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美しい人、優しい人 前編
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空は高く、太陽が強く照り付ける。
熱せられた肌を高原の風が優しく撫でる。
私と千鶴さんは那須町に来ていた。
依頼を受けた千鶴さんに「ネタ探しにどう?」と聞かれ同行させてもらったのだ。
依頼人は隠居した人物で先祖から受け継がれた怪しげな諸々のモノを抱えていた。
そのご隠居は元々魔術の家系だったのだが家系は廃れており、道具だけを持っていても使いようがなかった。
良い機会なので鑑定してもらい、欲しい人物がいれば譲ろうと考えていた。
コレクションはパッと見には錚々たるものに見えた。
古ぼけた呪符やカビの生えかけた古い書物、水晶、球状のものにひもが付いたよくわからない何か……
それらは異様な気配を放っていた。
「必要とする術者はいると思いますが、どれも貴重とは言えないありふれた道具ですね」
千鶴さんの評価はにべもなかった。
しかし、依頼人は特に落胆するでもなく、「必要とする人物がいるならその人たちに渡るようにして下さい」と答えた。
鑑定料の受け取りや道具を売り払うバイヤーの紹介をし、我々は暇を告げた。
雲一つない晴天だった。
あったのかなかったのかよくわからない梅雨がいつの間にか明け、酷暑がやってきていた。
行先が那須であることに私は感謝していた。
避暑地として知られるこの土地でも暑いは暑かったが、風が心地よく新緑が目を癒してくれた。
依頼人の家を出て、バス停まで歩く道すがら私はしばしのバカンス気分を味わっていた。
私と千鶴さんは取り留めのない雑談をしながら新緑の眩しい並木道を歩いていた。
突然、彼女が足を止めた。
「ちょっと寄り道していこう」
そしてバス停とは見当違いな方向に歩き出した。
私はあわてて後を追った。
「寄り道ってどこへ?」
「私もわからない」
「わからないところに寄り道するんですか?」
「そうだよ?」
彼女の歩み方はまるで何かに引っ張られるようだった。
土地勘のない場所の筈なのに歩みには迷いも戸惑いも無かった。
歩き始めて数分、私はようやく千鶴さんの意図を理解した。
魔力を感じる。
まるで狼煙でもあげるかのように野放図に周囲に魔力を放っている。
「誰かが呼んでいる」
そんな感覚だった。
千鶴さんは十分ほど歩くと足を止めた。
白い漆喰の壁に茅葺屋根のヨーロッパ風の家の前だった。
石造りの小さな池と色とりどりのハーブが植えられたヨーロッパ風の庭があった。
そしてその庭には女性が一人立っていた。
美しい女性だった。
陳腐な表現だが、この世のものとは思えない――少なくとも人類の範疇には入らないような美しさだった。
「こんにちは、美しいお隣さん」
千鶴さんが声をかけた。
「私たちを呼んだのは君かな?」
浮世離れした彼女は微笑むとこちらに歩み寄ってきた。
「『視える』人が通ったのはここに来て初めてだわ。寄ってくれてありがとう」
彼女は言った。
彼女の声はふわりとして、まるで実在感の無い不思議な響きがした。
「君は……土着のお隣さんじゃないね。見たところ……リャナンシーかな?」
私はここで一度「待ってください」と手を挙げた。
オカルトサイトの編集者をしている私だが、千鶴さんの知識はついて行けない。
私は置いてけぼりになっていた。
「ああ、そうか」
「リャナンシー」あるいは「ラナンシー」はアイルランドやマン島に伝わる妖精で若く美しい女性の姿をしている。
ケルト文化圏では妖精の事を「リトルピープル」「リトルフォーク(小さな人達)」「グットネイバーズ(良いお隣さん)」「ジェントリー(紳士たち)」
などと親しみを込めて呼ぶ。
置いてけぼりの私に簡潔に説明をしてくれた。
浮世離れした彼女は微笑を浮かべて私たちのやり取りを見ていた。
「しかしこれはどういうことだろう……」
千鶴さんは妖精に向き直った。
場違いなケルトの妖精は微笑を浮かべている。
「リャナンシーは憑りついた男性から精気を吸うと聞くけど『吸い取った』気配もない。これは一体……」
「やあ、こんにちは」
我々の会話を中断する声があった。
声の方を見ると家の戸口に男性が立っていた。
「何かご用かな?」
男性は訛りの無い日本語を話したが、その姿は明らかにヨーロッパ系のものだった。
銀髪で六十を周ろうかという年の頃に見えた。
「ええ。とてもいい庭なので、ご主人が在宅ならばお話を伺ってみようかと思っていたところです」
我々はそれぞれ名前を名乗った。
銀髪の主人は笑顔でうんうんと頷きながら我々の自己紹介を聞き、自らも名乗った。
「私はミホール・オ・ドーナルだ。よろしく、お若い人たち」
〇
我々は家の中に案内された。
暖炉があり、木目の優しさがあるおとぎ話のような趣の家だった。
「あなたはアイルランド人?名前からしてアイルランド語保護地区(ゲールタハト)のご出身ですか?」
「嬉しいね。分かるのかい?」
「イングランドのオックスフォードに住んでいた時期があって。アイルランドは何度か行きました」
オックスフォードという街は私たち魔術師にとって特別な意味がある。
魔術師を統括するソサエティという結社が本拠を置いているからだ。
ハンターとして正式に認可を受けるにはソサエティが運営するオールドカレッジで最低一年の
講習をうける必要がある。
私のような生臭で限りなく俗世に近い存在には無縁のことだが、旧家の生まれであり、
ハンターとして生計を立てている千鶴さんには縁のあるものだ。
「オックスフォードか。私も行ったことがあるよ。美しい街だ」
「ええ、そうですね。私はゴールウェイの方が好きですよ」
「おお、そうか!実は私は、ゴールウェイ近郊に住んでたんだ。嬉しいね」
ミホール氏は自身の生い立ちを話し始めた。
仕事の関係で日本で生まれて八歳まで東京で過ごし、その後アイルランドに帰って最近までアイルランドで
生活していたとのことだった。
日本人に発音しずらい名前は両親がアイルランド語保護地区の小さな町の出身なことに由来するらしい。
音楽教師をしていたが五年前にリタイヤし、遠く那須町に移り住んだ。
この町はミホール氏が少年時代に家族で良くバカンスに訪れていたとのことだった。
多少の財産があり、悠々自適の生活を楽しんでいるという。
ミホール氏は人懐っこい笑顔で話好きな人物だった。
口調はとても穏やかで言葉の一つ一つから素朴な優しさを感じた。
「すまないね、元来がおしゃべりな質のもので」
とミホール氏は謝罪したが、私は自然とこの人物に好感を持っていた。
「引退後の移住には憧れますがなぜ、日本なんですか?」
私は聞いた。
「アイルランドは年寄りが暮らすには少しばかり寒すぎる。
独り身だから困る家族もいないので思い切って移住することにしたんだ。この通り言葉には不自由ないしね」
ミホール氏は屈託なく笑った。
「いやしかし、こんなに話が弾むお客さんは越してきてから初めてだ。今日はここ数年で最高の一日かもしれない」
人好きのする人物だ。
私はアイルランドに行ったことはないが、ミホール氏の人柄だけでアイルランドに好感を持ってしまいそうだった。
「では人生最高の一日は?」
藪から棒に千鶴さんが質問した。
それは何気ない問いに聞こえた。
が、千鶴さんの口調には確かな意図が感じられた。
ミホール氏はその一言で温顔を引っ込めて真剣な面差しになった・。
「一度、目が合ったんだ」
彼の目はどこか遠くを見ていた。
「もう四十年も前のことになる。
フィークルという小さな村にサイクリングに行った時のことだ」
熱せられた肌を高原の風が優しく撫でる。
私と千鶴さんは那須町に来ていた。
依頼を受けた千鶴さんに「ネタ探しにどう?」と聞かれ同行させてもらったのだ。
依頼人は隠居した人物で先祖から受け継がれた怪しげな諸々のモノを抱えていた。
そのご隠居は元々魔術の家系だったのだが家系は廃れており、道具だけを持っていても使いようがなかった。
良い機会なので鑑定してもらい、欲しい人物がいれば譲ろうと考えていた。
コレクションはパッと見には錚々たるものに見えた。
古ぼけた呪符やカビの生えかけた古い書物、水晶、球状のものにひもが付いたよくわからない何か……
それらは異様な気配を放っていた。
「必要とする術者はいると思いますが、どれも貴重とは言えないありふれた道具ですね」
千鶴さんの評価はにべもなかった。
しかし、依頼人は特に落胆するでもなく、「必要とする人物がいるならその人たちに渡るようにして下さい」と答えた。
鑑定料の受け取りや道具を売り払うバイヤーの紹介をし、我々は暇を告げた。
雲一つない晴天だった。
あったのかなかったのかよくわからない梅雨がいつの間にか明け、酷暑がやってきていた。
行先が那須であることに私は感謝していた。
避暑地として知られるこの土地でも暑いは暑かったが、風が心地よく新緑が目を癒してくれた。
依頼人の家を出て、バス停まで歩く道すがら私はしばしのバカンス気分を味わっていた。
私と千鶴さんは取り留めのない雑談をしながら新緑の眩しい並木道を歩いていた。
突然、彼女が足を止めた。
「ちょっと寄り道していこう」
そしてバス停とは見当違いな方向に歩き出した。
私はあわてて後を追った。
「寄り道ってどこへ?」
「私もわからない」
「わからないところに寄り道するんですか?」
「そうだよ?」
彼女の歩み方はまるで何かに引っ張られるようだった。
土地勘のない場所の筈なのに歩みには迷いも戸惑いも無かった。
歩き始めて数分、私はようやく千鶴さんの意図を理解した。
魔力を感じる。
まるで狼煙でもあげるかのように野放図に周囲に魔力を放っている。
「誰かが呼んでいる」
そんな感覚だった。
千鶴さんは十分ほど歩くと足を止めた。
白い漆喰の壁に茅葺屋根のヨーロッパ風の家の前だった。
石造りの小さな池と色とりどりのハーブが植えられたヨーロッパ風の庭があった。
そしてその庭には女性が一人立っていた。
美しい女性だった。
陳腐な表現だが、この世のものとは思えない――少なくとも人類の範疇には入らないような美しさだった。
「こんにちは、美しいお隣さん」
千鶴さんが声をかけた。
「私たちを呼んだのは君かな?」
浮世離れした彼女は微笑むとこちらに歩み寄ってきた。
「『視える』人が通ったのはここに来て初めてだわ。寄ってくれてありがとう」
彼女は言った。
彼女の声はふわりとして、まるで実在感の無い不思議な響きがした。
「君は……土着のお隣さんじゃないね。見たところ……リャナンシーかな?」
私はここで一度「待ってください」と手を挙げた。
オカルトサイトの編集者をしている私だが、千鶴さんの知識はついて行けない。
私は置いてけぼりになっていた。
「ああ、そうか」
「リャナンシー」あるいは「ラナンシー」はアイルランドやマン島に伝わる妖精で若く美しい女性の姿をしている。
ケルト文化圏では妖精の事を「リトルピープル」「リトルフォーク(小さな人達)」「グットネイバーズ(良いお隣さん)」「ジェントリー(紳士たち)」
などと親しみを込めて呼ぶ。
置いてけぼりの私に簡潔に説明をしてくれた。
浮世離れした彼女は微笑を浮かべて私たちのやり取りを見ていた。
「しかしこれはどういうことだろう……」
千鶴さんは妖精に向き直った。
場違いなケルトの妖精は微笑を浮かべている。
「リャナンシーは憑りついた男性から精気を吸うと聞くけど『吸い取った』気配もない。これは一体……」
「やあ、こんにちは」
我々の会話を中断する声があった。
声の方を見ると家の戸口に男性が立っていた。
「何かご用かな?」
男性は訛りの無い日本語を話したが、その姿は明らかにヨーロッパ系のものだった。
銀髪で六十を周ろうかという年の頃に見えた。
「ええ。とてもいい庭なので、ご主人が在宅ならばお話を伺ってみようかと思っていたところです」
我々はそれぞれ名前を名乗った。
銀髪の主人は笑顔でうんうんと頷きながら我々の自己紹介を聞き、自らも名乗った。
「私はミホール・オ・ドーナルだ。よろしく、お若い人たち」
〇
我々は家の中に案内された。
暖炉があり、木目の優しさがあるおとぎ話のような趣の家だった。
「あなたはアイルランド人?名前からしてアイルランド語保護地区(ゲールタハト)のご出身ですか?」
「嬉しいね。分かるのかい?」
「イングランドのオックスフォードに住んでいた時期があって。アイルランドは何度か行きました」
オックスフォードという街は私たち魔術師にとって特別な意味がある。
魔術師を統括するソサエティという結社が本拠を置いているからだ。
ハンターとして正式に認可を受けるにはソサエティが運営するオールドカレッジで最低一年の
講習をうける必要がある。
私のような生臭で限りなく俗世に近い存在には無縁のことだが、旧家の生まれであり、
ハンターとして生計を立てている千鶴さんには縁のあるものだ。
「オックスフォードか。私も行ったことがあるよ。美しい街だ」
「ええ、そうですね。私はゴールウェイの方が好きですよ」
「おお、そうか!実は私は、ゴールウェイ近郊に住んでたんだ。嬉しいね」
ミホール氏は自身の生い立ちを話し始めた。
仕事の関係で日本で生まれて八歳まで東京で過ごし、その後アイルランドに帰って最近までアイルランドで
生活していたとのことだった。
日本人に発音しずらい名前は両親がアイルランド語保護地区の小さな町の出身なことに由来するらしい。
音楽教師をしていたが五年前にリタイヤし、遠く那須町に移り住んだ。
この町はミホール氏が少年時代に家族で良くバカンスに訪れていたとのことだった。
多少の財産があり、悠々自適の生活を楽しんでいるという。
ミホール氏は人懐っこい笑顔で話好きな人物だった。
口調はとても穏やかで言葉の一つ一つから素朴な優しさを感じた。
「すまないね、元来がおしゃべりな質のもので」
とミホール氏は謝罪したが、私は自然とこの人物に好感を持っていた。
「引退後の移住には憧れますがなぜ、日本なんですか?」
私は聞いた。
「アイルランドは年寄りが暮らすには少しばかり寒すぎる。
独り身だから困る家族もいないので思い切って移住することにしたんだ。この通り言葉には不自由ないしね」
ミホール氏は屈託なく笑った。
「いやしかし、こんなに話が弾むお客さんは越してきてから初めてだ。今日はここ数年で最高の一日かもしれない」
人好きのする人物だ。
私はアイルランドに行ったことはないが、ミホール氏の人柄だけでアイルランドに好感を持ってしまいそうだった。
「では人生最高の一日は?」
藪から棒に千鶴さんが質問した。
それは何気ない問いに聞こえた。
が、千鶴さんの口調には確かな意図が感じられた。
ミホール氏はその一言で温顔を引っ込めて真剣な面差しになった・。
「一度、目が合ったんだ」
彼の目はどこか遠くを見ていた。
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