上 下
43 / 49
第四章:謝罪編

040:昔話

しおりを挟む
 どのくらい昔の事だったか……もう随分経っちまったんで覚えちゃいねぇが、最低でも三百年は前だったかな。

 当時にゃ珍しくねぇ、貧しい父母子三人の家族の、つまらねぇ話だ。




 俺の親父は、はっきり言って屑だった。

 昔は大工だったらしいが、事故で腕を怪我してからは呑んだくれるようになり、自分の不満を他人に……特に俺やお袋にぶつけるようになった。

 それだけなら同情の余地はあったんだが……さして腕も良くなく、事故の原因も親父自身の不注意であり、どこからどう見ても自業自得の怪我であったという。

 詳しい事は親父の元仕事先の人間の機嫌が悪くなるので聞けなかったが……。
 時折聞こえてきた噂話の中にあった『浮気』だの『寝取り』だの『上司の妻』だの『部下の恋人』だの『借金』だの『横領』だのの単語で大体の事は察せた。
 齢五歳にして、俺は大人の汚い世界をこれでもかと思い知る事になった。

 うちに帰っても酒ばっか飲んで、酔っ払って俺とお袋に乱暴するような奴だったし、驚きゃしなかったがな。


 ……で、一応の一家の大黒柱の働きがなくなり、その皺寄せは俺とお袋に来る事になった。
 親父の稼ぎは親父の酒代になっていて、俺とおふくろでそれぞれ仕事をして何とか生計を保っていたんだが、その均衡は一気に崩れる事となった。

 飯は晩の分しか出なくなり、服も古いまま洗濯もままならず、俺もお袋もがりがりに痩せていった。
 そんな状況なのにあの親父は、俺とお袋の稼ぎをほとんど酒代に変えるもんだから、穴の空いた柄杓で水をすくうような状況がいつまでもいつまでも続いた。
 そんで腹が減ったと喚き、酒が足りねぇと暴れるもんで、俺もお袋も全身青痣だらけになったもんだ。

 何度殺してやろうかと思ったか。それでも血の繋がった親父なんだと、餓鬼らしく良心が働いていたけど。


 ……え?
 そんなに酷い家だったならだれかに助けを求めりゃ良かったんじゃないのかって?

 俺がその時いた村は貧しくてなぁ……他人を気遣う余裕なんかそこまでなかったんだよ。
 そもそも親父の悪名が強すぎて、関わる事すら忌避されてたからな……あの家族に関わったら破滅するぞ、近寄るな、目も合わせるな、って感じでな。

 実際、酔った親父が無理矢理押し入って、脅して金を毟り取ろうとした事もあったらしい。すぐにその家の旦那に叩き出されたそうだけど。

 ……それで捕まってないのはおかしいって?
 捕まえるまでもなく弱かったみたいよ、あの親父。それ以来やらなかったみたいだし。


 それで、あー……どこまで話した?

 あぁ、そうそう。貧しかった家がもっと貧しく大変になったんだった。
 お袋も昔はもっと誠実に見えて惚れていた男の為だって、毎日一言も文句も言わず働いていたんだが……我慢の限界に達したんかね。

 唯一自分に優しくしてくれる男がいて、そいつに悩みを相談するようになったらしいのよ。
 お袋はその頃随分窶れちまってたが、元が美人な上に若くして夫婦になったから綺麗さは残ってて、親父のものになった後も割と大勢に好かれててな。親父の目を盗んでこっそり会ってたらしいのよ。

 お袋も最初は迷惑かけられないって拒んでたらしいが……気が滅入ってたのと内心嬉しかったのとでそいつに惹かれ始めたらしい。

 ……言っておくが、お袋とその男に肉体関係はなかったぞ。ただ相談する仲だった。

 だがまぁ……親父がそれを知っちまって、怒り狂った。
 自分の物を奪う下衆と裏切った最低な女に見えたんだろうな、実際は自分がそうなのに。


 自分の妻とその相手を刃物で滅多刺しにして殺しちまったのよ。


 流石に俺も魂消たわ、家に帰ったら部屋中真っ赤なんだもの。
 お袋は本気で逢引じてるつもりなんてなかった。相手の男が何考えてたかは知らねぇが、親父をしてるつもりなんてさらさらなくて、むしろどうやったらまともになるかってのをずっと考えてたぐらいだ。

 だが、親父はそれを信じなかった。
 お袋の話す真実を、全部その場凌ぎの嘘、言い訳だと思い込んで切れちまった。


 そして親父は俺に……血塗れで横たわったお袋と相談相手を踏みつけにして、真っ赤に染まった顔で俺に振り向いてこう聞いてきた。

『お前も、俺を見下すのか……!?』

 そう言って、親父は俺にも刃物を向けて突っ込んできた。


 普通なら、ここで俺も死んで、流石に親父は殺人犯として村で捕まって、場合によっちゃ死罪になって、一家全員お陀仏って終わりなんだろうが。
 生憎うちの場合は普通じゃなかった。

 親父の凶行には、俺も日頃から不満を募らせていた。他人に何と言われようが、自分の手で殺してやりたくて仕方がなかった。
 そうしなかったのは、一度は親父を愛したお袋がそれを望んでいなかったからに他ならない。

 そしてそんなお袋の想いを踏み躙り、命を奪った親父を前にして……俺も完全に切れた。


 丁度その時だったな……俺の〝天職〟が目覚めたのは。
 俺は無意識のうちに〝力〟を発揮し、親父に向けて【呪い】を掛けた。

『地獄の苦しみを永遠に受け続けろ』っていう、今思えば甘い内容だ。

 途端に親父は腹を抑えて倒れ込み、悲鳴を上げてその場を転げ回った。
 もう完全に正気を失っていて何言ってるのかわからなかったんだが、『痛い』とか『苦しい』とか『熱い』とか『気持ち悪い』とか、いろんな苦痛を一気に味わってる事はわかった。


 それで終わったら満足だったんだが……問題はそれが俺にも襲いかかってきた事なんだよな。
 まず腹を刺されたような痛みがあって、次に全身を火に焼かれるような熱さがあって、押し潰されるような圧迫感や目を回したような気持ち悪さが襲ってきた。

〝人を呪わば穴二つ〟って言葉の通り……初めて〝力〟を使った俺は、自分自身をも呪っちまったんだ。


 それからずっと、俺と親父は苦しみ続けた。
 俺が掛けた【呪い】を解ければそれで解決したんだが、掛け方も無意識だったのに解き方なんてわかるはずもなくてな、一年くらい続いたな。

 そんでそのくらい経つと……俺はその苦しみに
 親父は未だにのたうち回ってたが、俺は最初の頃ほど苦痛を感じなくなっていた。途中で感覚が壊れたのかもしれない。


 俺はしばらく考えると、転げ回る親父を引き摺って山に入った。そして誰も入ってこない険しい谷間で行くと、そこへ親父を投げ捨てた。

 そして谷から延々と悲鳴が聞こえてくるようになるのを確認すると……そのまま家に引き返し、お袋と相談相手の亡骸を抱えて、それぞれ山に埋めてやった。
 親父に対しては特に何もしないで、二人にだけ墓を作ってそこに眠らせてやった。

 そんで俺は村の連中に何も言わず、家の中から僅かながら金目のものを持ち出して、村を出て行ったんだ。
 ……流石にそこに住み続けるのは居心地が悪かったからな。




 その後、親父がどうなったのかは知らないし興味もなかった。
 だが聞いた話によると、故郷の近くの谷からはーーー人の呻き声のような風の音が、ずっと聞こえてくるんだそうな。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

大切”だった”仲間に裏切られたので、皆殺しにしようと思います

騙道みりあ
ファンタジー
 魔王を討伐し、世界に平和をもたらした”勇者パーティー”。  その一員であり、”人類最強”と呼ばれる少年ユウキは、何故か仲間たちに裏切られてしまう。  仲間への信頼、恋人への愛。それら全てが作られたものだと知り、ユウキは怒りを覚えた。  なので、全員殺すことにした。  1話完結ですが、続編も考えています。

虐げられた令嬢、ペネロペの場合

キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。 幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。 父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。 まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。 可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。 1話完結のショートショートです。 虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい…… という願望から生まれたお話です。 ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。 R15は念のため。

婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな

カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界 魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた 「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね? それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」 小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く 塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう 一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが…… ◇◇◇ 親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります (『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です) ◇◇◇ ようやく一区切りへの目処がついてきました 拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです

旦那様、どうやら御子がお出来になられたようですのね ~アラフォー妻はヤンデレ夫から逃げられない⁉

Hinaki
ファンタジー
「初めまして、私あなたの旦那様の子供を身籠りました」  華奢で可憐な若い女性が共もつけずに一人で訪れた。  彼女の名はサブリーナ。  エアルドレッド帝国四公の一角でもある由緒正しいプレイステッド公爵夫人ヴィヴィアンは余りの事に瞠目してしまうのと同時に彼女の心の奥底で何時かは……と覚悟をしていたのだ。  そうヴィヴィアンの愛する夫は艶やかな漆黒の髪に皇族だけが持つ緋色の瞳をした帝国内でも上位に入るイケメンである。  然もである。  公爵は28歳で青年と大人の色香を併せ持つ何とも微妙なお年頃。    一方妻のヴィヴィアンは取り立てて美人でもなく寧ろ家庭的でぽっちゃりさんな12歳年上の姉さん女房。  趣味は社交ではなく高位貴族にはあるまじき的なお料理だったりする。  そして十人が十人共に声を大にして言うだろう。 「まだまだ若き公爵に相応しいのは結婚をして早五年ともなるのに子も授からぬ年増な妻よりも、若くて可憐で華奢な、何より公爵の子を身籠っているサブリーナこそが相応しい」と。  ある夜遅くに帰ってきた夫の――――と言うよりも最近の夫婦だからこそわかる彼を纏う空気の変化と首筋にある赤の刻印に気づいた妻は、暫くして決意の上行動を起こすのだった。  拗らせ妻と+ヤンデレストーカー気質の夫とのあるお話です。    

私の代わりが見つかったから契約破棄ですか……その代わりの人……私の勘が正しければ……結界詐欺師ですよ

Ryo-k
ファンタジー
「リリーナ! 貴様との契約を破棄する!」 結界魔術師リリーナにそう仰るのは、ライオネル・ウォルツ侯爵。 「彼女は結界魔術師1級を所持している。だから貴様はもう不要だ」 とシュナ・ファールと名乗る別の女性を部屋に呼んで宣言する。 リリーナは結界魔術師2級を所持している。 ライオネルの言葉が本当なら確かにすごいことだ。 ……本当なら……ね。 ※完結まで執筆済み

【短編】冤罪が判明した令嬢は

砂礫レキ
ファンタジー
王太子エルシドの婚約者として有名な公爵令嬢ジュスティーヌ。彼女はある日王太子の姉シルヴィアに冤罪で陥れられた。彼女と二人きりのお茶会、その密室空間の中でシルヴィアは突然フォークで自らを傷つけたのだ。そしてそれをジュスティーヌにやられたと大騒ぎした。ろくな調査もされず自白を強要されたジュスティーヌは実家に幽閉されることになった。彼女を公爵家の恥晒しと憎む父によって地下牢に監禁され暴行を受ける日々。しかしそれは二年後終わりを告げる、第一王女シルヴィアが嘘だと自白したのだ。けれど彼女はジュスティーヌがそれを知る頃には亡くなっていた。王家は醜聞を上書きする為再度ジュスティーヌを王太子の婚約者へ強引に戻す。 そして一年後、王太子とジュスティーヌの結婚式が盛大に行われた。

処理中です...