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月夕に落ちる雨の名は
2 またかよ 1
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市民センター男子更衣室の(女子の方も同じかもしれないけれど)ロッカーの幅は狭い。隣のロッカーを使用している市正規職員さんをして『こんなほっそいロッカー売ってるんだ……』と、言わしめた代物で、恐らく幅は30㎝ないくらいだ。高さは180㎝くらいはある。だから、無理をすれば、菫のような細い人物なら中に入れないこともないだろう。
ただし、それは、中に何も入っていなければ。という、前提がつく。
もちろん、菫のロッカーの中には着替えも入っているし、下履きも入っているし、通勤用バッグもランチボックスも。その他もろもろ私物が入っている。網棚もあるし、フックや鏡もあって、実際に大人が入るのは無理だ。
けれど、開いた扉の中に菫は引き込まれた。
無理矢理に。だ。
ぐい。と、手首を強く掴まれて、ロッカーの入り口や扉にあちこちぶつけながら引っ張り込まれて、地面に投げ出される。
ああ。この感じ、知ってるわ。
と、倒れ込みながら思うと、案の定、松葉が散り敷いている地面は柔らかく迎えてくれた。
「……てえ」
だから、痛い。と、表現したのはただの嫌味だ。恐らく、ここへ無理矢理連れてきた人物(?)に恨み言を言いたいだけだった。
「またかよ」
顔を上げる。
そこにいたのは、ほぼ、想像した通りの相手だった。
「……えっと。新三だっけ?」
『ほぼ』と、表現したのは、こっちではなく、もふさ。の方で現れると思っていたからだ。
浅葱の袴に白の着物。よく見る若い神職の格好をした少年の姿。菫が猫にされたあの夜に見たままの姿だった。正直、もふさ。のほうだったら、もう一人の冴夜という女の子との見分けはつかなかっただろうと思う。
「今日は何の用? 俺、忙しいんだけど」
毎回毎回、鈴との待ち合わせの日を狙ったようにやってくる狐に、最早恒例行事と諦めに似た気持ちになってしまう。何と言って頼んでも、きっと、こうやって引っ張るのをこいつらはやめてはくれないだろう。だったら、さっさということを聞いてやって、解放させるしかない。
「時間がない」
けれど、以前あったときと、新三の表情は違っていた。以前あったときは思春期特有のどこか生意気そうな雰囲気だったのに、表情が暗い。切羽詰まっているようで、思わず心配してしまいそうになって、相手は狐なのだと気を引き締める。
「頼む。黒様を助けてくれ」
菫の前で直角になるくらいに頭を下げて、新三は言った。そのまま頭を上げようともしない。
「え? ちょ。黒様って……」
「頼む」
菫の戸惑いの声にも顔をあげることもせずに新三は頭を下げていた。
「……黒様って……のぶ……のこと?」
その名を読んだ途端に、弾かれたように新三が顔を上げた。酷く驚いた様子で菫の顔を見ている。
「……そう呼んでるのか? あの人が。許したのか?」
誰に向けたのか分からないような呆けた問い。聞いている相手は菫ではないように思えた。
「え? あ。うん。黒羽って、呼ぶなって言うし。ええっと。本名。呼んだらまずいかな。って思って」
聞かれているのが自分とは思えなかったけれど、答えると、新三はしばらくまた驚いた顔で何かを考えていたようだったけれど、決意したように顔をあげて、真っ直ぐな目で菫を見た。恥じらいとか、悪意とか、いたずら心とか、そんなものは何も感じられない真っすぐな瞳。その色は、ぼう。と、赤が滲みだすような色だった。
「お願いします。黒様を黒羽様も助けてください。きっと、あなたしかできない」
姿勢を正して、新三はもう一度言った。
「このままじゃ、来年……や。冬だって迎えられない。あの人が消えてしまう」
ただし、それは、中に何も入っていなければ。という、前提がつく。
もちろん、菫のロッカーの中には着替えも入っているし、下履きも入っているし、通勤用バッグもランチボックスも。その他もろもろ私物が入っている。網棚もあるし、フックや鏡もあって、実際に大人が入るのは無理だ。
けれど、開いた扉の中に菫は引き込まれた。
無理矢理に。だ。
ぐい。と、手首を強く掴まれて、ロッカーの入り口や扉にあちこちぶつけながら引っ張り込まれて、地面に投げ出される。
ああ。この感じ、知ってるわ。
と、倒れ込みながら思うと、案の定、松葉が散り敷いている地面は柔らかく迎えてくれた。
「……てえ」
だから、痛い。と、表現したのはただの嫌味だ。恐らく、ここへ無理矢理連れてきた人物(?)に恨み言を言いたいだけだった。
「またかよ」
顔を上げる。
そこにいたのは、ほぼ、想像した通りの相手だった。
「……えっと。新三だっけ?」
『ほぼ』と、表現したのは、こっちではなく、もふさ。の方で現れると思っていたからだ。
浅葱の袴に白の着物。よく見る若い神職の格好をした少年の姿。菫が猫にされたあの夜に見たままの姿だった。正直、もふさ。のほうだったら、もう一人の冴夜という女の子との見分けはつかなかっただろうと思う。
「今日は何の用? 俺、忙しいんだけど」
毎回毎回、鈴との待ち合わせの日を狙ったようにやってくる狐に、最早恒例行事と諦めに似た気持ちになってしまう。何と言って頼んでも、きっと、こうやって引っ張るのをこいつらはやめてはくれないだろう。だったら、さっさということを聞いてやって、解放させるしかない。
「時間がない」
けれど、以前あったときと、新三の表情は違っていた。以前あったときは思春期特有のどこか生意気そうな雰囲気だったのに、表情が暗い。切羽詰まっているようで、思わず心配してしまいそうになって、相手は狐なのだと気を引き締める。
「頼む。黒様を助けてくれ」
菫の前で直角になるくらいに頭を下げて、新三は言った。そのまま頭を上げようともしない。
「え? ちょ。黒様って……」
「頼む」
菫の戸惑いの声にも顔をあげることもせずに新三は頭を下げていた。
「……黒様って……のぶ……のこと?」
その名を読んだ途端に、弾かれたように新三が顔を上げた。酷く驚いた様子で菫の顔を見ている。
「……そう呼んでるのか? あの人が。許したのか?」
誰に向けたのか分からないような呆けた問い。聞いている相手は菫ではないように思えた。
「え? あ。うん。黒羽って、呼ぶなって言うし。ええっと。本名。呼んだらまずいかな。って思って」
聞かれているのが自分とは思えなかったけれど、答えると、新三はしばらくまた驚いた顔で何かを考えていたようだったけれど、決意したように顔をあげて、真っ直ぐな目で菫を見た。恥じらいとか、悪意とか、いたずら心とか、そんなものは何も感じられない真っすぐな瞳。その色は、ぼう。と、赤が滲みだすような色だった。
「お願いします。黒様を黒羽様も助けてください。きっと、あなたしかできない」
姿勢を正して、新三はもう一度言った。
「このままじゃ、来年……や。冬だって迎えられない。あの人が消えてしまう」
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