上 下
11 / 38
《第一章》あなたが好きです

第十話

しおりを挟む
 パーティは、篠田しのだの会社にほど近いホテルで行われた。遼子りょうこはそこへ別所べっしょ岡田おかだ深雪みゆきとともに向かったのだが、車から降りてから会場へ向かうまでのあいだにすっかり疲れ切ってしまった。それというのも、着慣れないドレスに履き慣れない靴のせいだ。
 ふだんの遼子は、仕事はもちろん私生活でもパンツとローヒールのパンプスを好んでいる。それなのに今は足首まである長い裾のドレスにハイヒールのせいで足下がおぼつかず、別所の支えもといエスコートのおかげでどうにか歩いていたのだった。
「別所、それに麻生あそう先生も!」
 受付を済ませ会場へ足を踏み入れてすぐ、張りのある太い声で呼ばれた。別所の腕にしっかり腕を絡ませながら声がしたほうを見ると、満面の笑みを浮かべている篠田が人波をかき分けて近づいてきた。がしかし、一緒にいるはずの彼の妻の姿が見当たらない。もしかしたら篠田とは別にゲストへの挨拶回りをしているのだろうか? いや、篠田の妻はどんなときでも夫に寄り添うように側にいるから違う。じゃあ、彼の妻はどこに? 不審を抱きながら控えめにあたりを見渡していたら篠田がやってきた。
「驚いたな。まさか本当に麻生先生を連れてくるとは」
 堂々たる体躯の篠田が驚いた顔をした。びしっとした格好が様になっている篠田の大きな背中に別所が手を伸ばす。
「今夜はお招きいただきありがとう。遼子先生と一緒に楽しませてもらうよ」
 別所と篠田は、大学時代からの付き合いだと聞いたことがある。まるで兄弟のような付き合いをしていたらしく、学部こそ違っていたがしょっちゅう一緒にいたのだと篠田からかつて聞かされた。それにしても篠田の妻はどうしたのだろう。笑みを作って篠田に挨拶をしている間、遼子は気が気でなかった。
 篠田と挨拶してまもなくパーティーが始まったが、篠田の妻を見かけることはなかった。いよいよ不審を抱いた遼子は声を潜めて別所に問いかける。
「あの……、篠田社長の奥様の姿が見えないんですが……」
 すると別所も思うところがあったのか、表情をわずかに曇らせ「うん」と応じた。
「実は僕も気になっていました。もしかしたら体調を崩されているのかも……」
 篠田の妻が主催するお茶会があったのは二週間ほど前だ。そのときは健康そのものだったけれど、その後具合を悪くしているかもしれない。
「明日にでも連絡を取ってみます。もしも入院されているのならお見舞いにいかないと」
 本音を言えば篠田に尋ねたいが今日は無理だ。パーティーが始まったら彼は挨拶回りで忙しくなるだろうから。
「そうしてくださると嬉しいです」
 別所から優しくほほ笑まれたら、落ち着かなかった心が一瞬で凪いだ。
 別所の笑顔を見ると幸せな気分になるし安心する。それが恋だと自覚してはいるけれど、だからといって別所に恋心を告げるつもりはない。夫だった男にも、別所に抱いたものと同じ気持ちになったけれど、恋人となり結婚して夫婦になったあとそれらは少しずつ目減りしていった。
 異なる環境で育った相手と夫婦になるということは簡単なことではない。好きという感情だけで乗り越えられないものもあるし、二人の考えがぶつかる瞬間が必ずある。それを克服できればよかったのにできなかった。
 あのとき、どうすれば良かったのだろう。過去と現在の狭間で立ち止まると必ず浮かぶ自問が頭の中で駆け回り、苦い記憶とともに別れた夫から掛けられたつらい言葉が脳裏に蘇った。それに加えて夫婦関係を修復させるための打開策を見つけられなかった罪悪感もぶり返し、気持ちがどんどん沈んでいく。だが、
「遼子先生」
 別所の温かい声が聞こえたとたん無音だった世界に音が戻ってきた。心を覆い尽くしていた暗雲がたちまちのうちに消えていく。
「僕たちも挨拶回りしましょうか」
 別所から優しい笑顔を向けられ、暗闇に陥りそうな意識が引き戻された。
「それとせっかくパーティーに来ているのだし、合間合間に食事をつまむことも忘れないようにしないとね」
「ですよね」
 心にのしかかっていたものがなくなったからか笑みが自然と漏れた。
「じゃあ……。岡田、僕は遼子先生と挨拶回りするから深雪くんのエスコートをお願いします。あと、篠田の挨拶も終わったし帰りたくなったらいつでも帰っていいですよ」
 別所はにこりと応じたあと、すぐ側にいる岡田に告げた。
「わかりました」
「じゃあ、パーティーを楽しんで」
 腰に添えられていた手が体をわずかに押した。遼子は自分を支える大きな手に意識を向けないようにしながら別所とともに歩き出したのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました

せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜 神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。 舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。 専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。 そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。 さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。 その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。 海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。 会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。 一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。 再会の日は……。

王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】

霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。 辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。 王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。 8月4日 完結しました。

【R18】かわいいペットの躾け方。

春宮ともみ
恋愛
ドS ‪✕ ‬ドM・主従関係カップルの夜事情。 彼氏兼ご主人様の命令を破った彼女がお仕置きに玩具で弄ばれ、ご褒美を貰うまでのお話。  *** ※タグを必ずご確認ください ※作者が読みたいだけの性癖を詰め込んだ書きなぐり短編です ※表紙はpixabay様よりお借りしました

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

【完結】悪女のなみだ

じじ
恋愛
「カリーナがまたカレンを泣かせてる」 双子の姉妹にも関わらず、私はいつも嫌われる側だった。 カレン、私の妹。 私とよく似た顔立ちなのに、彼女の目尻は優しげに下がり、微笑み一つで天使のようだともてはやされ、涙をこぼせば聖女のようだ崇められた。 一方の私は、切れ長の目でどう見ても性格がきつく見える。にこやかに笑ったつもりでも悪巧みをしていると謗られ、泣くと男を篭絡するつもりか、と非難された。 「ふふ。姉様って本当にかわいそう。気が弱いくせに、顔のせいで悪者になるんだもの。」 私が言い返せないのを知って、馬鹿にしてくる妹をどうすれば良かったのか。 「お前みたいな女が姉だなんてカレンがかわいそうだ」 罵ってくる男達にどう言えば真実が伝わったのか。 本当の自分を誰かに知ってもらおうなんて望みを捨てて、日々淡々と過ごしていた私を救ってくれたのは、あなただった。

甘すぎ旦那様の溺愛の理由(※ただし旦那様は、冷酷陛下です!?)

夕立悠理
恋愛
 伯爵令嬢ミレシアは、恐れ多すぎる婚約に震えていた。 父が結んできた婚約の相手は、なんと冷酷と謳われている隣国の皇帝陛下だったのだ。  何かやらかして、殺されてしまう未来しか見えない……。  不安に思いながらも、隣国へ嫁ぐミレシア。  そこで待っていたのは、麗しの冷酷皇帝陛下。  ぞっとするほど美しい顔で、彼はミレシアに言った。 「あなたをずっと待っていました」 「……え?」 「だって、下僕が主を待つのは当然でしょう?」  下僕。誰が、誰の。 「過去も未来も。永久に俺の主はあなただけ」 「!?!?!?!?!?!?」  そういって、本当にミレシアの前では冷酷どころか、甘すぎるふるまいをする皇帝ルクシナード。  果たして、ルクシナードがミレシアを溺愛する理由は――。

処理中です...