上 下
5 / 73
本編

04.秘密

しおりを挟む

 人には誰にも言えない秘密が一つや二つある。

 私にも、死ぬまで胸に秘めておきたい出来事が一つだけあった。それは盗みを働いたとか、人を殺めたなんて内容ではない。どちらかと言うと、私にとっては瓶の中に集めた小さなビー玉のような、キラキラした宝物のようなもの。

 あれは忘れもしない、結婚式の一週間前の話。
 私はマルクスの家で式の進行について話をしていた。

 どういうわけか、その場にはマルクスの旧友であるレナードも居て、三人で酒を交わしながら客人の配置や食事の内容について話し合っていた。実際、マルクスの関心は流しっぱなしにしていたドラマの方に向いていて、私がレナード相手に熱心に自分が決めた内容を語っていただけだったのだけど。

 花嫁はやっぱり白百合、ドレスは軽くてシルエットが広がった感じのショート丈。そんな譲れない私の願望を、レナードは否定するわけでもなく、ただただ笑顔で聞いてくれた。

 私たちはチビチビと各々のビールやワインを飲みながら、好き勝手なことをしていた。そうして夜が更けていくのは嫌ではなかったし、この時はまだ婚約破棄なんて夢にも思わなかったから、私は呑気に当日の様子を夢見たりしていた。

 マルクスのことは愛していない。
 だけど、彼と結婚することでレナードとの友情は維持される。恋心は自覚していなかったけれど、私はぼんやりとそんな狡い考えを持っていた。

 日付が変わる頃、長居し過ぎたと慌てた様子でレナードが帰り支度を始めた。迎えの者はとうに玄関に到着していて、私とマルクスは彼を送って行こうと重い腰を上げた。

 そこへ、シシーが現れた。

 ドット家の養女である彼女はまだ学生で、兄であるマルクスに宿題を見てほしいと言う。こんな時間に?と眠たい頭で不思議に思った記憶はある。

 そしてそのまま、マルクスは帰って来なかった。
 10分が経って、30分が経った。

 使用人が泣き出しそうな顔で「レナード様、お迎えの方が…」と伝えに来たのを見て、私たちは仕方なく部屋を出た。静かな廊下を歩きながら、私は突き当たりにあるシシーの部屋のドアが少し開いているのを見つけた。

 いつもなら気にしなかった筈なのに、なぜかその日は気になって、レナードに断った上で恐る恐る近付いた。何も疑ってはいなかったのだ。ただ、この部屋にマルクスが居るのではないかという至極自然な考えに従っただけ。


(………マルクス…?)

 先ず目に入ったのは可愛らしい木製の勉強机。
 ピンク色のカーテンに天蓋付きのベッド。

 そして、こちらに背を向けるように立ったシシーは爪先立ちになって誰かと熱い口付けを交わしていた。私は彼女の向こうに見える男をよく知っていた。

 赤髪に少しそばかすのある顔。
 それは、三年間ずっと見てきた婚約者だった。

 言葉が出て来なくて、立ち尽くす私の目を柔らかな手が覆った。びっくりして振り返ると、悲しそうな顔をしたレナードが立っていた。私の方が絶対にショックを受けている筈なのに、なぜかレナードも泣きそうだった。

 私たちは言葉を交わさず、玄関まで歩いた。

 怒り狂う御者を宥めて以降はレナードは終始無言だった。送ってくれると言うので私も一緒に車に乗ってしまったけれど、心はポッカリと穴が空いたように暗かった。

 愛していないとしても衝撃的な光景は私の頭に鮮明に焼き付いていた。相手がどこかの見知らぬ令嬢なら、まだ許せたかもしれない。愛のない結婚に愛人が一人二人伴ったとしても、それは珍しい話ではないから。

 だけど、マルクスの背中に手を回していたのは彼の妹のシシーだ。シシーは結婚式当日に、私のヴェールを持って歩く役割を担う予定だった。


「………どう思う?」

 ぼんやりとレナードに問い掛ける。
 私には返事をせずに、彼は御者の名前を呼んだ。

「ダニエル、悪いが俺をイメルダの家で降ろしてくれ」
「また寄り道ですか?もう時間が……」
「自分で帰るから良い。父には言わないでほしい」
「……分かりましたよ」

 レナードが差し出した金貨を見て、ダニエルは渋々といった様子で頷く。私は鈍くなった頭で「彼は夜風に当たって歩きたいのかしら」と考えた。頭も身体も、砂が入ったみたいに重たかった。

 しかし、レナードはなぜか私を送り届けてもその場を立ち去らなかった。メイドに部屋まで同行すると言って、私を支えたままで階段を上り切った彼は、そのまま部屋まで入って来た。

 部屋の中で待機するメイドに、私は少し話をするので二人にしてほしいと伝えた。幸か不幸かその時の夜当番は古くからルシフォーン家に仕える年配のメイドで、何も追求せずにその場を去った。


「レナード…ごめんなさい、」

 迷惑を掛けてしまったことへの申し訳なさと、情けない姿を晒した恥とで私は涙を流した。部屋に辿り着くまで我慢していた色々な感情が、堰を切ったように溢れ出た。

 レナードは私の涙を拭って、頬に触れた。
 私たちは何も話さなくて良いように唇を重ねた。

 慰めなのか、気の迷いなのか。
 なんだって良いし、何であれ褒められた行為ではない。たとえ婚約者の不貞を目撃した後だとしても、私はそれ以上の罪を犯した。結婚を控える王太子と身体を重ねたのだから。

 会話は無くて、名前すら呼ばれない。ただ静かに髪を撫でてくれる柔らかな手付きに安心して私は眠った。

 そして、翌日目覚めた時にはレナードの姿はもう無く、何事も無かったかのように太陽が昇っていた。

しおりを挟む
感想 55

あなたにおすすめの小説

恋した殿下、あなたに捨てられることにします〜魔力を失ったのに、なかなか婚約解消にいきません〜

百門一新
恋愛
魔力量、国内第二位で王子様の婚約者になった私。けれど、恋をしたその人は、魔法を使う才能もなく幼い頃に大怪我をした私を認めておらず、――そして結婚できる年齢になった私を、運命はあざ笑うかのように、彼に相応しい可愛い伯爵令嬢を寄こした。想うことにも疲れ果てた私は、彼への想いを捨て、彼のいない国に嫁ぐべく。だから、この魔力を捨てます――。 ※「小説家になろう」、「カクヨム」でも掲載

性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~

黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※ すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら

みおな
恋愛
 子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。 公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。  クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。  クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。 「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」 「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」 「ファンティーヌが」 「ファンティーヌが」  だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。 「私のことはお気になさらず」

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

公爵令嬢の辿る道

ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。 家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。 それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。 これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。 ※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。 追記  六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。

私の愛した婚約者は死にました〜過去は捨てましたので自由に生きます〜

みおな
恋愛
 大好きだった人。 一目惚れだった。だから、あの人が婚約者になって、本当に嬉しかった。  なのに、私の友人と愛を交わしていたなんて。  もう誰も信じられない。

処理中です...