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第三章 テオドルス・サリバン
64.ガム◆ヴィンセント視点
しおりを挟む車がスクルドに到着した頃、太陽はちょうど僕らの真上にあった。
トリニティのボスであるというキース・ベンネルは表向きは人材派遣会社を経営しているらしく、街中に堂々と三つ首の獅子の絵が入った看板が出ているのを見つけた時、僕は驚いた。あんなに探していたトリニティは、その姿を闇に隠すことなく堂々と存在していた。
陽がよく当たる入り口を入って、受付でキース・ベンネル本人に会いたい旨を伝えると、係の女は少しだけ馬鹿にしたような顔をして受話器を手に取った。トリニティの裏の顔を知らないであろう彼女は、僕のような若造が自分の会社のトップに会えるわけがないと思ったのだろう。
裏手で車を停めて待たせているゴーダのこともあるから、早めに話を取り付けたいと考えていると、女は不思議そうな顔をしたままで「お名前は?」と尋ねる。名乗った名前を手元のメモと照らし合わせて頷くと、彼女は入館証を僕に渡してエレベーターの場所を教えてくれた。
キースは、僕が此処に来ることが分かっていたのだろうか。
◇◇◇
「今日は煙草を持っていないのですか?」
それが僕を見てキース・ベンネルが発した第一声だった。
「持っていませんし、もう捨てました」
「残念だ。楽しみにしていたんだが…」
そう言って、冗談か本気か取れない顔で机の上に置かれた黒いマッチ箱を仕舞う。なんとも心が読めないこの男は、ゴーダのように強面で屈強な男よりも余程恐ろしいと思う。
案内された部屋には、壁際に一つの仕事机があるだけで、あとは何もない。座る椅子も用意されていないことから、長話をする気はないと窺える。
「単刀直入に聞きますが、ジュディ・マックイーンはどこですか?」
「君には会話のセンスがないですねぇ。最近の若い子はどうも早急過ぎる。そんなに生き急いでどうするんでしょう」
「僕には時間がないんです。貴方たち老人と違って、意味のない時間を愛でることは出来ない」
キースの眉がピクリと動いた。
まだ自分は現役だと思っていたのだろう。確かに、老人と分類するには若い彼に対しては失礼だったかもしれない。
「悪いが、君の大切な先生は此処には居ない」
「じゃあどこに?」
「知りませんよ。或る金持ちの男が彼女を買い取ったんです。借金として巻き上げる額の倍以上を提示されたから、こっちだって呑むしかない」
「………なるほど、そういうことか」
僕は心臓の奥が冷えていくのを感じた。
約束など、もとより意味を成していなかったのだ。
立ち尽くす僕の顔を一瞥して首を振ると、キースは胸ポケットからガムを取り出して噛み出した。用事は終わったと言い渡される前に、僕は口を開く。
「キースさん、僕からお願いがあります」
「なんですか?悪いが君の身柄を守ったりは出来ません」
「知ってたんですね」
「アルが君を側に置いている理由は知っていた。私たち裏の組織はいつだって日陰者です。そして、権力は常に私たちを捩じ伏せようとする」
「…………、」
部屋の中にはキースがガムを噛む音だけがやけに大きく響いていた。緑色の双眼は懐かしむように窓の外を見ている。
「ヴィンセント・アーガイルという若僧がパレルモに入ったと聞いた時、大した興味はなかった。だが、どうやらアルはそのまだ十代と見られる男をやけに可愛がっているらしい……不思議に思いました」
「彼の娘であるヘザーが僕を気に入っていたので…」
「いいや、違います。いろいろと調べてみた結果、真実に辿り着くことが出来ました。君はバシュミル・サリバンの息子ですね?」
「………違います」
「隠さなくて良い。私は君をどうこうしようとは思わない」
「…………、」
「だが、アルはどうでしょう?君は自分がどうしてパレルモの番犬と成り得たのか知っていますか?」
僕は何も答えなかった。
ただ、包み紙を開いて味の消えたガムを捨てるキースの姿を見ていた。僕には生まれ付き父が居なくて、それでも母と祖父が居た。しかし、どういうわけか、会ったことのないその父親の名前は背中にべったりと貼り付いているようだ。
母の葬儀の日、最後に来訪した弔問客を思い出す。
あの無礼な男がもしも、バシュミルだとしたら。
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