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第一章 ロードライトの令嬢
10 ロードライト本家当主様
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(――お嬢様にはあぁ言ったものの)
セラはロードライト本家の城内を歩きながら、何度目ともつかないため息を零した。
リッカ・ロードライトの侍女であるセラ・ロードライトは、ロードライトの中でも治癒術を得意とする第四分家の出身だ。
直系などとは縁遠い存在で、なのに苗字があまりにも有名だからと、昔から気が引けて仕方なかった。
もっとも、ロードライトは本家に加え、分家筋が五本もある。クラスメイトにも少なからず『ロードライト』の姓を持つ者はいたため、そう注目されることなく学生生活を送ることができたのは幸いだった。
第四分家は癒しの魔法に秀でる。セラもまた、薬草学や魔法薬学に長けた『癒し手』と呼ばれる一人だ。
その才を買われたか、セラは学校を卒業すると同時期に、生まれたばかりのリッカの侍女として雇われることとなった。
傍流の傍流、名ばかりのロードライトであった両親は、セラの人事に「まさか本家の方の侍女なんかに任命していただけるなんて、大変栄誉なことだわ!」と、涙を流さんばかりに喜んでいたものだ。
セラとしても、リッカの侍女として働くことに不満はない。
リッカお嬢様はワガママも滅多に口にしないし、理不尽な命令もすることがない。
綺麗な長い銀髪に、美しい赤の瞳を持つ少女は、黙っているとまるで人形のようで、密かに見惚れたのは一度や二度ではなかった。
少女の命は呪いに蝕まれている。
第四分家の当主も手を尽くしたものの、少女が快方に向かう気配は全く無かった。
リッカ本人も、自分が永く生きられないことを悟っているのか、どんどん意思表示は希薄になっていっていた。
――お嬢様はこのまま身罷られてしまうのでは。
そう心配していた頃、リッカはまた、以前のように明るい笑みを零すようになった。
無邪気に笑い、鈴のような声で言葉を紡いでは、侍女たちに甘えてみせる。
そんな様子を見せられては、もう、好きになるしかないではないか。
お仕えする人であるし、ロードライト本家直系の者、という敬意はもちろんあるが、それはそうとして、セラはもう、リッカのためならなんだってしてあげられるような気持ちになっていた。
リッカは母親の顔も知らない。起き上がっていられる日も多くない。
父親であるご当主様は、リッカの顔すら碌に見た試しがない。
子供の体温は大人よりも少し高いはずなのに、リッカの小さな身体は、いつだって凍えるほどに冷たかった。
ただ頭だけが、いつも燃えるように熱いのだ。
ぎゅっと胸を押さえて、声も出せずに苦しむリッカの姿を見ていると、やりきれない気分になる。
お嬢様、なんでもお申し付けくださいと、思わず涙ながらに訴えてしまいそうになる。
彼女の姉のように、母のように。リッカのことを甘やかしたいのは、きっとセラ以外の侍女も同じだ。
――それでも。
「無理です、無理です、無理ですぅ……!」
ロードライト本家当主が普段過ごしている『当主の間』へと続く扉を前にして、セラは思わず顔を覆った。
『お父様に会いたい』という、無邪気な少女の願い。
セラだって、叶えられるなら叶えてあげたい。
でも、ロードライト現当主であるメイナード・ロードライトが、娘のリッカ・ロードライトを嫌っているというのは、半ば公然の事実だった。
(リッカお嬢様のお母様……先代ロードライト当主のアリア様が身罷られた頃ですから、確か六年前でしたっけ……)
ロードライト本家の城で働く侍女たちには、よく知れた話だ。
当主継承の儀を終えた直後、メイナード・ロードライトは、まだ一歳に届いたばかりの娘のリッカについて「この娘は呪われている」と言い捨てた。そして、リッカの侍女として第四分家の娘を数名指名して以降、一度も娘の前に姿を見せたことがないという。
魔法使いは、血で魔力を継承する。
それ故、親子間・家族間の絆はとても大事にされている。
ロードライトが多くの分家を保持しているのも、元を辿ればそこが由縁だ。
――であるのに、本家のご当主様が娘を捨てただなんて。
知らないのはまだ幼いリッカだけだろうことも、悲しさに拍車を掛けている。
(だからオブシディアン坊っちゃまも、あんなにリッカお嬢様を気にかけているのに……)
「何が無理なんだい?」
「ひゃあうっ!?」
と、突然後ろから声をかけられ、セラは慌てて飛び退くように振り返った。
そこにいたのが第四分家当主、ロゼッタ・ロードライトであることに気付き、セラは思わず青ざめる。
「あっ、はっ、す、すみませんっ、ロゼッタ様! とんだご無礼を!」
慌てて頭を下げながら、右の横髪を耳に掛けた。第四分家の所属を示すため、緑色のピアスを彼女に見せる。
「頭を上げなよ、君は確か、カレンの娘だろう? 第四分家の顔なら覚えてるさ。そうか、リッカ様の侍女をやってるんだっけ? なら、この城にいるのも当然だな」
ロゼッタは豪快に笑った。セラはおずおずと顔を上げる。
今年で三十五となるロゼッタは、しかしいつ見ても若々しい美しさを誇っていた。
豊かな黒髪は品良くまとめ上げられていて、蒼の瞳は強い意志が滲んでいる。
右耳にはセラと同じく緑色のピアスが嵌っていた。
「覚えていただいて光栄です」
セラはエプロンスカートの裾を摘むと、軽く膝を曲げて礼を執る。
「どうしたんだい、こんなところで? リッカ様のお部屋は別棟だろう?」
「その……あの……実は……」
思わず口籠ったものの、ロゼッタは第四分家の当主だ。
相談に乗ってくれるだろう、なんて甘えも込みで口を開いた。
「リッカお嬢様が、その……お父様に会いたいと仰っていて……私も、お嬢様のお願いは叶えてあげたいなと思うんです。何とかならないでしょうか?」
ロゼッタの柳眉が強く寄る。
軽く舌打ちをしたロゼッタは、そのままツカツカと『当主の間』へと歩み寄った。
彼女の右の人差し指に嵌っているのは、第四分家当主の指輪だ。
その手の甲でカンと扉を叩けば、『当主の間』へと続く扉は音もなく開いた。
扉の先には螺旋階段が続いている。
初めて見る光景に、セラは思わず目を瞬かせた。
「さぁ、行こうか」
ロゼッタは空間に手を翳す。
途端、螺旋階段に沿う石壁にかかった蝋燭に一瞬で火が灯った。
二人で螺旋階段を上っていく。
遠くで鳴る鈴の音を聞きながら、セラは口を開いた。
「ロゼッタ様がいてくださって助かりました。私一人であれば、謁見にどれだけの手筈を踏むことになっていたか……」
『当主の間』前の扉を開けることが出来るのは、本家直系か分家当主、そして本家当主に認められたごく一部しかいない。
セラも、訪れる旨は先に手紙にしたため、本家当主に送ってはいたものの、『当主の間』から先に行くためには、誰かに迎えに来てもらわなければならなかった。
それもあり、『当主の間』前で唸っていた次第だったのだ。
はっはっは、とロゼッタは快活に笑った。
「何、大した手間じゃないよ。それに、本家当主様は私の兄上だ。血縁上、リッカ様は私の姪でもあるからね。姪を手助けすることは何ら悪いことでもないだろう」
あぁそうだった、と、セラも家系図を思い浮かべて頷いた。
本家当主のメイナードは、第四分家から本家に入婿として入ったのだ。
先代本家当主のアリアに婿入りし、アリアが身罷った後はその跡目をメイナードが継いだ。
彼の持つ本家当主の肩書きも、アリアの長子であるオブシディアンが成人するまでの期限付きではある。
メイナードの妹であるロゼッタにとってみれば、リッカは姪に当たる存在となる。
もっとも本家、それも直系となると地位は重い。
いくらオブシディアンとリッカの叔母であるとは言え、そうそう気軽には振る舞えない。
「これはこれは、第四分家当主のロゼッタ様」
いきなり上から降ってきた声に、セラは思わず肩を震わせた。
足音も立てずに降りてきたのは、一人の青年だった。
淡い金髪に、銀灰色の瞳。
穏やかな笑みを浮かべてはいるものの、眼差しはどことなく冷たい。
ロゼッタが軽やかに問いかける。
「やぁシギル。兄様はどうだい?」
「我が主人でしたら、今日も真面目に職務に取り組んでいらっしゃいます。仕事熱心で何よりです」
シギルと呼ばれた彼が、いつもメイナードの傍に付いている従者であると、気が付くのは一拍遅れた。
慌ててセラは、スカートの裾を摘むと礼を執る。
彼はセラに視線を遣ると「リッカ様の侍女のセラ様、ですね。お待ちしておりました」と軽く膝を曲げてみせた。
セラは思わず驚いてしまう。
「は、はい……」
「セラ様の手紙は受け取っております。ロゼッタ様は、セラ様の付き添いでしょうか?」
「その通りだ」
ロゼッタの言葉に、シギルは薄く笑った。
「どうぞ中へ」
シギルが扉を押し開ける。
「兄様! メイナード兄様! 私だ、ロゼッタだ! 少しばかりお時間いただけないだろうか!」
ロゼッタが声を張り上げた。
やがて、執務机の奥から一人の男が歩み寄る。
メイナード・ロードライト、本家当主様だと、セラは慌てて目を伏せた。
右耳のピアスを見せては片膝をつく。
「何の用だ」
苛立った声に、ロゼッタは臆する様子もない。
「いい加減、兄様と話をせねばとは思っていてな。リッカ様のことでだ」
「……お前には関係ないだろう。リッカについて、お前と話すことなどない。失せろ」
「何を言う。自分の姪御を可愛がって何が悪い?」
メイナードはしばし黙り込んだ。
ロゼッタはセラの背を叩く。
慌ててセラは立ち上がると、胸に手を当て口を開いた。
「しっ、失礼致します! 只今リッカお嬢様の側仕えをしております、第四分家のセラと申します!」
声は裏返らなかっただろうか。
緊張で手が汗ばむ。
自分のつま先を見ながら口を開いた。
「……リッカお嬢様が、お父様に会いたいと仰っています。どうか、お時間取っていただけませんでしょうか」
「――帰れ」
声の冷たさに、思わず肩が震える。
思わず顔を上げると、ひどく冷たい眼差しと目が合った。
「たかがそんなことで、わざわざ私の時間を奪ったというのか」
(――娘の話を、そんな冷たい目でするものか)
ロゼッタが咎める声で抗議する。
「兄様、その言い方はないだろう! 娘が親に会いたいと言っているのだぞ、どうして取り合ってやらないのか!」
「リッカに掛けてやるべき言葉はない」
「あの子は先が永くない! 最後に娘と思い出を作ってやろうとも思わないのか、貴方は!」
ロゼッタが叫んだ。
メイナードは顔を顰めると、隣に仕える従者に視線を遣る。
つい今しがた、扉を開けてくれたシギルだ。
先ほどまではセラたちの後ろにいたのに、一体いつの間に移動したのか、とセラは思わず驚いてしまう。
「元々死にかけの娘だ、一族に利益を齎すとも思えん。……シギル、次からは『リッカが死んだ』以外の報は通してくれるなよ」
「御意に」
メイナードは最後にセラとロゼッタを一瞥し、そのまま背を向け歩き去る。
慌ててセラは声を上げた。
「お待ちください、ご当主様! ほんの少しだけ、少しだけでいいのです! どうか、どうか、お嬢様に!」
ロードライト当主は、セラの声に振り返りもしない。
目の前で無常にも扉は閉まり、セラは静かに肩を落とした。
セラはロードライト本家の城内を歩きながら、何度目ともつかないため息を零した。
リッカ・ロードライトの侍女であるセラ・ロードライトは、ロードライトの中でも治癒術を得意とする第四分家の出身だ。
直系などとは縁遠い存在で、なのに苗字があまりにも有名だからと、昔から気が引けて仕方なかった。
もっとも、ロードライトは本家に加え、分家筋が五本もある。クラスメイトにも少なからず『ロードライト』の姓を持つ者はいたため、そう注目されることなく学生生活を送ることができたのは幸いだった。
第四分家は癒しの魔法に秀でる。セラもまた、薬草学や魔法薬学に長けた『癒し手』と呼ばれる一人だ。
その才を買われたか、セラは学校を卒業すると同時期に、生まれたばかりのリッカの侍女として雇われることとなった。
傍流の傍流、名ばかりのロードライトであった両親は、セラの人事に「まさか本家の方の侍女なんかに任命していただけるなんて、大変栄誉なことだわ!」と、涙を流さんばかりに喜んでいたものだ。
セラとしても、リッカの侍女として働くことに不満はない。
リッカお嬢様はワガママも滅多に口にしないし、理不尽な命令もすることがない。
綺麗な長い銀髪に、美しい赤の瞳を持つ少女は、黙っているとまるで人形のようで、密かに見惚れたのは一度や二度ではなかった。
少女の命は呪いに蝕まれている。
第四分家の当主も手を尽くしたものの、少女が快方に向かう気配は全く無かった。
リッカ本人も、自分が永く生きられないことを悟っているのか、どんどん意思表示は希薄になっていっていた。
――お嬢様はこのまま身罷られてしまうのでは。
そう心配していた頃、リッカはまた、以前のように明るい笑みを零すようになった。
無邪気に笑い、鈴のような声で言葉を紡いでは、侍女たちに甘えてみせる。
そんな様子を見せられては、もう、好きになるしかないではないか。
お仕えする人であるし、ロードライト本家直系の者、という敬意はもちろんあるが、それはそうとして、セラはもう、リッカのためならなんだってしてあげられるような気持ちになっていた。
リッカは母親の顔も知らない。起き上がっていられる日も多くない。
父親であるご当主様は、リッカの顔すら碌に見た試しがない。
子供の体温は大人よりも少し高いはずなのに、リッカの小さな身体は、いつだって凍えるほどに冷たかった。
ただ頭だけが、いつも燃えるように熱いのだ。
ぎゅっと胸を押さえて、声も出せずに苦しむリッカの姿を見ていると、やりきれない気分になる。
お嬢様、なんでもお申し付けくださいと、思わず涙ながらに訴えてしまいそうになる。
彼女の姉のように、母のように。リッカのことを甘やかしたいのは、きっとセラ以外の侍女も同じだ。
――それでも。
「無理です、無理です、無理ですぅ……!」
ロードライト本家当主が普段過ごしている『当主の間』へと続く扉を前にして、セラは思わず顔を覆った。
『お父様に会いたい』という、無邪気な少女の願い。
セラだって、叶えられるなら叶えてあげたい。
でも、ロードライト現当主であるメイナード・ロードライトが、娘のリッカ・ロードライトを嫌っているというのは、半ば公然の事実だった。
(リッカお嬢様のお母様……先代ロードライト当主のアリア様が身罷られた頃ですから、確か六年前でしたっけ……)
ロードライト本家の城で働く侍女たちには、よく知れた話だ。
当主継承の儀を終えた直後、メイナード・ロードライトは、まだ一歳に届いたばかりの娘のリッカについて「この娘は呪われている」と言い捨てた。そして、リッカの侍女として第四分家の娘を数名指名して以降、一度も娘の前に姿を見せたことがないという。
魔法使いは、血で魔力を継承する。
それ故、親子間・家族間の絆はとても大事にされている。
ロードライトが多くの分家を保持しているのも、元を辿ればそこが由縁だ。
――であるのに、本家のご当主様が娘を捨てただなんて。
知らないのはまだ幼いリッカだけだろうことも、悲しさに拍車を掛けている。
(だからオブシディアン坊っちゃまも、あんなにリッカお嬢様を気にかけているのに……)
「何が無理なんだい?」
「ひゃあうっ!?」
と、突然後ろから声をかけられ、セラは慌てて飛び退くように振り返った。
そこにいたのが第四分家当主、ロゼッタ・ロードライトであることに気付き、セラは思わず青ざめる。
「あっ、はっ、す、すみませんっ、ロゼッタ様! とんだご無礼を!」
慌てて頭を下げながら、右の横髪を耳に掛けた。第四分家の所属を示すため、緑色のピアスを彼女に見せる。
「頭を上げなよ、君は確か、カレンの娘だろう? 第四分家の顔なら覚えてるさ。そうか、リッカ様の侍女をやってるんだっけ? なら、この城にいるのも当然だな」
ロゼッタは豪快に笑った。セラはおずおずと顔を上げる。
今年で三十五となるロゼッタは、しかしいつ見ても若々しい美しさを誇っていた。
豊かな黒髪は品良くまとめ上げられていて、蒼の瞳は強い意志が滲んでいる。
右耳にはセラと同じく緑色のピアスが嵌っていた。
「覚えていただいて光栄です」
セラはエプロンスカートの裾を摘むと、軽く膝を曲げて礼を執る。
「どうしたんだい、こんなところで? リッカ様のお部屋は別棟だろう?」
「その……あの……実は……」
思わず口籠ったものの、ロゼッタは第四分家の当主だ。
相談に乗ってくれるだろう、なんて甘えも込みで口を開いた。
「リッカお嬢様が、その……お父様に会いたいと仰っていて……私も、お嬢様のお願いは叶えてあげたいなと思うんです。何とかならないでしょうか?」
ロゼッタの柳眉が強く寄る。
軽く舌打ちをしたロゼッタは、そのままツカツカと『当主の間』へと歩み寄った。
彼女の右の人差し指に嵌っているのは、第四分家当主の指輪だ。
その手の甲でカンと扉を叩けば、『当主の間』へと続く扉は音もなく開いた。
扉の先には螺旋階段が続いている。
初めて見る光景に、セラは思わず目を瞬かせた。
「さぁ、行こうか」
ロゼッタは空間に手を翳す。
途端、螺旋階段に沿う石壁にかかった蝋燭に一瞬で火が灯った。
二人で螺旋階段を上っていく。
遠くで鳴る鈴の音を聞きながら、セラは口を開いた。
「ロゼッタ様がいてくださって助かりました。私一人であれば、謁見にどれだけの手筈を踏むことになっていたか……」
『当主の間』前の扉を開けることが出来るのは、本家直系か分家当主、そして本家当主に認められたごく一部しかいない。
セラも、訪れる旨は先に手紙にしたため、本家当主に送ってはいたものの、『当主の間』から先に行くためには、誰かに迎えに来てもらわなければならなかった。
それもあり、『当主の間』前で唸っていた次第だったのだ。
はっはっは、とロゼッタは快活に笑った。
「何、大した手間じゃないよ。それに、本家当主様は私の兄上だ。血縁上、リッカ様は私の姪でもあるからね。姪を手助けすることは何ら悪いことでもないだろう」
あぁそうだった、と、セラも家系図を思い浮かべて頷いた。
本家当主のメイナードは、第四分家から本家に入婿として入ったのだ。
先代本家当主のアリアに婿入りし、アリアが身罷った後はその跡目をメイナードが継いだ。
彼の持つ本家当主の肩書きも、アリアの長子であるオブシディアンが成人するまでの期限付きではある。
メイナードの妹であるロゼッタにとってみれば、リッカは姪に当たる存在となる。
もっとも本家、それも直系となると地位は重い。
いくらオブシディアンとリッカの叔母であるとは言え、そうそう気軽には振る舞えない。
「これはこれは、第四分家当主のロゼッタ様」
いきなり上から降ってきた声に、セラは思わず肩を震わせた。
足音も立てずに降りてきたのは、一人の青年だった。
淡い金髪に、銀灰色の瞳。
穏やかな笑みを浮かべてはいるものの、眼差しはどことなく冷たい。
ロゼッタが軽やかに問いかける。
「やぁシギル。兄様はどうだい?」
「我が主人でしたら、今日も真面目に職務に取り組んでいらっしゃいます。仕事熱心で何よりです」
シギルと呼ばれた彼が、いつもメイナードの傍に付いている従者であると、気が付くのは一拍遅れた。
慌ててセラは、スカートの裾を摘むと礼を執る。
彼はセラに視線を遣ると「リッカ様の侍女のセラ様、ですね。お待ちしておりました」と軽く膝を曲げてみせた。
セラは思わず驚いてしまう。
「は、はい……」
「セラ様の手紙は受け取っております。ロゼッタ様は、セラ様の付き添いでしょうか?」
「その通りだ」
ロゼッタの言葉に、シギルは薄く笑った。
「どうぞ中へ」
シギルが扉を押し開ける。
「兄様! メイナード兄様! 私だ、ロゼッタだ! 少しばかりお時間いただけないだろうか!」
ロゼッタが声を張り上げた。
やがて、執務机の奥から一人の男が歩み寄る。
メイナード・ロードライト、本家当主様だと、セラは慌てて目を伏せた。
右耳のピアスを見せては片膝をつく。
「何の用だ」
苛立った声に、ロゼッタは臆する様子もない。
「いい加減、兄様と話をせねばとは思っていてな。リッカ様のことでだ」
「……お前には関係ないだろう。リッカについて、お前と話すことなどない。失せろ」
「何を言う。自分の姪御を可愛がって何が悪い?」
メイナードはしばし黙り込んだ。
ロゼッタはセラの背を叩く。
慌ててセラは立ち上がると、胸に手を当て口を開いた。
「しっ、失礼致します! 只今リッカお嬢様の側仕えをしております、第四分家のセラと申します!」
声は裏返らなかっただろうか。
緊張で手が汗ばむ。
自分のつま先を見ながら口を開いた。
「……リッカお嬢様が、お父様に会いたいと仰っています。どうか、お時間取っていただけませんでしょうか」
「――帰れ」
声の冷たさに、思わず肩が震える。
思わず顔を上げると、ひどく冷たい眼差しと目が合った。
「たかがそんなことで、わざわざ私の時間を奪ったというのか」
(――娘の話を、そんな冷たい目でするものか)
ロゼッタが咎める声で抗議する。
「兄様、その言い方はないだろう! 娘が親に会いたいと言っているのだぞ、どうして取り合ってやらないのか!」
「リッカに掛けてやるべき言葉はない」
「あの子は先が永くない! 最後に娘と思い出を作ってやろうとも思わないのか、貴方は!」
ロゼッタが叫んだ。
メイナードは顔を顰めると、隣に仕える従者に視線を遣る。
つい今しがた、扉を開けてくれたシギルだ。
先ほどまではセラたちの後ろにいたのに、一体いつの間に移動したのか、とセラは思わず驚いてしまう。
「元々死にかけの娘だ、一族に利益を齎すとも思えん。……シギル、次からは『リッカが死んだ』以外の報は通してくれるなよ」
「御意に」
メイナードは最後にセラとロゼッタを一瞥し、そのまま背を向け歩き去る。
慌ててセラは声を上げた。
「お待ちください、ご当主様! ほんの少しだけ、少しだけでいいのです! どうか、どうか、お嬢様に!」
ロードライト当主は、セラの声に振り返りもしない。
目の前で無常にも扉は閉まり、セラは静かに肩を落とした。
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