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第二章 傾城傾国

第四十二話 勘違いです

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 結局遊山の乱入などで閻魔を晩酌に誘うタイミングを逃して三日。開かずの酒瓶を指で突きながら、もういっそ一人で開けてしまおうかと思っていたら、夜遅くに冥王自ら私の部屋に訪れて来た。

 お風呂上がりだったのでまた顔の薄さを指摘されるのではないかと警戒しながら、私は「どうぞ」と閻魔を部屋へ招き入れる。この大層面の良い男が自分の夫であるという実感はいまだになく、それはたぶん私たちが夫婦らしいことなど何もしていないからだと思う。

(どういう風の吹き回し……?)

 遊山の前では妻だなんて言っていたけど、その意識があることに私が驚いたぐらいだ。てっきり愛人とか使用人と同列で持ち出された言葉だと思っていたから、閻魔が天狗の男に対して私のことを自分のものであると言ってくれたのはなんだか嬉しかった。まぁ、所有物的な意味だろうけど。

 山吹色の羽織を上から被りながら、スンと澄ました顔で座り込む閻魔を観察する。

 なんだろう……
 仕事中にこっそりお菓子休憩に八角の元へ立ち寄っていることがバレたとか?でもそれぐらい許してほしいと思う。ちゃんと鬼三兄弟の分もおやつを手に入れて配っているし。

 というか来るなら来ると事前に教えてほしい。
 こちとらもう眠る気満々で気持ち良く湯に浸かって、どすっぴんで就寝前のストレッチでもするかと思ったところで、来客を迎えることになったのだ。


「な…なにかご用でしょうか?」
「いや、顔を見に来ただけだ」

 顔?この風呂上がりの薄い顔を…?
 本当にお願いだから思い付きで行動しないでほしい。

「すみませんが…お風呂をいただいたので化粧もしておらず、こうして向かい合って話すのも気が引けます」
「べつに良い。黒両は最近どうだ?」
「え?黒両さんですか…?元気ですけど……?」

 そうか、と頷いてまた閻魔はぼんやりと外を眺める。
 終始夜中のように暗い冥界において、月は時間を知る上で大切な指標だった。朝は鳥の鳴き声こそ聞こえるものの、夜明け前のように空は下の方が少し白むだけ。

 気温は夜に比べて日中が高いけれど、太陽の欠片も見えないこの世界では少し気が滅入ってしまいそうになる。

 それに比べて、夜は分かりやすい。ぽっかり開いた闇の中に白い月が浮かぶのだ。一応満ち欠けもあるようで、昨日なんかは絵に描いたような三日月が出ていた。

 更に細くなった月を見上げて胡座をかく閻魔を見つめる。
 私の視線に気付いたのか、赤い目がこちらを向いた。

「お前、そんな成りで出歩くなよ」
「出歩くも何も…もう寝ようと思っていたところです」
「前に人間界から来た時もそうだったが、風呂上がりにひょいひょい男の前に姿を見せるな。警戒心が足りない」
「………警戒心?」

 タイミング悪く訪ねてきたのはそっちの方なのに、と腹立たしさが込み上げるのをグッと押さえて聞き返す。

 彼の言う“前”とは、私がまだ契約に縛られて冥界通いをしていた時のことだろうか。そういえば一度だけ姿を見せるのを忘れていて慌てて就寝前に駆け込んだことはあるけども。

「何が言いたいんですか?」

 分かりずらい我が上司に私はずいっと身を寄せる。
 近くで見たら赤い瞳は夕焼けのようだ。

「ここはお前がいた世界みたいに法治国家じゃない。この前の遊山みたいに場を弁えない馬鹿もいるし、鬼だって年中盛りがついた猿みたいなもんだ」

 特に黄鬼、と付け足すから私は思わず笑いそうになった。黄鬼が自分と愛人の情事を記録したビデオを持っていると知ったら、彼はさぞかし怒ることだろう。

 そういえな愛人とはそんな行為を簡単にしていたんだな、と考えてチクンと胸が傷んだ。なんだろうこれ、不静脈?

「とにかく、勘違いするような行動は控えろよ」

 相変わらずの上官口調で話し続ける閻魔の、薄い唇の動きを目で追う。綺麗な顔だな、と思っていたらポロリと言葉が転がり出た。

「閻魔様も……勘違いしたりしますか?」
「は?」

 驚いたように見開かれた双眼を見て、失言に気付いた。
 しかし、取り繕うより先に伸びて来た手が頬を挟む。

「むひゅっ!」
「………どうだろうな。考えたことはなかったが」
「え…閻魔様?」

 近い近い近い。ご尊顔が近い。
 睫毛の一本一本が見える距離で顔を掴まれたままでは、逃げることも出来ない。迂闊に滑った自分の口を呪ってももう遅い。圧倒的威圧感に気圧されて気絶しそうだ。

「俺だって男だ。十分勘違いする可能性はある」

 燃え上がる夕焼けのような瞳の中に私が映っている。
 間違いそうなのは、私の方だ。

 交わる視線に耐え切れずに「そういえば桃酒が!」と勢い良く足掻けば、頬に添えられていた手はすぐに離れた。危なかった、本当に危なかった。グラスを探しながら心臓に手を当てる。バクバクと高鳴る胸が落ち着くように強く願った。

 気まぐれが生んだ結婚に、本気になってしまいそうで。

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