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第二章 ジュディ・マックイーン
34.人形の国◆ヴィンセント視点
しおりを挟むそれで、僕はどうしてここに居るんだろう。
ショッキングピンクの壁紙にぐるりと囲まれたその四角い部屋に、見覚えはない。頭を動かしてみると頭上には大きなぬいぐるみが並べられていた。ここは人形の国なのか。
「………っ、」
ベッドから起き上がろうと手を突くと激痛が走る。
見たら右手は赤く染まった包帯でぐるぐる巻きにされていた。そういえば僕はジュディの家に出向いて、自分の過去の行動が生んだ波紋の対処をしたのだ。それが正解だったかは、さておき。
可愛らしいぬいぐるみたちを汚さないように、手をベッドから離した。べつに骨まで達してはいないはずなので、何週間か使わず放っておけば傷は塞がるだろう。
「ヴィンセント!起きたのね…!」
「エル……?」
この金髪のショートヘアはよく知っている。
つい数日前に彼女は僕を呼び出して「最後のお願い」と言って買い物に同行させた。前々回会った時の別れ方が衝撃的だったから、もう関係は切れたとばかり思っていたので、僕はとても驚いた。
さて、ではいったい現状はどういうことだろう。
問い掛ける前に部屋の主人は答えをくれた。
「倒れてたから連れて帰ったの」
「……倒れてた?」
「うん。ピポット通りで貴方が若い女の子を背負って歩いてるのを見つけて、後を追ったの。そしたら女の子をタクシーに押し込んで、貴方はそのまま倒れちゃった」
だから連れて帰ったのよ、と片手に持った毒毒しい色のジュースを飲みながら言う。
「そうか、ありがとう。君の手当と優しさに感謝するよ」
「良いの。ぜんぜん良いのよ、ヴィンセント」
「それじゃあ、僕はこれで」
「ねぇ…ヴィンセント」
「ごめん。離してほしい、僕は君の期待に応えられない」
手も使えないし、と笑って言ったらエルはようやく僕のシャツを引っ張る手を離した。
空は暗くなりかけている。たぶん今から行っても、もう間に合わない。ジュディは仕事に出掛けてしまう。今日も彼女はきっと、どこかの男に抱かれて眠る。
(………そうか、)
僕は自分の中に浮かんだ一つの考えに震えた。
彼女に避けられず、合理的に会う方法が一つだけある。その店の名前は知らなくても、おおよその場所が分かっていれば十分だった。聞いた話では、入り口にはクレマチスの花を模した銀のリースが掛かっているらしい。
「そういえば、ヴィンセント」
踵を返して出て行こうとした僕の背中に、ハスキーな声が刺さった。僕は自分を助けた恩人に失礼のないよう、笑顔で振り返る。
「どうかしたかな?」
「貴方のお母さんの噂を耳にしたの。この辺りじゃ、有名な踊り子だったんでしょう?貴方の父親って……」
「エル、」
細い肩がビクッと震えたのが目に入った。
「僕はそういう憶測で話すのは嫌いなんだ。君が耳にした噂話はデタラメだよ。僕に父親は居ない。僕の家族は病気で死んだ母親と、事故死した祖父だけだ」
「………ごめんなさい、私はただ…」
「心配してくれたんだよね、ありがとう」
それ以上何か言われる前に、僕は階段を上り切っていくつかの部屋から成るアパートメントを後にした。たぶん、僕がこの建物に近付くことはもう二度とない。
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