真鍮とアイオライト 1

司書Y

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かの思想家が語るには

貸しだよ 2

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 と、ここまでが昨日の話。
 翌日である今日、俺は普段通り出勤していた。
 もちろん、ばあちゃんにも、兄ちゃんにも止められた。せめて一日くらいは家で寝ていろと、きつく言って出社していった兄ちゃんには『わかった』と、返事をしておいて、実際はこうして図書館にいる。
 警察から連絡がいってしまったせいで、図書館でも、すでに不審車に突っ込まれた話は知られるところになっていたから、カウンターには立たせてもらえなかったけれど、帰れと言う同僚の言葉は、へらへらと曖昧に笑って受け流した。

 うちに一人でいたくなかったからだ。
 病院と違って、図書館では黒い影はあまり見ない。いないわけではないけれど、他の公共機関と比べても、我らがS市立図書館にはそのたぐいのものが少ない気がしていた。ちなみに、昨日、俺が運ばれたのは隣の大きな市にある国立の医療センターだ。ここは俺自身も他と比べてもよく見かけるし、普通にネットで検索すると心霊体験談がちらほら見つかるホットスポットだった。

 けれど、一人でいたくないのは、怖いからではなくて、こんな状態でも一人になると、鈴のことばかり考えてしまうからだ。時間が経つにつれて、鈴に好かれているかもなんていう勘違いが恥ずかしかったことより、純粋に鈴にほかに好きな人がいるのが辛くなってきて、月並みすぎる言い方だけれど、胸が苦しい。
『私のこと好きなんだよね?』と、問う女の子の愛らしさと、『ああ』と、応えた鈴の後姿。その場面を擦り切れるくらいに心の中で再生しては、振られた事実を確認する作業を、何度も繰り返した。そして、その度に泣きたくなる。
 そんなことを繰り返しているばかりなら、少しくらい身体が痛くても仕事をして忘れていたかった。

 バックヤードの椅子に座って、古い寄贈本にブッカーをかけながら、この後は何をしようかと考える。汚破損本の修理も、地下書庫の返本も、レファレンスの資料探しもやることはいくらでもある。
 できるだけ、次やることを考えていたい。そんなことを考えていると、ついつい手は早くなってしまって、持ってきていたブッカーが足りなくなっていた。
 替えを持ってこようと、立ち上がると、全身が痛む。昨日より確実に酷くなっている。というか、昨日は脳内麻薬が出ていて気付かなかっただけだろう。時間が経つにつれてあちこちに青痣ができてくるし、痛みも容赦なくなってくる。
 それでも、帰れとは言われたくないから、平気なふりをして、俺は歩き出した。

 事務室に入ると、中はもちろんいつも通りだった。
 数人がデスクに座って自分自身の仕事をしながら、電話対応をしたり、カウンターの補助をしている。数人が俺の顔を見て、大丈夫? と、声をかけてくれた。苦笑いしながら、はい。と、答えると、帰ってもいいのに。と、さらに心配された。
 そんなふうに心配してもらうことが居たたまれなくて、さっさと用を済ませようと、替えのブッカーを持つと、カウンターの方からこちらを覗いている人に気付く。
 小柏さんだ。
 その口が動いている。

 き。た。じ。ま。

 だ。声には出ていない。
 それだけで、すぐに分かってしまった。
 きっと、鈴が、来ているんだ。
 普段、鈴は俺のカウンターの時間をLINEで聞いて、その時間に来てくれることが多い。けれど、何かのついでに寄ったときなどは、鈴が来ると同僚は時間がある限り俺を呼んでくれる。もちろん、小柏さんも例外ではない。
 けれど、今日は。
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