16 / 73
第一章 ロードライトの令嬢
16 名門貴族に生まれたばっかりに
しおりを挟む
気が済むまで兄と抱きしめ合っていたというのに、それでも身を離すと、すぐさま寂しさが募ってしまった。
名残惜しいのは兄も同じようで、身体を離してもまだ触れ足りないとばかりに、わたしの髪をかき上げては、頬へ、耳へと指を滑らせる。
触れられているその感覚が心地よくて、わたしは思わず目を細めた。
「……お前ら、本当に仲良いなぁ……」
笑い混じりのシリウス様の声に、わたしたちは揃って大きく身を跳ねさせた。
……今、完っ全に、シリウス様の存在が意識の外だった……!
慌てて兄から身を離した。熱が集まった頬に右手を当てる。
……わ、熱い。自分の身体で熱を感じたのって、何気に今が初めてだよ。
それでも何となく名残惜しくて、左手はまだ兄の指に絡めたままだ。
兄も、わたしの手をやわやわと握りながら、シリウス様に「別にいいだろ、リッカは僕の、可愛い妹なんだから」と仄かに赤く染まった顔を向ける。
「別にダメだとは誰も言っていませんよ? 兄妹仲が良いのは何よりじゃないか、あぁ」
わたしと兄が繋いだ手を見ながら、シリウス様はただにやにやと笑うだけだ。
全く……。
シリウス様はふと真面目な表情をすると、わたしの顔を覗き込んだ。
「ところで……リッカ。ひとつ、聞いてもいいか?」
「なんでしょう? シリウス様」
「俺、リッカはただ、病弱なんだと思っていたけど……今『呪い』って言ったよな。それ、一体どういうことなの?」
「どういうこと……」
と、言われましても、わたしもよく分かってはいないんだけど。
とにもかくにも、拙いまでも、わたしが知っている限りのことを説明する。
難しい顔で腕を組んだシリウス様は、まず一言、
「うん、何にも分からんな」
と大きく頷いた。
……完全に同意だよ。
「リッカが普段からよく体調を崩してしまうのも、それじゃあ呪いのせいってことだよな?」
「そういうことになると思います」
シリウス様の言葉に頷いたわたしは、思わずため息を溢す。
一体、わたしが何をしたって言うんだ。
入っちゃいけないところに入ってしまったとか、見てはいけないものを見てしまったとか、そういうので呪われたんだとしたらまだ分かるよ?
でも、そうじゃないみたいだし。
となるともう、何というか、とばっちりだなぁという感が拭えない。
「呪いというからには、掛けた誰かがいそうなもんだけど。どうせ、その辺りもよく分かんないってんだろ?」
「あぁ……リッカにこんな呪いを掛けたやつなんて、見つけたら生きたままバラバラにして、リッカがこれまでに受けた苦しみを何万倍にもして味わわせてやりたい気持ちは山々なんだが……」
兄は真顔で首肯していた。目がマジだ。
……この人なら、本当にやりかねないよな……。
流石は、未来でラスボスを務めるだけのことはある。想いの深さが段違いだ。
加えて、それに伴う行動力も。
「それじゃあ、リッカは自分が何で呪われたのかも、どういう呪いが自分に掛けられてるのかも、何にも知らないってことだよな」
「ですね……」
相手の寿命を、じわじわと削っていくタイプのものだろうか。
なんて、経験を振り返って思ってみたりする。
……でもなぁ……。
わたしを呪って、一体何のメリットがあるんだろう?
「それは、お前がロードライトの娘だからだろうと思うぞ」
「え?」
兄の言葉に、わたしは思わず首を傾げた。
何てことないように兄は言う。
「ロードライトはこの国で一番力を持っている家だが、その分敵の数も多い。綺麗なことばかりやっているわけじゃないからな。歴が長い家なだけに、先祖の恨みをずっと根に持たれていたりもするし。特に、僕とお前は本家の直系だ。狙われる理由はいくつも考えられる」
名門貴族やべぇ……。
じゃあ何? わたしがこうして呪いで日々苦しんでいるのは、お貴族様に転生してしまったからってこと?
普通、貴族の子供に転生できたらラッキー! ってなるはずなのに、わたしの場合は逆に裏目ってるってこと?
……腑に落ちねぇーっ……。
「でも、だったら尚のこと、子供は守ってやんないといけないだろ。この家なら後ろ盾になれる力くらいあるだろうに、現状リッカが放置されてんのは納得いかねぇ」
眉を寄せたまま、シリウス様は続ける。
「まずもって情報が少なすぎないか? なんで皆、そんな『呪いにかかってる』なんてふわっとした表現で納得してんの。いつ、どこで、誰が、何を、どうして、どうなったんだって、せめてそのくらいは説明できて良くない? 今のところ『どうなった』しか分かってないじゃん」
こちらも完全に同意なので、うんうんと大きく頷いておく。
でも、兄がしゅんとするのをただ見ているだけなのも忍びない。
「あのっ、セラも……わたしのお世話をいつもしてくれているメイドさんも、詳しいことは何も知らされていないようでした。何か口をはばかる理由でも、あるんですか?」
兄にそう尋ねる。
兄は難しい顔のまま、躊躇いがちに口を開いた。
「……母が……、リッカに呪いが掛けられた後、すぐに母が身罷ったらしく……何か因果関係があるのだろうなどと噂はあるものの、なんやかやと言うのも不謹慎であるし、本家当主である父は無言を貫いているから、どうにも聞きづらくってな……」
あー、それは難しそう。
親戚間のゴタゴタも、こういう名門貴族? みたいなおうちじゃ多そうだし。
全くもう、みんなさっくり話してくれればいいのに。
「お父様が何か知っているご様子なので、お父様にお話を聞こうと……思って、いたんですけど……」
すごく呆気なく断られてしまったことを思い出し、思わず口が重くなる。
大体、父と話すために取り次ぎが必要というのも何だか気に食わない。
実の娘とそんなに会いたくないって言うのか。
シリウス様は、わたしに同情的な目を向けてくれた。
「ロードライト家のご当主様なら、そりゃまぁお忙しいのは当然だとしてもさぁ? せめて娘が何か聞きたがってるんだったら、ちゃんと聞いてやるのが親としての務めじゃないのか? リッカが何をしたっていうんだよ」
「そうです。わたし、何かをしでかすほど、元気であったことなんてないですよ」
それだけは自信を持って言えるので、胸を張る。
しかしシリウス様と兄は、揃って「うわぁ」と物言いたげな顔をした。ちょっと。
「……それに、お父様ったらわたしについて『『リッカが死んだ』以外の報告はいらない』なんて言ったらしいですしね。そんなに嫌われてるのなら、わたしだって嫌ってやる、なんて思っちゃいます」
わたしはしゅんとうなだれながらそう言った。
なんでも、わたしの言伝を父に伝えに行ったセラが、父にそんなことを言われたらしい。
セラは、わたしに直接伝えない良識はあったものの、それでもメイドさん達の間では、そんな話も瞬く間に広まってしまうものだ。
寝込んでいる間にも、そんな噂をする声だって聞こえていた。
具合が悪くて声が出せないからと言って、何も聞いてないと思ったら大間違いだ。
冷や汗をかきながら痛みに悶えていたところで、周囲の話し声を聞く余裕くらいはある。
後からセラにその噂が本当かどうかを尋ねたところ、セラは平伏せんばかりに謝った後、口を濁しながらもそれが事実であると認めていた。
どうやら、父がわたしのことを嫌っているのは、ロードライト家では公然の事実であるようだ。
であれば、リッカの記憶の中に父親の姿が全然ないことにも納得が行く。
嫌われて、遠ざけられているのなら、呪いで死にかけてて部屋の中から出られない娘が父親の顔を忘れるのも、そりゃーまぁ当然ですよねー。
……言っておくけど、別にわたしは怒っているわけじゃない。怒るほどの感情も湧いてこない、が正しい表現かもしれない。
まぁ、父親からそこまで嫌われてることについて、寂しさや悲しさはあるけれど。
好きな人に嫌われてたらすごく落ち込むけれど、興味ない人が自分を嫌ってると知っても「ふーん」で済むのと同じ感じ。
嫌われてるって事実に凹みはするけど、でもそれを苦にして思い悩むかと言われると、そこまでじゃない。
これが、例えば兄に嫌われたのだとしたら、そりゃもう取り乱し方は尋常じゃないことになるだろう。
……うわ。今、ちょっと想像してみただけでクラッとした。
兄に嫌われたら?
何それ、生きている意味なくない?
この世界に生きる価値なくない??
「……だからもう、お父様から話を聞くことは諦めて、他の方法を探ろうと思っているんです。だってお父様、こんな塩対応じゃ、わたしが頭を下げて尋ねたところで有用な情報なんて話してくれないでしょうから」
『父が一番知っている』としたところで『父しか知らない』というわけではないだろう。
幸いにして、ロードライト家には人脈がある。
いくら嫌われているとは言えど、わたしはロードライト当主である父の娘。
分家衆から『様』付けされる立場なのだ。
わたしに使えるものは、何だって利用させてもらう気でいる。
その時、すっと兄は立ち上がった。
わたしと繋いでいた手を解くと、そのまま黙って部屋の扉へと歩き出す。
シリウス様は、兄の背中に呼びかけた。
「おぉい、黒曜、どした? トイレ?」
「ちょっと部屋に取りに行くものがある。シリウス、悪いが少しの間、リッカを見ていてもらえるか?」
振り返らずに兄は言う。
「あ、あぁ……」とシリウス様が戸惑いがちに頷いたのを聞き届け、兄は部屋を出て行った。
「どうしたんでしょう?」
「リッカの話を聞いて、父親にムカついたんじゃないの? 黒曜、リッカのこと大好きだから」
まぁ俺も今の話はちょっとカチンと来たけど、とシリウス様はさらりと口にする。
まぁなぁ、と軽く肩を竦めた。
思えば、シリウス様と二人っきりになったのは今が初めてだ。
改めて、シリウス様に向き直る。
「シリウス様。わたしのこと、いつもいつもいっぱい気遣ってくれてありがとうございます。お手紙、すごく嬉しかったです」
シリウス様は笑顔のまま「いいっていいって」と手を振った。
「俺こそ、黒曜……オブシディアンには感謝してるんだ。俺は国外で生まれたから、学校が休みの日も行き場がなくってさ。オブシディアンに出会えたことを感謝してるのは、実のところ俺の方なんだよ。お前の兄ちゃんのおかげで、俺は毎日楽しく過ごせてる。そのことを、リッカには知っておいて欲しくって」
確かな信頼が滲み出る、柔らかな口調だった。
――あぁ、やっぱり、いい人だなぁと、そんなことを思う。
兄と仲違いなんて、して欲しくないなぁと思う。
「……あの、さ」
ふとシリウス様は、少し口ごもりながらも呟いた。
「あの……リッカ、一つ頼みがあるんだが……その……リッカの頭を撫でさせてもらっても、いいかな?」
「え?」
思わず目を瞬かせた。シリウス様の頬は僅かに赤い。
……おぉ、照れとる。
ゼロナイの世界では主人公ということもあり、シリウス様は『照れる側』というよりむしろ『照れさせる側』だったので、なんだかとっても珍しいものを見た気がした。
「どーぞ、どーぞ。思う存分なでなでしてくれてもいいんですよ!」
シリウス様に頭を突き出す。
「いや、少しでいいよ。あんまりリッカといちゃいちゃしてると黒曜に殺されそう」と言いながらも、シリウス様はそうっとわたしの頭に触れた。
伺うような、何だか恐る恐るの手つきで、わたしの髪を優しく撫でている。
「……俺も、妹いるんだ。リッカと同じくらいのさ」
シリウス様の言葉に、思わず目を見開いた。
わたしの頭を優しく優しく撫でながら、シリウス様は言う。
懐かしむような口調で。
「俺は、黒曜みたいに優しい兄貴じゃなかったし……妹は、リッカみたいに可愛くも、素直でもなくて、いつだってワガママ放題で、俺がちょっと怒ればすぐ泣くし、いつも母さんに引っ付いてた甘えん坊だし……そりゃもう何度も何度も喧嘩したもんだった」
「…………」
国外者は、国の外にいる家族に会うことは出来ない。
それは、国内の技術を外に出さないため、なんだけど。
……それでも。
「……元気かなぁ、あいつ……」
そう言って、シリウス様は目を細めた。
「……元気ですよ……きっと」
わたしの言葉に、シリウス様はにっこり笑う。
「ま、今のリッカよりは間違いなく元気だよ。……悪いな、リッカ。気にしてくれて、ありがとう」
暖かい手が離れていく。
その時、ガチャリと扉が開いた。入ってきたのは兄だ。
わたしとシリウス様の元に足早に近付いてきた兄は、すぐさま「行くぞ」とわたしの手を取った。
「リッカ、ちょっと歩くけど、階段は僕がおんぶして行くよ」
「え、と……? どこに行くんですか?」
兄の口ぶりからして、どうやらわたしを連れて行きたい場所があるようだ。
この虚弱娘を、一体どこへ連れて行くというのだろう?
首を傾げるわたしに、兄は言った。
「父上のところだ。直談判しに行くぞ」
名残惜しいのは兄も同じようで、身体を離してもまだ触れ足りないとばかりに、わたしの髪をかき上げては、頬へ、耳へと指を滑らせる。
触れられているその感覚が心地よくて、わたしは思わず目を細めた。
「……お前ら、本当に仲良いなぁ……」
笑い混じりのシリウス様の声に、わたしたちは揃って大きく身を跳ねさせた。
……今、完っ全に、シリウス様の存在が意識の外だった……!
慌てて兄から身を離した。熱が集まった頬に右手を当てる。
……わ、熱い。自分の身体で熱を感じたのって、何気に今が初めてだよ。
それでも何となく名残惜しくて、左手はまだ兄の指に絡めたままだ。
兄も、わたしの手をやわやわと握りながら、シリウス様に「別にいいだろ、リッカは僕の、可愛い妹なんだから」と仄かに赤く染まった顔を向ける。
「別にダメだとは誰も言っていませんよ? 兄妹仲が良いのは何よりじゃないか、あぁ」
わたしと兄が繋いだ手を見ながら、シリウス様はただにやにやと笑うだけだ。
全く……。
シリウス様はふと真面目な表情をすると、わたしの顔を覗き込んだ。
「ところで……リッカ。ひとつ、聞いてもいいか?」
「なんでしょう? シリウス様」
「俺、リッカはただ、病弱なんだと思っていたけど……今『呪い』って言ったよな。それ、一体どういうことなの?」
「どういうこと……」
と、言われましても、わたしもよく分かってはいないんだけど。
とにもかくにも、拙いまでも、わたしが知っている限りのことを説明する。
難しい顔で腕を組んだシリウス様は、まず一言、
「うん、何にも分からんな」
と大きく頷いた。
……完全に同意だよ。
「リッカが普段からよく体調を崩してしまうのも、それじゃあ呪いのせいってことだよな?」
「そういうことになると思います」
シリウス様の言葉に頷いたわたしは、思わずため息を溢す。
一体、わたしが何をしたって言うんだ。
入っちゃいけないところに入ってしまったとか、見てはいけないものを見てしまったとか、そういうので呪われたんだとしたらまだ分かるよ?
でも、そうじゃないみたいだし。
となるともう、何というか、とばっちりだなぁという感が拭えない。
「呪いというからには、掛けた誰かがいそうなもんだけど。どうせ、その辺りもよく分かんないってんだろ?」
「あぁ……リッカにこんな呪いを掛けたやつなんて、見つけたら生きたままバラバラにして、リッカがこれまでに受けた苦しみを何万倍にもして味わわせてやりたい気持ちは山々なんだが……」
兄は真顔で首肯していた。目がマジだ。
……この人なら、本当にやりかねないよな……。
流石は、未来でラスボスを務めるだけのことはある。想いの深さが段違いだ。
加えて、それに伴う行動力も。
「それじゃあ、リッカは自分が何で呪われたのかも、どういう呪いが自分に掛けられてるのかも、何にも知らないってことだよな」
「ですね……」
相手の寿命を、じわじわと削っていくタイプのものだろうか。
なんて、経験を振り返って思ってみたりする。
……でもなぁ……。
わたしを呪って、一体何のメリットがあるんだろう?
「それは、お前がロードライトの娘だからだろうと思うぞ」
「え?」
兄の言葉に、わたしは思わず首を傾げた。
何てことないように兄は言う。
「ロードライトはこの国で一番力を持っている家だが、その分敵の数も多い。綺麗なことばかりやっているわけじゃないからな。歴が長い家なだけに、先祖の恨みをずっと根に持たれていたりもするし。特に、僕とお前は本家の直系だ。狙われる理由はいくつも考えられる」
名門貴族やべぇ……。
じゃあ何? わたしがこうして呪いで日々苦しんでいるのは、お貴族様に転生してしまったからってこと?
普通、貴族の子供に転生できたらラッキー! ってなるはずなのに、わたしの場合は逆に裏目ってるってこと?
……腑に落ちねぇーっ……。
「でも、だったら尚のこと、子供は守ってやんないといけないだろ。この家なら後ろ盾になれる力くらいあるだろうに、現状リッカが放置されてんのは納得いかねぇ」
眉を寄せたまま、シリウス様は続ける。
「まずもって情報が少なすぎないか? なんで皆、そんな『呪いにかかってる』なんてふわっとした表現で納得してんの。いつ、どこで、誰が、何を、どうして、どうなったんだって、せめてそのくらいは説明できて良くない? 今のところ『どうなった』しか分かってないじゃん」
こちらも完全に同意なので、うんうんと大きく頷いておく。
でも、兄がしゅんとするのをただ見ているだけなのも忍びない。
「あのっ、セラも……わたしのお世話をいつもしてくれているメイドさんも、詳しいことは何も知らされていないようでした。何か口をはばかる理由でも、あるんですか?」
兄にそう尋ねる。
兄は難しい顔のまま、躊躇いがちに口を開いた。
「……母が……、リッカに呪いが掛けられた後、すぐに母が身罷ったらしく……何か因果関係があるのだろうなどと噂はあるものの、なんやかやと言うのも不謹慎であるし、本家当主である父は無言を貫いているから、どうにも聞きづらくってな……」
あー、それは難しそう。
親戚間のゴタゴタも、こういう名門貴族? みたいなおうちじゃ多そうだし。
全くもう、みんなさっくり話してくれればいいのに。
「お父様が何か知っているご様子なので、お父様にお話を聞こうと……思って、いたんですけど……」
すごく呆気なく断られてしまったことを思い出し、思わず口が重くなる。
大体、父と話すために取り次ぎが必要というのも何だか気に食わない。
実の娘とそんなに会いたくないって言うのか。
シリウス様は、わたしに同情的な目を向けてくれた。
「ロードライト家のご当主様なら、そりゃまぁお忙しいのは当然だとしてもさぁ? せめて娘が何か聞きたがってるんだったら、ちゃんと聞いてやるのが親としての務めじゃないのか? リッカが何をしたっていうんだよ」
「そうです。わたし、何かをしでかすほど、元気であったことなんてないですよ」
それだけは自信を持って言えるので、胸を張る。
しかしシリウス様と兄は、揃って「うわぁ」と物言いたげな顔をした。ちょっと。
「……それに、お父様ったらわたしについて『『リッカが死んだ』以外の報告はいらない』なんて言ったらしいですしね。そんなに嫌われてるのなら、わたしだって嫌ってやる、なんて思っちゃいます」
わたしはしゅんとうなだれながらそう言った。
なんでも、わたしの言伝を父に伝えに行ったセラが、父にそんなことを言われたらしい。
セラは、わたしに直接伝えない良識はあったものの、それでもメイドさん達の間では、そんな話も瞬く間に広まってしまうものだ。
寝込んでいる間にも、そんな噂をする声だって聞こえていた。
具合が悪くて声が出せないからと言って、何も聞いてないと思ったら大間違いだ。
冷や汗をかきながら痛みに悶えていたところで、周囲の話し声を聞く余裕くらいはある。
後からセラにその噂が本当かどうかを尋ねたところ、セラは平伏せんばかりに謝った後、口を濁しながらもそれが事実であると認めていた。
どうやら、父がわたしのことを嫌っているのは、ロードライト家では公然の事実であるようだ。
であれば、リッカの記憶の中に父親の姿が全然ないことにも納得が行く。
嫌われて、遠ざけられているのなら、呪いで死にかけてて部屋の中から出られない娘が父親の顔を忘れるのも、そりゃーまぁ当然ですよねー。
……言っておくけど、別にわたしは怒っているわけじゃない。怒るほどの感情も湧いてこない、が正しい表現かもしれない。
まぁ、父親からそこまで嫌われてることについて、寂しさや悲しさはあるけれど。
好きな人に嫌われてたらすごく落ち込むけれど、興味ない人が自分を嫌ってると知っても「ふーん」で済むのと同じ感じ。
嫌われてるって事実に凹みはするけど、でもそれを苦にして思い悩むかと言われると、そこまでじゃない。
これが、例えば兄に嫌われたのだとしたら、そりゃもう取り乱し方は尋常じゃないことになるだろう。
……うわ。今、ちょっと想像してみただけでクラッとした。
兄に嫌われたら?
何それ、生きている意味なくない?
この世界に生きる価値なくない??
「……だからもう、お父様から話を聞くことは諦めて、他の方法を探ろうと思っているんです。だってお父様、こんな塩対応じゃ、わたしが頭を下げて尋ねたところで有用な情報なんて話してくれないでしょうから」
『父が一番知っている』としたところで『父しか知らない』というわけではないだろう。
幸いにして、ロードライト家には人脈がある。
いくら嫌われているとは言えど、わたしはロードライト当主である父の娘。
分家衆から『様』付けされる立場なのだ。
わたしに使えるものは、何だって利用させてもらう気でいる。
その時、すっと兄は立ち上がった。
わたしと繋いでいた手を解くと、そのまま黙って部屋の扉へと歩き出す。
シリウス様は、兄の背中に呼びかけた。
「おぉい、黒曜、どした? トイレ?」
「ちょっと部屋に取りに行くものがある。シリウス、悪いが少しの間、リッカを見ていてもらえるか?」
振り返らずに兄は言う。
「あ、あぁ……」とシリウス様が戸惑いがちに頷いたのを聞き届け、兄は部屋を出て行った。
「どうしたんでしょう?」
「リッカの話を聞いて、父親にムカついたんじゃないの? 黒曜、リッカのこと大好きだから」
まぁ俺も今の話はちょっとカチンと来たけど、とシリウス様はさらりと口にする。
まぁなぁ、と軽く肩を竦めた。
思えば、シリウス様と二人っきりになったのは今が初めてだ。
改めて、シリウス様に向き直る。
「シリウス様。わたしのこと、いつもいつもいっぱい気遣ってくれてありがとうございます。お手紙、すごく嬉しかったです」
シリウス様は笑顔のまま「いいっていいって」と手を振った。
「俺こそ、黒曜……オブシディアンには感謝してるんだ。俺は国外で生まれたから、学校が休みの日も行き場がなくってさ。オブシディアンに出会えたことを感謝してるのは、実のところ俺の方なんだよ。お前の兄ちゃんのおかげで、俺は毎日楽しく過ごせてる。そのことを、リッカには知っておいて欲しくって」
確かな信頼が滲み出る、柔らかな口調だった。
――あぁ、やっぱり、いい人だなぁと、そんなことを思う。
兄と仲違いなんて、して欲しくないなぁと思う。
「……あの、さ」
ふとシリウス様は、少し口ごもりながらも呟いた。
「あの……リッカ、一つ頼みがあるんだが……その……リッカの頭を撫でさせてもらっても、いいかな?」
「え?」
思わず目を瞬かせた。シリウス様の頬は僅かに赤い。
……おぉ、照れとる。
ゼロナイの世界では主人公ということもあり、シリウス様は『照れる側』というよりむしろ『照れさせる側』だったので、なんだかとっても珍しいものを見た気がした。
「どーぞ、どーぞ。思う存分なでなでしてくれてもいいんですよ!」
シリウス様に頭を突き出す。
「いや、少しでいいよ。あんまりリッカといちゃいちゃしてると黒曜に殺されそう」と言いながらも、シリウス様はそうっとわたしの頭に触れた。
伺うような、何だか恐る恐るの手つきで、わたしの髪を優しく撫でている。
「……俺も、妹いるんだ。リッカと同じくらいのさ」
シリウス様の言葉に、思わず目を見開いた。
わたしの頭を優しく優しく撫でながら、シリウス様は言う。
懐かしむような口調で。
「俺は、黒曜みたいに優しい兄貴じゃなかったし……妹は、リッカみたいに可愛くも、素直でもなくて、いつだってワガママ放題で、俺がちょっと怒ればすぐ泣くし、いつも母さんに引っ付いてた甘えん坊だし……そりゃもう何度も何度も喧嘩したもんだった」
「…………」
国外者は、国の外にいる家族に会うことは出来ない。
それは、国内の技術を外に出さないため、なんだけど。
……それでも。
「……元気かなぁ、あいつ……」
そう言って、シリウス様は目を細めた。
「……元気ですよ……きっと」
わたしの言葉に、シリウス様はにっこり笑う。
「ま、今のリッカよりは間違いなく元気だよ。……悪いな、リッカ。気にしてくれて、ありがとう」
暖かい手が離れていく。
その時、ガチャリと扉が開いた。入ってきたのは兄だ。
わたしとシリウス様の元に足早に近付いてきた兄は、すぐさま「行くぞ」とわたしの手を取った。
「リッカ、ちょっと歩くけど、階段は僕がおんぶして行くよ」
「え、と……? どこに行くんですか?」
兄の口ぶりからして、どうやらわたしを連れて行きたい場所があるようだ。
この虚弱娘を、一体どこへ連れて行くというのだろう?
首を傾げるわたしに、兄は言った。
「父上のところだ。直談判しに行くぞ」
0
お気に入りに追加
219
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる