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第二章 ニケルトン侯爵家

13.悪役令嬢は偽る

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 エリオット・アイデンという男について私が知っていること。

 現国王の一人息子にしてアビゲイル王国を将来引っ張って行く存在。幼い頃から帝王学を叩き込まれた故か、感情の起伏は少なく、常に冷静沈着。やや感情的な父親のストッパー的な役割を果たすことも多く、若干二十七歳にして既に国王に並ぶ信頼を家臣からは得ているらしい。

 勉学はもちろん優秀な成績を収めており、剣術の成績も軍隊の指導を懇願される程度には申し分ない。噂に過ぎないけれど、エリオットが成人する際には、力試しにと志願した兵士十人と戦って圧勝したという説もある。

 加えてあの顔の造形美。
 恋愛小説でヒロインの相手役に選ばれる男が平凡な顔であるはずがなく、王子様にありがちな金糸のような美しい髪に、形の良い薄い唇、男らしい輪郭に切れ長の目。そりゃあ、まあたぶん、アリシアが惚れても仕方がないでしょうね…といった容姿だ。

 しかし、今はそんなに呑気に観察している場合ではない。
 私は眼鏡の奥で注意深く目を動かして、誰かがカバーに入る様子はないか窺った。困惑した様子でマグリタが何か言おうとしている。


「何を仰いますか、エリオット様!彼女は田舎から最近出てきた娘なのです。殿下のお知り合いであるはずがありませんわ」
「田舎から……?」
「ええ。なんでも嫉妬深い婚約者まで居ると聞いています。そうでしょう、アリア?」
「え?あ…ええっと…そうなんです」

 ごめんなさい。嫉妬深いどころか他所の女に婚約者を奪われて捨てられた哀れな悪役令嬢なんです、本当は。

 おっとりとしたマグリタが必死になって私を庇おうとしている姿に胸を打たれる。ロージナに話したような内容をマグリタにも伝えておいてよかった。嘘を吐くことは悪いことだけれど、今の私はその嘘に助けられている。


「なるほど。では俺の勘違いのようだ」

 エリオットが小さく呟くと、マグリタはほっとしたように笑顔を見せた。

 どういうわけか、そのままズンズンとこちらに近付いてきたエリオット・アイデンは私の前で立ち止まった。見下ろす瞳はやはりどこまでも冷たく感じる。どうしてこんな人間がヒロインであるリナリーに対しては溢れんばかりの愛を捧げられるのか。

「名前を聞いても?」
「あ…はい、アリアです」
「アリアか。俺はエリオットだ」

 存じ上げておりますとも、と心の中で吐き出しながら私はこの苦しい時間が早く過ぎ去ることを強く願った。分厚過ぎる眼鏡のお陰で、おそらく私の瞳の色は隠されて顔の印象も多少は変わっているはず。

 もう少し捻った偽名を付けなかったことは悔やまれるけど、アリシアもアリアもべつに珍しい名前ではないし、そこまで気にならないと思いたい。

 一瞬だけ、腕にはめた時計を気にする素振りを見せて、エリオットは再び顔を上げた。目線が下がって私の腕の中で眠るペコロスを捉える。そうだ、そう言えば彼は魔獣アレルギーだったはずでは。ギクリとしながら固まっていると、ぎこちなく伸びてきた手がペコロスの柔らかな毛並みを撫でた。

「良い魔獣だな。大切にしてやってくれ」
「……?…はい、」

 少し口の端を上げて笑みのようなものを見せると、エリオットは「用事がある」とグレイに声を掛けてその場を去った。私は頭の中でかすかな疑問が渦巻く。

 彼はいつの間に魔獣アレルギーを克服したのだろう。
 今日はたまたま調子が良かっただけ?


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