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《第二章》あなたを守りたい
第二十三話
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『今日は僕が遼子先生を送るから』
そう告げたときの岡田の表情を思い返しながら別所は部屋を出る。
遼子が部屋を出たあとやって来た岡田に、篠田の妻・富貴子の病を堅く口止めした上で入院している彼女の見舞いに二人で行くと告げたところ、戸惑っているような顔をした。
岡田が困惑するのも仕方がない。なにせ篠田のパーティー以降徹底して遼子と顔を合わせないよう彼と深雪に調整を頼んでいたのに、ここのところ予想外の出来事が続いたせいで遼子と関わることが増えているのだから。
どんな理由であれ遼子と接するたび思い出すのもつらい現実と向き合わねばならないのがきつい。それに揺れ動く感情を抑えつけなければならないから本音を言えばしんどくて仕方がないが、大切にしたい女性が思い悩む姿は見たくない。だから別所は苦しい思いを押さえ込み、どうしたら遼子が安らかでいられるか考え続けている。
もしもこれが三十代のときならばできなかっただろう。己の感情をコントロールできずヤケになっていたかもしれないなど思いながら別所はエレベーターに乗り込んだのだった。
一階に到着しドアが開いた直後だった。遼子と彼女の元夫が一緒にいるのを目にしたのは。「あの男」が遼子につきまとっている問題を解決できていないのに、彼女を一人にしてしまったのを悔やみながら別所は遼子に近づく。
「遼子さん、お待たせしました」
あえて遼子の別れた夫を無視しほほ笑んで見せると、彼女はおびえたような顔を向けてきた。これはただ事ではない。そう直感した別所はさりげなく遼子の前に出た。
「彼女が働いている会社の代表で別所と申します。何か問題でも?」
遼子の盾となり、作った笑みを男に向けたら、
「私は遼子の夫です。夫婦の問題ですから口を挟まないでもらえますか?」
彼は険しい表情で言い放った。
「おかしいですね。僕は独身の遼子さんとお付き合いしているんですが……」
わざとのんきな口調で言いながらも、別所は鋭いまなざしを男に向けた。すると、
「離婚はしましたがお互い納得して別れたわけじゃない、そうだよな、遼子」
威圧的な口ぶりに嫌悪を覚えた。ちらりと振り返ると遼子は顔をこわばらせている。
もしかしたら篠田が以前言っていた遼子の離婚の理由は、これかもしれない。ピンときて別所は内心で息をつく。
『いずれにせよ、遼子先生が離婚するまでに負った心の傷は生半可な数じゃない。女や妻という言葉で追い詰められ続けた結果、恋愛や結婚は避けて通りたいものになってしまったとしても不思議な話じゃない』
夫にどのようなハラスメントを受けたのか、篠田の言葉と目の前にいる男の態度で想像がつく。どのような理由であれパートナーを怯えさせるほどの言動を夫だからというだけでしていいわけではない。それはもはや対等な関係ではないし健全なつながりとは言い難い。
「どんな御用件かわかりかねますが僕は彼女のパートナーです。彼女の代理人としてお話を伺いますので日を改めて会社へ来てください。今日はこれから大事な用事があるので失礼します」
慇懃な態度を崩さず男に言ってすぐ振り返り、遼子の肩に手を添えるとかたかたと震えていた。それに気がつき顔をのぞき込んだら彼女はつらそうな表情で目線を下げていた。
男からの鋭い視線を浴びながら別所は遼子とともに歩き出す。緊迫した空気のなか踏み出す一歩は重く感じたが、一刻も早く遼子をあの男から離さなければ、その一心で歩き続けた。
ビルを出て、車寄せに向かいタクシーに怯え続ける遼子を乗せた。別所は、あの男が追いかけてこないのを確かめてから車内に乗り込む。
「ここへお願いします」
自宅の住所を書いているメモを運転手に見せ、
「お見舞いは今日はやめましょう。それと、これから僕の家に向かいます」
そう言うと、遼子から驚いた顔を向けられた。
「とにかく今はあなたの気持ちを落ち着かせるのが先です。まずは僕の家で先日一緒に食べた寿司でも食べましょう」
本当ならば遼子の自宅に向かうべきところだが、あの男が先回りして待ち伏せしているような気がした。
遼子を安心させようと優しい笑みを作ったものの、胸の奥がざわざわとしていて落ち着かない。それは篠田から遼子の別れた夫について聞いた話のせいだった。
『遼子先生の元夫は企業法務のエキスパートで、事務所内でも一目置かれていたらしい。が、評判がいい男ではなかった』
篠田が言うには、遼子の仕事を奪うため画策していたらしい。遼子が顧問を務める企業に、彼女よりも自分のほうが優れた弁護士であると言って回っていたという。
『実は、俺のところにも来たんだが……。噂どおり自分の妻である遼子先生を貶めるような言葉を繰り返していたよ』
そのときの怒りが蘇ったのだろう。篠田は眉間にしわを寄せていた。
『あんな男とは別れた方がいい。遼子先生に言ってやりたかったが、男と女のことは当事者でしかわからないこともある。だから……、話だけ聞いて断った』
篠田は遼子を心から信頼している。富貴子だって自分の妹のように遼子をかわいがっているから、彼女の別れた夫の言動は許すことができなかったに違いない。
『そのあとだ。遼子先生から企業内弁護士として働けるところを探していると相談を受けたのは。そのとき彼女は理由を言わなかったが、インハウスロイヤーならあの男がいるところで働くよりもいい。だから知り合いの会社に聞いていたんだが、そうこうしているうちに遼子先生から名字が変わったと教えられたんだよ』
だからと篠田は続けた。
『頑張り続けている彼女の力になりたいし、今度誰かと縁を結ぶことがあったら幸せになってほしいんだ』
遼子が離婚を決めるまでどれほど苦しい思いをしたかはわからない。いくら自身も離婚した過去があるからといっても、苦しい気持ちになる理由は人それぞれだから想像するしかないが、これだけは言える。遼子は、あの男と別れて正解だ。
あの男がどのような理由で遼子の前に姿を見せたかはわからないが、彼女にとっていい話ではないだろう。遼子を守るためにも彼女から話を聞きたいが、今は全身をこわばらせている彼女をとにかく落ち着かせなければならない。胸に渦巻く不安と疑念を理性でねじ伏せ、別所は寿司屋に電話したのだった。
そう告げたときの岡田の表情を思い返しながら別所は部屋を出る。
遼子が部屋を出たあとやって来た岡田に、篠田の妻・富貴子の病を堅く口止めした上で入院している彼女の見舞いに二人で行くと告げたところ、戸惑っているような顔をした。
岡田が困惑するのも仕方がない。なにせ篠田のパーティー以降徹底して遼子と顔を合わせないよう彼と深雪に調整を頼んでいたのに、ここのところ予想外の出来事が続いたせいで遼子と関わることが増えているのだから。
どんな理由であれ遼子と接するたび思い出すのもつらい現実と向き合わねばならないのがきつい。それに揺れ動く感情を抑えつけなければならないから本音を言えばしんどくて仕方がないが、大切にしたい女性が思い悩む姿は見たくない。だから別所は苦しい思いを押さえ込み、どうしたら遼子が安らかでいられるか考え続けている。
もしもこれが三十代のときならばできなかっただろう。己の感情をコントロールできずヤケになっていたかもしれないなど思いながら別所はエレベーターに乗り込んだのだった。
一階に到着しドアが開いた直後だった。遼子と彼女の元夫が一緒にいるのを目にしたのは。「あの男」が遼子につきまとっている問題を解決できていないのに、彼女を一人にしてしまったのを悔やみながら別所は遼子に近づく。
「遼子さん、お待たせしました」
あえて遼子の別れた夫を無視しほほ笑んで見せると、彼女はおびえたような顔を向けてきた。これはただ事ではない。そう直感した別所はさりげなく遼子の前に出た。
「彼女が働いている会社の代表で別所と申します。何か問題でも?」
遼子の盾となり、作った笑みを男に向けたら、
「私は遼子の夫です。夫婦の問題ですから口を挟まないでもらえますか?」
彼は険しい表情で言い放った。
「おかしいですね。僕は独身の遼子さんとお付き合いしているんですが……」
わざとのんきな口調で言いながらも、別所は鋭いまなざしを男に向けた。すると、
「離婚はしましたがお互い納得して別れたわけじゃない、そうだよな、遼子」
威圧的な口ぶりに嫌悪を覚えた。ちらりと振り返ると遼子は顔をこわばらせている。
もしかしたら篠田が以前言っていた遼子の離婚の理由は、これかもしれない。ピンときて別所は内心で息をつく。
『いずれにせよ、遼子先生が離婚するまでに負った心の傷は生半可な数じゃない。女や妻という言葉で追い詰められ続けた結果、恋愛や結婚は避けて通りたいものになってしまったとしても不思議な話じゃない』
夫にどのようなハラスメントを受けたのか、篠田の言葉と目の前にいる男の態度で想像がつく。どのような理由であれパートナーを怯えさせるほどの言動を夫だからというだけでしていいわけではない。それはもはや対等な関係ではないし健全なつながりとは言い難い。
「どんな御用件かわかりかねますが僕は彼女のパートナーです。彼女の代理人としてお話を伺いますので日を改めて会社へ来てください。今日はこれから大事な用事があるので失礼します」
慇懃な態度を崩さず男に言ってすぐ振り返り、遼子の肩に手を添えるとかたかたと震えていた。それに気がつき顔をのぞき込んだら彼女はつらそうな表情で目線を下げていた。
男からの鋭い視線を浴びながら別所は遼子とともに歩き出す。緊迫した空気のなか踏み出す一歩は重く感じたが、一刻も早く遼子をあの男から離さなければ、その一心で歩き続けた。
ビルを出て、車寄せに向かいタクシーに怯え続ける遼子を乗せた。別所は、あの男が追いかけてこないのを確かめてから車内に乗り込む。
「ここへお願いします」
自宅の住所を書いているメモを運転手に見せ、
「お見舞いは今日はやめましょう。それと、これから僕の家に向かいます」
そう言うと、遼子から驚いた顔を向けられた。
「とにかく今はあなたの気持ちを落ち着かせるのが先です。まずは僕の家で先日一緒に食べた寿司でも食べましょう」
本当ならば遼子の自宅に向かうべきところだが、あの男が先回りして待ち伏せしているような気がした。
遼子を安心させようと優しい笑みを作ったものの、胸の奥がざわざわとしていて落ち着かない。それは篠田から遼子の別れた夫について聞いた話のせいだった。
『遼子先生の元夫は企業法務のエキスパートで、事務所内でも一目置かれていたらしい。が、評判がいい男ではなかった』
篠田が言うには、遼子の仕事を奪うため画策していたらしい。遼子が顧問を務める企業に、彼女よりも自分のほうが優れた弁護士であると言って回っていたという。
『実は、俺のところにも来たんだが……。噂どおり自分の妻である遼子先生を貶めるような言葉を繰り返していたよ』
そのときの怒りが蘇ったのだろう。篠田は眉間にしわを寄せていた。
『あんな男とは別れた方がいい。遼子先生に言ってやりたかったが、男と女のことは当事者でしかわからないこともある。だから……、話だけ聞いて断った』
篠田は遼子を心から信頼している。富貴子だって自分の妹のように遼子をかわいがっているから、彼女の別れた夫の言動は許すことができなかったに違いない。
『そのあとだ。遼子先生から企業内弁護士として働けるところを探していると相談を受けたのは。そのとき彼女は理由を言わなかったが、インハウスロイヤーならあの男がいるところで働くよりもいい。だから知り合いの会社に聞いていたんだが、そうこうしているうちに遼子先生から名字が変わったと教えられたんだよ』
だからと篠田は続けた。
『頑張り続けている彼女の力になりたいし、今度誰かと縁を結ぶことがあったら幸せになってほしいんだ』
遼子が離婚を決めるまでどれほど苦しい思いをしたかはわからない。いくら自身も離婚した過去があるからといっても、苦しい気持ちになる理由は人それぞれだから想像するしかないが、これだけは言える。遼子は、あの男と別れて正解だ。
あの男がどのような理由で遼子の前に姿を見せたかはわからないが、彼女にとっていい話ではないだろう。遼子を守るためにも彼女から話を聞きたいが、今は全身をこわばらせている彼女をとにかく落ち着かせなければならない。胸に渦巻く不安と疑念を理性でねじ伏せ、別所は寿司屋に電話したのだった。
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