真鍮とアイオライト 1

司書Y

文字の大きさ
上 下
181 / 392
市立図書館地下書庫奥、由緒正しき……

4 扉の奥

しおりを挟む
 もちろん、物理法則にのっとって話をするなら、その先には免震設備の地下構造部、何本かの柱と基礎を繋ぐ巨大なゴムの構造物があるはずだ。けれど、そこには森林が広がっていた。
 正確に言うなら、切れ目が見えないほど先までただ一種の木の林が続いている。この匂いにも、落ち葉にも、木そのものにも見覚えがある。松だ。植物に詳しくなくても、大抵の人は見知っているおなじみの木がどこまでも続き、夕日に染まるオレンジの木漏れ日を地面に落としている。
 綺麗な場所だった。

「……は?」

 けれど、それは、盆地の底のような場所にあるお世辞にも大都市とは言えない地方都市の市民センターの地下書庫のドアを開けた先にある景色ではない。いや、あってはいけない場所だった。

「なに? これ??」

 後ろを振り返ると、すでにドアは消えていた。

「……うそ。だろ?」

 やっぱり、自分の感覚は当てにならない。
 菫は思う。
 あの扉は開けてはいけないものだったのだ。
 いや、普通に考えれば、開けてはいけないことくらいは菫にだってわかっていた。それでも、扉から伝わってきたのは『悪意』ではなかった。それでは何なのかと聞かれると、菫は答えに困る。強いて言うなら、『覚えておいてほしい』という、切実な欲求。
 人が死んだとき、周りの人は悲しみその人のことを考える。けれど、時が流れて、いつしか、その人たちのことを考えることはなくなる。そして、死んだ人を知るもの、そのことを考えるものがいなくなったとき、人はもう一度死ぬ。
 この景色を見せているなにかは、いま、まさに死を迎えようとしているのかもしれない。だから、誰かに見せようとした。

「これを覚えていろってこと?」

 菫は呟いた。こんなことが起これば、菫にとって忘れがたい思い出となるだろう。この先忘れることなどない。それだけのインパクトはあった。
 けれど、これを見せている人物(?)が、覚えておいてほしいのはそんなことなのだろうか。緩やかな死が止められないとしても、せめて、そこに在ったことだけでも残したいという意志のようなものを感じた。感じたような気がした。それも、あてにならない錯覚だったかもしれない。

 扉はなくなってしまった。だから、菫は一歩踏み出してみた。
 ふか。と、松場が降り積もった地面は柔らかかった。道はなかったけれど、地面には下草が生い茂ることもなく、まばらに生えた日影を好む草だけがちらほらと生えている。そのほかには、ただ、松林がどこまでも広がる。
 何故か、ひどく、懐かしい気がした。アタイズム。共同幻想とでもいうのだろうか。多分、これは、菫の記憶ではなくて、この街に住む同じ文化に育った人間が共通して持つ懐かしさだ。

 図書館に勤めているからというわけではないけれど、菫も知っている。菫の住む市はかつて広大な松林があった場所だ。今では殆どその名残はないけれど、ほんの一部分だけ、まだそれが残っている場所がある。鈴とよく待ち合わせをするコンビニの近くだ。きっと、在りし日の松林は、こんな風景だったのだろう。
 柔らかな落ち葉を踏みしめて歩く。
 しん。と、静まり返った松林。人の気配はない。ただ、何かがいる気配はある。
 それは、目に見えないものではなくて、カラスだったり、ネズミだったり、リスや、イタチだたり。ヤマバトや、キツネや、タヌキや、シカ。こんな森に相応しい生き物たちの小さな足音や息遣いだ。視界の端にささ。と、何かが通り過ぎる。けれど、そちらを向くと何もいない。目に見えないものたちと似てはいるが、居てはいけないものがいるという歪みのようなものがない。こんな非常識な状況なのにそれらは自然そのものだった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

どうやら俺は悪役令息らしい🤔

osero
BL
俺は第2王子のことが好きで、嫉妬から編入生をいじめている悪役令息らしい。 でもぶっちゃけ俺、第2王子のこと知らないんだよなー

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

処理中です...