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FiLwT
チロル 4
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◇翡翠の部屋:翡翠◇
もう、部屋に戻る気はなかった。
持っていくのは、愛用のノートだけ。催眠療法の時に生き残ったたった一台の『相棒』だ。
それだけあれば、スイならどこでも生きていくことができる。
五年前のあの日には、この身体以外に何もなかったから、それに比べればマシな方だ。
部屋に戻ってシャワーを浴びて、簡単に怪我を処置して、部屋の片づけはいらない。こんなことがあったらと、いつも部屋は整理してある。自分の本当の素性に繋がるようなものは元々置いていない。スマートフォンや、デスクトップは残してあるけれど、スイ以外のものが開くと復元が不可能なレベルまでデータを消去するように細工してある。
本当は、二人にメッセージくらい残そうかとも思った。けれど、もうこれ以上話すことはないと思う。話したら、決心が鈍ってしまうと思う。
昼間、部屋を出た時と何も変わらない部屋を見回す。
ここにいたのはほんの数か月だ。殆ど隣に入り浸っていたから、あまり愛着はない。それでも、名残惜しいとスイは思う。この部屋に引っ越してくるときの鼓動の高鳴りを昨日のことのように思い出せる。
「……ありがと」
呟いて、PCバッグを背負う。
二人に出会ってからのことが次々と溢れてくる。毎日、本当に楽しかったし、幸せだった。
毎日、食事を作るのが楽しみだった。喜んでくれるのが嬉しくて、料理をするのがもっと好きになった。
全部預けて、ヘッドホンで世界から切り離されても、どこまでも深く潜っても、独りではないと、安心できた。たとえその瞬間に心臓を打ち抜かれても、後悔しないと確信できた。
三人で祝う特別な日に浮かれて、飲み過ぎて、翌日、二日酔いの顔を笑いあう。特別な日の次の日も特別になった。
アキの冷静と激情に。
ユキの少年と成熟に。
恋をした。
すべてが一瞬の出来事のようだった。
そのままいると、また、涙が零れそうだったから、振り払うようにスイは部屋に背を向けた。
アキとユキにはシャワーだけ済ませたら部屋へ行くと言ってある。もちろん、行くつもりはない。このまま出ていくつもりだ。
おこるかな。
怒るだろう。それでも、もう、スイは決めていた。
一瞬、立ち止まって、けれど、もう、振り返ることはせずにスイは部屋を出た。
もう、部屋に戻る気はなかった。
持っていくのは、愛用のノートだけ。催眠療法の時に生き残ったたった一台の『相棒』だ。
それだけあれば、スイならどこでも生きていくことができる。
五年前のあの日には、この身体以外に何もなかったから、それに比べればマシな方だ。
部屋に戻ってシャワーを浴びて、簡単に怪我を処置して、部屋の片づけはいらない。こんなことがあったらと、いつも部屋は整理してある。自分の本当の素性に繋がるようなものは元々置いていない。スマートフォンや、デスクトップは残してあるけれど、スイ以外のものが開くと復元が不可能なレベルまでデータを消去するように細工してある。
本当は、二人にメッセージくらい残そうかとも思った。けれど、もうこれ以上話すことはないと思う。話したら、決心が鈍ってしまうと思う。
昼間、部屋を出た時と何も変わらない部屋を見回す。
ここにいたのはほんの数か月だ。殆ど隣に入り浸っていたから、あまり愛着はない。それでも、名残惜しいとスイは思う。この部屋に引っ越してくるときの鼓動の高鳴りを昨日のことのように思い出せる。
「……ありがと」
呟いて、PCバッグを背負う。
二人に出会ってからのことが次々と溢れてくる。毎日、本当に楽しかったし、幸せだった。
毎日、食事を作るのが楽しみだった。喜んでくれるのが嬉しくて、料理をするのがもっと好きになった。
全部預けて、ヘッドホンで世界から切り離されても、どこまでも深く潜っても、独りではないと、安心できた。たとえその瞬間に心臓を打ち抜かれても、後悔しないと確信できた。
三人で祝う特別な日に浮かれて、飲み過ぎて、翌日、二日酔いの顔を笑いあう。特別な日の次の日も特別になった。
アキの冷静と激情に。
ユキの少年と成熟に。
恋をした。
すべてが一瞬の出来事のようだった。
そのままいると、また、涙が零れそうだったから、振り払うようにスイは部屋に背を向けた。
アキとユキにはシャワーだけ済ませたら部屋へ行くと言ってある。もちろん、行くつもりはない。このまま出ていくつもりだ。
おこるかな。
怒るだろう。それでも、もう、スイは決めていた。
一瞬、立ち止まって、けれど、もう、振り返ることはせずにスイは部屋を出た。
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