真鍮とアイオライト 1

司書Y

文字の大きさ
上 下
78 / 392
番外編 番犬と十七夜

タイムリミットは 3

しおりを挟む
 状況は最悪。

 それでも。不思議と、貴志狼に伝えることを、やめようとはもう、思わなくなっていた。
 晴興の姿を見たからだろうか。彼はあの小説に勇気をもらったと言っていたけれど、葉はその晴興に勇気をもらった。
 ダメでもいいから、ちゃんと決着をつけよう。
 今はそう思う。
 何千分の一でも、何万分の一でも、もし、可能性があるなら思いを告げて、もし、一億分の一でも可能性があるなら、一生貴志狼といたい。その可能性を捨てたくないし、ダメでも何もしないで諦めるより前に向ける気がした。

 だから。早く。
 と。気が急く。
 別に貴志狼は今日結婚してしまうわけではない。婚約だって、今日決まるわけではないだろう。
 だけど、誰かを選んでしまった後になるのは嫌だ。貴志狼は一度選んだ人を簡単に覆せるような奴じゃない。だから、タイムリミットは貴志狼がその女性と別れの挨拶をするまでだと思った。
 もしかしたら、会って即決していたのだとしたら、もう、どうしようもないけれど、それは考えない。そう決めた。

 タクシーに乗ってから、どのくらい時間が経っただろうか、車は進んだり、止まったりを繰り返している。道路わきの歩道にはすでに雪が降り積もって、歩いている人の姿は見えない。雪は強さを増して、今にもホワイトアウトという状態だ。
 ラジオから流れる天気情報では、数十年に一度の大雪になると伝えている。不要不急の外出は控えてください。と、アナウンサーが何度も繰り返す。そんなことわかっているから、帰らせてよ。と、思うけれど、この悪天候の中必死で運転してくれている運転手さんには苦情を言うことすらできなかった。

 時計を見ると、もう、6時を回っている。
 もちろん、見合いの会食は終わっただろう。けれど、貴志狼のLINEは既読がつかない。おそらくは、その女性と一緒にいるから、確認どころではないのだろう。
 この天気で外に出ることはないだろうから、川和の本宅にいるんだろうか。あそこは馬鹿みたいに広いから、二人っきりになれる場所なんていくらでもある。

 やだよ。

 声に出さずに、葉は呟いた。
 貴志狼がほかの人と一緒にいるなんて、想像するのも嫌だ。

『お兄ちゃん。ほんっと。ごめんね。全然すすまないね。家。D町だよね? も、ちょっとかかっちゃうよ』

 申し訳なさそうに運転手が言う。
 運転手を責める気はないけれど、はっきり言われるとため息が漏れてしまった。
 今、こうしている間も、貴志狼は決断してしまうかもしれない。

『あの。ここでいいです』

 だから、葉は、心を決めた。
 今いる場所からなら、自宅に戻るより、貴志狼の本宅の方が近い。おそらく2キロほどだ。葉の足でも歩けない距離ではない。雪が降っていなければ、の話だが。ただ、このまま乗っていてもつくのはいつになることかわからない。自宅でも貴志狼の家でも、大型の道路に近くて車が多すぎる。

『え? ここで? 大丈夫?』

 葉の足が不自由なことには気付いていない風だが、この雪を心配して、運転手は言った。

『近くに知り合いの家があって。避難させてもらいます。雪山用のブーツで来たから大丈夫』

 不安はあった。けれど、葉は笑って見せた。そうすると、運転手はしぶしぶ。と、言った感じではあったけれど、納得してくれた。

『ちかくに消防署あるから、困ったら行きなよ?』

 釣りは要らないと、多めに料金を渡すと、運転手はそんな言葉で送り出してくれた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

つたない俺らのつたない恋

秋臣
BL
高1の時に同じクラスになった圭吾、暁人、高嶺、理玖、和真の5人は高2になってクラスが分かれても仲が良い。 いつの頃からか暁人が圭吾に「圭ちゃん、好き!」と付きまとうようになり、友達として暁人のことは好きだが、女の子が好きでその気は全く無いのに不本意ながら校内でも有名な『未成立カップル』として認知されるようになってしまい、圭吾は心底うんざりしてる。 そんな中、バイト先の仲のいい先輩・京士さんと買い物に行くことになり、思わぬ感情を自覚することになって……

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
────妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの高校一年生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の主人公への好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

処理中です...