上 下
12 / 21

11.カニと鍋

しおりを挟む


 いつからだろう、人の機嫌を伺うようになったのは。

 自分がやる事なす事すべてが、人にとってどう映っているのか気になって、徐々に下がっていった自己肯定感は私の心を蝕んだ。完全に地に落ちたのはたぶん、中原慎也に会ってから。

まことは何もできなくて可愛いね』

 初めはその言葉の意味を理解できておらず、可愛いと褒められたと勘違いして私は喜んでいた。久しぶりに出来た彼氏ということで、気持ちが浮ついていたのかもしれない。

『普通はさ、彼女だったらそういう気遣いできるでしょう?』

 彼の言う”普通“に近付きたくて、料理にも精を出した。本をたくさん買って会わない間に練習した。それが彼女としての務めだと思ったし、私が頑張ることで彼からの自分の評価が上がるなら万々歳だと考えていた。

 だんだんと要求が増えてきても、そういうものなのだろうと流していた私にも責任はある。私の拒めない性格、何事も受け入れてしまう鈍感さが余計拍車を掛けたのだろう。

『真みたいな女、俺と別れたら誰とも付き合えないよ』

 呪いのようなその言葉にも私は怒りを表さず、むしろ今そんな私と付き合ってくれている彼に感謝すらした。誰にも選ばれない私を選んでくれてありがとう、と。

 言われた言葉はどんどん心の中で蓄積されていった。私は中原慎也の顔を見るだけで、自分がまた何かしでかしていないか、気付かない内に彼の機嫌を損ねて注意を受けるのではないかと怯えた。

 そう、白秋が言い当てた通りなのだ。
 私は支配される世界を当然として受け入れていた。

 対等でないことなんて明白だった。でも、意識に蓋をして見えないようにした。そういう関係性もあるのだと自分に言い聞かせて。モラルハラスメントなんて言葉をよく聞くようになっても、自分とは無関係の話だと思っていた。

 その呪縛はひどく強くて、実は既婚だったというバッドエンドを迎えた今でも私はまだ中原慎也のことを考えているし、職場に突撃するという非常識な方法を試みるぐらいは必死だった。



「………また、眠っちゃった」

 既に太陽が沈み、薄暗くなった部屋の電気を点ける。昨日遅くまで白秋と遊んだせいか、五日目となる今日は昼過ぎに起きた。白秋はもう居なくて、私も彼と揉めた手前気まずいので少しほっとした。

 それから、いつもと同じように洗濯を回したり軽食を作ってみたりして、ひと段落付いたところでテレビを見ながら寝落ちしていた。出て行くことも考えたけれど、結局スマートフォンや貴重品は持っていないし、思い止まった。こういうところが、白秋からしたら変なのだろう。


ーーー”ピンポーン“

 まだ目覚めたばかりで呆けていた頭にチャイムの音が刺さる。出るべきか、出ないべきか悩みながら玄関まで急いで向かった。覗き穴から外を見ると、そこに居たのは黒い長髪を後ろで束ねた男。

(………あ、運転手の人だ)

 それは、須王白秋と初めて会った日、つまり私が車を衝突させた時に白秋の乗っていた車を運転していた男だった。インターホンの向こうでこちらを見ながら、手には発泡スチロールで出来た大きな箱を持っている。

 まったく知らない人ではないし、と思いながら鍵を開けると男は私を見て驚いた顔をした。


「え、白秋さんは?」
「……知りません」
「ここは白秋さんの家で合ってる?」

 白秋から聞かされていない上に、私のことを忘れているのか挙動不審に周囲を見回している。部屋番号まで確認しだすから、白秋は外出していて自分は雇われの家政婦であることを伝えた。

 男は安心したように息を吐き、白秋に頼まれた荷物を運び入れたいので家に入りたいと言った。べつに私の家ではないし、白秋と話がついているなら問題ないので承諾する。

 横幅1mはありそうなその箱の中身が気になって見ていたら、カニだと教えてくれた。どういう経緯か不明だが、白秋は今日何人か人を呼んでカニ鍋をする予定らしい。


「私はお部屋に居るので、皆さんで楽しんでください。白秋さんには宜しく伝えていただけると助かります」

 それだけ言い残して、ポニーテールの男の元を去る。どこから引っ張り出してきたのか、机の上には大きな鍋とお玉、小皿などが所狭して並べられていた。

 時間的にお腹が空いてきたけれど、邪魔するわけにはいかない。彼らの宴会が終わった頃を見計らって、余っていた白ごはんにレトルトのカレーでも掛けて食べよう。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

君と奏でるトロイメライ

あさの紅茶
ライト文芸
山名春花 ヤマナハルカ(25) × 桐谷静 キリタニセイ(25) ピアニストを目指していた高校時代 お互いの恋心を隠したまま別々の進路へ それは別れを意味するものだと思っていたのに 七年後の再会は全然キラキラしたものではなく何だかぎこちない…… だけどそれは一筋の光にも見えた 「あのときの続きを言わせて」 「うん?」 ********** このお話は他のサイトにも掲載しています

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

振られた私

詩織
恋愛
告白をして振られた。 そして再会。 毎日が気まづい。

父が再婚してから酷い目に遭いましたが、最終的に皆罪人にして差し上げました

四季
恋愛
母親が亡くなり、父親に新しい妻が来てからというもの、私はいじめられ続けた。 だが、ただいじめられただけで終わる私ではない……!

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

記憶のない貴方

詩織
恋愛
結婚して5年。まだ子供はいないけど幸せで充実してる。 そんな毎日にあるきっかけで全てがかわる

『 ゆりかご 』 

設樂理沙
ライト文芸
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

処理中です...