上 下
30 / 38
《第三章》あなたには前を向いていてほしい

第二十九話

しおりを挟む
高桑たかくわ先生が遼子りょうこ先生に事務所に戻ってほしい理由は御自分のためです』
 遼子が退所したあと彼女が受け持っていたクライアントは間宮まみやが担当していたようだ。が、事務所の代表である富沢とみざわから経験不足を理由に高桑に任せるよう命じられたという。しかしその後すぐに続々と契約を打ち切られてしまい、困り果てた富沢は高桑に遼子を連れ戻すよう言ったということだった。
『それができなければシニアパートーナーから降格させる。そう匂わせたようです。だから必死になっているのでしょう』
 遼子が事務所に復帰すれば顧問契約を解除した企業が戻ってくると富沢は踏んでいるらしい。それで高桑に遼子を連れ戻すよう命じたようだ。だが……。
『遼子先生が富沢事務所に戻られただけではダメなんです。高桑先生が関わっている限りクライアントは戻りません』
 間宮は真面目な顔で言い切った。その理由を思い返しているとジャケットの内ポケットに忍ばせていたスマートフォンがブルブル震えだした。すぐさま取り出し、表示画面を見てみると高崎たかさきからだった。
「もしもし、別所べっしょです」
 移動中の車内で挨拶すると、
「高崎です。昨日はありがとうございました」
 スピーカーの向こうから朗らかな声がした。
「一つご報告があって電話しました。お時間大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
 報告と聞かされてもなんのことかわからない。耳を澄まし高崎が話し出すのを待っていたら、思いがけない言葉が飛び出した。
「富沢さんに手を引いてもらいました」
「え?」
麻生あそう先生を呼び戻すっていうやつですよ。穏便に解決しました」
 穏便に解決した。高崎がその言葉をあえて出したということは、提案を受けざるを得ない状況まで相手を追いつめたということだ。付き合いが長いからよくわかっている。
「どのような提案をされたんです?」
 間宮から一連の話を聞いたあと、高崎はひどく憤っていた。どんな職業であっても仕事の取りあいは珍しいことではないが、妻の悪評を広めてまでしていいわけではない。夫として弁護士として一線を越えてしまった高桑や、そうさせた富沢に対しての怒りを、高崎は隠そうとしなかった。別れ際まで顔をこわばらせていた高崎の姿を思い出しながら尋ねたところ、
「うちで働く弁護士の未来を守るために頑張りましたとしか言いません」
 だってと高崎は続けた。
「教えたら別所さんも共犯になりますからね」
 ということは正攻法ではないのだろう。
「ということで、高桑氏は麻生先生を困らせることはしないと思います。報告は以上です。ではまた」
 高崎は一気に話し終えたあと電話を切った。
 電話の向こうにいる高崎が富沢にどのような話をしたのか気にならないわけではない。だが、遼子の心をかき乱した相手は彼女の前に二度と現れることはない。そう思ったら遼子を守ることができた達成感に似たものが心に広がった。
 息を吐きながらシートにもたれかかると隣の席に座っていた岡田おかだが、いきなり深いため息を漏らした。目をやると、なにがあったのか暗い顔をしている。
「岡田、どうしたんだ?」
 気になって問いかけたら、思い詰めたようなまなざしを向けられた。
「社長にお尋ねしたいことがあるのですがいいですか?」
「うん?」
 返事をしたら、目線の先で岡田がごくりとつばを飲み込んだ。
「男としての先輩である社長に伺います。「守る」ってなんなんでしょう」
「え?」
 突拍子もない質問だった。面食らった別所は、必死な様子で自分を見つめる岡田を前に絶句する。が、かつて自分も離婚した妻に求婚する際「守る」という言葉を用いたことを思い出した。
『あなたを一生掛けて守ります』
 今思うと、自分は何から愛する女性を守ろうとしたのだろう。ざっと振り返ってみたものの思い出すことができなかった。
「実は……、吉永よしながにプロポーズしたんです」
 思案していたら岡田の沈んだ声が聞こえてきた。
「お前を一生掛けて守るって言ったんですが、何から守ろうとしているのか聞かれまして……。俺、何も答えられなかったんです……」
 岡田はすっかり肩を落としている。ずっと見守っていた二人の関係が喜ばしいほうに進展したのは嬉しいことだが、そのかわり深雪みゆきが岡田に質問したものは彼の男としての自負をおおいに揺るがしたようだ。そうなる気持ちもわからなくはないが、なんと答えていいものかわからないから別所は困り果ててしまった。
「僕も……、わかりません」
「守る」は、所詮一方的な気持ちでしかない。相手を守るという役割を勝手に作っているだけだ。そう思ったら、ついさっきまで胸に広がっていた達成感のような感情が急速にしおれていったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

島アルビノの恋

藤森馨髏 (ふじもりけいろ)
恋愛
「あのなメガンサ。ライラお兄ちゃんを嫁入り先まで連れていくのはワガママだ。だいたい実の兄貴でもないのに何でそんなに引っ付いているんだ。離れろ、離れろ。ライラにも嫁が必要なんだぞ」 「嫌だ。ライラは私のものだ。何処でも一緒だ。死ぬまで一緒だ」 「お前に本気で好きな人ができたらライラは眼中になくなるさ」 「僕はメガンサのものだよ。何処でも行くよ」 此の作品は、自作作品『毒舌アルビノとカナンデラ・ザカリーの事件簿』の沖縄版二次作品です。是非、元作品と共にお楽しみくださいね。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~

氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた――― ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。 それは同棲の話が出ていた矢先だった。 凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。 ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。 実は彼、厄介な事に大の女嫌いで―― 元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

〜彼女を可愛く育成計画〜

古波蔵くう
恋愛
烈(いさお)はオンラインゲームで日常の息抜きを楽しんでいた。ある日、ゲーム内でカリスマ的存在の魔法少女『イチゴ』と出会い、二人は仲良くなり現実で会う約束をする。初対面の日、烈は一心(いちご)の家を訪れ、緊張と期待が入り混じる。現実の一心は自信がなく、コンプレックスを抱えていたが、烈は一心を可愛くする計画を提案し、一心も同意する。 一心の過去の回想では、いじめや自信喪失の経験が描かれ、ゲームが彼の救いとなった背景が明かされる。烈との出会いは一心にとって大きな意味を持つものだった。烈は一心の健康管理をサポートし、ダイエットや運動を通じて一心は少しずつ変わっていく。初めて努力の成果を感じた一心は自信を持ち始める。 加子(かこ)の助けを借りて美容ケアを始めた一心は、さらに自信を深め、烈との絆も強まる。礼男(れお)のファッションアドバイスでおしゃれな服を試し、新しい自分に驚きと喜びを感じる一心。周囲の反応も変わり、自信を深めていく。 初めての二人きりの外出で、一心はデートを通じてさらに自信をつけ、二人の関係は一層深まる。しかし、雪崩子(なでこ)が嫉妬し妨害を試みる場面も描かれる。最終的に、烈は一心に自分の気持ちを伝え、一心もそれに応え、二人は正式に付き合い始める。未来への希望と幸せが描かれるエンディングとなる。

粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる

春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。 幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……? 幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。 2024.03.06 イラスト:雪緒さま

処理中です...