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第一章 異世界からきた皇太子編

37.殿下、それは通り雨です

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 射的を終えた後、ゆっくりと出店を二周ほど見たら、いよいよ雲行きは怪しくなっていた。

 今にも降り出しそうな空にはもくもくと灰色の雲が立ち込めている。ロイと相談して家に一旦帰ることで同意を得たが、ここにきて私の靴擦れがいよいよ本格的に足を引っ張り出した。鼻緒が当たる部分は皮がめくれて少し血が出ている。こんなことなら、私もサンダルにすればよかった。

「背中に乗るか?」
「……?」
「歩きづらいんだろ、お前にしては足が遅い」
「大丈夫ですよ。まだ歩けます」
「たまには素直に甘えた方が良いぞ」

 言いながら屈み込むので、私は悩みつつ、浴衣の前を少し開いてロイの背中に身体を寄せた。こんな格好で一国の王子に私を運ばせて良いのだろうか。お尻のあたりに触れる指の感触にドキドキする。前部分がはだけているので、彼が今私を落下させたら無様に生脚とパンツを晒すことになるのも気になる点ではあった。

 ポツポツと降り出す雨を、私は少し高い視界から眺める。しかし、そんな余裕もすぐになくなり、急に強くなった雨足はザーザーとコンクリートの床を打った。

「ごめんなさい、見にくいですよね?降ります、」
「良い。お前と一緒に歩くと一日掛かっても家に到着できなさそうだ」
「……すみません」

 雨の中で私の声が聞こえたかは分からないけれど、ロイは微かに笑ってまた黙々と帰路を歩き出した。祭りに群がっていた群衆も、蜘蛛の子を散らしたように、各々の家へ帰って行く。色とりどりの浴衣が駆けて行く様子を見つめた。

 通り雨だったのか、やっと家に到着した時には少し勢いも落ち着いていた。お互いビショビショになってしまったので、先ずはタオルを用意しなければ、と慌てて鍵を開ける。

「ロイさん、すみません…タオル取ってきます!」

 下駄を脱いで洗面所へ走る。ぐっしょりと水を吸った浴衣からは止めどなく水滴が落下しているけれど仕方ない。

 タオルを何枚かとって玄関に戻ると、疲れたのかロイはしゃがみ込んでいた。綺麗な金髪からもポタポタと雫が落ちて、小さな水溜りが彼の周辺に幾つも出来ている。

「ごめんなさい。私が無理して行こうって言ったから」
「……楽しかったよ、」
「良い思い出になったら嬉しいです」

 濡れた頭にタオルを被せて遠慮がちに拭いてみたが、抵抗する様子はない。連れ回してしまったことを反省しつつ大人しいロイの身体を拭いた。

「シルヴェイユ王国にもお祭りはありますか?」
「少し雰囲気は違うがある」
「元の世界に戻ったら、きっと婚約者さんと色んな場所に行けますね。美味しいものもたくさん…」
「………、」
「これから楽しい経験がいっぱいあります。ロイさんの人生は薔薇色ですから」

 なんでこんな話をしているんだろう。

 自分でも支離滅裂な話の運びで、謎にロイを励まそうとしている。凡人の私に言われなくても、異世界とはいえ王子様である彼の人生における幸せが、ある程度保証されていることは今更言うまでもない。

 むしろ、私の方こそ自分の行く末を案じた方が良い。彼の珍道中の案内役として、舞い上がって一緒にイベントを経験している内に忘れていたけれど、私の人生はロイが居なくなったら空っぽだ。拠り所にすべき恋人も未だ見つかっていない状態。


「なぁ、メイ」

 沈み込んでいるとタオルの下からロイの青い瞳が覗いた。

「どうしました?」
「お前は俺にさっさと帰ってほしいのか?」
「……そういうわけじゃ」
「俺は帰りたくない」
「分かってます…食のためですよね、」
「違う」

 タオルを握る私の左手にロイの手が重なった。そのまま指は滑って、おもちゃの指輪に触れる。ガラスで出来た青い石を擦るように這う指に私は突然怖くなった。

 彼はいったい何を言おうとしているのか。

「……あ、電気つけましょうか!暗いですね!」
「メイ、」
「えっと…スイッチは…」
「話を聞け。それとも、ずっとそうやって逃げるのか?」
「………っ」

 重なっていたロイの手が私の指に絡まる。
 本能的に、耳を塞ぎたくなった。


「帰りたくない理由は、食いもんじゃない」
「じゃ…じゃあ、日本の文化が…」
「お前、本当は分かってるんだろう?」
「………、」
「好きなんだ」

 頭の奥の方で声がする。
 ロイは誰かからの借り物だって、返さなきゃいけないって。

 何か言わなければ、と口を開いても言葉は出て来ない。繋がれた手を引かれて私はロイの胸に閉じ込められる。熱い口付けを受け入れると、もうまともな思考は出来そうになかった。


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