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第四章 バルハドル家とルチルの湖

46 魔術師の記憶

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 訓練場を飛び出してすぐに王立病院へ向かった。

 メモしていた部屋番号を探して階段を駆け上がる。四人部屋の奥、太陽の光がよく入る窓辺のベッドにその老婆は横たわっていた。私を見つけてわずかに顔の筋肉が動く。


「ラメールさん、無理しないで……」

 皺の寄った手を握り締めた。
 振り絞ったような弱い力で反応が返ってくる。

「これから、フランを探しに行こうと思います。上手く説明出来ないけれど、急ぐ必要があると思うの」
「………ローズ、」
「出発する前に一つ聞いても良いですか?」
「なんだい…?」
「フランに頼まれて、水晶板を複製したでしょう?」

 灰色の瞳がわずかに揺れる。

 握っていた手から力が抜けて、ラメールは私の前で首を振った。話したくないのだろうか。或いは、話さないように口止めされているか。

「お願い、答えて。フランは何をしようとしてるの?」
「言えない……約束は守りたいんだ」
「教えてください…!彼は魔物の発生する原因に疑問を持っていたわ。私たちは目の前で牛が魔物になるところを見たの。王家が関係しているのよね?」
「ローズ、口に気を付けな」

 私は咄嗟に口を手で覆う。
 慌ててコクコクと頷いて見せた。

 王立病院の中でこんな風に騒ぎ立てては馬鹿も良いところ。己の無知さを恥じながらベッドのかたわらに置かれたパイプ椅子に座り直した。


「………アンタの言う通り、フランは王の門を持ってる」
「水晶板を託された本人じゃなくても通ることが出来るの?」
「どうだろうね。何か確信があるようだったから、王宮に出向くつもりはあるんだろう」
「王様を問い詰めたところで認めるわけがないわ。捕まって投獄されてお終いよ…!」

 ラメールは私の方を見たまま何も言わない。

 曇り空のようなその瞳が、何かを知っている風に見えて私はつい顔を近付けた。薬品の匂いがする。長くここで過ごすうちに、彼女にも病院の匂いが移ったのだろう。


「私の出身は北部と西部のちょうど境界線にあるノニフという村だって話したかい?」
「? ……いいえ、初めて聞きました」
「随分と昔の話になるが、ウロボリアは平和な国だった。今ももちろんそうなんだけど……なんというか、あの頃はまだ未開の良さがあったんだ」
「未開?」
「足りない幸せって言うのかねぇ。発展していないが故の穏やかさ…… しかし、王家は国が富むことを望んだ。隣国から優れた技術者を呼び寄せて、木を刈って土を削った」

 ラメールは過去を思い出すように遠くを見つめる。
 窓の外には静かに初夏の風が吹いていた。

「もちろん、反対する国民も居た。貴族も平民も一緒になって派閥を結成し、急速な開発を止めるように民は国王に訴え掛けた。ウロボリア国王の支持は次第に低下していった……無理もないことだよ」

 だけど、と老婆は小さく言葉を溢す。

「何処から湧いたのか、それまで滅多に姿を見せなかった魔物が急に国内に蔓延るようになった。王は騎士たちを収集し、討伐に向かわせた」
「王立騎士団ですか?」
「ああ、そうだ。無事に討伐を終えた騎士たちは英雄として讃えられるようになり、次第に国王の支持も盛り返した」
「………?」
「それからだよ。まるで管理されているみたいに、定期的に魔物が現れるようになって、その度に騎士団が討伐を繰り返す流れが生まれた」

 ラメールが言わんとしていることが理解出来た。

 やはり魔物は人為的に増やされていたのだ。黒魔法を使う魔術師を集めて、その数を調整していた。そしてそれらが放たれる度に騎士団はせっせと討伐に出向く。国民は騎士団が成功を収めると歓喜に湧く。国の平和が守られたと。


「ウロボリア国王に反旗を翻した反対派の貴族たちはいつしか歴史から消された。ルチルの湖を守っていたバルハドル家もその一つだ」
「……え?」
「フランはバルハドル家の末裔。あの子は見せしめのために魔物に変えられたバルハドル公爵家の息子だよ」

 立ち上がった拍子に、膝の上に置いた鞄が落ちた。
 飛び出た本の隙間から白い便箋が覗く。

「フランは……人間だったんですか?」
「本人が覚えてるか分からないけどねぇ」
「願いを叶える湖の力で人間になったと言っていました!彼は私に、自分の正体は黒龍だと明かしたんです…!もらった手紙にはバルハドルの名が記されていたわ」
「ルチルの湖は穢れを落とすんだ。強い浄化の力があるから、元の姿に戻ることが出来たんだろう」

 握り締めた拳が震えて、言葉に詰まった。


「ラメールさん…フランは何処に居るんでしょう?」
「…………」
「ルチルの湖へ行けば、フランの居場所が知れると思っていました。私が願えば答えが与えらえると…」
「行ってみれば良いさ」
「でも、」
「言っただろう?バルハドル家は湖を守る一族だった。フランがその姓を名乗ったなら、何か思い出しているのかもしれない。魔術師のばぁさんの予感は当たるんだ」

 顔を上げた先で、ラメールは穏やかに微笑む。
 私は礼を伝えて病室を後にした。


 魔物にされた公爵家の息子がフランだとして、もしもそれを覚えているならば、彼は王家に復讐しようとしているのだろうか。自分たちの名声のために魔物を利用するウロボリア国王の行いは、彼が手紙に記した「利己的な人間の行い」に十分値するだろうから。

 逸る気持ちを胸に、私は北部へ向かうバスに飛び乗った。

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