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金縛る 前編
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暦上は秋だが驚くほど暑い一日だった。
一度は長袖に腕を通した人々が再び半袖に戻り、コンビニの飲料品コーナーでは冷たい飲料が品薄状態になっていた。
私は「相談がある」と父に呼び出され実家に赴いていた。
私の実家は浄土真宗の寺院だ。
古い建物故に風通しがよく、縁側に居ると夏でも心地よい風が感じられる。
古い建物故の不便も多いがこの実家のつくりを私は気に入っていた。
寺を継ぐことが確定的となっている兄は既に結婚し幼い子供もいるが、兄も兄の一家もこの寺を気に入っている。
大いに結構なことだ。
寺に居るのが苦痛では坊主は務まらないだろう。
窓の外では涼し気に風鈴が揺れている。
風流だと私は思う。
だが、エコ精神などまるでゼロの父は香港のホテルのように冷房を利かせ、Tシャツに短パンという僧侶の品格を欠片も感じさせない格好でスティックの氷菓をかじっていた。
Tシャツはブラックサバスのロゴが入ったデザインTシャツだった。
浄土真宗では作務衣(さむえ)は着ないことになっているが、ブラックサバスは黒魔術や悪魔と結び付けられるロックバンドだ。
もう少し恰好に選択肢はなかったのだろうか。
「それでな、天明」
私の父、長南応挙(おさなみおうきょ)は齧り終えた氷菓のスティックをゴミ箱に乱雑にシュートすると切り出した。
「檀家さんから相談があってな……調べて欲しいことがあるんだ」
私は聞いた。
「『相談』があって『調べて欲しい』っていうことは何か事件でも起きたの?」
「そうだ」
「親父が自分で解決する選択肢は無いの?」
「俺の仕事は檀家さんの相談に乗ることで解決することじゃない。仮にこれが本当に『こっち側』の事件だとしたら俺に解決する力は無いからな」
父は事も無げに――僧侶がこっち側の事件に何の手立ても打てないのは事だと思うのだが――そう言った。
「お前、千鶴ちゃんとはコンタクト取ってるんだろ?ちょっと行って調べてきてくれ。
お駄賃は出すからよ」
〇
事件のあらましはこうだ。
全寮制の女子高に通う豊原佐那(とよはらさな)は寮の自室で勉強していた。
その日は日曜だったが試験が近かった為だ。
午前中の予定範囲を済ませて遅めの昼食を済ませると、勉強をするときの習慣で昼寝をすることにした。
生物学者である父からの教えで適度な昼寝が集中力を増幅すると言われていたからだ。
部屋を暗くし、床についた。
どれほど時間が経っただろうか。
体の上に何かがのしかかっているような感覚がした。
体を動かそうとするがピクリとも動かない。
佐那は「またか……」と思った。
佐那は最近、仲の良かった姉の沙耶を亡くしていた。
それ以降、しばしば金縛りに遭う。
体に重いものがのしかかっている感触がする。
体を動かそうとするが動かない。
そして恐る恐る目を開ける。
目を開けるといつもと同じパターンで、亡くなったはずの姉が佐那にのしかかって見降ろしていた。
姉は悲壮な表情で、顔色は青白く、何かを訴えているように思えた。
話しかけようとするが口が動かず、言葉が出ない。
ただ見つめられ、見返す。
ただそれだけがいつも続いた。
そして幾ばくかの時間が経った。
佐那に伸し掛かっていた姉の姿はいつの間にか煙のように消えていた。
この件で佐那は何度も心療内科に通っていた。
精神科医の診察と臨床心理士との対話で彼女の精神状態は幾らかいい方向に向かっていた。
精神科医とセラピストの見解は「ストレス」であり、最初は超自然現象かも知れないと思っていた佐那自身も「そうなのだろうな」と思い始めていた。
実際、心療内科に行くようになってから金縛りの頻度は少なくなってきていた。
だが、無くなったわけではない。
今日もまた金縛りに遭ったことで「やっぱり自分は全然立ち直ってないんだな」と佐那は思った。
そしてもやもやした気分のまままた眠りに付こうと思った。
金縛りはいつもならこれで終わりだからだ。
しかし、その日はそれで終わりではなかった。
――窓の外に誰かがいた。
佐那の部屋は5階にある。
ベランダに誰かが立っているとすれば、それはルームメイトの芦原茉奈(あしはらまな)以外にあり得なかった。
佐那は思ったより長く寝てしまっていたようで、陽は落ち、空は薄暗闇に覆われていた。
その暗闇の中に、誰か立っていた。
その人物は背中まで伸びたロングヘアーをなびかせ、目の覚めるような鮮やかなイエローのスプリングコートを着ていた。
まるで亡くなった姉のように。
既に金縛りは解けていた。
「お姉ちゃん……なの?」
佐那は幼い頃のようにそう、呼びかけた。
するとその人物は部屋の中を振り返るようなそぶりを見せ、カーテンの陰に隠れてしまった。
しばらく彼女は呆然としていたが、やがて立ちあがりまだ覚醒しきっていない頭のまま窓際まで歩いて行った。
しかし、そこには誰も立っていなかった。
そして、彼女はベランダの外壁に奇妙な物があることに気が付いた。
それは、いくつかの人間の手形と「元気でね。シャナ」というメッセージだった。
彼女は気が動転し、とにかく誰かを呼ぼうと部屋を駆け出して行った。
そして、ちょうど部屋に戻ってくるところだったルームメイトの茉奈を廊下で捕まえ、再び自室のベランダに出た時には手形もメッセージも跡形もなく消えていた。
〇
佐那が両親にこの話をしたところ、常識的対応として彼女は心療内科に連れていかれた。
精神科医は「ストレスによる幻視」というあまりにも妥当な結論を下した。
しかし、佐那は納得しなかった。
「やっぱり金縛りは超自然的な現象だったのかも知れない」と考えるようになった。
彼女は法事の際に思い切って私の父に相談し、父は妥当な判断としてその方面の問題を解決できる人間に調査を依頼した。
つまり、千鶴さんだ。
私が事件の概要を説明し「父から謝礼を払わせる」と付け加えると、千鶴さんは二つ返事で引き受けてくれた。
これが我々が小金井のカフェで時間つぶしをするようになるまでの経緯だ。
一度は長袖に腕を通した人々が再び半袖に戻り、コンビニの飲料品コーナーでは冷たい飲料が品薄状態になっていた。
私は「相談がある」と父に呼び出され実家に赴いていた。
私の実家は浄土真宗の寺院だ。
古い建物故に風通しがよく、縁側に居ると夏でも心地よい風が感じられる。
古い建物故の不便も多いがこの実家のつくりを私は気に入っていた。
寺を継ぐことが確定的となっている兄は既に結婚し幼い子供もいるが、兄も兄の一家もこの寺を気に入っている。
大いに結構なことだ。
寺に居るのが苦痛では坊主は務まらないだろう。
窓の外では涼し気に風鈴が揺れている。
風流だと私は思う。
だが、エコ精神などまるでゼロの父は香港のホテルのように冷房を利かせ、Tシャツに短パンという僧侶の品格を欠片も感じさせない格好でスティックの氷菓をかじっていた。
Tシャツはブラックサバスのロゴが入ったデザインTシャツだった。
浄土真宗では作務衣(さむえ)は着ないことになっているが、ブラックサバスは黒魔術や悪魔と結び付けられるロックバンドだ。
もう少し恰好に選択肢はなかったのだろうか。
「それでな、天明」
私の父、長南応挙(おさなみおうきょ)は齧り終えた氷菓のスティックをゴミ箱に乱雑にシュートすると切り出した。
「檀家さんから相談があってな……調べて欲しいことがあるんだ」
私は聞いた。
「『相談』があって『調べて欲しい』っていうことは何か事件でも起きたの?」
「そうだ」
「親父が自分で解決する選択肢は無いの?」
「俺の仕事は檀家さんの相談に乗ることで解決することじゃない。仮にこれが本当に『こっち側』の事件だとしたら俺に解決する力は無いからな」
父は事も無げに――僧侶がこっち側の事件に何の手立ても打てないのは事だと思うのだが――そう言った。
「お前、千鶴ちゃんとはコンタクト取ってるんだろ?ちょっと行って調べてきてくれ。
お駄賃は出すからよ」
〇
事件のあらましはこうだ。
全寮制の女子高に通う豊原佐那(とよはらさな)は寮の自室で勉強していた。
その日は日曜だったが試験が近かった為だ。
午前中の予定範囲を済ませて遅めの昼食を済ませると、勉強をするときの習慣で昼寝をすることにした。
生物学者である父からの教えで適度な昼寝が集中力を増幅すると言われていたからだ。
部屋を暗くし、床についた。
どれほど時間が経っただろうか。
体の上に何かがのしかかっているような感覚がした。
体を動かそうとするがピクリとも動かない。
佐那は「またか……」と思った。
佐那は最近、仲の良かった姉の沙耶を亡くしていた。
それ以降、しばしば金縛りに遭う。
体に重いものがのしかかっている感触がする。
体を動かそうとするが動かない。
そして恐る恐る目を開ける。
目を開けるといつもと同じパターンで、亡くなったはずの姉が佐那にのしかかって見降ろしていた。
姉は悲壮な表情で、顔色は青白く、何かを訴えているように思えた。
話しかけようとするが口が動かず、言葉が出ない。
ただ見つめられ、見返す。
ただそれだけがいつも続いた。
そして幾ばくかの時間が経った。
佐那に伸し掛かっていた姉の姿はいつの間にか煙のように消えていた。
この件で佐那は何度も心療内科に通っていた。
精神科医の診察と臨床心理士との対話で彼女の精神状態は幾らかいい方向に向かっていた。
精神科医とセラピストの見解は「ストレス」であり、最初は超自然現象かも知れないと思っていた佐那自身も「そうなのだろうな」と思い始めていた。
実際、心療内科に行くようになってから金縛りの頻度は少なくなってきていた。
だが、無くなったわけではない。
今日もまた金縛りに遭ったことで「やっぱり自分は全然立ち直ってないんだな」と佐那は思った。
そしてもやもやした気分のまままた眠りに付こうと思った。
金縛りはいつもならこれで終わりだからだ。
しかし、その日はそれで終わりではなかった。
――窓の外に誰かがいた。
佐那の部屋は5階にある。
ベランダに誰かが立っているとすれば、それはルームメイトの芦原茉奈(あしはらまな)以外にあり得なかった。
佐那は思ったより長く寝てしまっていたようで、陽は落ち、空は薄暗闇に覆われていた。
その暗闇の中に、誰か立っていた。
その人物は背中まで伸びたロングヘアーをなびかせ、目の覚めるような鮮やかなイエローのスプリングコートを着ていた。
まるで亡くなった姉のように。
既に金縛りは解けていた。
「お姉ちゃん……なの?」
佐那は幼い頃のようにそう、呼びかけた。
するとその人物は部屋の中を振り返るようなそぶりを見せ、カーテンの陰に隠れてしまった。
しばらく彼女は呆然としていたが、やがて立ちあがりまだ覚醒しきっていない頭のまま窓際まで歩いて行った。
しかし、そこには誰も立っていなかった。
そして、彼女はベランダの外壁に奇妙な物があることに気が付いた。
それは、いくつかの人間の手形と「元気でね。シャナ」というメッセージだった。
彼女は気が動転し、とにかく誰かを呼ぼうと部屋を駆け出して行った。
そして、ちょうど部屋に戻ってくるところだったルームメイトの茉奈を廊下で捕まえ、再び自室のベランダに出た時には手形もメッセージも跡形もなく消えていた。
〇
佐那が両親にこの話をしたところ、常識的対応として彼女は心療内科に連れていかれた。
精神科医は「ストレスによる幻視」というあまりにも妥当な結論を下した。
しかし、佐那は納得しなかった。
「やっぱり金縛りは超自然的な現象だったのかも知れない」と考えるようになった。
彼女は法事の際に思い切って私の父に相談し、父は妥当な判断としてその方面の問題を解決できる人間に調査を依頼した。
つまり、千鶴さんだ。
私が事件の概要を説明し「父から謝礼を払わせる」と付け加えると、千鶴さんは二つ返事で引き受けてくれた。
これが我々が小金井のカフェで時間つぶしをするようになるまでの経緯だ。
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