327 / 392
月夕に落ちる雨の名は
11 怪物 1
しおりを挟む
鈴は感情を表情で表現するのが苦手だった。正確に言うと、幼いころ、それこそ物心つく前にすべての感情を置き去りにしてしまった。
母の話によると、鈴は保育園に入るより前にはほかの子よりもずっと感情が豊かだったという。ただ、毎日毎日人ならざる者の嘆きを聞いて、共に悲しんで泣いているうちに今のように感情を表に出すことができなくなっていたのだという。
「鈴」
だから、表情に気持ちを出してしまったとは思わない。
けれど、表情に何も現れなかったことが、葉に何かを感じさせたのだと思う。
菫の話をするとき、鈴は感情を殺さない。溢れてしまう思いを隠そうとは思わない。
「……『大丈夫』って、あのとき言ったよね?」
あのとき。が、いつのことなのかを考える。あの日だ。鈴は思う。菫に犬の呪いのことをここで話した日だ。そのあと、鍵を忘れてここに戻ってきた鈴に、葉は何かを言おうとしていた。おそらくは、菫を好きになることは、簡単な道ではないと言おうとしていたのだと思う。それは、単に同性同士だからという意味でないことくらい、鈴にも分かっていた。葉が言いたかったのは、こういうこと。なのだ。
「『諦めるのは無理』って、言ったよね?」
自分を平凡だと彼はいうけれど、菫は特別だ。
彼の持っている目は、鈴や葉のそれとは違う。ただの異能としての見える目ではない。
どう違うのか、どこが違うのか、何に起因しているのか、何も分からない。ただ、違うのだ。
そう。新三という狐が言っていた言葉が分かりやすい。
菫は夜に近い。
言いえて妙だと思う。だから、夜に住まうあちら側の。否、こちら側だとしても、このんで暗い場所にいる者にはその瞳が誘蛾灯のように見える。引き寄せられるのだ。
「池井君を……」
「池ちゃんを泣かせたら、紅が鈴を泣かす!!!」
葉の言葉を遮って、不意にボトムに爪を立ててとびかかってきた紅が叫ぶ。半泣きだ。
きっと、この猫(又)も、あの瞳の色に囚われている一匹だ。
「泣かすんだから……にゃあ」
店内を見回すと、ほかの二匹も冷たい視線を投げかけていた。菫を傷つけたら許さない。と、その視線が言外に語っている。今にもその鋭い爪で喉を掻き切られそうな殺気だ。
「紅」
手を伸ばし、紅の首根っこを捕まえて葉はひょい。と、紅を抱き上げた。
「かわりに言ってくれてありがと」
その滑らかな毛並みを優しく撫でる。ごろごろ。と、甘えるように喉を鳴らす紅。残りの二匹の殺気もいつの間にか消えていた。
「でもね。これは、鈴と池井君の問題だから。口出しはここまで」
そう言って、葉の視線が鈴の方を向く。緑色の目。まるで猫が四匹に増えたようだ。
ヴヴ。
そして、また、着信が鳴った。
鈴だってわかっていた。
菫は簡単な相手ではない。
鈴もあの目に惹きつけられた暗い場所に身を置くものの一人に過ぎない。
「……傷つけたいわけじゃ……」
小さく呟く。
母の話によると、鈴は保育園に入るより前にはほかの子よりもずっと感情が豊かだったという。ただ、毎日毎日人ならざる者の嘆きを聞いて、共に悲しんで泣いているうちに今のように感情を表に出すことができなくなっていたのだという。
「鈴」
だから、表情に気持ちを出してしまったとは思わない。
けれど、表情に何も現れなかったことが、葉に何かを感じさせたのだと思う。
菫の話をするとき、鈴は感情を殺さない。溢れてしまう思いを隠そうとは思わない。
「……『大丈夫』って、あのとき言ったよね?」
あのとき。が、いつのことなのかを考える。あの日だ。鈴は思う。菫に犬の呪いのことをここで話した日だ。そのあと、鍵を忘れてここに戻ってきた鈴に、葉は何かを言おうとしていた。おそらくは、菫を好きになることは、簡単な道ではないと言おうとしていたのだと思う。それは、単に同性同士だからという意味でないことくらい、鈴にも分かっていた。葉が言いたかったのは、こういうこと。なのだ。
「『諦めるのは無理』って、言ったよね?」
自分を平凡だと彼はいうけれど、菫は特別だ。
彼の持っている目は、鈴や葉のそれとは違う。ただの異能としての見える目ではない。
どう違うのか、どこが違うのか、何に起因しているのか、何も分からない。ただ、違うのだ。
そう。新三という狐が言っていた言葉が分かりやすい。
菫は夜に近い。
言いえて妙だと思う。だから、夜に住まうあちら側の。否、こちら側だとしても、このんで暗い場所にいる者にはその瞳が誘蛾灯のように見える。引き寄せられるのだ。
「池井君を……」
「池ちゃんを泣かせたら、紅が鈴を泣かす!!!」
葉の言葉を遮って、不意にボトムに爪を立ててとびかかってきた紅が叫ぶ。半泣きだ。
きっと、この猫(又)も、あの瞳の色に囚われている一匹だ。
「泣かすんだから……にゃあ」
店内を見回すと、ほかの二匹も冷たい視線を投げかけていた。菫を傷つけたら許さない。と、その視線が言外に語っている。今にもその鋭い爪で喉を掻き切られそうな殺気だ。
「紅」
手を伸ばし、紅の首根っこを捕まえて葉はひょい。と、紅を抱き上げた。
「かわりに言ってくれてありがと」
その滑らかな毛並みを優しく撫でる。ごろごろ。と、甘えるように喉を鳴らす紅。残りの二匹の殺気もいつの間にか消えていた。
「でもね。これは、鈴と池井君の問題だから。口出しはここまで」
そう言って、葉の視線が鈴の方を向く。緑色の目。まるで猫が四匹に増えたようだ。
ヴヴ。
そして、また、着信が鳴った。
鈴だってわかっていた。
菫は簡単な相手ではない。
鈴もあの目に惹きつけられた暗い場所に身を置くものの一人に過ぎない。
「……傷つけたいわけじゃ……」
小さく呟く。
1
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

つたない俺らのつたない恋
秋臣
BL
高1の時に同じクラスになった圭吾、暁人、高嶺、理玖、和真の5人は高2になってクラスが分かれても仲が良い。
いつの頃からか暁人が圭吾に「圭ちゃん、好き!」と付きまとうようになり、友達として暁人のことは好きだが、女の子が好きでその気は全く無いのに不本意ながら校内でも有名な『未成立カップル』として認知されるようになってしまい、圭吾は心底うんざりしてる。
そんな中、バイト先の仲のいい先輩・京士さんと買い物に行くことになり、思わぬ感情を自覚することになって……
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる