真鍮とアイオライト 1

司書Y

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かの思想家が語るには

いなり餅 1

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 俺には最早、状況を正確に理解するのは不可能だった。混乱どころの話じゃない。
 同級生と思っていたものが、実は大きな獣だったことも。それになぜか執拗に追いかけられたことも。バイクでこけたことも。獣の顔が今度は女子高生に代わったことも。正直、死まで覚悟したことも。それなのに突然現れたガラの悪い男が一瞬でそれを飲み込んでしまったことも。
 どれをとっても平凡な図書館司書には荷が重すぎる。

「ふざけるな。こんなこと二度とあってたまるか。……てか。お前と池井さんとの貸し借りもこれでなしだ。池井さんに関わるな」

 俺の言いたかったことを代弁して、鈴は俺を引き寄せて守るように腕に収める。けれど、鈴の言葉なんて全く聞いていません。という顔で、黒刃は俺の方に手をのばして、ぷに。と、ほっぺたを甘く抓った。

「相変わらず、旨そうだな。お前、まだ、食ってないのか? いらんのなら、俺に寄越せ」

 鈴の言葉とは一切関係のない答えを返す黒刃に、鈴は表情を険しくさせて俺を背中に隠す。

「触るな!」

「ケチケチすんな。減るもんじゃあるまいし」

「お前に触られると減るんだよ」

 と、状況についていけない俺を他所に、黒刃と、鈴は口喧嘩を始めてしまった。

 助かった。のだろうか。
 逃げきれないと、張り詰めていた緊張を、解くのが怖い。もしかしたら、どこかにまだあいつが。
 と。思ってから、それはないと自分自身で否定した。あの、臭気が完全に消えた。かわりにマッチが燃えた後のような匂いがする。不快ではない。むしろ、香水や花の香りとは違う別の種類の芳香に感じられる。

 鈴はこいつが獣を片付けてくれると分かっていたのだろうか。分かっていたから、もう少し頑張れと俺をここに導いたんだろうか。
 ちゃんと理解しているわけではないけれど、あの獣が良くないものだということも、命を狙われていたということも、人間に比べて身体能力も身体の頑丈さも秀でていたことも、分かっている。それなのに、散々逃げ回ったあんなものを一瞬でこのチンピラは始末してしまった。
 そういえば、今日は格好だってまともになっている。ただの変なチンピラだと思っていたこいつは何者だなのだろう。

 助かったのだと、思えないまま、頭は混乱するばかりだった。

「こんな旨そうなもん。人間には勿体ないわ」

 一際大きな声が聞こえてきて、俺ははっと我に返った。黒刃が俺を指さしている。人を指さすな。と、言ってやりたかったけれど、もう、その元気もなかった。身体のあちこちが痛い。散々怖い思いをして、さっきまではもう助からないんじゃないか。なんて、思っていたのに、唐突に訪れた馬鹿みたいな言い争いを見ていると、なんだかため息がもれた。
 真剣になっていた、俺がおかしいみたいな気がしてくる。

「俺の”印”つけておけば、あんな雑魚には狙われんぞ?」

 にやり。と、黒刃が笑う。じっ。と、見つめる視線が、絡みついてくるようて、ぞっ。とした。

「安心しろ。別に一人占めしようって言うんじゃない。俺は寛大だからな。お前にも共有……」

 がんっ!
 と、横から大きな音が聞こえて、俺はびくり。と、身体を震わせた。鈴の拳が松の幹を打っている。顔は不快そのものと言った表情だ。

「ふざけるな。お前なんかに触らせるか」

 ゆらり。と、鈴の瞳から青い炎が立つ。立っているように、俺には見えた。

「偉そうに。お前のもんでもなかろうが」

 そんな視線を真っ向から受け止めて、挑発するように黒刃が目を細める。その後ろにも、赤い炎が揺らめいて見えた。ように、見えた。
 マズい。
 と。思う。なんだかよくわからないけれど、放っておいたら大変なことになる気がする。この二人が本気で争ったら、うまく言えないが、良くない。

「俺のだ」

 俺が慌てて二人の間に割って入ろうとしたのを遮るように、鈴は宣言した。

「この人は俺のだ。今後指一本でも触れたら、社から一歩も出られんようにしてやる」

 肩を抱いてぐい。と、引き寄せられて、俺は言葉を失った。『俺のだ』なんて、言われて冷静でいられるはずがない。というか、告白されたことを今更ながらに思い出した。顔が急に熱くなって、湯気でも出そうだ。

「面白い。やってもらお……」

 まさに一触即発。という雰囲気で、黒刃が鈴に詰め寄る。
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