真鍮とアイオライト 1

司書Y

文字の大きさ
上 下
119 / 392
かの思想家が語るには

ストーカーと文字化け 1

しおりを挟む
 2月。朝、朝食の用意を始める時間は、まだ、真っ暗だ。
 両親が離婚して、父に引き取られた俺たち兄弟は、研究室に籠ってばかりで留守がちな父の代わりに父方のばあちゃんに面倒を見てもらっていた。少しでもばあちゃんの負担を減らそうと、食事の用意を手伝うようになったのは、同居を始めてすぐの頃だ。
 ばあちゃんが年を取って、俺が大学を出て、就職した頃からは食事の準備や片づけは全部、俺の担当になっている。だから、朝6時半には出勤する兄ちゃんを送りだすために、5時半には起きて食事と弁当の用意をする。それが日課だった。

 お茶を作るためにやかんと、味噌汁用の鍋に水を入れて火にかけてから、朝刊を取りに行くのも、俺の朝のルーティンワークだ。
 玄関の鍵を開けて、外付けのポストに突っ込まれた新聞を抜く。外に体を出すのはほんの一瞬だけど、濡れタオルを振り回すと凍るレベルの寒さが肌に突き刺さる。

「さぶ」

 呟いて、家の中に体を引っ込めようとすると、ふと、視界の端に何かが映った。

 それは、俺の家の塀の外側の陰から、こっちを見ていた。いや、正確に見ていたかどうかはわからない。そう思った。というだけだ。
 というのも、それには目がなかったからだ。そんなヤツ。どこにでもいるわけじゃない。俺にとってはわりと珍しくもないけれど、同じ特徴を持ったやつにあったのを、忘れられるほど時間が経ってはいなかった。

 壁に両手をついて、そっと、中を覗くように顔を半分出して、こちらを窺っている。その口元は前に見た時のまま、半月に割れて、顔の表面と違ってぬらぬら、気味が悪い質感の赤だ。また。いや、まだ、笑っている。
 しかも、口は割れて開いたままなのに、何かを呟いているのが、10メートル以上あるはずなのに聞こえてきた。

 みつけた。みつけた。みつけた。みつけた。みつけた。みつけた。みつけた。みつけた。みつけた。みつけた。

 そう、聞こえる。

 ついてきてしまった。

 背筋が寒くなる。家までついてこられたことが、ないわけではない。中には家の前で半年近く立っていたヤツもいた。殆どストーカーだ。その時も毎日びくびくして過ごしたけれど、結局は何もないまま薄くなって消えていった。
 だから、こいつもそうなるかもしれない。
 けれど、そうならないかもしれない。
 怖いのは、俺についてきたならいいけれど、ここに居座られて、兄ちゃんやばあちゃんに何かがあった場合だ。何も見えていない二人には対処のしようがない。
 これが、本当に俺の頭の病ならいいのに。今更ながらそんなことを思う。それなら、俺が治療を受ければ済む話だ。でも、そうでなかったら。というよりも、もう、認めなければいけない。きっと、そうじゃない。こいつらが何なのかは分からない。けれど、こいつらは見える見えないにかかわらず、物理法則とは別の場所に存在していて、中にはこちら側に影響を及ぼすものがいる。それは多分、勘違いじゃなく事実なんだろう。

 そこまで考えてから、俺は、家の中に引っ込んで、玄関の引き戸を閉めた。
 何も知らない兄ちゃんとばあちゃんは俺が守らないといけない。もし、あいつが俺に付いてこないようなら、挑発してでも家から引きはがさないと。俺の行動に反応しているんだから、きっと、俺が気付いていると示してやればついてくるはずだと思う。
 そう、心に決めると、なんだか少し気持ちが落ち着いてきた。というより、開き直ってしまったのかもしれないけれど、そんなのどっちでもいい。
 とにかく自分のやるべきことをやろう。と、キッチンに戻る。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

つたない俺らのつたない恋

秋臣
BL
高1の時に同じクラスになった圭吾、暁人、高嶺、理玖、和真の5人は高2になってクラスが分かれても仲が良い。 いつの頃からか暁人が圭吾に「圭ちゃん、好き!」と付きまとうようになり、友達として暁人のことは好きだが、女の子が好きでその気は全く無いのに不本意ながら校内でも有名な『未成立カップル』として認知されるようになってしまい、圭吾は心底うんざりしてる。 そんな中、バイト先の仲のいい先輩・京士さんと買い物に行くことになり、思わぬ感情を自覚することになって……

貢がせて、ハニー!

わこ
BL
隣の部屋のサラリーマンがしょっちゅう貢ぎにやって来る。 隣人のストレートな求愛活動に困惑する男子学生の話。 社会人×大学生の日常系年の差ラブコメ。 ※現時点で小説の公開対象範囲は全年齢となっております。しばらくはこのまま指定なしで更新を続ける予定ですが、アルファポリスさんのガイドラインに合わせて今後変更する場合があります。(2020.11.8) ■2024.03.09 2月2日にわざわざサイトの方へ誤変換のお知らせをくださった方、どうもありがとうございました。瀬名さんの名前が僧侶みたいになっていたのに全く気付いていなかったので助かりました! ■2024.03.09 195話/196話のタイトルを変更しました。 ■2020.10.25 25話目「帰り道」追加(差し込み)しました。話の流れに変更はありません。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

処理中です...