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甘味と猫とほうじ茶と
甘味と猫とほうじ茶と 9
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『鈴。今日はもう上がっていいよ。池井さん、ちょっと体調悪いみたいだし、送ってあげなよ。シフォンは箱に入れてあげるから。家、知ってるんだろ?』
振り返りすらできないのに、いきなり、風祭さんが信じられないことを言い出す。縋るような思いでその顔を見つめると、にっこり、と、笑ってウインクされた。
うまいことやったみたいな顔すんな! とは、言えず。俺は俯いた。
視線の先に、緑。
大丈夫にゃ。池井君はいい子だから、きっと、うまくいくにゃ。
長いしっぽを優雅に振って、彼女は言った。そのしっぽの先は四つ又に分かれている。ように見える。気のせいだろうか、後光までさしている。
菫を泣かせたら、鈴には私が鉄槌をくわえてやるわ。
振り返ると、いつの間にか本棚の間から出て、カウンターの上を音もなく歩いて、紺がそばまで来ている。そして、つん。と、その頭で俺の方を小突く。彼女のしっぽは三又だ。
みーんな。池ちゃんが大好きだにゃ。
ごろごろと、喉を鳴らして、紅が俺の手にすり寄ってきた。二又のしっぽは手首に巻き付いている。
三人(?)とも、ご機嫌だ。
『やっぱり、うちの子は四人とも、池井君が大好きだね。池井君が好きって言ってくれて喜んでるんだよ?』
気のせいだろうか、一人多い。その一人が誰なのか、思い至る前に、す。と、横から鈴が覗き込んできた。
『葉さんがいいって言うし、送ります。帰ろう?』
どうして、そんなにイケメンなの? てか、どうして、そんなに嬉しそうなの?
俺は思う。
鈴の顔がまともに見られない。見たら、心臓潰れる。潰れて止まる。そして、死ぬ。
頭の中がぐるぐる回って、答えが出ない。
もう一人って誰? もう一人も、俺が…。
思ってしまって、心臓が止まりかけた。
だから、俺はいったん。一旦ね。考えるのを放棄した。
もう、悟りを開いたような表情で、頷くと、鈴は、本当に嬉しそうに、綺麗な笑顔を見せてくれる。眩しくて、直視できないくらいの笑顔だった。
『じゃ、俺、着替えてくるから待っててくださいね』
す。と、エプロンを外しながら、鈴が言う。絵になりすぎる姿に、ぼーっと見惚れて、その後ろ姿を見送った。
『はい。これ、シフォン。サービスで抹茶のティラミスも入れといたよ?』
そんな俺に、スイーツの入った箱を渡しながら、風祭さんが言う。それから、渡し際、俺の耳元にそっと囁く。
『鈴は抹茶のが一番好きなんだ。あと、鈴の両親は今海外だし、兄弟は独立してるから。家には鈴しかいないよ?』
にっこり。と、音が聞こえそうなほど満面の笑顔で、風祭さんは親指をぐっ。と、立てた。
え? どういう意味?
折角、考えるは先に延ばそうと思っていたのに、そんなことを言われて、また、混乱してしまう。いや、鈴がほぼ一人暮らしだからって、何だって言うんだ。
一人でちゃんとご飯食べてるのかな。とか。
掃除とか、ゴミ出しとか、ちゃんとできてるのか。とか。
羽根伸ばし過ぎでちゃんと勉強してんの。とか。
友達呼んで遊んでばっかじゃないの。とか。
女の子連れ込み放題だよな。とか?
思ってから、また、もやっ。とする。いや。今回はかなり明確に不快だと、思った。
それから、連れ込む対象って。女の子だけなのかなあ。とか、考えて、はっとする。風祭さんがじっと俺の表情を観察していた。にこにこ、にこにこ。いい笑顔で。
『たくさん。鈴のこと考えてあげて? きっと、喜ぶよ』
見透かされている。そんな気がした。
後ろからは、やっぱり、いじわるにゃ。とか、底意地が悪い。とか、悪趣味ですにゃ。とか、聞こえる。
聞こえるけれど、なんだか楽しそうだ。
『池井さん』
振り返ると、いつものコートを着た、鈴がいた。
『帰ろう?』
す。と、背中を促されて、立ち上がると、何も言ってないのに、上着を椅子から取って、袖を通させてくれた。
もう、無理。ダメだ。
何が。とは、今は聞かないでほしい。
往生際が悪いかもしれないけれど、もう少しだけ、猶予が欲しい。
俺は思う。
多分、このペースだと時間の問題だと思う。
『じゃあね? 鈴、しっかりと送り届けるんだゾ』
しっかりと。を、強調されて、鈴が変な顔をしている。それから、何かを言おうとして、口を開きかけたのだけれど、言葉が見つからなかったのか、それとも、言っても無駄だと思ったのか、口を閉ざした。
『お疲れ様です』
それだけ、呟いた、鈴に促されて、俺は緑風堂を出たのだった。
振り返りすらできないのに、いきなり、風祭さんが信じられないことを言い出す。縋るような思いでその顔を見つめると、にっこり、と、笑ってウインクされた。
うまいことやったみたいな顔すんな! とは、言えず。俺は俯いた。
視線の先に、緑。
大丈夫にゃ。池井君はいい子だから、きっと、うまくいくにゃ。
長いしっぽを優雅に振って、彼女は言った。そのしっぽの先は四つ又に分かれている。ように見える。気のせいだろうか、後光までさしている。
菫を泣かせたら、鈴には私が鉄槌をくわえてやるわ。
振り返ると、いつの間にか本棚の間から出て、カウンターの上を音もなく歩いて、紺がそばまで来ている。そして、つん。と、その頭で俺の方を小突く。彼女のしっぽは三又だ。
みーんな。池ちゃんが大好きだにゃ。
ごろごろと、喉を鳴らして、紅が俺の手にすり寄ってきた。二又のしっぽは手首に巻き付いている。
三人(?)とも、ご機嫌だ。
『やっぱり、うちの子は四人とも、池井君が大好きだね。池井君が好きって言ってくれて喜んでるんだよ?』
気のせいだろうか、一人多い。その一人が誰なのか、思い至る前に、す。と、横から鈴が覗き込んできた。
『葉さんがいいって言うし、送ります。帰ろう?』
どうして、そんなにイケメンなの? てか、どうして、そんなに嬉しそうなの?
俺は思う。
鈴の顔がまともに見られない。見たら、心臓潰れる。潰れて止まる。そして、死ぬ。
頭の中がぐるぐる回って、答えが出ない。
もう一人って誰? もう一人も、俺が…。
思ってしまって、心臓が止まりかけた。
だから、俺はいったん。一旦ね。考えるのを放棄した。
もう、悟りを開いたような表情で、頷くと、鈴は、本当に嬉しそうに、綺麗な笑顔を見せてくれる。眩しくて、直視できないくらいの笑顔だった。
『じゃ、俺、着替えてくるから待っててくださいね』
す。と、エプロンを外しながら、鈴が言う。絵になりすぎる姿に、ぼーっと見惚れて、その後ろ姿を見送った。
『はい。これ、シフォン。サービスで抹茶のティラミスも入れといたよ?』
そんな俺に、スイーツの入った箱を渡しながら、風祭さんが言う。それから、渡し際、俺の耳元にそっと囁く。
『鈴は抹茶のが一番好きなんだ。あと、鈴の両親は今海外だし、兄弟は独立してるから。家には鈴しかいないよ?』
にっこり。と、音が聞こえそうなほど満面の笑顔で、風祭さんは親指をぐっ。と、立てた。
え? どういう意味?
折角、考えるは先に延ばそうと思っていたのに、そんなことを言われて、また、混乱してしまう。いや、鈴がほぼ一人暮らしだからって、何だって言うんだ。
一人でちゃんとご飯食べてるのかな。とか。
掃除とか、ゴミ出しとか、ちゃんとできてるのか。とか。
羽根伸ばし過ぎでちゃんと勉強してんの。とか。
友達呼んで遊んでばっかじゃないの。とか。
女の子連れ込み放題だよな。とか?
思ってから、また、もやっ。とする。いや。今回はかなり明確に不快だと、思った。
それから、連れ込む対象って。女の子だけなのかなあ。とか、考えて、はっとする。風祭さんがじっと俺の表情を観察していた。にこにこ、にこにこ。いい笑顔で。
『たくさん。鈴のこと考えてあげて? きっと、喜ぶよ』
見透かされている。そんな気がした。
後ろからは、やっぱり、いじわるにゃ。とか、底意地が悪い。とか、悪趣味ですにゃ。とか、聞こえる。
聞こえるけれど、なんだか楽しそうだ。
『池井さん』
振り返ると、いつものコートを着た、鈴がいた。
『帰ろう?』
す。と、背中を促されて、立ち上がると、何も言ってないのに、上着を椅子から取って、袖を通させてくれた。
もう、無理。ダメだ。
何が。とは、今は聞かないでほしい。
往生際が悪いかもしれないけれど、もう少しだけ、猶予が欲しい。
俺は思う。
多分、このペースだと時間の問題だと思う。
『じゃあね? 鈴、しっかりと送り届けるんだゾ』
しっかりと。を、強調されて、鈴が変な顔をしている。それから、何かを言おうとして、口を開きかけたのだけれど、言葉が見つからなかったのか、それとも、言っても無駄だと思ったのか、口を閉ざした。
『お疲れ様です』
それだけ、呟いた、鈴に促されて、俺は緑風堂を出たのだった。
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