思わず縋るようにシリウス様を見上げるも、シリウス様もどうしていいか迷う瞳で首を振る。
「父上。リッカに掛けられた『呪い』について教えてください」
兄の言葉に、父は小さく嘆息した。
「知ってどうする」
「リッカの呪いを解きます」
「第四分家の連中が、寄ってたかってその娘の呪いを解析して、結局何一つとして掴めもしなかったというのに? お前は彼の者らより、癒術に秀でているとでも?」
「……それでも、解くんだ。リッカの呪いは、僕が必ず解いてみせる」
兄の、強く握られた拳が戦慄いている。
手のひらに爪が食い込む様は、見ているだけで痛々しい。
そんな兄を見て、父は大きくため息をついた。
「愚かだな」
「……リッカが生まれた頃は……母上が生きていた頃は、違ったじゃないですか……父さん」
食い縛った歯の間から、兄は押し殺した声を溢す。
え、とわたしは兄を見上げた。
「母さんが死んでから、父さんは変わってしまった。ロードライトの本家当主を母さんから引き継いでからというもの、父さんはリッカの顔すら見に来なくなった。
……知らないだろう。リッカが今、七歳になっていることも。最近はよく笑うようになったことも。呪いに負けたくないと、僕と一緒に生きたいんだと、そう言ったことも、貴方は――知らないのだろう」
臆病者が、と兄は、父に向かって吐き捨てる。
「今の僕には、貴方が、娘に差し迫った死に怯え、衰弱していく娘を視界に入れないことで自らの心の安寧を保とうとする、ただの臆病者にしか見えない」
何も出来ないからと言って、側にいない理由にはならない。
「ただ、手を握ってやるだけで、リッカがどれだけ救われた顔をするか――貴方は知らない。それが僕には、ひどく可哀想にも思える」
そう言って、兄はうっすらと目を細めた。
わたしは兄の前に立つと、一歩、父に歩み寄る。
「お父様。わたしです。リッカ・ロードライトです。待ちきれなくて、来てしまいました」
胸の前に手を当てた。
父はふと目を伏せ、執務机の置物に興味を惹かれた素振りをする。
そんな様子の父を見て、兄が声を荒げた。
「父上! リッカが話をしているんです!」
「お兄様、待ってください」
兄を制し、わたしは父をキッと見上げる。
「お父様。わたしのことが嫌いなら、それでもわたしは構いません。ですが」
「リッカは一族の恥だ。呪いで早世してくれるなんて、願ったり叶ったりだな」
わたしを見向きもしないまま、父はそう吐き捨てた。
……。
……は。
は、はぁぁあ?
わたしの長い、ながーい堪忍袋の緒が、とうとうぷちんと音を立てて切れる。
一族の恥?
言うに事欠いて、何、それ?
お前は一族の恥だから、呪いでとっとと死んでくれってこと?
毎日毎日死にそうなくらい苦しいのも、起き上がれないほどの高熱が出るのも、全部全部全部ぜーんぶ、わたしのせいってわけ?
ただ毎日ずっと、ベッドの上で痛みに耐えて、たった一人で耐え続けて、そんな娘に掛ける言葉が『一族の恥』?
「……それじゃあ、わたしがどうしてこんな呪いを受けることになったのかくらいは、ちゃんと説明してもらおうじゃないの!」
かろうじてあった申し訳なさとか、一応は親に対する敬意とか、そういった諸々全部、どこか遠い彼方へとすっ飛んでいく。
他人事みたいに言いやがって。
六花の意識が目覚めてまだ日は浅いけれど、それでもリッカがどれだけの苦しみに耐え抜いてきたのかは知っている。
終わらない苦しみの中、それでも小さな身体で痛みに耐え続いてきた、あの子の強さを知っている。
――心が折れるまで、ただ兄だけを支えにして生きてきたのだ。
耐えた痛みも、苦しみも、アンタは何一つ知らないくせに。
知ろうともして来なかったこの人を、わたしは父とは認めない。
「わたしはただ、生きたいだけ! 痛みも苦しみもない世界で、大切な人と生きていきたいだけ!」
一族が何だとか、関係ない。
強く、強く、父を睨みつけた。
「この呪いを解くためなら、わたしは何だってする。お兄様と歩める未来のためなら、わたしは何だってしたい。だからお父様、わたしの目的の邪魔だけはしないで」
「……お前を認めるわけにはいかない」
そんな言葉が、父の食い縛った歯の奥から溢れ出る。
「お前は、生まれてきたことそのものが罪なのだ……! 決して認めるわけにはいかない!」
「……それが実の子供に言う台詞!? アンタが撒いた種じゃないの、なら最後まで、その命に責任くらい持ちなさいよ!!」
「リッカは私の子供ではない!!」
父の蒼白な叫び声は、部屋中に響き渡った。
兄も、シリウス様も、今の父の言葉に目を見開いている。
一拍遅れて自分の失態に気がついたのだろう、父は素早く顔色を変えた。
言ってはならないこと、口に出してはいけないことを、とうとう言ってしまったと――その表情こそが、何よりも雄弁に語っていた。
(……あぁ、だからか)
衝撃の傍ら、頭の片隅で、どこか冷静に全てを見ている自分がいた。
(母の不貞の末に、生まれた娘。そりゃあ、愛せないかもしれないなぁ――)
どこにでもある、ありふれた話だ。
「……は……? なに……? リッカが……」
兄は未だ、理解できないと雄弁な顔で凍りついていた。
シリウス様は一瞬だけ戸惑った顔をしていたが、やがて素早く飲み込んだのだろう、冷静な眼差しで、父をじっと観察している。
「……お父様」
想像よりも、ずっと静かな声が出た。
父は、ハッと目を見開いてわたしを見る。
初めてわたしを見てくれたと、そんなことが、何だかとても嬉しく思えた。
この世界がどんな貞操観念を持っているのかは分からないけれど、少なくとも一夫多妻制や一妻多夫制が罷り通っているような世界ではない。
父もきっと、母に傷つけられた被害者なのだ。
「酷いことを言ってしまって、ごめんなさい」
深々と。
父に向かって、頭を下げる。
「お父様のお気持ちは、よく分かりました。……でも、わたしは……」
その時、ドクンと強く心臓が脈打った。
ぁ、と小さく喘いで胸を押さえる。
いつもの『呪い』の発作だ。
少し興奮しすぎたと、霞がかる意識の中で思う。
「……リッカ「リッカ!!」
息が、思うように吸えない。
床に膝をついた。手を出すより先に、身体が床に倒れ込む。
そんなわたしの元に、兄とシリウス様が慌てて駆け寄ってきた。
肩で大きく息をしながらも、わたしは瞳を父へと向ける。
椅子をひっくり返す勢いで立ち上がった父は、揺れる瞳でわたしを見ていた。
わたしはうっすらと微笑んでみせる。
誰よりも――兄よりも早く、父はわたしの名前を呼んでくれた。
「……シギル。セラを呼べ……今すぐに」
「御意に」
薄れていく意識の中、そんな声が耳に届いていた。
……えぇ、ぶったよ。ぶちましたともさ。
もちろんわたしの非力な腕じゃ、ぺちんとも鳴らなかったけど。全然痛くなかっただろうけど。
あぁ、毎日真面目に朝練してた、六花の頃が懐かしい。
当時であれば、そこそこの威力でフルスイングビンタができただろうに……。
「いいかリッカ、今のは忘れろ。変態に出会ったことなんて、お前の記憶に残しておく価値はないんだからな」
わたしの右手をハンカチでめちゃくちゃ拭きながら、兄はわたしに言い聞かせてくる。
シリウス様は極寒の眼差しを、隠すことなくシギルに向けていた。
シギルはわたしにぶたれた時の姿勢のまま「幼女のおててでぶたれてしまった……しかもあんな侮蔑的な眼差しで……」などと呟きながら、恍惚の笑みを浮かべている。
うっわぁ……。
「……変態」
シギルを見下ろすシリウス様の目つきは、すでに毛虫を見るようなものになっていた。
わたしはシギルに問いただす。
「はい、あなたの言う通りにしたでしょ。これで、お父様の元へ連れて行ってくれる?」
「えぇ、もちろん。私、嘘はつきませんから」
キラキラ笑顔で答えるシギル。
正直、さっきまで彼に抱いていた畏れのようなものは、悪いけどもうどこか彼方へと消し飛んでいるよね……。
別の意味での恐怖を覚えてるよ。
「それでは、御三方。どうぞ奥へお進みください」
立ち上がったシギルは、わたしたちを先導するように奥の階段を上って行った。
思わず顔を見合わせ、わたしたちも慌てて後を(わたしは兄に背負い直されて、だけど)追う。
「父上は今、『当主の間』にいるのか?」
兄が尋ねた。
シギルは「はい」と頷いてみせる。
「只今は絶賛仕事中の頃合いかと思われますので、多少嫌そうな顔をされることくらいは覚悟しておいてくださいね。まぁいきなり訪ねて来たのは其方ですので、そのくらいは承知の上でしょうが」
「……いるのなら、それでいい」
そう短く呟いて、兄はそれきり黙り込んだ。
シリウス様も黙ったまま、きょろきょろと興味深そうに辺りを見回しながらついてくる。
――なんだか、不思議な気配がする。
どこか遠くで、鈴が鳴っているような音が聴こえてくるのだ。
いろんな音が合わさりあって、何処か奇妙に反響している。
螺旋階段の石壁に掛かった蝋燭の、ゆらゆらとしたその光には、何枚もの肖像画が照らされていた。
それらが一斉にわたしたちを見つめているように思えて、わたしは思わず兄の背中にしがみつく。
シギルが扉を開けたことで、螺旋階段の終わりを知った。
一体、何階分上ったのだろうか。ぐるぐる回っていると、上った高さがよく分からなくなってしまう。
それでも、兄やシリウス様は息一つ乱していない。
兄なんて、わたしというお荷物を背負っての上りだったというのに、すごいや。
中――『当主の間』は、なんだか不思議な空間だった。
わたしが知っている中でも一番近いのは、学校の校長室だろうか。
壁に備え付けられた大きな戸棚には、様々な魔法の品が詰まっていた。
逆さに浮かび上がる砂時計、自立しゆっくり動いている月面球、立てかけられた曇り鏡。
部屋の最奥には大きな執務机があって、そこに、誰かが腰掛けている。
「オブシディアン」
鋭い声に、兄の足が縫い留められた。
執務机の奥に佇む、この部屋の主――父の声。
「何をしに来た。お前の来訪を許可した覚えはない」
「――父上」
奥歯を音が鳴るほど噛み締めた兄は、それでもわたしを背負ったまま、その場で膝をつくと頭を下げた。
「ご無礼、申し訳ありません」
わたしは慌てて、兄の背中から降りる。
そこでわたしは、初めて自分の父の姿を目にした。
最初に思ったのは――『兄に似ている』。
本当は、兄が父に似たのだろうけど。
わたしはつい、そう思ってしまった。
兄と同じ黒の髪に、蒼の瞳。無表情だと怜悧で冷たい印象を与えるところも、兄とよく似ている。
アンダーリムの眼鏡の奥は、ただただ冷たい光を兄に注いでいた。
わたしを通り越し、父の視線はシギルへと向かう。
「シギル。なんで通した」
「次期当主様とリッカお嬢様のご命令には逆らえませんので」
飄々とそんな言葉を口にしながら、シギルは父の横に立った。
そうしていると、途端に従者っぽく見えるから不思議なものだ。
さっきまで幼女にビンタされて恍惚としていた人と、同一人物とは思えない。
「それに、我が主様は『リッカ様が死んだ以外の報は通すな』と仰っただけで、『リッカ様を通すな』とは、一言も仰っていませんでしたよね?」
そう言いながら、シギルはわたしにウィンクを飛ばした。
わたしがドン引くよりも早く、兄が露骨に舌打ちをする。わぁ。
その時、シリウス様が兄の一歩後ろで足を止めた。
「あー……一応、初めましてって言った方がいいんですかね?」
赤い髪を一度掻き、シリウス様は父を見据える。
「無視されてんのもちょっと気まずいんで、名乗らせてくださいね。一年前の、建国歴493年にこの国に越してきました、シリウス・ローウェルと申します。オブシディアンの友人で、彼に誘ってもらって、週末はよく此方にお邪魔していました。挨拶が遅れてすみません」
シリウス様は、未だ跪いたままの兄を見た。
「こちらの作法が分からないんですが、俺も膝をついた方がいいんですかね?」と口元を歪め、薄く笑ってみせる。
父はそこで、初めてシリウス様に視線を向けた。
「……あぁ、去年の国外の子か。君の話は聞いている。……礼を執る必要はない。この国へようこそ、シリウス」
思いもかけず、柔らかな声音だった。
身構えていたシリウス様も、驚いたように目を瞠っている。
「……はい。ありがとうございます」
「話は以上か。なら、もう出て行くがいい」
父は、わたしと目も合わせずにそう言った。
その声に、兄ははっと顔を上げると立ち上がる。
「父上! 僕は、リッカについて話をしに来たんです! どうして、リッカの話を聞いてくれないんですか!」
「その娘について、話すべきことなど何もない」
父はわたしを見もしない。
視線はただ、わたしの隣にいる兄にのみ向けられていた。
こうもあからさまに無視されていると、悲しみを通り越して、なんだか少し呆れてしまう。
「あの……お兄様」
「下がってろ、リッカ。僕が話す」
声を掛けるも、兄は素早くわたしを制した。
思わず縋るようにシリウス様を見上げるも、シリウス様もどうしていいか迷う瞳で首を振る。
「父上。リッカに掛けられた『呪い』について教えてください」
兄の言葉に、父は小さく嘆息した。
「知ってどうする」
「リッカの呪いを解きます」
「第四分家の連中が、寄ってたかってその娘の呪いを解析して、結局何一つとして掴めもしなかったというのに? お前は彼の者らより、癒術に秀でているとでも?」
「……それでも、解くんだ。リッカの呪いは、僕が必ず解いてみせる」
兄の、強く握られた拳が戦慄いている。
手のひらに爪が食い込む様は、見ているだけで痛々しい。
そんな兄を見て、父は大きくため息をついた。
「愚かだな」
「……リッカが生まれた頃は……母上が生きていた頃は、違ったじゃないですか……父さん」
食い縛った歯の間から、兄は押し殺した声を溢す。
え、とわたしは兄を見上げた。
「母さんが死んでから、父さんは変わってしまった。ロードライトの本家当主を母さんから引き継いでからというもの、父さんはリッカの顔すら見に来なくなった。
……知らないだろう。リッカが今、七歳になっていることも。最近はよく笑うようになったことも。呪いに負けたくないと、僕と一緒に生きたいんだと、そう言ったことも、貴方は――知らないのだろう」
臆病者が、と兄は、父に向かって吐き捨てる。
「今の僕には、貴方が、娘に差し迫った死に怯え、衰弱していく娘を視界に入れないことで自らの心の安寧を保とうとする、ただの臆病者にしか見えない」
何も出来ないからと言って、側にいない理由にはならない。
「ただ、手を握ってやるだけで、リッカがどれだけ救われた顔をするか――貴方は知らない。それが僕には、ひどく可哀想にも思える」
そう言って、兄はうっすらと目を細めた。
わたしは兄の前に立つと、一歩、父に歩み寄る。
「お父様。わたしです。リッカ・ロードライトです。待ちきれなくて、来てしまいました」
胸の前に手を当てた。
父はふと目を伏せ、執務机の置物に興味を惹かれた素振りをする。
そんな様子の父を見て、兄が声を荒げた。
「父上! リッカが話をしているんです!」
「お兄様、待ってください」
兄を制し、わたしは父をキッと見上げる。
「お父様。わたしのことが嫌いなら、それでもわたしは構いません。ですが」
「リッカは一族の恥だ。呪いで早世してくれるなんて、願ったり叶ったりだな」
わたしを見向きもしないまま、父はそう吐き捨てた。
……。
……は。
は、はぁぁあ?
わたしの長い、ながーい堪忍袋の緒が、とうとうぷちんと音を立てて切れる。
一族の恥?
言うに事欠いて、何、それ?
お前は一族の恥だから、呪いでとっとと死んでくれってこと?
毎日毎日死にそうなくらい苦しいのも、起き上がれないほどの高熱が出るのも、全部全部全部ぜーんぶ、わたしのせいってわけ?
ただ毎日ずっと、ベッドの上で痛みに耐えて、たった一人で耐え続けて、そんな娘に掛ける言葉が『一族の恥』?
「……それじゃあ、わたしがどうしてこんな呪いを受けることになったのかくらいは、ちゃんと説明してもらおうじゃないの!」
かろうじてあった申し訳なさとか、一応は親に対する敬意とか、そういった諸々全部、どこか遠い彼方へとすっ飛んでいく。
他人事みたいに言いやがって。
六花の意識が目覚めてまだ日は浅いけれど、それでもリッカがどれだけの苦しみに耐え抜いてきたのかは知っている。
終わらない苦しみの中、それでも小さな身体で痛みに耐え続いてきた、あの子の強さを知っている。
――心が折れるまで、ただ兄だけを支えにして生きてきたのだ。
耐えた痛みも、苦しみも、アンタは何一つ知らないくせに。
知ろうともして来なかったこの人を、わたしは父とは認めない。
「わたしはただ、生きたいだけ! 痛みも苦しみもない世界で、大切な人と生きていきたいだけ!」
一族が何だとか、関係ない。
強く、強く、父を睨みつけた。
「この呪いを解くためなら、わたしは何だってする。お兄様と歩める未来のためなら、わたしは何だってしたい。だからお父様、わたしの目的の邪魔だけはしないで」
「……お前を認めるわけにはいかない」
そんな言葉が、父の食い縛った歯の奥から溢れ出る。
「お前は、生まれてきたことそのものが罪なのだ……! 決して認めるわけにはいかない!」
「……それが実の子供に言う台詞!? アンタが撒いた種じゃないの、なら最後まで、その命に責任くらい持ちなさいよ!!」
「リッカは私の子供ではない!!」
父の蒼白な叫び声は、部屋中に響き渡った。
兄も、シリウス様も、今の父の言葉に目を見開いている。
一拍遅れて自分の失態に気がついたのだろう、父は素早く顔色を変えた。
言ってはならないこと、口に出してはいけないことを、とうとう言ってしまったと――その表情こそが、何よりも雄弁に語っていた。
(……あぁ、だからか)
衝撃の傍ら、頭の片隅で、どこか冷静に全てを見ている自分がいた。
(母の不貞の末に、生まれた娘。そりゃあ、愛せないかもしれないなぁ――)
どこにでもある、ありふれた話だ。
「……は……? なに……? リッカが……」
兄は未だ、理解できないと雄弁な顔で凍りついていた。
シリウス様は一瞬だけ戸惑った顔をしていたが、やがて素早く飲み込んだのだろう、冷静な眼差しで、父をじっと観察している。
「……お父様」
想像よりも、ずっと静かな声が出た。
父は、ハッと目を見開いてわたしを見る。
初めてわたしを見てくれたと、そんなことが、何だかとても嬉しく思えた。
この世界がどんな貞操観念を持っているのかは分からないけれど、少なくとも一夫多妻制や一妻多夫制が罷り通っているような世界ではない。
父もきっと、母に傷つけられた被害者なのだ。
「酷いことを言ってしまって、ごめんなさい」
深々と。
父に向かって、頭を下げる。
「お父様のお気持ちは、よく分かりました。……でも、わたしは……」
その時、ドクンと強く心臓が脈打った。
ぁ、と小さく喘いで胸を押さえる。
いつもの『呪い』の発作だ。
少し興奮しすぎたと、霞がかる意識の中で思う。
「……リッカ「リッカ!!」
息が、思うように吸えない。
床に膝をついた。手を出すより先に、身体が床に倒れ込む。
そんなわたしの元に、兄とシリウス様が慌てて駆け寄ってきた。
肩で大きく息をしながらも、わたしは瞳を父へと向ける。
椅子をひっくり返す勢いで立ち上がった父は、揺れる瞳でわたしを見ていた。
わたしはうっすらと微笑んでみせる。
誰よりも――兄よりも早く、父はわたしの名前を呼んでくれた。
「……シギル。セラを呼べ……今すぐに」
「御意に」
薄れていく意識の中、そんな声が耳に届いていた。
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お姉様が婚約者に裏切られてバッドエンドを迎えそうになっているので、前世の知識を活かして阻止します
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事故によって命を落としたわたしは生前プレイしていた乙女ゲームの世界に転生し、ヒロインである公爵令嬢アヴァの妹ステラとして生まれ変わった。
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容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
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*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
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「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
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突然、神様に転生する?と、聞かれた私が異世界でほのぼのすごす予定だった物語。
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寿命で亡くなった長島深雪は、神様のサーヤにより、異世界に行く事になった。
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もふもふキュートな仲間も増え、毎日楽しく過ごしてます。
とにかくのんびりほのぼのを目指して頑張ります❗
いくぞ、「【【オー❗】】」
誤字脱字がある場合は教えてもらえるとありがたいです。
「~紹介」は、更新中ですので、たまに確認してみてください。
コメントをくれた方にはお返事します。
こんな内容をいれて欲しいなどのコメントでもOKです。
2日に1回更新しています。(予定によって変更あり)
小説家になろうの方にもこの作品を投稿しています。進みはこちらの方がはやめです。
少しでも良いと思ってくださった方、エールよろしくお願いします。_(._.)_
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