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Internally Flawless
19 変転 4
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◇翡翠◇
ショーが近づいたホールは騒然としていた。全体的に空気がピリピリと殺気立っていて、あちこちから言い争うような声も聞こえてくる。ステージの建て込みのための資材やら、照明音響の機材が雑然と置かれていて、会場内は混とんとした雰囲気だった。
連日の無理がたたって、寝坊してしまったスイが遅刻をして、機材に隠れるようにして職場入ると、隠れていたつもりだったのに、目ざとくスイを見つけたナオが待ち構えていたように、近づいてきた。
いつも朗らかなナオの表情が険しい。それだけで、何か良くないことがあったのだと分かる。
「おはよ。スイさん。ちょっといい?」
スイの遅刻を咎めることなく、くいっと腕を引かれる。掴まれた腕を見て、身体への接触が極端に苦手なスイが、ナオに触られてもあまり不快感はがないのはなぜだろう。と、ふと、不思議に思う。思う余裕がまだ、あった。けれど、腕を引かれるままに機材と機材の隙間に入ったスイにナオはさらに声のトーンを落とした。
「……おとり捜査のハウンドが一人……いなくなった」
伏し目がちな顔。強く噛んだ唇が白くなっている。
「え? メール届いてたよ? それでも……いなくなったってこと?」
思わず大きくなってしまった声に、スイは慌てて口を噤んだ。
警戒心の強いスイが思わず声を上げてしまったのは、ナオの言葉がかなり予想外だったからだ。
スイの立てた推論では、犯人グループに本格的な戦闘訓練を受けているものは殆どいない。恐らくは一人だけ。その人物が犯行グループにおける『材料調達』つまり、暴力的な拉致や誘拐を担当している。そして、他の者はそのサポートに徹している。
その『材料調達』係は昨夜このホールに足止めされて、外には出られなかったはずだ。
昨夜スイが頼んだ通り、ナオは捜査員に注意喚起のメールを送信してくれていた。それは、もちろんスイに対しても例外ではない。警察官や、ハウンドなら、不意打ちを受けるようなことがなければ、自分の身は守れると思っていた。
それなのに、実際に拉致は実行に移された。
「正直……実力不足のハウンドを使っていたんだと思う。俺たちは選考には口出しできなかったし……スイさんみたいにちゃんとしたキャリアがあったヤツじゃないみたいだ……人選した人物が……。ってこと」
実力不足。という言葉にため息が出る。
ナオの言っている『人選した人物』が、わざとそんな素人同然のハウンドを選ぶ。というのは、可能性としては低くはないと想定していた。しかし、仮にもハウンドを名乗るものが、特別な戦闘訓練を受けていないような、要するに素人に後れを取るようなことはないだろうと高を括っていたのだ。
「とにかく……これで、時間はさらになくなった」
それは、スイにも分かっていた。行方不明の人物が拉致されたのかどうかは軽率に判断できないが、その可能性はかなり高いし、そうでなくても、何らかのトラブルに巻き込まれていることは確実だ。そうなれば、これ以上時間をかけているわけにはいかない。のんびりしていたら、他に被害者がでるかもしれないし、拉致された(可能性は低くはない)のだとすればその人物が取り返しのつかないような被害をうけてしまうからだ。
「分かってる……でも、『工場』があと何か所か……っていうか。もしかしたら、勘違いをしているんじゃないかって……気になって」
スイは昨夜、結局寝てはいない。アキが帰った後、朝を待ってユキに会うために一度家へ帰るまでの間、どうしても分からない残りのピースを埋めるためにずっと情報収集をしていた。昨日、アキと仲直りできたことで平和ボケしていた時間を取り戻したかったからだ。
それでもなお、不明な点が何か所か残っていた。しかし、もう、これ以上情報を集める時間はなくなってしまった。
「実はさ……多分、他にも『発注』入ってるのに気付いて……」
そこまで呟いたところで、ナオがし。と、唇に人差し指を当てた。
「スイさん? あれ? こっちじゃなかったっけ??」
エントランスホールの方でケンジがきょろきょろとスイを探している。そうでなくても、焦ってこんなところで話して誰かに聞かれるわけにはいかない話だ。
「今はまずい。後で時間作ろう。LINEするから」
そう言って、ナオは人がいない方向を探して機材の間から出て行った。
ショーが近づいたホールは騒然としていた。全体的に空気がピリピリと殺気立っていて、あちこちから言い争うような声も聞こえてくる。ステージの建て込みのための資材やら、照明音響の機材が雑然と置かれていて、会場内は混とんとした雰囲気だった。
連日の無理がたたって、寝坊してしまったスイが遅刻をして、機材に隠れるようにして職場入ると、隠れていたつもりだったのに、目ざとくスイを見つけたナオが待ち構えていたように、近づいてきた。
いつも朗らかなナオの表情が険しい。それだけで、何か良くないことがあったのだと分かる。
「おはよ。スイさん。ちょっといい?」
スイの遅刻を咎めることなく、くいっと腕を引かれる。掴まれた腕を見て、身体への接触が極端に苦手なスイが、ナオに触られてもあまり不快感はがないのはなぜだろう。と、ふと、不思議に思う。思う余裕がまだ、あった。けれど、腕を引かれるままに機材と機材の隙間に入ったスイにナオはさらに声のトーンを落とした。
「……おとり捜査のハウンドが一人……いなくなった」
伏し目がちな顔。強く噛んだ唇が白くなっている。
「え? メール届いてたよ? それでも……いなくなったってこと?」
思わず大きくなってしまった声に、スイは慌てて口を噤んだ。
警戒心の強いスイが思わず声を上げてしまったのは、ナオの言葉がかなり予想外だったからだ。
スイの立てた推論では、犯人グループに本格的な戦闘訓練を受けているものは殆どいない。恐らくは一人だけ。その人物が犯行グループにおける『材料調達』つまり、暴力的な拉致や誘拐を担当している。そして、他の者はそのサポートに徹している。
その『材料調達』係は昨夜このホールに足止めされて、外には出られなかったはずだ。
昨夜スイが頼んだ通り、ナオは捜査員に注意喚起のメールを送信してくれていた。それは、もちろんスイに対しても例外ではない。警察官や、ハウンドなら、不意打ちを受けるようなことがなければ、自分の身は守れると思っていた。
それなのに、実際に拉致は実行に移された。
「正直……実力不足のハウンドを使っていたんだと思う。俺たちは選考には口出しできなかったし……スイさんみたいにちゃんとしたキャリアがあったヤツじゃないみたいだ……人選した人物が……。ってこと」
実力不足。という言葉にため息が出る。
ナオの言っている『人選した人物』が、わざとそんな素人同然のハウンドを選ぶ。というのは、可能性としては低くはないと想定していた。しかし、仮にもハウンドを名乗るものが、特別な戦闘訓練を受けていないような、要するに素人に後れを取るようなことはないだろうと高を括っていたのだ。
「とにかく……これで、時間はさらになくなった」
それは、スイにも分かっていた。行方不明の人物が拉致されたのかどうかは軽率に判断できないが、その可能性はかなり高いし、そうでなくても、何らかのトラブルに巻き込まれていることは確実だ。そうなれば、これ以上時間をかけているわけにはいかない。のんびりしていたら、他に被害者がでるかもしれないし、拉致された(可能性は低くはない)のだとすればその人物が取り返しのつかないような被害をうけてしまうからだ。
「分かってる……でも、『工場』があと何か所か……っていうか。もしかしたら、勘違いをしているんじゃないかって……気になって」
スイは昨夜、結局寝てはいない。アキが帰った後、朝を待ってユキに会うために一度家へ帰るまでの間、どうしても分からない残りのピースを埋めるためにずっと情報収集をしていた。昨日、アキと仲直りできたことで平和ボケしていた時間を取り戻したかったからだ。
それでもなお、不明な点が何か所か残っていた。しかし、もう、これ以上情報を集める時間はなくなってしまった。
「実はさ……多分、他にも『発注』入ってるのに気付いて……」
そこまで呟いたところで、ナオがし。と、唇に人差し指を当てた。
「スイさん? あれ? こっちじゃなかったっけ??」
エントランスホールの方でケンジがきょろきょろとスイを探している。そうでなくても、焦ってこんなところで話して誰かに聞かれるわけにはいかない話だ。
「今はまずい。後で時間作ろう。LINEするから」
そう言って、ナオは人がいない方向を探して機材の間から出て行った。
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