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水瀬緑風堂魔符魔道薬店
水瀬緑風堂魔符魔道薬店 5
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ああ。やっぱり。
と。燈は心の中で呟いた。
この手の薬を探してここへ来る客は少なくない。
魔法薬に対する一般人の捉え方の典型だ。魔法とは不可能と思われるあらゆることを可能にしてしまうようなものだと思われているのだ。
透明になる薬。時間を止める薬。不老不死になる薬。
おとぎ話に出てくるようなそんな都合の良い薬。そんなものがあるはずがない。
そして、心を読む薬。全てを忘れる薬。惚れ薬。精神を縛ったり、曲げたりする薬。それは、存在しているけれど、禁止薬物に指定されていた。
「人の心を薬で変えることは許されない」
少し困った表情で店主が答える。それは、技術的には可能でも、倫理的に不適当とされている薬物だ。
もちろん。店主もそんな薬を作ることも、売ることもない。おそらくは、どんなに困窮したとしても、彼がそんなものを作るはずはないと、燈には断言できた。
「それに」
店主は俯いた。
頬に影が落ちる。
「形ばかり繋ぎとめても。なくなってしまったことに変わりはないんだよ」
一瞬。その頬を涙が伝ったように見えた。いや、実際はそんなものは流れてはいないし、店主の頬には微笑みさえ浮かんでいる。慈悲深い聖母のような微笑み。それでも、燈の目には確かに見えた気がした。
「でも……っ。好きなんです」
店主の表情が彼女にはどう見えたのか分からない。けれど、店主が『そんな薬はない』とは、言わなかったからだろうか。彼女は店主の優しい言葉に素直に諭されることはなかった。
どん。と、カウンターに手をついて立ち上がる。彼女の頬にこそ、涙が流れていた。一時、店内の視線が彼女に集まる。けれど、まるで、見てはいけないものを見るかのように、すぐにそれは別の場所へと散っていった。
「好きなんです。あの人がいないと。ダメなんです」
或は、彼女には薬なんかで、否、魔法なんかで人の心を繋ぎとめることができないことくらいは、分かってはいたのかもしれない。それでも諦められない。それも。それが、恋なんだろう。
俯く彼女の頬を伝った涙が、残っていたお茶の中に落ちる。
「あ」
ぴちょん。
小さな水音。ざわついている店内で、その音が聞こえたのは、多分涙を流した彼女自身と店主と燈だけだっただろう。
「……なに?」
彼女の涙が落ちたお茶の色が変わる。薄いピンクから、青に近い紫へ。それとともに、その香りも変わる。バラに似た香りから、もっと甘い果実のような香りへ。
「座って」
立ち上がったままだった彼女に店主が促す。優しく穏やかな声だったけれど、まるで催眠術にかかったかのように足から力が抜けて女子高生はすとん。と、椅子に座り込んだ。
「落ち着いて。大丈夫。よく思い出してごらん。本当にその人は誰かほかに好きな人ができたのかな?」
店主の言葉に彼女は顔をあげて、呆けたように彼を見た。頬にはまだ乾ききっていない涙の跡があるけれど、心を揺さぶられる強い感情に流されているような表情には見えなかった。
「……いいえ」
問われるままに彼女は首を横に振った。
「うん。そうだね。まだ、何もわかってないね? だから、そんなふうに独りで悲しむことはないよ」
す。と、店主は彼女にティッシュの箱を差し出した。
「涙。拭いたら、お茶飲んで落ち着いて」
箱からティッシュを数枚抜き取って彼女は頬を拭いた。それから、素直に色が変わったお茶に口をつける。ゆっくり。ゆっくり。二口ほど飲み下してから、彼女はカップに僅かに残った液体の香りを大きく吸い込んだ。
「……甘い」
ため息のような吐息を漏らしてから、彼女は呟いた。
「落ち着いた?」
彼女がお茶を飲み終わるのを待ってから、店主が声をかける。
「……はい」
彼女が答えた。本当に、落ち着いた表情をしていた。その返事に頷いてから、彼はカウンター奥の棚に向かって、迷いなく一つの缶を手に取った。そして、その缶の中身を小さな缶に移して蓋を閉め、戻ってくる。
と。燈は心の中で呟いた。
この手の薬を探してここへ来る客は少なくない。
魔法薬に対する一般人の捉え方の典型だ。魔法とは不可能と思われるあらゆることを可能にしてしまうようなものだと思われているのだ。
透明になる薬。時間を止める薬。不老不死になる薬。
おとぎ話に出てくるようなそんな都合の良い薬。そんなものがあるはずがない。
そして、心を読む薬。全てを忘れる薬。惚れ薬。精神を縛ったり、曲げたりする薬。それは、存在しているけれど、禁止薬物に指定されていた。
「人の心を薬で変えることは許されない」
少し困った表情で店主が答える。それは、技術的には可能でも、倫理的に不適当とされている薬物だ。
もちろん。店主もそんな薬を作ることも、売ることもない。おそらくは、どんなに困窮したとしても、彼がそんなものを作るはずはないと、燈には断言できた。
「それに」
店主は俯いた。
頬に影が落ちる。
「形ばかり繋ぎとめても。なくなってしまったことに変わりはないんだよ」
一瞬。その頬を涙が伝ったように見えた。いや、実際はそんなものは流れてはいないし、店主の頬には微笑みさえ浮かんでいる。慈悲深い聖母のような微笑み。それでも、燈の目には確かに見えた気がした。
「でも……っ。好きなんです」
店主の表情が彼女にはどう見えたのか分からない。けれど、店主が『そんな薬はない』とは、言わなかったからだろうか。彼女は店主の優しい言葉に素直に諭されることはなかった。
どん。と、カウンターに手をついて立ち上がる。彼女の頬にこそ、涙が流れていた。一時、店内の視線が彼女に集まる。けれど、まるで、見てはいけないものを見るかのように、すぐにそれは別の場所へと散っていった。
「好きなんです。あの人がいないと。ダメなんです」
或は、彼女には薬なんかで、否、魔法なんかで人の心を繋ぎとめることができないことくらいは、分かってはいたのかもしれない。それでも諦められない。それも。それが、恋なんだろう。
俯く彼女の頬を伝った涙が、残っていたお茶の中に落ちる。
「あ」
ぴちょん。
小さな水音。ざわついている店内で、その音が聞こえたのは、多分涙を流した彼女自身と店主と燈だけだっただろう。
「……なに?」
彼女の涙が落ちたお茶の色が変わる。薄いピンクから、青に近い紫へ。それとともに、その香りも変わる。バラに似た香りから、もっと甘い果実のような香りへ。
「座って」
立ち上がったままだった彼女に店主が促す。優しく穏やかな声だったけれど、まるで催眠術にかかったかのように足から力が抜けて女子高生はすとん。と、椅子に座り込んだ。
「落ち着いて。大丈夫。よく思い出してごらん。本当にその人は誰かほかに好きな人ができたのかな?」
店主の言葉に彼女は顔をあげて、呆けたように彼を見た。頬にはまだ乾ききっていない涙の跡があるけれど、心を揺さぶられる強い感情に流されているような表情には見えなかった。
「……いいえ」
問われるままに彼女は首を横に振った。
「うん。そうだね。まだ、何もわかってないね? だから、そんなふうに独りで悲しむことはないよ」
す。と、店主は彼女にティッシュの箱を差し出した。
「涙。拭いたら、お茶飲んで落ち着いて」
箱からティッシュを数枚抜き取って彼女は頬を拭いた。それから、素直に色が変わったお茶に口をつける。ゆっくり。ゆっくり。二口ほど飲み下してから、彼女はカップに僅かに残った液体の香りを大きく吸い込んだ。
「……甘い」
ため息のような吐息を漏らしてから、彼女は呟いた。
「落ち着いた?」
彼女がお茶を飲み終わるのを待ってから、店主が声をかける。
「……はい」
彼女が答えた。本当に、落ち着いた表情をしていた。その返事に頷いてから、彼はカウンター奥の棚に向かって、迷いなく一つの缶を手に取った。そして、その缶の中身を小さな缶に移して蓋を閉め、戻ってくる。
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