闇喰

綺羅 なみま

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彼等の免罪符

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「定信っ」
「坊さん、何をするんじゃ」

僧侶に斬り付けられた定信は、うっと短く発すると胸を押さえてその場に蹲る。
胸からは鮮血が流れ出ている。

「だ、大丈夫だ……」

定信は慌てる村人達を制すると、旅の僧を見上げた。

「浅く切っただけだ。何、お前達を殺して食おうとは思っておらん」

僧侶が冗談交じりに言うが、少しも冗談には聞こえず男達は黙って気不味そうに視線を彷徨わせる。

僧侶は古びた紙を取り出し、小刀に付着した血液を拭いとる。
そして小刀を再び懐へ仕舞うと、同じ紙を三枚取り出し、定信へ渡した。

「これにその血を吸わせろ」
「これは?」
「早くしねえか。乾くだろ」

紙には不思議な紋様と見た事のない文字が描かれており、手にした瞬間辺りから何かの花の香りが漂って来た。
定信は村人達にも急かされ、首を傾げながらも僧侶の言う通り紙に血を染み込ませる。

僧侶はそれを別の布に一枚ずつ包み、全員でその動作を見守った。

「これを石碑の下に埋める。すると本物のお前がどこにいるか分からず彼女の霊はここから離れられなくなる。お前本人が死ぬまでには結界が完成するだろう」

こんな物で悪霊の気が引けるのだろうかと、村人達は不安そうな顔をしている。

「早速、匂いに釣られて来たな」

僧侶が目を閉じる。辺りの気配を探るようなその仕草に、一同は何となく呼吸を押し殺した。
"何が来たのだ"と尋ねる事は出来なかった。

「おい、定信。まだ隠してる事があるな」

名指しされ定信は肩を跳ねさせた。村人達の目線がこちらに向いたのには気付いたが、すぐには何を指して言っているのか分からず答えられない。

「この中身の事だ」

答えを出せずにいた定信を見兼ね、僧侶は錫杖しゃくじょうの先をお仙の墓に向ける。

言われて赤ん坊のことを思い出す。定信はしまったと思った。
僧侶の突然の登場によって今の今まで忘れてはいたものの、村人達が混乱すると思い黙っていたのだ。

「どういう事じゃ」
「定信、」

男達に詰め寄られ、定信は狼狽えた。

「すまない、言えば混乱すると思って」
「この墓には女と赤ん坊を入れた。そうだろう」
僧侶が村人へ問い掛けると、男は「あぁ」と頷いた。

「だが、今ここには女性が一人寝ているだけだ。なあ? そうだなあ?」
次に僧侶は定信にそう問い掛けた。
定信は頷き、村人達はざわついた。

「オレはこの間一人で、手を合わせにここへやって来た。そうしたら」
定信は村人達を見渡しながら一拍置いた。
「墓は返されていて、中から赤ん坊が消えていた」

途端に騒がしくなる。

「誰が連れて行ったんじゃ」
「誰もあんなもん取らんじゃろ」
「じゃあ、あれがひとりでに出て行ったとでも言うんか」

男達は口論を始めた。
それを僧侶が片手で制す。

「そう、ひとりでに出て行った。そして」

僧侶は錫杖を定信の足元に向ける。

「自分で戻って来た」

定信はバッと足元を見ると、驚いて声も出さずに後退る。
彼の足元には、消えたはずの黒い赤ん坊が横たわっていた。
それを見て村人達は定信から距離を取る。

「どうやってここに」
「どうやってかは分からんが、言った通りお前の血の匂いに釣られてきた」

定信は困惑の表情で額に脂汗を浮かべる。
僧侶は事も無げにその様子を見てはいたが、内心は初めて見る黒い赤ん坊の姿にひんやりとしたものを感じていた。

「お前はこの赤ん坊を育てなければならない。お前が死んだ後は、お前の血を引く者が引き継ぐ」
「育てるって言ったって、こんな、育てようが」

とてもじゃないがこのようなものをどう育てろと言うのか。そう言いたいのに、口から出る言葉は途切れ途切れだった。

「なに。家に保管して毎晩手を合わせろ。それだけだ」
「それで生き続けるって言うのか」
「やってみれば分かる」

これと毎晩顔を合わせると思うと、定信はぞっとした。
ちらりと見てみれば、赤ん坊はやはり赤ん坊らしからぬ動きでもぞもぞしていて気味が悪い。

「いいか。お前達がやる事は難しくない」
僧侶は各々を見渡した。
「まずは村の東西南北に石碑を建てる。その下にこれを、埋める」
僧侶が紙を包んだ布を前に出すと、村人達は黙って頷く。

「そうして、お前達は亡霊の影に怯えながら10日の間に女を連れて来て子作りをする。まあ、その後は殺されるだろう」
「そんな言い方があるかよ」
村人達の中には泣きそうな顔をしている者もいた。

「事実だ。死んだ村人の血を、定信が石碑に垂らして周る。その間も赤ん坊に手を合わせる事を忘れてはならない」
「ああ」
僧侶が定信に視線を送り、定信は強く頷いた。

「やがてこいつ等の子供が産まれるだろう。その中で一人だけ女児が産まれる。その子を引き取り、」
「姉の年になったら娶るんじゃろ」
「そうだ」

僧侶が満足そうに頷く。

「分かったらお前等は早く石碑を建てる準備をして嫁探しに行け」

村人達は勢いのない返事をすると、一旦家に戻って行った。

「ではオレもみんなと、」
「いや、待て」

定信が赤ん坊を抱え村人達を追おうとすると、僧侶は左腕を伸ばしそれを阻む。
定信は前に踏み出しかけた足を空中でピタリと止め、二歩後退った。

「お前にはまだ伝えなければならない事がある」
「伝えなければならない事、ですか」
「そうだ。これを守れば、今以上に悪霊が大きくなる事はない」

そう前置きをすると僧侶はいくつかの決まり事を定信に伝えた。

まず、結界を張った後は村の外で生活してはならない。
村の外の人間をむやみに村で生活させてはならない。
そして村で産まれた者以外に、お仙にまつわる話をしてはならない。
これは村の外に呪いが広がらない為の策だ。

村で産まれた人間は15の年を越すまで外出時に黒い布で身を覆い隠さなければならない。
そして村の血を薄めるため、必ず村とは関係のない人間と夫婦にならなければならない。
見付かれば真っ先に子供が連れて行かれてしまうらしい。
やはりお仙は子供が産まれるという事に嫌悪を持っているのかもしれない。

いつか封印が弱まった時には村の中で黒い死体が出る。
そうなってしまった時には、お仙と同じように村の外からこちらへ招き入れ、生贄として差し出さなければならない。
そうすれば再びこの村は結界によって守られる。

定信は聞き漏らすまいと一生懸命に僧侶の話を聞いた。覚える事が多過ぎる。聞き逃さないようにするだけで必死だった。

「そして、これが最も重要な事だ。定信、お前の血筋だけは薄めてはならない」
「どういう事だ」
「お前が為したことへの償いだ。この先結界が破れた時に、お前の血を継いだ者が最後の砦となる」
「そうか。だからあいつ等の産んだ娘と夫婦にならなければならないという事か」

定信が合点がいったという風に呟けば、僧侶は満足気に頷いた。

「そういう事だ。お前の子孫達は今後も必ず、村で産まれ15歳まで生き延びた者と婚姻を結び子を産まねばならない」
「分かった」

定信は強く頷いた。

「では結界は明日明朝までに準備を整えておく。実際に結界が完成するのは10日後、村の奴等が嫁探しを終え帰って来た頃だ。俺は準備を終えたらここを去るから、これでお別れだ」
「そうか。頼む」

僧侶が軽く会釈をし、定信が深くお辞儀をした。
定信が頭を上げると、もうそこには自分と黒い赤ん坊しか居なかった。

定信は少し辺りを見渡すが、僧侶がどこかへ行ってしまったと理解し村の方へと帰って行った。

それからは、僧侶が行った通りの事が起きた。

村人達は定信の血を吸わせた布を埋めた場所に簡易的ではあるものの、石碑を建てた。

そして子を成す為の女性をどこから拾って来たのか、買って来たのか。とにかく全員が相手を見付けて帰って来た。

皆一様に顔色が悪くやつれたように見える。
毎晩夢にお仙が出て来ては恨めしそうな顔で手を伸ばしてくるという。

定信の枕元にもいつもお仙が立っていた。不気味に微笑んでいた時とは違い、今は誰も連れて行けぬもどかしさからか苛立ちの伺える形相でこちらを見ている。

余計に怒らせてはいないだろうか。あの僧侶の言葉を本当に信じて良いのか。
定信は不安に感じていた。

僧侶と出会い10日が経った。
男達は最後になるかもしれないと、久しぶりに全員で顔を合わせる。

「みんな、すっかりやつれっちまったな」
「毎晩恐ろしい顔でこちらを睨まれとる。まともに寝られねえ」
「だがそれも、オレ達が死ねばやっと終わる」

村の男達はすっかり生きる気力を失くしていた。
夫婦の営みでも精力は湧かず、どうにかこうにか事を済ませる始末。
子供が本当に産まれるかどうか、誰も自信がなかった。

その晩を境に、残った彼等も一人ずつ死んで行った。体の大部分が激しく損傷していた。
村に来たばかりの女性を残しこの世を去って行く男達に、その女性達も違和感を覚える。
しかし続く変死体が何処か不気味で、誰もこの事について聞く者はいなかった。

定信は死体を回収しては石碑に血液をかけて回った。

やがて僧侶の言う通り女児が一人だけ産まれた。
それを引き取り育てた定信は、女児が成長すると子を産ませた。

これでようやく、自分もあの世に行けると胸を撫で下ろした。

その晩、一日も欠かさず枕元に立ち続けたお仙がその日も現れた。

その姿は禍々しく、もう生前の彼女の面影は見受けられない。

首から上にあるべき物はなく、右腕にだらりと開いた口が存在している。
胸の所に埋まるようにして、一つだけ眼球がありぎょろぎょろと忙しなく動いている。
左腕は背中に生えていた。
片足は八重子と同じように失ってしまったのだろうか。
もう片方の足をずるずると引き摺りながら近付いてくる。その足も膝から下はもう擦り切れてしまっていた。

腕に付いた口から黒い涎を垂らして奇妙な笑い声を漏らしている。

「エエエエ゛……エエエエ゛……」

定信はそんな風になってしまった姉を目の当たりにし、涙が止まらなくなった。
オレが助けてやらねばならなかった。何故助けてやらなかったのだろう。
そんな気持ちになり、今更とは分かっていても後悔が押し寄せる。

あれから、ずっと後悔してばかりだった。
村人達は全員死に、自分はいつ殺されるかまつばかり。大切に育て娶った嫁にも、産まれた子にも、これから悲しい思いをさせる。

何より大切だった姉をこんな姿にしてしまった。

「待たせたね、姉ちゃん……行こう」

腐敗した体を抱き締める。
そうして、定信はその人生を終えた。







「お坊さん! 柴田さん!」

村長に揺さぶられハッとして目を覚ました。
体中に冷汗をかいている。夢でも見ていたのだろうか。

いや、違う。
ゆっくりと部屋を見渡した。
真っ先に黒い赤ん坊に目が行った。

そうだ。この子にアレを見せられた。これは……化け物になってしまったお仙の産んだ子だろうか。
最後に見たあの化け物の姿を思い出し、ぶるりと身震いする。

「柴田さんがっ、柴田さんがっ!」

慌てる様子の村長を見て、思わず目を見開いた。その顔はまさしく、痛ましい過去の責を負って死んだはずの定信、そのものだった。

隣の静けさに気が付き、振り向いた。

「おい……おいっ、柴田さんっ!」

漸く彼女の異変に気が付いた。
柴田さんは膝立ちで天井を見上げている。白目を剥いたまま顔中を濡らす程の涙を流し、又、口は開いたままシャツの襟元が濡れる程涎を垂らしている。
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