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第二章 ジュディ・マックイーン

27.蜂蜜とホットミルク

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 数日後、私は数ヶ月ぶりに風邪を引いた。

 思い返せばこのところ生活の変化は大きく、今まで寝込まなかったことが逆に奇跡に近い。遺体は無いとは言えども、夫の葬儀を執り行い、慣れない肉体労働に挑んだ身体はいつの間にやら悲鳴を上げていたようだった。

 朝起きた時から熱っぽかったので、当日欠勤のマイナスは付くけれども娼館には早めに電話した。店主は慣れた様子で「はいはい、お大事に」と病院の受付のようなことを言って電話を切った。

 ヴィンセントには移るといけないから、リビングのテーブルの上にメモ用紙を置いておいた。

(常備薬があって良かった…今日は何もできないわ)

 窓から見える外の天気は曇り空で、私はどんよりした気持ちがより一層重くなっていくのを感じる。何か食べた方が良いのだろうけど、喉が痛くて何もほしくない。

 ホットミルクに蜂蜜を溶かしたものが飲みたい。
 そう急に思い立ったのは、昼過ぎのことだった。私はのそのそと起き出して冷蔵庫へ向かう。もうヴィンセントは出社した後のようで、少し心はホッとしていた。

 しかし、あいにく冷蔵庫にミルクはなかった。
 正確に言うと、パックに残っていたのはほんの一口程度で、これでは到底ホットミルクなんて作れやしない。私は一大奮起して、分厚いコートを羽織って外に出てみることにした。

 案の定、とても寒い。
 凍てつく寒さとはこういった気温のことを言うのだろう。睫毛が凍りそうだし、息の白さを確かめようと口を開いたら、校内に氷の膜が張りそうだった。

 急ぎ足で一番近い店まで向かって目当てのミルクを購入する。牛の絵が描かれた重たいパックを抱き抱えて来た道を戻った。路面が凍っていなくて良かったと思いながら角を曲がったところで、視界の隅に見知った姿を見付けた。

 それは、ヴィンセント・アーガイルだった。

 まばらに歩く人混みの中で背の高い彼はよく目立つ。癖のある黒髪を目で捉えたまま、声を掛けようと足を踏み出した瞬間、隣に立つ若い女が目に入った。

 短い赤毛を揺らして、女はヴィンセントに擦り寄る。
 猫のようなその甘え方は、きっと私には何年掛かっても出来ないだろう。私はうっかり忘れてしまうけれど、ヴィンセントはまだ若くて、年相応に恋をして、女の子のことで悩んだりする年頃なのだ。

 どうして私は彼がそうしたことと無関係だと思っていたのだろう。もしくは、考えないようにしていたのだろうか。私たちがより良い「ただの同居人」で居られるように、踏み込みすぎないことを心掛けていたのかもしれない。


(一喜一憂して、馬鹿みたい………)

 零れ落ちそうな牛乳を抱え直す。
 寒い冬の空気の中、肩を寄せ合う二人の姿から目を逸らして私は踵を返した。早く家へ帰ろう。あたたかな毛布にくるまって、ホットミルクを飲むために。

 そうして泥みたいに眠ればきっと、私は綺麗さっぱり忘れることが出来る。また良き同居人と暮らす「ジュディ先生」に戻ることが出来るから。

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