闇喰

綺羅 なみま

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障子の奥、トモグイ

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村長の家に200年前に何が起きたか分かる物があるのか?

「それは良いニュースだ」
村長の家に忍び込めとでも言うのか。書物でも盗んで来たら良いのか。
今から行くのだろうか。それこそ人目はない方が良いだろうが、それを尋ねようとしたその時だった。

「何だこの音は」
隣の家から激しい物音がした。音は段々激しくなっていく。
雄叫びとでも言えば良いのか、獣のような声が聞こえる。
二人でハッとして顔を見合わせる。

「はなさん」
「行こう」

俺達はどちらともなく立ち上がるとお隣へと急いだ。
玄関を開けた瞬間、はなさんらしき人物が止める事もできないスピードでどこかへ駆け行く。

「はなさん、待って!」
どこか焦りを含んだ声で柴田さんが呼び掛けるも返事はない。
「まずい」とんでもないことを言い出すに違いない。そんな顔でこちらを見る。「取り憑かれてる」
取り憑かれてる?
「なんで……封印解けた?」
「いや、他は入ってきてない。結界は無事なんじゃないか?分からない」
柴田さんの顔を見れば、急を要す状況であることは間違いない。今は何故はなさんが取り憑かれているのか考えている余裕がない。
「急ごう」
はなさんは既にどこかに身を潜めたのだろうか。俺達も走りながらの会話だったというのに、彼女を見失ってしまった。

夜中なので大声を出すことはできない。とはいえ、はなさんがあれだけの声を出したのだ。誰かしら起きて出てきても良いのでは、とも思うが不審死が相次ぐ今、誰も関わりたくないのかもしれない。

見覚えのある家からけたたましい叫び声がした。
伊藤さんのご夫婦が住む家だ。嫌な予感しかない。

「駄目だ、開かないっ」
玄関の戸には鍵が掛かっている。中からは女性の慌てる声と、物を投げつけたような音がする。
「くそ、割るぞ」
柴田さんは物騒な事を言っているが、手段は選んでいられない。
俺は頷き了承を示す。小石を拾って摺り戸の重なる中央付近を狙い投げた。

パリンとガラスが割れる。柴田さんは片方の靴を脱ぐとそれを掴み、残ったガラスの破片を払い落とした。手を入れ鍵の場所を探る。

「確かこの辺に、」
ーーカシャン。
「よし、開いたっ」

玄関の戸を勢い良く開けると、騒がしい室内に駆ける。
言葉にならない悲鳴が響く。
声が聞こえる奥の部屋に続く廊下にケンさんが倒れていた。彼は頭から血を流している。足も切り付けられており、側にはしおりさんのナタが落ちていた。

近寄って口元に手を当てる。まだ呼吸はあるようだ。かなり血を流している。早く助けを呼ばなければ。
「ケンさん、ケンさん」
呼び掛けには答えない。やはり意識はない。
「おい、旦那に構ってる場合じゃない。しおりさんのほうが危ない」
そう促され、心の中で「すぐ救急車呼びます」と言うと部屋の奥へ向かった。

先程までとは打って変わり、静かすぎる程だった。まずは中の様子を確かめたい。障子にそっと耳を近付ける。
やはり静かだ。しおりさんはもう生きていないのか?そんな嫌な想像を掻き立てる。

行こう。障子に手を掛けた俺を柴田さんが制する。口元に人差し指を当て、中の音をじっと聞いている。
なんの音もないように思えるが、大人しく柴田さんの反応を窺った。

やがて、小さくではあるが音が聞こえてきた。ビッ……ビリィッ。布を割いている?
ブチッ、ジュ、ジュル……
ビチャビチャと水に浸した洗濯物を何度も握っては離し、握っては離す。そのような音が微かに聞こえる。
急がなくて良いのか?
柴田さんをチラッと見ると、真っ青になって口元を手で覆っている。
クチャァ、ジュ……グチャ……
暫くじっと身動きを取らずにいたが、柴田さんは目に涙をため、静かに首を振った。
「二人共、もう」
言葉を詰まらせる。

二人共?その言葉にふっと不安が膨らむ。

そっと障子を開ける。
中にはしおりさんを抱きかかえるはなさんの後ろ姿が。しおりさんは手をだらんと垂らし、あちらを向いている。
周囲は散乱していて誰かが争った事が容易に分かる。力なく垂れた腕は袖が所々千切れ、痛々しい傷跡が見えている。
背を向けたはなさんの顔は見えないが、泣いているのだろうか。時折ズルズルと鼻をすする音が聞こえる。

はなさんはどうしてここに来てしまったのか。連れて来られたのだろうか。随分ぐったりしているようだが、しおりさんは生きているのだろうか。
とにかくはなさんに話を聞かなくては。そう思い一歩踏み出す。と、柴田さんは俺の服の裾を掴み信じられないと言いたげな顔をした。

その時、障子の近くに見えた物に頭が真っ白になる。指先が酷く冷えたように感じる。
そんなわけないと言い聞かせてその物体を掴む。ぬるりと滑り、落としてしまった。生暖かい。もう一度ゆっくりと拾う。

胸の下がぎゅっと絞られたように苦しい。吐き気に襲われるが、まるで口と腹が通行止めにでもあったかのようだ。呼吸の仕方も忘れてしまった。

これは、足だ。足首からぶちりと千切られたような、指先までのそれ。体に接続されていたであろうその部分は、どろりと血液にまみれている。
思わず自分の足先をピクピクと動かしてみる。俺のじゃない。俺のじゃ、ない。
ぽんと肩を叩かれ我にかえる。ヒュッと、酸素が喉を通った。
「うわ、うわあああっ」
思わずその肉塊をはなさんと思われる人物の背に投げつけた。

何故気が付かなかった?
この部屋に充満する血の匂いに。

何故気が付かなかった?
しおりさんの足先が欠けている事に。

俺の声に反応したのか、投げつけられた肉塊に怒りを覚えたのか、はなさんはしおりさんを抱えたままゆっくりとこちらを振り向いた。
はなさんじゃありませんように、という祈りは届かない。

はなさんは口元を血で汚し、目は虚ろだ。ぺろりと舌なめずりをすると、しおりさんの首にかぶり付く。ジュルジュルと血をすすりながら、首元の肉を噛み千切った。
しおりさんの腹部は大きく抉れていて、どこに行ってしまったのか。はなさんがクチャリ、クチャリ、と噛み千切った首元の肉を噛み締めているところから、腹部に存在していたはずのものがどこへ入って行ったのか想像できてしまう。

俺達二人をじっと見つめる彼女が今何を思うのか、分かるはずもない。
静かな部屋にごくりと咀嚼音が鳴り、再び嘔吐感に襲われた。
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