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第一章 ロードライトの令嬢

08 お父様に会いたい

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 わたし、リッカ・ロードライトが敬愛する兄、曰く。

 ──わたしのこの身を蝕んでいるものは、病気ではなくて『呪い』らしい。

 呪い。
 ノロイ。
 NO・RO・I????

 二十四時間営業のコンビニが至るところにあった現代日本で、闇は光に駆逐された。
 どこもかしこも監視カメラが設置され、もちろん注意が必要だけど、夜道の一人歩きも普通のことになった。

 そんな世界で育ったからだろうか。
 呪いと聞いても、どうにもイマイチぴんと来ない。
 せいぜいが、深夜の神社で女の人が五寸釘を藁人形に──くらい。
 こっくりさんを帰し損ねると呪われる、くらい。
 毒虫を集めて蠱毒を行い──みたいな。

 呪いと祟りの区別もつかない。
 神社と寺の違いだって、いまいちよく分からなかった。

 だから──呪いなんてそんなファンタジーな、なんて思うものの──そういえばここは確かに魔法の世界であった。
 剣はないみたいだけど。

 魔法はあるし、ゲーム世界への転生はあるし、そりゃあもちろん呪いだってあるだろう。
 ……何が『もちろん』なのかも分からないが。

 兄が、学校へと戻って三日。
 わたしはベッドの上で一人、腕を組んでは考え込んでいた。

 ……え? それまで何をしていたかって?
 そりゃもちろん、寝込んでいたのだ。

 この身体、本当に全くわたしの言うことを聞いてくれない。
 兄の前でまた倒れなくって良かった。
 もしまた倒れていたら、兄は学校へ戻ろうとはしなかっただろう。
 いっそ辞めてわたしの側にいる! と宣言してしまうかもしれない。
 そう言いかねない危うさは、ある……。

 それは、流石に困る。
 というか兄がわたしの側にいたところで、結局何の意味もないんだから。

 ならちゃんと学校に行って、勉強して、お友達をたくさん作って欲しい。
 わたし以外にも大事なものを、もっといっぱい持っていて欲しい。そう思う。

 兄にこの『呪い』について聞いてみたものの、兄も詳しいことは何も知らないらしい。
 どうしてわたしが『呪い』を受けることになったのかについても、当然『呪い』の解き方についても。

「お兄様は『父上なら何か知ってるかも』って言ってたなぁ……」

 ならば、まず父から話を聞いてみるのが筋だろうか。

「……でもなぁ……」

 父の顔すら朧げなのだ。
 一体どれだけ会わなければ、娘に顔を忘れられてしまうのだろう?
 少なくとも年単位で会ってないことだけは確実だった。

 どうやらリッカわたしの記憶によれば、父はこの家、ロードライト家の当主であるらしい。
 当主って何なのよとは思うものの、この家――お屋敷? に、住んでいることは間違いない。
 だけど……生活リズムが壊滅的に合わないのかなぁ……。

「わかんないことだらけだなぁ……」

 世界についても、自分のことについても、リッカは何も知らなかった。
 永くない人生に、あまり興味がなかったのか。
 心に深く刻まれているのは、兄のオブシディアンとの思い出くらいなものだ。

 六花としても、一度クリアしたゲームなのだから、もう少し色々覚えていたらいいのにとも思うが──そもそも人はそこまで、ゲームの内容を覚えていないものだ。
 世界観なんて尚更のこと。せいぜいが、キャラクターとストーリーくらいじゃない?

「そりゃあまぁ、わたしだって、転生するって分かってたらもっと真面目にやり込んださ……」

 文句を言ってももう遅い。
 ……ゲーム世界に転生なんて、生きてる間に想定するようなことじゃないでしょ……。

 その時、部屋の扉がキィ……と開いて、一人のメイドさんが入ってきた。
 メイドさん──確かセラという名だったっけ──は、わたしが起きていることに対して、少々驚いた顔をする。

「お嬢様! 起き上がっていて大丈夫ですか?」

「今日は大丈夫みたい。いつも心配かけてごめんなさい、セラ」

 にっこり微笑んだ。
 セラはパッと頬を染めると、慌てて首を振る。

「お嬢様のお世話をするのが、私たちの仕事ですので……!」

 そうだとしても、ありがたいことに変わりはない。

「お嬢様、最近は随分と明るくなられましたね」

 枕元に置いてある水や、シーツを取り替えながらセラは言う。
 うっ、とわたしは思わず顔を覆った。

「これまでずっと塞ぎ込んでてごめんなさい……みなさんには、迷惑をお掛けしました……」

「あっいえ、そんな! リッカお嬢様は何一つワガママも仰らないですし、迷惑だなんて思ったことはございませんよ! ただ……」

「ただ?」

「……お嬢様は黙って寝てらっしゃると、本当にお人形のように生気がなく見えるので、みんなで不安がってたところはあります……」

 おずおずとセラが言う。
 身に覚えがありすぎて、ただただ身体を小さくするしかない。
 どうしよう、とっても申し訳なさすぎる。

 そんなわたしを見て、セラは笑った。

「だから、お嬢様がそうやって笑ったり、喋ったりしているだけで、私たちはホッとするんです……オブシディアン坊っちゃまも、そう感じていると思いますよ。お嬢様の体調を誰よりも気遣ってらしたのは、他でもない坊っちゃまなのですから」

 ……本当に、わたしの兄は……。

「……うん」

 静かに頷く。

 セラがテキパキと働いているのを、わたしは手持ち無沙汰に眺めていた。
 というか今更ではあるけど、家にメイドさんがいるなんて、やっぱりわたしは恵まれたおうちに生まれたんだなぁと思うね……お貴族様だ。

 部屋もホコリひとつ落ちてないし、ほぼ介護ってくらい丁寧に見てもらっているし。
 もし普通の家庭に生まれていたとしたら、わたしはこの歳まで生きられていないんじゃないか。
 あぁ、でも、わたしのこれは『呪い』だから、あんまり関係ないのかなぁ……。

「……そうだ。ねぇ、セラ。わたし、お父様に会いたいのだけど……」

 こちらに背を向けていたセラに声を掛ける。
 セラは驚いた顔で振り返った。

「ご当主様に、ですか?」

「そう……取り次いでもらうことって出来るかなぁ……?」

 本音を言えば父の側から来て欲しいのだけど、流石にそこまでは望めないからなぁ……。
 それでも、セラは渋い顔をしている。

「……ダメ、かな?」

 こてんと首を倒した。
 セラは苦笑すると、手を伸ばしてわたしの頭をそっと撫でる。

「……分かりました。お嬢様の頼みですからね。一応は取り次いでみます」

「本当? ありがとう、セラ!」

 父と会うことができれば『呪い』についても何かが分かるかもしれない。
 そう考えて心が躍った。

 ……普通は、実の父親に会うのにそんな苦労もしないはずなんだけどねー……。
 お貴族様だからなのかな? 日本の庶民育ちなわたしにとっては、あんまり馴染みはないけれど。

「お嬢様……お喜びのところ、申し訳ないのですが」

 喜ぶわたしに、セラはおずおずと声を掛ける。
 わたしはきょとんと目を瞬かせた。

「ご当主様に……リッカお嬢様のお父様にお会いしたいという件ですが……言うだけ言ってみますが、あまり期待はされない方がいいと思います」

「えぇっ、なんで?」

 実の娘と会うことに、一体何の不都合が?
 きょとんと目を瞬かせるわたしに、セラは言葉を選びながら告げる。

「ご当主様は、お嬢様のことを、そのぉ……えっと……避けておいでだからです」

 ……まぁ、うん。
 いろいろと、慮ってくれたことは分かったよ。
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