遠くて近い世界で

司書Y

文字の大きさ
上 下
311 / 419
Internally Flawless

20 敵地 2

しおりを挟む
「スイさん」

 声をかけられて、スイははっとして、顔を上げた。
 視線を移すと、舞台袖の少し暗くなっているあたりにリンがいた。

「リンさん? どした?」

 薄暗くてその表情はあまりよくわからない。

「……助けてください」

 リンの声は僅かに震えていた。
 助けてください。なんて、不穏当な言葉に身構える。

「どうした? 何? 俺に手伝えること?」

 PCをスリープモードにして、スイは立ち上がった。それから、リンに歩み寄ると、次第にしゃくりあげるような吐息が聞こえてきた。

「泣いて……るの? どうした? なんかあった?」

 近くまで歩み寄って、ハンカチを差し出すと、それを受け取って、彼女は俯いてしまった。

「あの。2・3日前に……レイさんの護衛の方に頼みごとをされて……弟さんに連絡してほしいって……でも、レイさんに見られていたみたいで、電話番号書いた紙を取られてしまって。
 今日、その方がこちらにいらしていたので、そのことを謝ろうと思ったんです。……でも、話しかけようとしたらそれをレイさんに見つかってしまって……。
 レイさんすごく怒って、2時間もかかる場所にあるコーヒーショップのコーヒーを買って来いって……でなければ、アイ先生に言ってクビにさせるっておっしゃって……わたし。もうどうしたらいいのか……」

 ぐすぐすと泣き出してしまったリンに、スイは大きくため息をついた。あの我儘姫は、人の嫌がることをするのが楽しくて仕方ないらしい。半ば以上そう思ってはいたのだが、スイの説教など、毛先ほども効いていない。
 自分より立場が弱いと分かっている相手にきつく当たることで気分がよくなる人間の気持ちなんて理解できないし、支度もないと思う。

「あー。そんなの雑巾のしぼり汁飲ませてやれば充分だよ」

 正直もう、あの女とは係わりあいたくない。そんな暇があったら、まだ足りていないピースをそろえるために足掻きたい。苛立ち紛れの言葉は泣いている女性にかけるには少し厳しかったかもしれない。

「……でも。わたし、アイ先生のところをクビになってしまったら……」

 うるうると潤んだ瞳で、リンが迫ってくる。
 そのリンの態度にもスイはため息を漏らした。

「……リンさん。正社員でしょ? お姫様の一言くらいでクビにはできないよ。労働基準局に訴えたら、絶対に勝てるから」

 某有名大学出の彼女なら少し考えれば分かることだと思う。世の中はあんな我儘姫の思い通りになるようにはできていない。冷静に考えれば道などいくらでもあるはずだ。それに、本当に必要とされている人員ならそんなことくらいでクビにされることなんてない。それでもクビにされるならそもそもその職場に彼女は必要とされていないのだろう。

「でも……わたし、怖くてもう、レイさんのところには……」

 結局、彼女のかわりに買ってこられない旨を伝えに行けばいいということなのだろう。言いにくいことをかわりに伝えに行けと言っているのだ。女性という生き物は回りくどくて、面倒くさい。これなら、最初から『行ってこい』と言われた方がましだ。大体こんなことも言えないでこの先甘くない業界でやっていけるんだろうかと、スイは半ば呆れて、半ば心配になった。

「わかったよ。買いに行けないって伝えてくればいいのか? でも、俺じゃ上のフロアには上がれないよ。通行証ないし」

 スイの言葉にリンの顔がぱっと明るくなった。
 結局、この少女のような女性も、あの高飛車なお姫様も、スイにとっては同じようなものだ。男は、男と言うだけで頑丈にできている盾だと思っているし、か弱いという言葉で下手に出ておいて、思い通りに動かすことのできる召使くらいにしか思っていないのだろう。リンとレイの違いなんて、面と向かって命令するか、男が察するまで回りくどく道を塞ぎ続けるかの違いだけだ。

「あの。わたし一緒に行きます! 通行証ありますし。ちょうど、買い出し行ってきたので、手伝ってもらったことにしますから!」

『一緒に行きます』。じゃないだろ! と、突っ込みは飲みこんだ。言っても無駄だからだ。スイが心置きなく自分の仕事をするためには、従うほかない。周りでずっと泣き続けられたら、たまったもんじゃない。
 ただ、自分が行ったらもっと面倒なことになってしまうのではないだろうか。と、スイは思う。昨日の今日だ。あれだけ恥をかかされて、今日には忘れましたというタイプでもないだろう。
 でも、それを説明するのも面倒だった。一刻も早く終わらせて、自分のすべきことをしたかった。

「行きましょう!」

 嬉しそうに笑うリンの顔に、気付かれないように小さくため息をつく。それから、彼女の後ろにある買い物袋4つ分の荷物を手分けして持って、スイは歩きだした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

家族になろうか

わこ
BL
金持ち若社長に可愛がられる少年の話。 かつて自サイトに載せていたお話です。 表紙画像はぱくたそ様(www.pakutaso.com)よりお借りしています。

元ベータ後天性オメガ

桜 晴樹
BL
懲りずにオメガバースです。 ベータだった主人公がある日を境にオメガになってしまう。 主人公(受) 17歳男子高校生。黒髪平凡顔。身長170cm。 ベータからオメガに。後天性の性(バース)転換。 藤宮春樹(ふじみやはるき) 友人兼ライバル(攻) 金髪イケメン身長182cm ベータを偽っているアルファ 名前決まりました(1月26日) 決まるまではナナシくん‥。 大上礼央(おおかみれお) 名前の由来、狼とライオン(レオ)から‥ ⭐︎コメント受付中 前作の"番なんて要らない"は、編集作業につき、更新停滞中です。 宜しければ其方も読んで頂ければ喜びます。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

処理中です...