真鍮とアイオライト 1

司書Y

文字の大きさ
上 下
347 / 392
月夕に落ちる雨の名は

16 菫の鈴 1

しおりを挟む
 人を好きになるのに、理由なんていらない。
 好きになってしまったら、多分、時間なんて関係ない。一瞬で好きになることはあるし、何年だって好きな気持ちが変わらない。変われないことだってある。
 その気持ちは理屈ではないし、論理的に説明なんてできない。
 だから、菫のことをどうしてこんなに好きになったのか、鈴には説明なんてできなかった。

 何処が好きなのかは幾つだってあげられる。好きなところをあげはじめたら、時間はいくらあっても足りない。
 いや、一言で済ますこともできる。
 全部。なのだ。

 そして、その思いには代わりになれる物など何もない。
 誰一人として、菫の代わりになれる人なんていないし、どんな理由があったって、菫を奪われたくはない。たとえ、菫がそれを望んでいたとしても。だ。
 鈴は、自分自身のそんな利己的な部分にも気付いていた。気付いていてもどうしようもなかっただけだ。

「……先に」

 呟いて、新三は肩で大きく息をした。
 この狐はその辺でうろうろしているような低級な動物霊とは違う。生きていたものが死んだ成れの果てではなく、こういうものとして世界に発生したれっきとした怪異だ。彼の後ろにある社がまだ形を保っていたとしたら、神使と呼ばれていたものだ。
 それが、鈴の前に膝まづいて動けずにいた。

「先に……奪ったのは……そっちだ」

 圧倒的な力の差に顔をあげることすらままならないはずなのに、少年の姿をした狐はそれでも、顔を上げた。額から汗が流れ落ちる。赤く色づく瞳はそれでも、力を失ってはいない。
 それが、酷く鈴の気に障った。

「あれは。あの人は。黒様の……」

 腹立たしい。
 鈴は思う。
 目の前の随分と小さく見える狐の一言一言が神経を逆なでする。苛立ち紛れに、ほんの少しだけ視線を遣ると、小さな狐は、首を絞められたかのように喉に手をかけてせき込む。
 かは。と、乾いた音。何故は酷く遠く聞こえた。
 それが、とても苦し気なのに、気は晴れない。哀れにも思わない。
 ただ、とても暴力的な感情の渦が、鈴の心の中にあって、それが、命じる。目の前にいる小さな狐がなくなってしまえば、きっと、大切なものを奪われることがないのだ。と。

「……『生きている』意味で、『生きている』価値。『生きている』拠所で、『生きている』歓び。だから……返せ……よ」

 ああ。
 と、鈴はため息を吐く。
 きっと、あの化け狐も同じだ。
 鈴にとっての菫がそうであるように、あの化け狐にとっての菫は理由も分からないくらいの特別な存在なのだ。そして、鈴に見えていたあの化け狐と菫の縁はそれに由来している。

「返せ?」

 声は本当に氷にでもなってしまったかのようだった。
 なんて冷たい声だと。自分自身で思う。思うけれど、遠い。遠いし、血の通った『ひと』の声に戻す方法も、戻る理由も、鈴には見つけられない。
 ただただ、目の前の小さな狐が不快で、どうしようもなく邪魔だと思える。
 だから、鈴は手を伸ばした。

「冗談じゃない」

 きっと、また、こんなことがあるだろう。鈴はずっと危惧していた。これを排除しても、きっとまた別の何かが菫を見つける。

 だったら、どうすればいい?

 どうしようもないほどの暗い嵐が吹き荒れる。ここは本当にあの松林だろうか。ふと、浮かんだ考えが、吹き荒れる感情の渦に飲まれて消えた。次に浮かんだのは菫の笑顔。けれど、それもすぐに遠くなる。

「菫は。あの人は。誰にも……」

 遠くなった菫の笑顔が悲しくて、寂しくて、怖くて、近くに取り戻したくて、奪われたくなくて、見せたくなくて、それにはどうすればいいのか、答えを探す。

「お前。邪魔だ」

 そうして、鈴は答えを出す。
 ただ、持ち上げた片手を、その指先を小さな狐に向ける。心の中にある昏い嵐に命じるだけでいい。征く先はそこなのだと指し示すだけでよかった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

ハイスペックED~元凶の貧乏大学生と同居生活~

みきち@書籍発売中!
BL
イケメン投資家(24)が、学生時代に初恋拗らせてEDになり、元凶の貧乏大学生(19)と同居する話。 成り行きで添い寝してたらとんでも関係になっちゃう、コメディ風+お料理要素あり♪ イケメン投資家(高見)×貧乏大学生(主人公:凛)

学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――

天海みつき
BL
 族の総長と副総長の恋の話。  アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。  その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。 「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」  学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。  族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。  何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。

有能社長秘書のマンションでテレワークすることになった平社員の俺

高菜あやめ
BL
【マイペース美形社長秘書×平凡新人営業マン】会社の方針で社員全員リモートワークを義務付けられたが、中途入社二年目の営業・野宮は困っていた。なぜならアパートのインターネットは遅すぎて仕事にならないから。なんとか出社を許可して欲しいと上司に直談判したら、社長の呼び出しをくらってしまい、なりゆきで社長秘書・入江のマンションに居候することに。少し冷たそうでマイペースな入江と、ちょっとビビりな野宮はうまく同居できるだろうか? のんびりほのぼのテレワークしてるリーマンのラブコメディです

【完結】相談する相手を、間違えました

ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。 自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・ *** 執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。 ただ、それだけです。 *** 他サイトにも、掲載しています。 てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。 *** エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。 ありがとうございました。 *** 閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。 ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*) *** 2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

処理中です...